7:その姿は

「アクラーっ!」

フリックが叫んだ。

「ちいっ……女の方を殺してしまったか……」

魔人は舌打ちすると、きょうが覚めたといった具合でフリックに背を向け、ミーナのもとへ歩いて行った。

「きさま!」

フリックはそう叫び魔人の背中に斬りかかるが、振り向いた魔人に強烈な蹴りを浴びせられ、大きく吹き飛び、ごろごろと地面を転がった。

「……今日のところは、女一人で引き上げるか……」

魔人が地面に伏すミーナの腕を掴んで引き起こした。ミーナが、うう、とうめく。

「ミ、ミーナ……」

よろよろと体を起こすフリックを魔人は一瞥いちべつするが、もうあまり彼には興味が無いようだ。魔人がミーナを抱え、背を向けて闇の中へ去っていく。


――かに思えたそのとき、ひとつの影がフリックの横を走り抜け、魔人に飛びかかっていった。魔人がその気配に驚き、振り向いたその瞬間、その人影と魔人が交錯した。


どさりとミーナが地面に落ち、続いて魔人の右腕がぼとりと落ちた。魔人は片腕を切断され、傷口から血を噴き出していた。人影の鋭く尖った爪から魔人の血がしたたり落ちている。フリックは目を見開いてその人影を見つめていた。赤い髪を振り乱し、肌を赤く染め、頭に二本の角を生やしたその小さな人影は――。

「……アクラ……か……?」

フリックの方を振り向いたその顔には、月明かりに照らされた琥珀色こはくいろの瞳が、まるで燃え盛る炎のように鮮やかに輝いていた。


腕を落とされた魔人はアクラをにらみながら後ずさっていく。アクラは倒れるミーナをかばうように立ち、魔人を威嚇いかくするように短く吠えた。

「……そうか……お前が……『アヴェイロ』の子供か……。娘だったとはな……。アクラ……といったな……」

魔人は切り落とされた右腕の傷を抑え、ククク、と笑った。

「……また会おう」

魔人はそう言い残すと、闇の中へ消えていった。


「アクラ……その姿は……」

フリックがアクラに歩み寄る。魔人に裂かれたアクラの胸の傷は、ぶくぶくと泡を立てて再生していた。

「私は……魔人と、人間の間にできた子だ」

アクラが言った。

「魔人の……子供だって……?」

フリックがアクラを見つめる。その姿はまさに小さな魔人といったところか。白い肌は赤褐色せきかっしょくに染まり、真っ直ぐに伸びていた髪はざわざわと背中に大きく広がっている。

アクラの胸の傷が完全に塞がると、アクラの肌がすうっと元の白い肌へと戻っていき、頭の角や鋭い爪も引っ込んでいった。さらにアクラの赤い髪がみるみる色を失い白く変化していく。

アクラは人の姿に戻ると、その場にがくりと膝をついた。

「アクラ!……お前髪が……!」

「……魔人の状態から人に戻ると、髪の色が抜けるのだ……。それと、体力の消耗が……」

アクラは顔をしかめ、はあはあと息を切らしている。

「アクラ……あなた……」

アクラの横で伏していたミーナも、魔人から人に戻るアクラを見ていた。

「ああ、ミーナ……よかった……」

アクラはミーナを見て立ち上がるが、すぐにふらりと体制を崩してしまう。倒れそうになったその体をフリックが支えた。

「アクラ、無理はするな……!!」

フリックが気まずそうにアクラから目をそらした。

「……それと、胸を隠せ」

アクラの胸元は服が裂け、荒い呼吸に合わせて上下する乳房ちぶさが今にもこぼれ落ちそうになっていた。

「フフッ……フリックは……乳が好きだな」

アクラがそう言って笑うと、フリックは図星を突かれたか顔を赤くした。ふいにアクラに体重を預けられ、フリックは慌てて彼女を支え直す。アクラは目を閉じ、意識を朦朧もうろうとさせていた。

「立てるか、ミーナ。町に戻ろう」

「はい、なんとか……」

フリックがミーナに手を貸す。フリックはアクラを背負い、ミーナに肩を貸すと、門に向かって歩き出した。


門の前には警備隊の兵士たちが待っており、フリックたちが姿を見せると一斉に駆け寄ってきた。

「フリック隊長、ご無事で!それで、魔人は!?」

「魔人は手傷を負い、退いていった」

「おお!さすがはフリック様だ!」

兵士たちが感嘆の声を上げる。

「……えっ、それアクラさんですか?大丈夫なんですか?それに、髪の色が……」

兵士のひとりがフリックに背負われたアクラを見て言った。

「あ、ああ、疲れているだけだ。実はアクラが……その……不思議な力で魔人を撃退したんだ。髪の色はその反動だろう」

フリックはアクラが魔人になったことを伏せた。ミーナをちらりと見て目配せする。

「銀髪の聖女様……」

一人の兵士がぽつりとつぶやいた。

「そうだ!銀髪の聖女様だ!銀髪の聖女様の再来だ!」

兵士たちはアクラを囲み、口々にそう歓声を上げた。


フリックたちは門をくぐり町へと戻った。フリックはミーナを別の兵士に預け、アクラは背負ったまま警備隊の兵士たちと通りを歩いた。

通りには騒ぎを聞いた町の住民たちが出ており、フリックとその背中のアクラ見てざわついていた。

「魔王が復活……」「フリック様が……」「銀髪の聖女様……」

そんな声が住民の至る所から聞こえてくる。


「フリック、魔人が出たそうだな」

厳しい顔のフロウがフリックの前に立った。後ろには不安そうな顔の王国軍兵士たちが並んでいる。

「ああ。ひとまず魔人は退却したが、また来るかもしれない」

フリックが答えた。

「……その嬢ちゃんはどうした。髪の色が……銀髪に……?」

フロウが強張こわばった顔でアクラの顔を覗き込む。

「お、おお……これは……まさに銀髪の聖女……」

フロウはわなわなと震え、異常なまでに興奮した様子だった。実際聖女と共に戦った父には思うところがあるのだろうか、とフリックは思った。

「魔人を撃退できたのはアクラのおかげだ。……本当に銀髪の聖女様の再来なのかもな」

フリックはそう言ってアクラを背から下ろした。

「バージルさん、アクラとミーナを頼みます。私は王に報告に城へ行きます」

「わかりました。隊舎でお待ちします」

バージルと呼ばれた年配の兵士が応えた。彼は隊長補佐として若いフリックを支えている人物である。

フリックは警備隊と別れ、フロウと連れ立って城へと向かった。


深夜になり、フリックが城から警備隊舎に戻ってきた。

「アクラとミーナと、三人で話がしたい」

フリックはそう告げ、二人を隊長室に招いた。

「ふたりとも、ゆっくり休ませてやれずにすまない。体は大丈夫か」

二人を椅子に座らせ、フリックが言った。

「大丈夫です、フリック様こそ……」

ミーナがフリックを案ずる。

「はは、三人ともぼろぼろだな」

フリックが魔人に蹴られた腹をさすって笑った。

「アクラも、体は平気か?」

「ああ、疲労感だけだ。一晩休めば体力も戻り、髪の色も元に戻るだろう」

アクラの髪色は依然銀髪のままだった。

「まずはベルモナ王国を代表して礼を言おう。アクラ、魔人を退しりぞけてくれて感謝する」

フリックがかしこまってそう告げた。

「よい、おぬしらが聞きたいのは私の親の魔人のことであろう」

アクラが話し始めた。


「私の父様はハクラナンの山に住む魔人だ。母様は人間で、三人で山で暮らしておった。私が五歳のとき、母様が魔人にさらわれるまではな」

「アクラの母といい、今日のことといい、魔人は何故人間の女をさらう?魔人がそのようなことをするなど、これまではそんな伝承は聞いたことがないぞ」

フリックが言った。

「それは私にもわからぬ……」

「アクラの父も、人間の女をさらい、お前を生ませたのか?」

「違う!母様は父様を愛していた!」

アクラが悲痛な顔で訴えた。フリックは神妙な顔でアクラを見つめている。

「……私は父様と母様の出会いがどういうものであったか詳しくは聞いていない……。でも母様は……確かに……」

アクラは泣き出しそうな顔でうつむいた。

「わかった、悪かったよアクラ。お前の父は、人さらいをするような魔人ではないのだろう」

フリックがふうっと息を吐き、しばらく沈黙が流れた。


「……ミーナは……魔人を憎んでおるのだろう?魔人の子である私も……」

アクラが口を開いた。

「……正直びっくりしちゃって、まだ気持ちの整理がついていないけれど……」

ミーナはうつむいたままのアクラを見つめ、少し考える。

「……確かに私は魔人が憎いわ。でもそれは母を殺した二十年前の『魔王』であって、すべての魔人を憎むべきじゃない。人間にだっていい人と悪い人がいるようにね。アクラ、あなたのお父さんはきっといい魔人だったのよ。もちろん、アクラもね」

ミーナがそう言うと、アクラははっと顔を上げて彼女を見た。涙をにじませるアクラに、ミーナはにこりと微笑みかけた。

「そもそも二十年前までは、魔人は尊敬される存在だったはずだしな。魔王が特殊なんだろう」

フリックが言った。

「まあそういうことだアクラ。お前が魔人の子だからって、それだけで嫌ったりしないよ」

フリックの言葉に、アクラはわずかに口元をゆるめた。

「だが一応アクラのことは皆には伏せておこう。混乱は避けたい」

フリックの提案にミーナがうなずいた。


「魔王と今回の魔人は、やはり同じ魔人なのでしょうか?」

ミーナが疑問を口にした。

「そうだな、人を襲うような悪い魔人が何人もいるとも思えないしな。城でもその話は出たが、魔王復活で考えている」

フリックの話に、アクラは何やら考え込んでいる様子だ。

「アクラはあの魔人に見覚えはないのか?」

「……あいつは私に『アヴェイロの子』と言った。アヴェイロは父様の名だ。それを知っているということは、あいつは十年前に母様をさらい、父様を殺した魔人に違わぬ」

アクラが厳しい顔で虚空こくうにらんだ。

「なんだって!?」

フリックとミーナが驚く。

「母様がさらわれてから、父様はずっとその行方を追っていた。一年が経つ頃だったか、父様は魔人の住処すみかを見つけるが、そこには……母様の亡骸なきがらがあるのみだった」

「それからも私たち親子二人は転々と住処を変え、かたきの魔人を追っていた。そして十年、父様はついにやつの居場所を突き止めたのだろう」

「父様はある日私に手紙を残し、ひとり母様の仇討あだうちに旅立った。手紙には自分が戻らぬ時は人里に降り、人間として生きろと書かれていた。そして……父様は戻らなかった」

アクラは無念の表情でぐっと目を閉じた。


「アクラには人間として生きて欲しい、それがあなたのお父様の願いだったのね」

ミーナが言った。

「くそっ……父様と母様の仇……あいつ、首をはねてやればよかった……!」

アクラはわなわなと怒りに顔を歪ませた。

「だとすると、あの魔人が『魔王』なら、少なくとも十年前には封印は解けていたということか……。そこから十年後の今になって、再び王国を襲ったのは何故だ……?」

フリックが思考を巡らせる。

「今までアクラのお父さんから逃げ隠れていたのでは?」

ミーナが言った。

「なるほど、そうかもしれないな。そして勝てる算段がついておびき寄せたのかもしれない」

「やつの目的はわからんが……どちらにせよあの魔人を放っておくわけにはいかないな」


「あいつは……私が殺す!父様と母様の仇を、見過ごせるか!」

拳を握りしめたアクラが語気を荒くする。

「そうか、それならアクラ、俺と共に魔人を討とう」

フリックのその言葉に、アクラはうつむいていた顔を上げ、彼を見た。

「王国軍は魔人討伐に出るのにはおよび腰でな、国の守りを固めるのを優先するそうだ。だが片腕を失っている今がやつを倒す絶好のチャンスなんだ」

「魔人の腕は再生するんだろう?」

アクラに確認する。

「ああ。すぐにとはいかないが、そうだな、三日もあれば戻るだろう」

「三日か……。急がないとな、明日の朝には出発しよう」

フリックは既に魔人討伐に打って出るかまえだ。

「でも!魔人の居場所がわからないでしょう?」

ミーナが言った。血痕をたどるにしても魔人の再生力なら血はすぐに止まるだろうし、足跡をたどれるとも思えない。

「魔人が近くにいれば、私なら気配でわかるぞ」

アクラが言った。

「魔人同士はお互い気配を感じ取れるのだ。私の場合は人の姿である限り、向こうからはわからんだろうがな」

「それは朗報だ。魔人と正面からやり合うのは厳しいと思っていたが、それなら奇襲に打って付けだ」

フリックがにやりと笑った。

「気配が分かると言っても、アクラのお父さんは十年かけてやっと探しだしたんでしょう?」

ミーナがさらに反論した。

「確かに見つけられる可能性は低いかもしれない。だが、手をこまねいて魔人の回復を待ってやるよりはいいだろう。魔人がまたここを襲うつもりなら、それほど遠くには行っていないはずだしな」

「でも……危険です!フリック様にもしものことがあったら……」

ミーナはフリックの身を案じていた。反対する理由など本当のところはそれだけだ。

「危険は承知の上さ。だが誰かがやらねばならんのだ。それなら、適任は俺だろう?」

「では警備隊で討伐隊を結成して……」

「それでは目立ちすぎて逃げられる。奇襲なら少人数がいい」

それは半分方便ほうべんで、フリックには部下たちを死地に送りたくないという気持ちがあった。

「それなら私だけでもご一緒します!」

ミーナがフリックを見据みすえて言った。絶対に引くつもりはないと、目で訴えた。彼女には言い出したら聞かない頑固なところがあると、フリックも知っていた。

「……しかたない。だが、あくまでサポートとしてだ。戦うのは俺とアクラに任せてもらう」

フリックがそう言うと、ミーナは安堵の表情を浮かべた。

「では明日の早朝、日の出とともに出発する。いいな」

アクラとミーナが頷いた。

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