6:魔人襲来
「私には本当は妹がいるはずだったの」
その晩、ミーナは寝室でアクラに語った。
「二十年前、この国を魔人が襲ったとき、私はまだ二歳で、そして母のお腹には赤ちゃんがいたわ。でも母は、お腹の中の妹と一緒に魔人に殺された。私は母の顔も覚えてないのよ」
「……私の母様も、私が幼いころ魔人にさらわれ、そして殺された。それ以来、父様と二人で暮らしてきた。父様は母様の
アクラはそう言って、母の形見である胸元の赤いクリスタルを
「そうだったの……」
今までアクラはあまり自分のことを話そうとはしなかった。ミーナも死んだ両親のことを話すのは辛かろうと、これまでアクラの家族のことを聞き出そうとはしなかった。
「アクラの親の仇も、私と同じで魔人なのね……。私、アクラは山の民だから、魔人を崇拝しているのかと思っていたわ」
「いや……私は……」
アクラはそう言い
突然アクラがビクンと体を震わせ、顔を上げて遠くを
「アクラ……どうかした?」
「……何か来るぞ!町の外だ!来いミーナ!」
「何かってなに!?」
ミーナがそう聞き返したとき、アクラはすでに剣を取り家の外に走っていた。山の民は外敵の気配を察知する能力に長けているのだろうか。ミーナはそう思い上着を掴むと、部屋着のまま慌ててアクラの後を追った。アクラは街の入口である門の前まで駆けて来ると、城壁の上の見張り台にいる兵士を見上げて声をかけた。
「おい!門の外に何かいないか!」
アクラの切迫した声に釣られ、見張りはすぐに城壁の外に目を向けた。夜間、門は閉ざされ、外に番兵はいない。城壁の上ではかがり火が焚かれており、その炎にわずかに照らされた門外の範囲では、何者の姿も確認できなかった。遅れて駆けつけたミーナに、門の内側にいる兵士が声をかけた。
「ああ、ミーナ隊長。アクラさん、どうしたんです?何かあったんですか?」
「わからないけど、これから何かあるのかもね……!すぐにフリック様と待機している兵士を全員呼んできて」
「全員ですか?今のところ異常はないようですが……」
「いいから早く!」
ミーナにそう指示され、その兵士は隊舎に駆けて行った。何もなく無駄に終わればそれでいい、ただ判断を遅らせて後手に回ってはいけない。ミーナはそう考えた。アクラは城壁に登り、外の闇を
「アクラ、何か見える?」
「見えぬが……木の影に何か潜んでおる」
アクラがそう答えると、ミーナは暗闇に向けて声を張った。
「そこにいるのは何者だ!我が国に何の用だ!」
ミーナには何かがいる気配は分からなかったが、本当にいるのならこれで姿を見せるかもしれないという算段だった。そしてその声に答えるように、暗闇の中で大きな影がゆらりと動いた。
「……ほう……。
その影の声が低く響いた。影はゆっくりと城壁へ近付き、やがてかがり火に照らされた中に足を踏み入れる。光に浮かび上がったその姿は、人間の倍はあろうかという大きくがっしりとした体に、赤黒い肌にたてがみのような赤い髪の毛を持ち、頭には
「……ま、魔人だ!」
見張りの兵士が叫んだ。その姿はまさに、二十年前に現れた魔人の、伝え残る姿と同じであった。
「ミーナ隊長、まさか魔王が復活したんじゃ……」
兵士が情けない声でそう言った。今ここにいる兵士はミーナを含め皆若く、魔人を実際に目にするのは初めてだった。ミーナは母親の仇である魔人という種族に怒りを覚えていた。しかし今、実際にその魔人を前にして湧き上がる感情は恐怖だけだった。必死で冷静さを保とうとしていたが、魔人の放つ威圧感に自然と体が震え上がり、奥歯がカチカチと音を鳴らした。魔人は既に城壁まであと数歩というところまで迫ってきている。ミーナは大きく深呼吸すると、意を決して魔人に向かい、緊張に渇いた口を開いた。
「その姿、魔人殿とお見受けする!人間の国にいったい何の用か!」
魔人はぎょろりと目を
「女……威勢がいいな……良いぞ……」
魔人はそう言うや深く膝を曲げたかと思うと、ドウと地面を蹴り高く跳躍した。魔人はそのひと跳びで城壁の上のミーナとアクラの目の前に降り立った。見張り台の兵士が、ひいと小さく叫び腰を抜かす。この城壁は魔人の為に作られたのではなかったのか。だとしたらお笑いぐさだ。この程度の城壁、魔人にとって何の意味もないじゃあないか。兵士はそう考えながら、泣き出しそうな顔でその場でただ震えることしかできなかった。ミーナも突如眼前に立った魔人に体が動かなかった。蛇に睨まれた蛙のように硬直し、息をするのもままならなかった。そのとき、ふいに魔人の
「やれやれせっかちなやつだのう。用件ぐらい答えたらどうだ」
剣を突きつけたのはアクラだった。
「……なんだ……きさまは……」
魔人が
「私もお前に聞きたいことがあるのでな、少し二人で話そうではないか」
アクラがそう言うと、魔人はにやりと口元を
「よかろう……ならばきさまも来るがいい」
魔人の手がアクラとミーナに伸びた。魔人は二人を子供のように両脇に抱えたかと思うと、城壁から外へ飛び降りた。
「なにをするか!」
魔人に抱えられたアクラが、剣で魔人の目を狙って突いた。魔人は咄嗟に首を振りそれを
「ミーナを離せ!」
魔人は左腕にミーナを抱えたままだ。ミーナはバタバタともがくが魔人の腕はびくともしない。
「……やるな小娘……」
魔人はなぜか嬉しそうにククッと笑った。
「女をさらうのか!
アクラは魔人に向かい叫んだ。
「答えろ!十年前だ!」
「……小娘、きさま何を知っている?……そうだな、話を聞きたければ我とともに来るがいい……」
「ミーナを解放しろ!私一人なら行ってやる!」
「人間
魔人はそう言うとミーナを自分の後ろに放り投げた。ミーナは背中から勢い良く木に激突し、地面に落ちて倒れた。
「ミーナ!」
アクラが叫んだ。
「さて……力づくでミーナとやらを取り返してみるか…?」
魔人はそう言ってアクラににじり寄ってくる。アクラは剣を
ひときわ高い金属音が響き、アクラの剣が宙を舞った。アクラは魔人に剣を飛ばされてしまった。
「……なかなかおもしろい小娘だ……気に入ったぞ……」
魔人はそう言い、丸腰になったアクラに手を伸ばす。
「アクラ!」
そう男の声が響いたかと思うと、何者かが魔人の体に横から体当たりを食らわせた。魔人は数歩吹き飛んでぐらりと体勢を崩した。
「アクラ、大丈夫か!」
そう言ってアクラの前に立ったのはフリックだった。
魔人の脇腹から赤い血が流れていた。フリックは体当たりのときに、魔人の脇腹に剣で突きを打っていたのだ。しかし、魔人の傷口からぶくぶくと赤い血の泡が立ったかと思うと、見る間に傷が塞がり始めた。
「一撃で決めるつもりで突いたんだが……。魔人の体は容易には剣を通さず、その傷はたちまち回復する……。伝承の通りだな」
フリックはそうつぶやき、内心冷や汗をかいていた。今の一撃が致命傷にならないのなら、手に追える相手ではないと予感していた。
魔人が天を仰ぎ大きく吠えた。びりびりと空気が、そして大地までも震えるような
「……そしてその爪は岩をも砕く……か!」
フリックは後ろに飛び
「フリック!」
アクラは思わず叫んだ。そして飛ばされた自分の剣を探し、拾いに走る。
魔人はなおもフリックに襲いかかる。フリックも応戦し、その爪を
「――しまった!」
それは魔人の必殺の体術であろうか。フリックの脳裏に死の予感が浮かんだ。
「フリック!」
そう叫んでアクラがフリックの体を突き飛ばした。振り上げられた魔人の爪がアクラの胸を引き裂く。鮮血が舞い上がり、どさりとアクラは崩れ落ちた。
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