18:必ず助ける
グラルドが身をひるがえし、城門へと駆けていく。
「おお!魔人が退却していくぞ!」
警備隊の兵士たちが声を上げた。
アクラはグラルドが向かう先に、ベリアの姿があることに気付いた。
「ベリア!逃げろーっ!」
そう叫ぶが、おろおろと立ちすくむばかりのベリアは、獲物を狙う獣のように襲い来るグラルドにあっという間に
「ベリア!」
フリックとミーナが悲鳴に似た声を上げた。
グラルドはベリアを握ったまま高く跳躍し、城壁の上へ立った。
「くそっ!ベリアを放せ!」
そう見上げて叫ぶアクラをグラルドは
「ベリア、探したぞ……。悪い子だ……」
ぎりぎりと握る手に力を込められ、ベリアが
グラルドがアクラを見下ろす。
「アクラ!先ほど
グラルドが吠えるように言った。
「行くことはない!やつはベリアを殺すことは出来ないんだ」
フリックがアクラのもとへ駆け寄って言った。
「ではベリアを見捨てるか?初めて会った妹に、情などないか?」
グラルドの言葉に、アクラがわなわなと震える。
見捨てられるわけがなかった。父の愛も、母の愛も知らずに育った可哀想な妹を。初めて出来た友達も殺され、ただ魔人の欲望のためだけに生かされていた妹を。
沈黙するアクラに、グラルドが言う。
「では三日の猶予をやろう。今日のところは引き上げるが、我はベリアを助けに来たきさまを返り討ちにし、力ずくで従わせるつもりだ。だが三日後にきさまが来なければ、ベリアを連れてこの地を去るとしよう」
グラルドは右腕が万全でない今戦うのは、得策ではないと考えていた。しかしそれ以上に時間が欲しかったのは、今は魔人化出来ないアクラの方だった。
「必ず……必ずベリアは助け出す!待っていろ!」
アクラは、今はグラルドを見逃すしかない無念を噛み殺して言った。
「言ったな。きさまのその誇り、期待しておるぞ」
グラルドがにやりと笑う。
「ではアクラ、三日後にお前の家で会おう。かつて母と暮らしていたであろうあの場所だ」
グラルドはそう告げると、城壁から町の外へと飛び降り、闇の中へと去っていった。
グラルドが姿を消すと、アクラはばたりとその場に倒れた。
「アクラ!」
フリックとミーナ、それに警備隊兵士たちが駆け寄る。
「大丈夫か?」
フリックが横たわるアクラの肩を抱き起こし、声をかけた。
「ああ……。すまない……戦えずに……」
アクラは苦しそうにはあはあと息を切らし、じっとりと汗をかいた体の熱がフリックに伝わった。
「いや、よくやってくれたよ。みんなもよく戦ってくれた!」
フリックは顔を上げ、隊員たちをねぎらった。フリックの言葉に、彼らは
「まず重傷者がいないか確認しろ!手の空いたものは火を消せ!」
そう言って立ち上がろうとするフリックの肩をバージルが押さえた。
「しばらくは処理は私に任せて、フリック様はアクラさんのそばに居てあげて下さい」
「……すまないバージルさん。ありがとう」
フリックはその言葉に甘え、アクラに向き直った。
「……フリック……フリック」
アクラがうわ言のようにつぶやいていた。
「アクラ、ゆっくり休め。後のことはそれからだ」
フリックが優しくアクラの髪を撫でる。
「フリック……魔人の争いに巻き込んでしまってすまない……」
アクラが絞り出すような、か細い声で言った。
「だが私は……ベリアを助けたい……。フリック……力を貸してくれ……頼む……」
「……何を言う。当たり前だろ」
フリックは優しく笑みを浮かべると、アクラの手をとり強く握った。
「ありがとう……フリック……」
アクラの瞳が涙で揺れた。まるで湖に映る夕日がさざめく波に揺れているようだと、フリックは思った。
二人のもとにフロウがやって来きた。フリックを見下ろし、抑揚のない口調で言う。
「フリック、なんとか追い返したな」
「悪いな親父、遅くなった」
「アクラがあの魔人に
「分かってる。説得したいが……難しいだろうな」
「無理だよ」
フリックが大きくため息をつく。多くの人がグラルドの話を聞いていた。後は魔人同士で勝手にやってくれ……そういう声が上がるのは目に見えていた。
「とりあえず今夜はここでゆっくり休ませてやりたい」
フリックはアクラを抱きかかえて立ち上がった。
「後で城に顔を出せよ」
そう言ってフロウが去りかける。
フリックはミーナを呼んで、状況を聞いた。
横を向いてミーナと話すフリックの目を盗み、フロウがアクラに顔を寄せる。
「オリビアのことで話がある」
そうアクラに耳打ちした。はっとするアクラに目配せすると、フロウはその場を立ち去った。
アクラは警備隊舎に運ばれ、一室のベッドに寝かされた。
ミーナが濡らした布で汗ばんだアクラの体を拭く。
「お疲れ様、アクラ。がんばったね」
幼い記憶に残る、優しい母。二十年前、父は魔人の血を絶やさぬために一族の
アクラは母に対する父の愛情も、父に対する母の愛情も、そして二人の自分への愛情も、そのどれもが嘘だとは思いたくなかった。
あの男に話を聞こう、とアクラは思った。フロウがなぜ母の名を知っているのかを。
「ゆっくり休んで、アクラ。隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでね」
ミーナはそう告げて部屋を出て行き、アクラはひとりになった。
しばらくして、警備隊舎にフロウが訪ねてきた。
「フロウ様、どのようなご用件で?フリック様ならまだ戻られていませんが……」
入り口で警備隊の兵士が声をかけた。
「なに、ちょっとアクラちゃんに話があってな」
フロウが言った。
警備隊はフリックにアクラを守るよう言い付かっていた。アクラを拘束し、
アクラのいる部屋の戸が開かれ、フロウが顔を出した。
「よう、アクラ。お休みのところ悪いな」
フロウが大して悪びれるでもなく言った。横になっていたアクラが体を起こし、無表情に彼を見つめる。
「ちょっと込み入った話なんだ、二人にしてくれ」
案内の兵士が見守りとして部屋に入ろうとするのをフロウが制した。
「し、しかしですね……」
「よい。私もこの男に聞きたいことがあるのでな」
困惑する兵士にアクラがそう告げると、兵士は押し切られるように部屋を出て行った。戸が閉められ、部屋にはアクラとフロウが二人きりになった。
「オリビアは死んじまったか……」
ベッドに腰掛けるアクラの前に椅子を置くと、フロウはそこに座った。彼女の母が既に故人であることは、アクラに身寄りがないと聞いた時に分かっていたが、グラルドの話でそれがはっきりした。
「ああ、
十年前にさらわれてから、その後約一年、ベリアを産むまでは生きていたのだ。
「じゃあ、お前さんがまだ幼いころだな。母の記憶もおぼろげだろう」
忘れまいと思っても、記憶は曖昧になっていくものだ。それでもアクラの脳裏には、母の笑顔と自分の名を呼ぶ声が鮮明に浮かんだ。
「フリックの母親といい、オリビアといい、良い女はなんで早死にしちまうかなあ……」
フロウがしんみりとした顔を見せた。
「オリビアはそれは素敵な女性だった……。美しく、優しく、そして強い心を持っていた」
警戒するように硬かったアクラの表情が、思わず
「俺が彼女に出会ったのは二十年前だが……その頃のオリビアは、今のアクラにとてもよく似ていたよ」
フロウはそう言うと、おもむろに懐から
「疲れていると聞いてな、滋養の薬を持ってきたんだった」
それをアクラに差し出す。
アクラは杯を受け取ると、母に思いを馳せながら、素直にそれを口にしてしまった。
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