20:剣士フロウ

「ああ、オリビア……」

隊舎の一室でアクラの胸に顔を埋めるフロウの頭上から、か細い声がする。

「やめ、ろ……」

「驚いた、もう意識が戻ったのか」

フロウが顔を上げ、重いまぶたかろうじて開くアクラの顔を見た。

「無理するな。眠ってていいんだぜ」

下卑た笑みを返す。

「き、さ、ま……」

「おい、そんなに眉にしわを寄せて怖い顔をするな。オリビアはそんな顔はしないだろう?」

顔を寄せるフロウを、アクラが首をひねって避ける。

「ああ、白い肌は変わらないな……」

鎖骨のあたりを指で撫でる。

「さわ、る、な……」

アクラは嫌悪感を表し、硬直した体がぴくぴくと震えた。

「なあオリビア、魔人のもとに行っちまう前に、今度こそ俺の想いを受け止めてくれよ」

「私……オリ、ビア、じゃ……」

そう言うアクラに構うことなく、フロウはオリビアの名を何度もつぶやき、アクラの体に手を這わせる。

「……や、だ……」

アクラの頬を涙がつたった。フロウがアクラの服の留め具に手をかける。

「やめろ……いや、だ……」

アクラは震える声をもらし、必死で首を振った。


フリックが浮かない顔で城から出てきた。王と大臣たちの前でアクラの保護を訴えたが、やはりいい返事は返ってこなかった。それどころかアクラが魔人グラルドと共謀しているのではないか、などという馬鹿な意見まで飛び出した。魔人はそのような策を弄しはしないのでは、という反論も出たが、「アクラは半分人間だから信用出来ない」ときたもんだ。

「魔人は信じても、人間は信じないと、人間が言うのか。お笑い草だな」

フリックは苦笑まじりにそうこぼすと、隊舎への道を急いだ。

隊舎の前に着き、アクラが寝ているであろう部屋の窓を見上げる。そこにちらちらと人影の頭が揺れているのが見えた。

「……親父?」

フリックは嫌な予感がして隊舎に駆け込むと、アクラのいる部屋へと走った。


壊す勢いで戸を開け部屋へと飛び込む。

「アクラーーッ!!」

ベッドで上になるフロウと、その下で泣いているアクラが目に入った。

「親父ィ!!」

フリックは烈火の如くそう吠えると、フロウの肩を掴んでベットから床へと引き倒した。尻餅をつくフロウの顔面を思い切り蹴り上げる。フロウはうめき声を上げて吹き飛び、床に突っ伏した。

「アクラ!無事か!」

改めてアクラを見る。アクラはいつもの強気な顔をなくし、子供のようにしくしくと涙を流していた。着衣を確認する。服の正面の留め具がひとつ外され、胸の谷間があらわになっているが、他には特に乱れがない。フリックは取り敢えずほっとするとアクラの体を起こした。

「ひとりにしてすまない、アクラ。もう大丈夫だ」

そう言って抱きしめながら、彼女の頭を撫でた。


騒ぎを聞いてミーナが駆け込んできた。

「フリック様!アクラ!どうしたの……!」

「ミーナ、アクラを頼む」

フリックはミーナにアクラを託すと、フロウの前に立った。

動けないアクラと床に転がる瓶で、フリックはフロウが何をしたのかを悟った。

「どういうつもりだ!親父!」

這いつくばるフロウに声を上げる。フロウは口から血を流しながら、よろよろと体を起こした。

「なに……どうせ魔人にやられちまうんだ。その前にいい思いをさせてもらおうと思ったまでよ」

床に血の混じったつばを吐いて、フロウが言った。

「年端もいかぬ少女相手に、何を考えているんだ!」

「だってよ、その娘は俺が昔に憧れていた、銀髪の聖女様にそっくりなんだよ」

「なんだって……?」

フリックが驚きの声を上げた。



二十年前、オリビアが魔王と共にフロウのもとを去った日。

日没を待って、魔王討伐隊は奇襲作戦を決行した。日没と同時に降りだした雨は次第に雨脚を強め、彼らの姿を隠し、靴音を消した。松明たいまつも消えそうな雷雨の中、十数人の討伐隊は隠し通路を通り、町の外を回って魔王のもとを目指していた。

「クソッ、明かりが消えそうだ。こいつが消えたら、辺りは真っ暗闇だぜ!」

先頭を走るフロウが言った。

「それでしたら、私が明かりを用意します」

オリビアの言葉に、皆が立ち止まる。

オリビアは懐から宝石を取り出すと、なにやら力を込めるようそれを握った。

すると石がにわかに輝きだし、手を広げると辺りに柔らかな光が広がった。

「おお?なんだあそりゃあ!?」

一同が驚嘆した。

「私は力を特別な石に込めることが出来ます。この石には光を閉じ込めていました。今それを開放したのです」

「凄えな!やるじゃねえかオリビア!」

フロウが感心して言った。

「じゃあ、魔王をぶっ殺せるような力のこもった石なんかもあるのかい?」

「いえ……そういう野蛮なものはありませんが……」

「そういうのも、念の為に作っておけよなあ」

フロウは残念そうに眉を上げた。


オーク達に見つかることなく、討伐隊一行は魔王がいるという町の正面入口前へ到着した。当時そこにはまだ低い壁と小さな門しかない。

ここまでは首尾よくいったようだが、そもそも辺りの警戒や奇襲に備えるなんてことを魔王はしていないのだ。

いくさの上手さは、人間様のほうが上だな」

一人がそうつぶやくが、それは人間相手の戦を上手くやる必要などないからにすぎない。

拠点を作り本隊は一旦いったん待機し、先発数名が泥の中を這いずって魔王を探す。

「あんだけでかい図体だ、ここらにいれば見つけられるはずだ……」

彼らは雷光を頼りに目を凝らすが、魔王は拍子抜けするほどあっさりと見つかった。

魔王は門の正面から少し下がったところで、悠々とその身を雨にさらしていた。この程度の雷雨、極寒の故郷の猛吹雪に比べれば、そよ風の如しだ。

魔王はひらけた場所にどっかりと腰を下ろしていた。近くに遮蔽物がなく、奇襲にはまずい状況だ。背中側の少し離れた茂みの中から一気に駆け寄るしかないとフロウは判断し、隊をそこへと移動させた。


オリビアを茂みに残し、フロウの合図で討伐隊十数人が一斉に魔王の背中に駆け出した。雨音に紛れるように声を殺し、雷鳴を雄叫び代わりとして。やや先行した五人の剣が魔王の背中に突き刺さる。いや、それはわずかに表皮を削ったに過ぎなかった。頭部を狙ったフロウの一撃も、硬いたてがみに阻まれ手応えがない。五人と入れ替わるように間髪入れず残りの剣が魔王に向かうが、突き刺したその先に既に魔王の姿はなく、空を切った剣先から視線を移そうとしたその時にはもう、魔王の爪が体の中を通った後だった。

そのわずか一回の交錯で、決死の覚悟を持つはずの彼らの心をくじくには十分だった。雨音をかき消すように、魔王が吠えた。

立ちすくむ討伐隊の面々は、暗闇の中もう魔王の姿をとらえることも出来ず、次々と引き裂かれていった。雷光が一瞬辺りを照らしたとき、立っているのはフロウただ一人だった。

フロウは悲鳴に似た雄叫びを上げ、闇に浮かぶ黒い塊に斬りかかるが、気付いた時には体は宙を舞っていた。地面に叩きつけられ、立ち上がろうとするが、ガクンと大きくバランスを崩し、再びその場に倒れ込んだ。脚に手をやると肉が大きくえぐれ、吹き出す生温かい血が冷たい雨と混じり、さらに足元の泥と混じり合っていく。魔王がゆっくり近づいてくるのが見え、フロウは命の終わりを覚悟した。


あわれ剣士フロウの冒険譚もこれにてお終い。参ったね、魔人がここまで強いとは。報酬と名声に釣られて、馬鹿な真似をしちまった。生まれ変わったら武芸者なんてやめて、気ままに飲んだくれて暮らそう」


不意に辺りが光に照らされ、顔を上げるとフロウの前にオリビアが立っていた。光る石を手に、彼女は魔王に向き合っていた。

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