21:銀髪の聖女

「魔人様、どうか話を聞かせてください」

魔王の巨躯を見上げ、オリビアが雨音に負けないよう声を張った。

彼女に魔王の鋭い爪が伸びる。

「やめろーーっ!!」

地に伏すフロウが叫んだ。

眼前に差し出された爪に動じることなく、オリビアは爪の向こうの魔王の顔を真っ直ぐに見据みすえた。

たった今、十数人の命を引き裂いた自分の前に、こんな小さな少女がよくもその身を晒せたものだ。よくもそんな凛々しい顔が出来たものだ、と魔王は怪訝けげんな顔をした。


「……話してみろ」

オリビアに興味を持ったのか、ただの気まぐれか、ともかく魔王が発したその言葉にフロウは驚いた。

「いえ、私が魔人様の話を聞きたいのです。どうして人の国を訪れたかを」

「ククッ、か。なぜ侵略し、殺すのかと言うのだろう?」

魔王が笑った。それには自嘲の念も込められていた。

「まあわれにも事情があってな。ちょっと国をまるごといただこうと思ったのだ」

そう話に付き合ってしまった。勝手な侵略行為だともちろん分かっていた。一族の絶滅の危機に、魔人の誇りは地に落ちた。

「その事情をお聞かせ願えませんか?」

「聞いてどうする」

「理由を仰っしゃっていただけば、協力できるやもしれません」

「人間が?素直に言うことを聞く種族ではないだろう」

「いえ、種族が違えど、きっと私たちは分かり合えます」

ばかばかしい、人間同士ですら分かり合えぬのに。青臭い考えを大真面目に話すオリビアの横顔を眺めながら、フロウは思った。だが、その魔王に向ける真剣な眼差しに、彼は心を打たれていた。

「おい、魔人。俺たちが敗れたことで、もうあの国に対抗する手段はない。降参だ。だからその娘のれ言は、見逃してやってくれ」

フロウが言った。


魔王が鼻から息を漏らした。人間は嘘と欺瞞ぎまんにまみれたどうしようもない種族だと聞いていたが、どうやらそうとも限らないらしい。

「……嫁探しだ」

魔王がぽつりと言った。人間ごときにどう思われようが構わないと、ただ力に訴えてきたが、どう思われようと構わぬなら、情けない事情を話してやろう。

「今魔人の国では嫁不足でな……我にも嫁となる相手がおらんのだ。そこで人間の妻をめとろうとこの国へ来たのだが……」

突然態度を崩した魔王の様子に、フロウは目を丸くした。魔人も冗談を言うのだろうかと、ぽかんと見上げる。

確かに魔王は真剣ではなく、たわむれ半分だった。事情を聞いたところで、人間が協力するはずなどないと思っていた。

戯れついでに魔王はオリビアの前に膝をつき、身をかがめて手を差し出した。

「どうだ?お前が私の妻になってはくれぬか?」

「えっ……」

初めてオリビアは魔王の顔から目をそらし、もじもじと視線をさまよわせた。

顔を赤らめ、恥ずかしそうに口元に手をやり、そして小さくうなずいた。

「あ、あの……はい、私でよろしければ……」

正しく、突然求婚プロポーズされた少女の態度で、オリビアはそっと魔王の手をとった。


「バカバカバカ!なんでそうなるんだ!」

フロウが叫んだ。

思いがけないオリビアの態度に、魔王も唖然としていた。

頬を染めるオリビアの純真な瞳に見つめられ、魔王は言葉を飲み込んだ。

「私はオリビアと申します。夫となる魔人様のお名前を聞かせていただけますか?」

「我が名は……アヴェイロ」

いつしか雨は小さくなり、霧のように静かに降り注いでいた。やわらかな雨の中で手をとり合う少女と魔人の姿は、さながらお伽話のさし絵のように見えたかもしれない。


「アヴェイロ様は国を乗っ取り、女性をはべらせるおつもりだったのですか?」

オリビアのはっきりとした物言いに、アヴェイロは思わずたじろいだ。

「……ま、まあな……」

「なりません!妻は私ひとりにして下さいませ」

オリビアがふくれるように言った。

「待てオリビア!お前一人犠牲になるつもりか!」

フロウが声を上げた。

「犠牲?違います。私は、私の言葉に耳を傾け、事情を話して下さったこの方の思いに応えたいのです。種族の壁は乗り越えられる。私は身を持ってそれを証明いたしましょう」

アヴェイロが立ち上がった。

「では、我もお前の思いに応えよう」

そう言うと、高く二度吠えた。遠吠えのようなその声が、闇の中を流れていく。

「これでオークどもも引き上げる。もう我がこの国を訪れることもないと誓おう」

アヴェイロはそういうとオリビアを抱きかかえた。

「待て!待ってくれ!その娘は置いていけ!」

フロウが這いずって必死に叫んだ。アヴェイロはそんなフロウにちらりと目をやるが、無言できびすを返し、その場を立ち去った。

残されたフロウはみじめさにさいなまれ、天を仰いで悲痛な叫び声を上げた。

体を引きずりなんとか一人国に戻ったフロウは、その惨めさを誤魔化すように自分が英雄になるような嘘をついた。魔王とオリビアの死体がないことに、強引な理由をつけて。



フロウはフリックに蹴られた顔を抑え、口の血をぬぐった。

「聖女様がアクラの母親で、魔王アヴェイロが父親だ。封印なんて嘘っぱちさ」

「アクラが……魔王の娘だって……!?」

フリックはグラルドの話からもしやとは思っていたが、当事者だったフロウからはっきりと聞かされ、やはり信じられない思いだった。

「ははっ……なにが聖女様だよなあ。聖女どころか、魔人と子作りする変態さ!」

フロウが下品に笑った。

「……か……さま……侮辱、する、な……」

ミーナの腕の中でアクラがつぶやいた。

「変態はどっちだよ」

フリックは軽蔑の眼差しをフロウに向けると、彼を一人残し部屋を出た。


フリックはアクラを別室に運び、ベッドに寝かせた。

「ごめんな、アクラ。怖かったな」

優しく彼女の髪を撫でる。

「べ……に……」

別に怖くなどなかった、そう強がろうとしたがうまく口が回らず、アクラは恥ずかしそうに顔を背けた。フロウに迫られ、恐怖に涙した自分に驚いていた。今まであんな風におびえたことはなかったのに。理由は自分でもよくわからなかったが、何故かやけにフリックの顔がちらついたのは覚えている。

アクラは頭を撫でるフリックの手の感触に意識を向けた。それはとても心地よく、なのに何だか心がそわそわするのだ。フロウはもちろん、母やミーナとも違うこの感じはなんだろう。アクラは考えた。彼女がそれを恋と呼ぶことを知るには、父親との二人暮らしが長すぎた。


「一晩眠れば薬は抜けると思うから、辛抱してくれ」

フリックが言った。

「朝まで一緒にいるから、もう安心して眠りな」

「私も……ここに居ていいでしょうか?」

ミーナが遠慮がちに言った。

「ああ、ミーナも居てやってくれ」

フリックが笑顔を返した。

ミーナはベッドの横の床に腰掛けると、目を閉じるアクラの顔をじっと見つめた。


翌朝、早くにアクラは目を覚まし、むくりと体を起こした。

赤い髪がさらりと顔の横に流れる。それを手に取り、赤く戻っていることを確認した。少しの気怠けだるさは残っているが、体も問題なく動くようだ。

辺りに目をやると、足元でフリックが寝ていた。体をベッドに横たえ、足は床に放り出している。横では床に座ったミーナが、ベッドにもたれかかって寝ていた。

「頼もしい見張りだのう」

アクラは皮肉を口にしたが、心の中は温かい気持ちで満たされていた。


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