13:血

ベリアがノームの村を初めて訪れたその日、ベリアはグラルドの元に帰ると、貰った本を彼に見せた。

「ノームに会って、貰った。読んでいい?」

グラルドはベリアの手から本をひったくると、パラパラと中身を確認した。それは他愛もないあるノームの古い日記のようだった。ぽいとベリアに本を投げ返すと、

「好きにしろ」

と冷たく言った。内心あまり良くは思っていなかったが、最近口を開けば、あれはだめこれもだめだとばかり言っていたので、あまりねられても困ると彼なりの譲歩じょうほだった。

ベリアはほっと胸をなでおろすと地べたに座り込み、さっそく本を開いて読み始めた。そうして日没までの短い時間、ベリアは本に没頭した。


翌日もベリアは朝から本を読んでいた。昨日は渋々認めたグラルドも、ベリアが一日中おとなしくしているのを見て、これは楽だと考えを改めた。

数日後、読み終えたから新しい本を貰いに行っていいか聞くベリアに、グラルドはあっさりと許可を出した。


しかしベリアは、ノームに読み書きを教えてもらうことはグラルドには黙っていた。貰ったペンダントもふところに隠し教えていなかった。グラルドに反対されたら諦めなければならない。捨てろと言われれば捨てなくてはいけない。それはとても従えるめいではなかった。それならば、言わない。それが幼いベリアの精一杯の抵抗だった。

グラルドはノームのところでベリアが何をしているのかは、特に問いたださなかった。必要なことは言う。魔人ならそうするからだ。魔人同士では嘘や隠し事はしない。当たり前のようにそれをする人間のようには。だから彼はベリアが隠し事をしているとは考えなかった。ベリアには人間の血が流れているのに。


グラルドに許可をもらったと嘘をつき、ベリアはノームのところで読み書きを習った。また歌や踊りや絵を描くことを教わった。これまで父の元で、ただ時が過ぎるのを待つような生活をしていたベリアにとって、ノームたちとの交流はそれは楽しいひとときだった。出来れば毎日でも入りびたりたかったが、父はきっと無駄なことをするなと言うだろう。

魔人はそういった娯楽には興味がないのだ。退屈という感覚も至極しごく薄い。グラルドも一日の大半を瞑想めいそうのような状態で過ごしていた。それに彼はベリアを教育する気もなかった。彼はただ、ベリアの体の成長のみを待っているだけなのだ。

そんな父の考えを何となく察し、ベリアは本を一冊読み終えるたびに、また新しい本を借りてこなくちゃ、と面倒くさそうな顔をよそおって出かけるのだ。


そんな生活が続いていたある日、ベリアは一冊の本を読み終え、ふうとため息をついた。この頃はもう本もすらすらと読めるようになっていた。思ったより早く読み終えてしまい、次はいつノームの村へ行こうかと考えた。このところ訪れる間隔が短くなっており、前回は父に「またか」と言われた。もうノームに会いに行くのはやめろ、と父に言われることをベリアは何より恐れていた。


ちらりとグラルドを見る。彼はいつものように目を閉じ胡座あぐらをかいてじっと動かない。とはいえ、気配でベリアが近くにいることはわかっている。ベリアは辺りから木の実や小枝を集めると、グラルドに背を向け地面にしゃがみ込んだ。大きな実に枝を手足のように挿してつたない人形をいくつか作る。草を編んで作った紐状のものはお伽話とぎばなしに出てきた見上げるほどの大蛇だ。

(蛇の化物が出たぞー!)

(姫様が危ない!姫様ー!お助けします!)

(くらえ化物ーうわー!)

(ああっ騎士様!)

決して声は出さなかったが、頭のなかでセリフを浮かべ、人形たちを動かして物語のいち場面を再現する。

ベリアはノームたちとその本から教わった知識で、ひとり遊びもお手の物になっていた。


「ふんふ~ん、ふふ~ん……」

ベリアは無意識に鼻歌を口ずさんでいた。

はっとして振り向くと、グラルドが仁王立ちでベリアを見下ろしていた。

「その声はなんだ?」

冷たい表情でグラルドが問う。

「あ……歌、です」

ベリアはぎゅっと体を縮こまらせ、震える声で答えた。

「ノームに教わったか」

グラルドが言うと、ベリアは小さくうなずいた。グラルドは冷めた目のまま、ベリアとその足元に転がる人形を眺めた。


「あっ、あの、ごめんなさいっ!」

ベリアはぱっと立ち上がると、グラルドにそう言った。

グラルドの眉がぴくりと動く。ごめんなさい。ベリアが初めて口にしたその言葉は、人の父親ならば娘の成長に感動を覚えたかもしれないが、グラルドに湧いた感情はそのようなものではなかった。

魔人の女王になるべき者が、なんと卑屈で矮小わいしょうなることか。所詮しょせんいやしい人間族の血をひくものか。そう、此奴こやつは半分は人間なのだった。

グラルドは気味の悪いものを見るような顔で、びくびくと肩をすくめているベリアを見つめた。


「もう、ノームのところには行くな」

遂にベリアが恐れていた言葉をグラルドは口にした。

ベリアは頭からさーっと血の気が引いていくのを感じた。目の前を暗くし、ぐらりとよろめく。踏み出した足に、地面に置いた本が当たった。

「あ……あの、でも、本を……返しに行かないと……」

ベリアは震える手でそれを拾い上げると、引きつった弱々しい笑顔でそう言った。

「必要ない」

グラルドはベリアの手から本を奪うと、それを引き裂かんとした。

「ああっ!」

ベリアは咄嗟とっさに手を伸ばし、すがるような顔をする。

そんなベリアの反応に、グラルドは手を止め、ぽいと彼女に本を返した。

「……明日、本を返して、お別れを言ってくるがいい」

そう告げるグラルドの目は、もはや同族魔人を見る目ではなかった。彼はベリアに

父の真意を知らぬベリアは、引き裂かれかかった本を大事そうに抱えてその場にへたり込んだ。


翌日、ノームの村には、ベリアの泣き声とノームたちの断末魔が響いた。

「お父様……なぜ……なぜこんなことを……」

ノームを皆殺しにしたグラルドが、泣きじゃくるベリアの前に立つ。

「ノームごときの為に涙を流すか。本当になさけのない奴め」

グラルドがその血に濡れた手をベリアの頭に置く。

「よいか、お前は魔人の女王となるのだぞ。下等な種族と心を通わせた結果、そのように弱くなられては困る」

ベリアはひっひっ、としゃくり上げ、目から大粒の涙を流し続けていた。もう父の言葉の意味は理解できなかった。

「裏切り者の魔人と下賤げせんな人間の血を引く身で、我が魔人族のとなれること、光栄に思え」

グラルドはベリアが下げているペンダントに気付くと、それを引きちぎりぱきりと握り潰した。

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