4:落ちぶれた勇者

人里に下りるのは始めてだというアクラには目に入るもの全てが新鮮に映るようで、度々感嘆の声を上げた。市場で賑わう人々を見ると、アクラはこれまでで一番の声を上げた。

「おお!なんと多くの人がおるのだ!まるで山羊やぎの群れのようだ!」


ミーナは人気者のようで、よく町の人に声をかけられた。

「あら、ミーナちゃんいつもご苦労様ね。そちらのお嬢さんは?……あらまあそうかい、よく来なさったね、はいこれあげるから食べな」

二人は果物屋の女将おかみから林檎をもらい、それをかじりながら市場を歩いた。やがて市場を抜け、町の中央広場へ出る。石畳の広場の中央には、剣を掲げる男性の像と、天に祈りを捧げる女性の像が背中合わせで立っていた。


「これは二十年前に王国を救った勇者様と聖女様の石像よ」

ミーナが説明した。アクラが聖女像の足元に目をやると、そこには沢山の花が供えられていた。

「命と引き換えに王国を守った聖女様に国の皆は感謝し、こうして今でも絶やさず花を供えて供養しているの。美しい銀色の髪をしていたことから、『銀髪ぎんぱつの聖女様』と呼ばれて今も国民から愛されているわ」

ミーナはそう言うと聖女像に向かい膝を付き、手を組み目を閉じて祈りを捧げた。

「銀髪の……」

アクラは聖女像の顔を見上げてつぶやいた。


「魔王と呼ばれる魔人は、なぜ人間の国を襲ったのだろうな」

アクラが問いかけた。

「それがはっきりとはわからないのよね。国を乗っ取り、人間を奴隷として働かせる。そんなところじゃないかと言われているわ」

「まさに王にでもなるつもりだったのかのう。そんな魔人は聞いたことないが」


二人は広場を出て大通りを歩いた。すると見回り中の警備隊員が声をかけてきた。

「あ!ミーナ隊長、お疲れ様です!」

若い二人の兵士はアクラを挟んで、彼女を興味深そうに見つめた。

「こちらがヘンリの言ってたアクラさんですね!へぇー可愛いなあ」

アクラの話は昨日のうちに警備隊内に広まっていた。二人の兵士にまとわりつかれてアクラは少々迷惑そうな顔をしていた。

「おい!お前たち職務中だろう、警備に戻……」

そうミーナが言い終わらぬうちに、さらに声をかけられた。

「ミーナ隊長じゃないっすかあ!何してるんですか?」

そう言ってさらに四人の若者が輪に加わってきた。

「なんだお前たちも!」

「俺達今日非番なんですよお、あっ!この娘がアクラさんですね?」

彼らも警備隊の若い兵士達だった。男達はアクラを囲い、好き好きに質問したり自己紹介を始めたりで、アクラは彼らの勢いに圧倒され戸惑っていた。

「アクラ、こいつら相手しなくていいわよ!行きましょ」

見かねたミーナがそう言ってアクラの手を引いて輪から抜け出し歩き出した。男達もついて行こうとしたその時、ミーナの前に人影が立ち、彼女らは足を止めた。立っていたのはフリックだった。


「おい、お前たち。隊員がぞろぞろと徒党を組んで通りを歩くな。みっともないだろう」

「フ、フリック大隊長!失礼しました!」

ミーナが慌てて直立敬礼した。

「へへ……す、すいませんフリック隊長」

他の兵士たちは、ばつが悪そうにフリックに謝る。

「なんだフリック、嫉妬しとるのか?心配せんでも私は他の男にはなびかんぞ」

「アクラ!」

見当違いのことを口走るアクラを、フリックは思わず一喝して止めた。

「えーっと、もしかしてアクラさんって、フリック隊長の恋人だったりするんですか?」

兵士の一人がそう口にする。

「違う!」「違います!」

フリックとミーナは同時にそれを否定した。


「おう!女を囲んで楽しそうだな!まったくガキどもは気楽でいいぜ!」

後ろから太い男の声が聞こえて振り返ると、警備隊より年上の兵士たちがぞろぞろと十人ばかりで通りを歩いてきていた。その中心にいる、杖をついた髭面ひげづらの中年男性が声の主だった。

「フロウ王国軍団長殿!」

警備隊員たちが直立して敬礼を捧げたその男に、フリックが歩み寄る。

「酒臭いぜ。気楽なのはどっちだよ、親父」

「軍団長様、だろ?」

この男こそ王国を救った英雄、勇者フロウであり、フリックの父親だった。


「こちらのお嬢さんは?」

フロウはアクラに目をやるとフリックに問いかけた。

「ハクゥル族のアクラさんだ。客人として扱っている」

フロウはへぇ、と言ってアクラの顔を覗き込む。

「……ほう、こいつは……」

フロウは身をかがめ、ぐっとアクラに顔を寄せ、まじまじと彼女の顔を見つめた。アクラはそんなフロウにも臆せず、正面から彼の顔をにらみ返している。

「おい親父、失礼だろう」

フリックがそう言うと、フロウはようやく体を起こし、

「悪いな、あんまり綺麗なお嬢さんだったもんでな」

と悪びれる様子もなく言った。

「じゃあなフリック、しっかり務めに励めよ」

フロウはフリックの肩をぽんと叩くと歩き出した。警備隊員たちが一斉に道をあける。フロウは振り返ってアクラを見るとにやりと笑って言った。

「アクラちゃん、また息子と遊んでやってくれ」

王国軍兵士たちはニヤニヤしながらアクラとすれ違い、ぞろぞろとフロウについて歩み去っていった。


「……あれが勇者様か?随分想像と違ったわ」

アクラが遠ざかる彼らの背中を見ながら言った。

「あまり英雄には見えんのう」

「ちょっとアクラ……」

ミーナがフリックをちらりと見て、アクラに耳打ちした。

「いいんだ、ミーナ。今の親父には、勇者の面影もない」

フリックが言った。

「あれでも昔は……俺が子供の頃は、まだ勇者として国民に尊敬されるような人だった。でも八年前、母さんが病で死んでから、親父は格好つけるのをやめちまった。今では昼間から飲んだくれて、ああして取り巻きに囲まれていい気になってるのさ」

フリックはそう言って一瞬寂しそうな顔をしたが、アクラの方を向くとおどけて言った。

「ま、勇者様といっても実際はあんなもんだ。その息子である俺だって、たかが知れてるさ。幻滅したか?」

「父親の強さは引き継いでおるのだろう?それならまあ、性格の方は母方の血に期待しようかのう」

アクラが真顔でそう言うと、フリックは思わず吹き出した。

「なんだそれ。ははっ、ははははは」


フリックが父親の現状を批判するようなことを言うと、周りの人間は決まって困ったような顔をしたものだ。そして「そのようなことを言うものではないですよ」とたしなめたり、「国を救った立派な方ですよ」とフォローしたりするのだ。それは仕方のないことだろう。フリックもなにも一緒になって父親の悪口を言って欲しかったわけではない。ところがアクラときたらあっさりとフリックに同調してみせた。フリックにはアクラのその不躾ぶしつけさが新鮮で心地よく、思わず笑みがこぼれたのだった。


笑うフリックを見て、冗談を言ったつもりもないアクラはきょとんとして首を傾げた。

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