19:昔見た夢

口に含んだ薬の苦味に、アクラはわずかに顔をしかめた。

「薬草と肝の煮汁だ、美味くはないさ」

フロウは笑みをもらし、アクラに酒瓶を差し出した。

「ほら、口直しの果実酒だ。そいつは一気に飲み干しちまいな」

アクラはその通りにぐいと杯をあおると、フロウから酒瓶を受け取り口をすすいだ。


一息ついたアクラが尋ねる。

「母様と何処どこで出会ったのだ?」

「この町さ。当時俺は剣の修行に各地を回っていた。諸国漫遊の旅ってやつだ。まあ腕には自信があったんでな、用心棒や雇われ兵士なんかをして日銭を稼いでいた。貧しかったがそれなりに楽しかったぜ。野心にも溢れていたしな」

そう言ってフロウは今は動かぬ脚をさすった。

「そうやって俺はこの国に流れ着いた。一方オリビアもまた各地を旅する身だった。とある宗派の一行が布教のために各国を訪れていて、彼女はその中のひとりだった。簡単に言やあ、他種族とも仲良くしましょうって教えだ。彼女はそこの神に仕える巫女だった」

「旅の……巫女……」

アクラの顔に動揺が走った。

「そう、オリビアは今はこの国では『銀髪の聖女』と呼ばれている」

アクラが目を見開き、驚きの色を示す。

「母様が……!?話では……聖女は魔王を封印し、命を落としたのではないのか!?」

「それは俺のでっち上げさ。真相は『聖女は魔王と駆け落ちしました』だ」

「……魔王と……?」

アクラの体が小刻みに震えた。口に手を当て、視線は宙をさまよう。

アクラの視界がぐにゃりと歪み、彼女はどさりと再びベッドに腰を落とした。視界はさらにぐるぐると回り、意識が何処かへ行きそうになる。アクラは遂に上半身を起こしているのもままならず、ばたりとベッドに倒れ込んだ。

おかしい。体が動かない。朦朧もうろうとする頭でアクラは思った。

「やれやれようやく効いてきたか。魔人の血を引く嬢ちゃん相手だ、随分量を増やしたんだがな」

フロウの声が遠くから波を打って響いた。

「……きさま……な、にを……」

アクラは口も動かせず、声もうまく出せなかった。

しびれ薬だよ」

フロウはそう言って床に転がる薬の瓶をあごで指した。

「……フリッ、ク……」

アクラはそうつぶやくと、意識を遠くした。


フロウはアクラの脚を持ち上げ、彼女をベッドに仰向けに寝転がした。

ベッドに腰を下ろし、アクラの白くなった髪を撫でる。

「ああ、こうして見ると、本当にオリビアによく似ている……」

フロウはアクラの髪を手に取ると、愛おしそうに頬を寄せた。

「俺は初めてお前を見た時から、オリビアの娘だと気付いていたんだ。オリビアは普段ベールで顔を隠していた。だから町の連中は彼女の銀髪ぐらいしか覚えていないが、俺は顔も覚えていた。共に魔王討伐に向かった仲だからな」

フロウの指がアクラの頬に触れる。頬から唇をなぞり、顎を伝って首筋をう。

「オリビア、俺はお前の顔を見たあのときから、お前のことを愛してしまった。魔王を倒し、英雄となり、お前と結ばれることが、俺があの一瞬に見た夢だった」

指が首筋から胸の谷間へ、谷間から腹へ……腰へ……そして露出しているももを撫でた。

「ん……」

アクラがぴくんと反応し、微かにうめいた。

「オリビア……」

フロウがアクラの胸に顔を埋めた。二十年前の想いを果たすかのように。



二十年前、結成された魔王討伐隊の中に、フロウとオリビアはいた。

最も、オリビアの目的は「討伐」ではなく「説得」だった。オークを従え国を襲った魔人の前に、対話を試みて進み出た宗派の仲間は、みな無残にも命を散らした。彼女は仲間にかばわれ、生き残った。彼女は若くして宗派では位の高い巫女だった。それは彼女が奇跡の力を持っていたからだ。

魔人に軍隊を壊滅させられ、続いて町をオークに蹂躙され、逃げ延びた住民たちは城へと避難していた。城は隣接する湖から水を引いた堀に囲まれている。町の中に陣を構えたオークに対し、生き残りの兵士と近衛隊が、その城で必死の籠城戦を続けていた。

とはいえ魔人がその気になれば、そこもあっという間に突破されていただろう。しかし魔人は城攻めをオークに任せ、自分は町の外で戦いの終わりを待っていた。手応えのない相手に飽きてしまったのか、元々あまり気乗りしていなかったのか、分からないが、ともかくそれは魔人を討つ好機に見えた。

そうして、オークの目を盗み、魔王と呼ばれ出したその魔人に奇襲をかける討伐隊が結成されたのだった。


「あんた、本気で俺たちに付いて来る気かい?」

夜の闇に紛れるため、討伐隊は日没を待っていた。屈強な男達にまじり、明らかに場違いな巫女にフロウが声をかけた。ベールで顔を覆い、ゆったりとしたローブを羽織るそのたたずまいは、まるで白髪の婆さんだな、とフロウは思った。

「ええ、種族が違えども必ず心は通じ合える。それが私が信じ、伝えてきた教えですから。相手が種の頂点に立つと言われる魔人様なら、なおさら逃げるわけには参りません」

「はっきり言って、足手まといは邪魔なんだがなあ」

フロウがまだ短い髭をぼりぼりと掻く。

「話が通じる相手なら、あんたのお仲間も殺されることはなかったろうよ」

「……あなたは、なぜ多くの種族がこの世にいるにもかかわらず、みな同じ言葉を話すのか、考えたことはありますか?」

「同じ言葉?どういう意味だ?」

フロウにとって、世界に言語がひとつなのはあたりまえのことで、そんなことに疑問を感じたことはなかった。しかし巫女はそれが如何いかに不思議で、奇跡的であるかをフロウに話して聞かせた。

「……つまり神は我々に対話による可能性を残されたのです。神の意志が、他種族を理解せよとおっしゃっているのです」

「ふうん。正直よくわからんが、あんたはそれに命を賭けられるってんだな」

「はい」

巫女の短い返事には、純然たる決意がこめられていた。

「フッ、面白い嬢ちゃんだ。俺はフロウ、よろしくな」

フロウは笑顔を見せると、握手を求めた。

「……オリビアです。フロウ様、同行を許していただけますか?」

巫女は差し出された手に少し戸惑い、ためらいがちに彼の手を握った。

「まあ、そこまで言うならしょうがねえ。だがあんたの出番は一番最後だ。魔王を追い詰めてからか、俺達が全滅してからか。のこのこと出て行って話し合いじゃあ、奇襲にならねえからな」

フロウがそう釘を刺した。

「それとその無駄にひらひらした服をなんとかしろ。動きやすい服に着替えるんだな」

フロウの言葉に従い、オリビアは席を外すとその巫女服を脱いだ。

「あの……これで良いでしょうか?」

戻ってきたオリビアが、町娘のような服装でフロウの前に立つ。食堂で働く女性たちがそのような格好をしていたので、彼女はこれが動きやすい服装なのだろうと思った。

おいおい給仕に行くんじゃないんだぜ、そう言おうとしてフロウは声を詰まらせた。彼女のベールの下に隠されていた美しいその顔に、彼はひと目で心を奪われてしまった。オリビアの白い肌と、愛らしく、それでいて強い意志を感じる大きな目に、フロウの視線は吸い込まれた。

「……フロウ様?」

「……あ、ああ……」

フロウは夢心地に、曖昧な返事を返した。

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