二十年後の勇者伝説

柳ユキノリ

序:二人の出会い

穏やかな昼下がりの町中に、突如として石畳を蹴るひづめの音が響き渡る。一人の少年が町の大通りを馬にまたがり疾走していた。彼の名はフリック。母親譲りの金髪をなびかせるこの少年は、よわい十三にして大人顔負けの実力を持つ剣士だった。それもそのはず、なぜなら彼の父親は「勇者」なのだから。


「どいたどいた!」

「フリック様お待ちを!」

制止する門番の横をすり抜け、フリックは城壁に囲われた町の門から、そのまま外へと駆け出していく。

「大変だ!フリック様がおひとりで町の外に!」

そう叫ぶ門番を尻目に、フリックは手綱をゆるめることなく街道を北へと駆けて行った。


やがてフリックは街道を外れ、草原の中、馬を走らせる。行く先は決まっていなかった。今日はあの山のふもとまで行ってみようか。草原の向こう、彼の眼前には雄大な山脈が広がっていた。


「この先は馬じゃ行けないか……」

山の麓の森の中は徐々に険しくなって行き、足場も悪くなってくる。フリックは馬を降りると、その馬を近くの木につないだ。柔らかな木漏れ日の中、鳥のさえずりと、ざあざあという水の音が聞こえる。近くに滝でもあるのだろうか。フリックは水場を探して坂を登っていった。


水音を目指して木々の間を抜け、草をかき分け、奥へ奥へと踏み入っていく。やがて視界が開け、フリックは小さな滝壺へ出た。水面が太陽の光を反射し、キラキラと光っている。その光に包まれるようにして、滝壺の中に人影が立っていた。赤い髪を腰まで垂らした、一糸まとわぬ姿の少女だった。少女がこちらを振り向き、フリックと目が合う。


少女は印象的な瞳の色をしていた。それは幼いころに見た、鮮やかな夕日を映した湖面こめんのような色で、それを琥珀色こはくいろと呼ぶのだと、かつて亡き母が教えてくれたことをフリックは思い出していた。


「うわあっ!ご、ごめん!」

一瞬の間の後、フリックは勢い良く後ろを向いた。

のぞくつもりじゃなかったんだ!俺、人がいるなんて思わなくて……」

フリックの背中から、ぱしゃんと少女が水から上がる音がした。少女はさほど動じている様子もなく、フリックの足元から布を拾い上げると体を拭き始めた。フリックは顔を赤らめ、目を泳がせながら背中の気配を探る。

「もうよいぞ」

そう言われ、フリックが振り向くと服を着終えた少女が立っていた。

「なんだ、子供じゃないか……」

フリックが少女の凹凸おうとつのない体を見てそうつぶやくと、少女は顔をしかめて彼をにらんだ。

「きさま!女の裸を覗いておいてその言い草か!」

「あ、ああ、悪かったよ、でもわざと覗いたわけじゃないんだ……」

少女の剣幕にフリックはひるんでそう弁解した。

「お前、名前は?」

無表情に少女が問う。

「フリックだ、ベルモナ王国の……君は?」

「アクラだ」

「アクラはどこから来たんだい?」

「山だ。山に住んでおる」

アクラ、と名乗ったその少女は山のいただき見据みすえてそう言った。

「山のたみ!本当にいたんだ……」

フリックは驚いた。ベルモナ王国の北に位置するハクラナン山脈。そこには狩猟を生業なりわいとするハクゥル族、通称「山の民」が暮らしている、というのは知識として聞いてはいたが、その存在の痕跡は古い文献でしか確認できず、今なお存在しているとは思わなかったからだ。


「ここで人に会ったのは初めてだぞ」

アクラは濡れた髪を手ですきながら言った。彼女は見た感じまだ十歳かそこらだろうか。しかし山暮らしとは思えぬ白い肌と、整った顔立ちにぱっちりと主張した大きな目、その中であやしく光る琥珀色の瞳は、将来たいそう美しい女性に成ることを確信させる。フリックは吸い込まれるように彼女の顔を見つめ、心臓が鼓動を速くするのを感じていた。


「フリック、聞いておるのか?何しにこんな所に来たのだと聞いている!」

アクラの声に、はっとわれに返る。じっと目を見つめてくるアクラにフリックは思わず顔を背け、自分が彼女に見惚みとれていたことを自覚し顔を赤くした。

フリックはこほん、とひとつ咳払いをすると、アクラの問いに答えた。

「……いや、まあ冒険さ!それと修行かな」

「お前もまだ子供だろうに、ひとりじゃ危なかろう?」

「ははっ、さっきの仕返しか?俺はもう、立派な剣士なんだぜ!」

フリックは腰に差した剣を抜くと、アクラの前で振ってみせた。

「俺は強くなりたいんだ!強くなって、勇者フリックと呼ばせてみせる!」

フリックは剣を掲げ、目を輝かせてそう宣言した。真っ直ぐと天を見据みすえるその眼差しに、アクラが顔をほころばせる。

「フフッ」

「笑うか?」

フリックは剣を収め、アクラを見た。

「いや……よいのではないか?私も強い男が好きだ」

微笑ほほえんでそう告げるアクラのその表情に、フリックはどきりと鼓動を高鳴らせた。


この物語はそれから五年後、フリックとアクラの再会から始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る