1:一番強いのは誰だ

ここは人間と亜人あじんが共に暮らす世界。


知性と調和にける人間族が、町を築き、国を築き、最も繁栄してはいるが、その他多種多様の亜人たちもまた、ある種は森の中で、またある種は山で、荒野や氷の大地で、さまざまな土地でそれぞれの文化を築き、生活をいとなんでいた。


これら数ある亜人の中で、圧倒的な力を持つ種族がいた。それは魔人と呼ばれる者たちである。強大な力を持ちながら、山の奥深くで他種族と関わることも、争うこともなくひっそりと暮らしていた魔人は、孤高の種族として他種族から畏怖いふされていた。


人間族にも、その長い歴史の中で魔人に遭遇したという伝承がいくつか残っている。そのどれもが、災害から救われた、遭難者を救った、部族間の争いを収めたなど、窮地に現れる神の如き逸話である。だが、魔人は滅多に人前に姿を見せず、未だ謎多き存在であった。


湖のほとりにあるベルモナ王国は、国王の住む城とその城下町から成る小さな国である。今から二十年前、この小国を突如として魔人が襲った。魔人は、オーク(獣人)などの人間に対し敵対心を持つ亜人を従え、それらの軍勢を持って王国に攻め入った。それまで平和を享受きょうじゅしてきた小国の形ばかりの軍隊では魔人の侵攻を止めるすべはなく、王国は陥落寸前にまで追い込まれた。魔人が人を襲うなど前代未聞のことであり、人々はその魔人を『魔王』と呼び恐れた。


現在のベルモナ王国は、魔人襲来の教訓から、町の外周は大人三人分ほどの高さの城壁でぐるりと囲われ、町の唯一の入口である門には番兵が立ち、見張り台にも夜通し兵士が警戒にあたっている。もっとも、その後二十年の平和で、いささかゆるみが見えてはいるが。


「はあ先輩、今日も暇でしたねえ。朝に行商に行く馬車を見送ったぐらいで、後は立ってただけじゃないっすかあ」

門の前に立つ二人の番兵の若い方がそう愚痴ぐちをこぼすと、先輩と呼ばれた方はコツンと彼の頭を小突いた。

「ヘンリ、お前は魔王が攻めてきた時の恐ろしさを実際に体験してねえからそんなことが言えるんだ。だいたい門番なんてのはな、暇な方がいいんだよ」

「まあそうですけど……。魔王の恐ろしさって、先輩だって魔王が攻めてきた時赤ん坊でしょ?覚えてないでしょう」

「記憶力が良いんだよ……。クソッ、交代遅えな」

先輩の番兵はヘンリの文句を軽口で流すと、門の外から町の中をのぞき込んだ。するとちょうど交代要因の二人の兵士が門に向かって歩いて来るのが見えた。

「よう!お疲れ、交代だ!」

「遅かったじゃねえか!今日の昼飯は酒場のエリーナちゃんと約束してんだからよ、これじゃギリギリだぜ」

「あ、先輩いつの間に、ずるいっす!」

「そんな訳で俺は急ぐから、警備報告はお前に任せたぜ」

先輩の番兵がヘンリの肩をぽんと叩く。そうして街の中に引き上げようとする彼を、後から来た兵士の一人が制した。

「おい、誰か街道を歩いて来るぞ」

皆がその視線の先に振り返ると、確かにひとり、こちらに向かって街道を歩く者がいた。


「ひとりだな。女……か?」

「なんか怪しい奴だな」

その人影は、ぼろマントを羽織はおり、マントのフードを被っていたので顔は見えなかったが、体格からして人間の女性のようだった。

「おい、止まれ!何者だ、顔を見せろ!」

その者が門まで数歩と近づいたとき、兵士の一人がそう声を上げた。その者は立ち止まると、フードを頭から外し顔を見せた。確かに女だった。

「なんだ、随分と高圧的なのだな」

そう言って不服そうに兵士たちをじろりとにらむその娘の顔を見て、彼らは深く息を呑んだ。


「……美人だあ」

ヘンリが思わずつぶやいた。他の皆もそれには同意だった。赤い髪に白い肌のその娘はとても整った顔立ちをしており、兵士たちはその美しさに圧倒されるかのように、ぽかんと娘を見つめたまましばらく固まっていた。しかしよくよく見ると娘はまだずいぶん若く、その顔には少女の面影おもかげを多分に残していた。

「おい!」

娘に一喝され、ようやくヘンリが口を開いた。

「いや、すいません、これも仕事なんっすよ、なにぶん、規則なもんで……」

思わず下手したてに出てしまう。

「ふむ、よそ者は気軽に町に入れないというわけか。紹介状のようなものが必要か?」

「いえいえ、そんなものは必要ないです。ここベルモナ王国は、敵意のない方の訪問なら、いつでも歓迎しておりますよ!」

娘の問い掛けに、ようやく調子の戻ったヘンリが大げさな身振りで答えた。

「俺はヘンリっていいます。ちょうど門番の仕事も終わったんで、俺が街を案内しますよ!」

ヘンリはそう言って、役得だと言わんばかりに先輩の兵士に目配せした。

「そんな訳で私はこの方を案内してきますんで、先輩はどうぞエリーナ嬢とごゆっくり」

「おい!ちゃんと報告はしておけよ!」

娘を連れ町へ入るヘンリの背中に向け、先輩兵士は恨めしそうにそう吐き捨てた。


町を歩くヘンリと娘を、すれ違う人々がチラチラと振り返るのは、彼女がよそ者だからという訳ではないだろう。美しい娘を連れている優越感にヘンリは鼻を高くした。娘は町が珍しいのか、きょろきょろと当たりを見回しながら歩いている。

「この町は初めてですか?」

「ああ」

ヘンリの問いに、娘はなく答えた。

「そうでしょうね!あなたみたいな美人が前にも来てたら、俺絶対覚えてますもん!」

「そういえばお名前なんていうんですか?俺はヘンリっす!あ、もう言いましたっけ?」

娘の態度にも、ヘンリはめげずに話しかける。

「アクラ」

男の馴れ馴れしい態度にちょっとうっとおしそうに、その娘、アクラはやはり素っ気なくそう名乗った。

「アクラさんかあ、可愛らしい名前ですね!それで、ここには何しに来たんです?」

「人を探している」

「……ご両親とはぐれたとか?」

「そんな子供ではない」

アクラにじろりとにらまれ、ヘンリは少しひるんで愛想笑いを見せた。

ヘンリはアクラを連れ、町のパブに入った。屋外テラスのテーブルに案内し、店員に二人分の飲み物を注文する。アクラは担いでいた荷物を下ろし、まとっていたマントを脱いで椅子にかけた。


マントの下、彼女は上半身には肩のない革の服を着ていた。下は同じ素材のタイトな短いスカートで、青白く光を反射するそれは翼竜よくりゅうの革だろうか。さらりとした赤い髪は首のうしろでいったんまとめられ、真っ直ぐ臀部でんぶまで伸びている。腕には肘まであるグローブ、脚にはひざ上まであるブーツを履いていたが、肩やふともも、そしてお腹にちらりと白い肌が露出していて、それは若いヘンリにとって、いや男にとって、どうしても扇情的せんじょうてきに映ってしまう。そしてなにより、革の服に窮屈そうに押し込められた胸の谷間に、ヘンリの視線は吸い込まれた。谷間の上には、アクラが首に下げているペンダントの六角形の赤いクリスタルが光っている。


「……あ、ああ!お腹空いてますよね?何かおごりますよ」

ヘンリはアクラの胸元やふとももをチラチラと盗み見ながら、平静を装うようにそう言った。

「いや、結構だ」

アクラは無愛想に答えると、そんな彼の視線に構うことなく椅子に腰掛け、横を向いて通りを行き交う人々を眺めた。ヘンリはしかたなく一人分の食事を注文すると、アクラの横顔に尋ねた。

「それで、どなたを探してるんですか?」

「強い男だ。この国で一番強いのは誰だ」

アクラはヘンリに向き直るとそう答えた。彼女の意外な答えに、ヘンリは少し怪訝けげんな顔をした。

「強い男っすか……まさか親の仇討あだうちでも頼むんですか?」

アクラはそれには答えず、ヘンリの顔から視線を外しうつむいた。ヘンリは何か訳ありだろうかと思ったが、それ以上追求するのは控えた。まあ、強い男なら心あたりがある。この国の者なら全員こう答えるだろう。

「この国で一番強い男ですって?そりゃあ伝説の勇者の息子、フリック様っすよ!」

「……やはりそうか」

ヘンリの答えに、アクラはうつむいたままふっと微笑んだ。それまでずっと仏頂面ぶっちょうづらだったアクラが初めて見せた優しい笑みに、ヘンリはどきりと心臓を高鳴らせ、頬を赤く染めた。


「ところで伝説の勇者というのはなんだ?」

「ご存じないんっすか?魔王を倒した勇者の伝説。今から二十年前に……」

ヘンリがそう話し始めたそのとき、バン!と手のひらでテーブルを叩く音がそれをさえぎった。

「ヘンリィ~。警備報告もせずに女性とデートかい?」

ヘンリが恐る恐る顔を上げると、兵士の恰好をしたショートカットの精悍せいかんな顔つきの女性が彼をにらみつけていた。

「ミ、ミーナ隊長……」

ヘンリは青い顔で彼女を見上げた。ミーナは若くして警備隊の分隊長の任に就いている。


この国の兵士は三種に分かれる。町を警備し、治安維持に務める「警備隊」、有事の際の戦力である「王国軍」、それに城を守る「近衛隊」である。外の見張りや内の見回りなど、町の治安維持に努めるのが警備隊の仕事であり、現状兵士の中では警備隊が一番忙しく働いていた。二十年前まではそれらの仕事は全て王国軍がまかなっていたが、魔王襲来以降「王国軍」と「警備隊」に役割が分かれ、今は王国軍はもっぱら日々の訓練のみにいそしみ、有事に備えていることになっている。しかし王国軍はわずか二十年の平和で、もはやだいぶゆるんでしまっており、毎日厳しい訓練に励んでいるかは疑わしかった。そのくせ若者が中心の警備隊を兵士見習いのように扱い、下に見てふんぞり返っているのだ。


そんな王国軍に頼ることなく、自分たちの力で国の平和をになおうという気概きがいが、警備隊の中にはあった。ミーナもそのこころざしを持つひとりだった。

「いや、まあ、特に報告することもなかったんすよ……。ハハハ……」

ヘンリが慌てて取りつくろう。ミーナはヘンリの向かいに座る娘に視線を移した。

「見ない顔だけど……こちらの方は?」

「えっと……こちらアクラさんです。ついさっき町を訪れまして……。フリック様にお会いしたいみたいっす……」

しどろもどろのヘンリを、ミーナが一瞥いちべつする。

「報告すること、あるじゃない」

ピクピクと頬を引きつらせるミーナに、ヘンリはますます顔を青くした。

「分かった、話は私が聞くわ。アクラさん、ご同行願えるかしら」

ミーナが言うと、

「うむ、よかろう」

アクラはそう言って立ち上がった。

「ああ、俺も一緒に……」

慌てて立ち上がりかけたヘンリのもとに、パブの店員の女性が食事を運んできた。

「はい、おまちどうさま」

どん、とテーブルの上に置かれた食事とアクラを、ヘンリはどうしようかといった具合に交互に見る。

「昼飯が済んだら、しょに顔を出しなさいよ、ヘンリ」

ミーナはそんなヘンリに構うことなく、さっさとアクラを連れて通りに出ていってしまった。ヘンリはアクラについて行くのを諦め、はあと溜息をついてどっかりと椅子に座り直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る