第8話 白色の剥離
「それで、梅原さん。最初の長期案件が片付いたけど、どうだった?」
最初の長期案件として出てきた、女子高生の恋愛相談。相談者であったはずの吉田さんは認識がズレており、完全な被害者と呼ばれてもいいはずの鈴木さんは自殺し、両手に花の状態で苦しんでいるのは佐藤君。私は対応が遅れて悪化し、荒井さんは何も出来なかった。それぞれに後悔を抱え、その上で前に進んでいかなければいけない。失われたものがあれば、何かしら得られた物だってあるはずだから。マイナスだけの案件というのは存在しない。それと同時に、プラスだけの案件も存在しない。
喫茶店にいる間も悩んでいる様子だったし、今回はまったく口を挟んでくることもなかった梅原さん。その表情から考えていることを読み取れるほど、私は想像力がたくましいわけではないから。口に出して、今回感じたことを言葉にして欲しい。
「これが、仕事なんですよね」
何かを確認するような、自分を保とうとしているような声。この後に何を続けるつもりなのだろうか? それとも、何も続けるつもりはないのだろうか。
別に、黙ってしまうのならそれでも構わない。市役所に、自分の机に帰るまで、私は報告書に書くべき事柄を考えていればいいし、梅原さんは口に出したい言葉でも考えてくれていればそれでもいい。元々、私はおしゃべりなほうでもなければ、思考時間が短いほうでもないのだから、沈黙してくれるというのなら、わざわざ邪魔しませんよ。
「正直なところ、ショックを受けています。相談受付窓口の担当者が、こんなことまでしてるんですか?」
「それは、外に出てまで誰かの話を聞いているという、今の行動に対する疑問ですか?」
言葉を選んでいただけで、結局のところは喋るんですね。室長の承認が取れそうな、ちょっとドラマチックな内容にまとめていたというのに、喋ったせいで全てが吹き飛んでしまいましたよ。
それにしても、彼がショックを受けているのはなぜだろう? 私達は仕事の一環として、今日も動いている。つまりは、役所に勤めている職員としての、ごく当たり前の業務の一部をこなしたに過ぎない。それなのに、ショックを受けるようなことがあるとは思えないのですが。机に座ったまま、動かなくても仕事は出来ると考えていたのだろうか? 梅原さんの元々いた部署でならそれが出来たのかもしれないけれど、うちでは難しいですよ。
「いえ。その、解決の為に動いているのに、誰かが死んでしまうような、自殺してしまうような流れになるとは、僕には予想出来ませんでした」
「人間は感情で動く生き物です。時には理論的でない行動に出たとしても、不思議はありませんよ」
そんなにも衝撃的なことがありましたか? 相手のことばかりを考えていたら、自分のことが見えなくなってしまう。鈴木さんにとっての佐藤君は、まさに自分よりも大切な人というだけの話でしょ? 当然、私としても自らの命を絶ってしまったことについて、将来を閉ざしてしまったことについて、驚いてはいますし悲しみを感じていないといえば嘘になります。ただ、それについては感情というものの重さを、思い知らされたというだけで、大きな衝撃として受け止めるのは失礼ですよ。
吉田さん、鈴木さん、佐藤君、みんな高校生で、梅原さんにとっては私も含めて全員子供にしか見えないのかもしれないけれど、子供にも感情はあります。大人とは違う荒削りな、熱の塊そのものともいえる感情が、その胸に秘められているのですから、大人ではない分だけ動きが早いんです。大人には理解できない理由で、彼等は動きます。
それを感覚的に理解出来るのは、私が偶然にも彼女達と同年代だからなのかもしれません。けれど、梅原さんにだって高校生だった時があり、その記憶を所持しているはずですよ。すぐに同調することは難しいかもしれませんが、考えた上で分からないというものではないはずです。それ自体を簡単にマイナス要素だと指摘するつもりはないけれど、相手の立場に立って考えるというのは、相談を受ける側としては十本とも言うべきスキルです。出来ることなら私を頼るのではなく、地力で身に付けて欲しいものですね。
その上で今抱いている疑問も、捨てて欲しくはありません。同調しているだけでは、問題を解決することは難しいのだから。梅原さんの意見を作っていく為にも、疑問を丸め込まれてしまっては勿体無いです。
「窓口にいる時に文句を言われるとか、無意味に責められるくらいはありえると思っていましたが。こういった形で終わりを迎える案件があるなんて。外にまで出向いて、失敗するなんて」
本来の役割としては梅原さんの認識で正しい。窓口担当者が出向くような案件は非常に限られてくるし、正直なところ、ここまで大きな話になるようなことは通常ありえません。私達が外に出る場合は、話し合いをしてもらうのが早期解決になると判断出来、その上で第三者が介入したほうが揉めないだろうと考えられる場合のみです。これは、当人同士のパワーバランスによっても変化したりするから。外で活動する頻度は非常に低いものになります。
「今回に関しては、梅原さんの研修を兼ねていた都合上、ここまで深く関わることになりました。最初の相談のままであれば、導入部としてはありだと思っていたのですが、そこまで甘い話ではなかったということです。これについては、私の観察眼がなかったとしか言えませんね、申し訳ありません」
女子高生の持ち込んだ恋愛相談、悩みといっても大したことはないだろうと、軽く見ていたのは事実です。
彼氏に浮気をされて、辛い。その浮気相手が、自分の親友みたいで、事実確認をしたいけれど、どうすればいいでしょうかと。そう言われたのを鵜呑みするだけで終わりたかった。こんな未来にたどり着くのではなく、ちょっとしたトラブルとして、青春の一部になる程度のものだと思っていた。だから、少しくらい踏み込んでも大丈夫だろうと思って、既婚者である梅原さんなら間に挟まれている、佐藤君にアドバイスが出来るかもしれないと、期待していたのも事実です。ただし、ここまで深く関わる必要性があったのかと問われれば、必要はなかったと答えましょう。深みにはまるような形で、3人の恋愛事情に踏み込んでしまった。踏み込んでしまったからには、関わってしまったからには、終着点が見たかっただけ。どんな形で終わるのか、どんな結末を迎えるのか、その途中でどんなふうに人間関係が変わってしまうのか。それが知りたくて、丸く解決できる自信はなかったけれど、最後まで付き合う形になった。
正直な意見を言ってしまうなら、鈴木さんが自殺をした理由は、私には分からない。いや、その引き金となったであろう出来事で抱えてしまった闇くらいは想像出来るし、辛かっただろうなと同情することも出来る。でも、それらを理由にして自殺をするのは、自らの命を絶つまで至るというのは、正直なところ理解は出来ない。いくら感情の塊のような年齢だといわれても、私を基準に考えると彼女達の行動を理解するのは難しい。
修復できないほどに人間関係が崩れてしまっているのなら、離れてしまえばいいのに。意地でも修復しようとする理由は、ないと思うけど? そんなにも拘るべき人間関係なのだろうか。恋人とは唯一無二の存在なのでしょうか?
実らない人もいるし、別れてしまう人もいる。結婚したとしても浮気する人はいるし、相手のことを信じられなくなって離婚するような夫婦もいる。そんな世の中なのに、1人の人間に拘る必要性が理解出来ない。
「いえ、別に天野さんが悪いとは思いませんが。ただ、ここまで積極的に関わって、その上失敗したような形になって。また次の為に頑張るというのは、ちょっときついですね」
「あはは、大丈夫ですよ。別に毎回死人が出るようなトラブルが起きるわkではないですから、こんなふうに外に出るとか長期案件に関わるというのは暫くないでしょうね。室長に申請を出しても、他の人が担当者になるでしょうし、今回のは私のミスとして、記録されているはずだから。梅原さんは別の人のサポートに変わる可能性もありますよ」
相談内容を長期案件とすること自体は難しくはない。その場で解決出来ないと判断した場合に登録作業をするだけで済むから。例え、二度目の相談がなかったとしても長期案件として登録されていることはある。ただ、その案件を登録した担当者がずっと扱えるかというと、そういうわけにはいきません。あまりに長くの間1つの案件に関わり過ぎるのは、役所としては非効率とされているから。本人が望んだところで、外されてしまうことも珍しくありません。もちろん、引継ぎと呼べるような作業はなく、登録されている情報だけで対応することになればかなり大変ではあるけれど、そこをドライに考えられるように、私が担当するのは今だけだと考えられるようにならなければ、相談窓口の担当として長持ちしない。
1日に受け付ける案件の量を考え、明日受け付ける案件の量を予測し、その上で今日の分の報告書をまとめなければいけない。本来であれば、もっと早くに窓口を閉めてしまい、書類を作成する時間として確保したいところだけれど、それ自体が難しいことも多いから。どうしても、1件にかけられる労力と時間は限りのあるものとなってしまいます。
そんな状況でも解決出来るように、改善されるようにしなければいけないのだから、深く関わるというのは自分の首を絞め、他の相談者さんに迷惑をかける行為でしかありません。その点を、梅原さんは理解してくれただろうか? それとも、懇切丁寧に教えてあげるのが、部署の先輩としての役割なんだろうか?
分からない。最近は分からないことだらけですよ。
今まで直接的に誰かの指導に当たったことなんてないし、何かを教えるような立場になったこともありません。その上、私自身が教わった内容というのはあまり一般的なやり方ではないから、真似をしないように注意をされているし――一つの案件に付いてもらって、長く対応していたほうが慣れるのには向いているかなと思ったけれど、梅原さん自身の性格のことを考慮していなかったから、失敗だったのかもしれません。普通に窓口の担当者として、市民の皆様の愚痴を聞いてもらっているほうが、安泰だった可能性が捨てきれないです。少し時間がかかるかもしれないけれど、誠実に対応してくれていれば、市民の皆さんの受けは良いだろう。これもまた、私には分からないやる方で、胸中の疑問が増えていくことになる。
ただし、それら全ての疑問を放置してでも、今の私には確認しなければいけないことがある。この質問をする為に、これを確認する為に、今日はここまで来たといっても過言ではない。
「梅原さん、下手な質問の仕方をした上でたずねるのは、失礼だと分かっています。それでも私は聞かなければいけないんですよ。感想ではないものを、貰わなければいけないんですよ。窓口の担当者として、梅原さんの反省点は何か、次に活かすべき改善点は何か、それを聞かなければいけないんです。みんなミスを犯しているのに、1つとして言及しないのでは先がありませんよ? そのままでいるのは感心出来ません。仮にこれが物語りに過ぎなかったとしても、もう少し詳しい読書感想文を書かされると思いませんか?」
感想なら、誰にでも口にすることが出来ます。その役割に付いたからには、こぼしたい愚痴もあるだろう。その気持ち自体を否定したりはしないし、プライバシーを守りながら出来るのなら。たまには愚痴をこぼしても良いでしょう。
でも、それは役所の人間に求められることではない。私達は問題を解決する側なのだから、感想を抱くのではなく次の相談へ活かしていけるように整理しなければ、意味がなくなってしまう。私達に求められるのは公務員としての働きなのだから、個人と手の感想は二の次です。
「そうですね。僕自身の反省点としては、もう少しでも積極的に案件に関わっていくべきだというのを、理解させてもらいました。今回は天野さんの後ろを付いていっただけで、僕自身何かをしたという感覚がありませんから」
具体性のない反省。案件に関わっていくだなんて言葉は、新人と分類されている間しか使えない言葉ですよ。ただ、この言葉を向上の意思と見ていいのなら、梅原さんは確かな努力を始めるのでしょう。その時、私がどれだけ助けられるのか、そもそも助けられるのかという部分に対して、私自身も考えて置くべきなのでしょう。
仕事というのは、人に教えられるようになって一人前だと聞いたことがあります。別に、自分が出来るほうだなんて思ってはいませんが、どの程度出来るようになっているのかは確認したほうがいいでですね。
「どうして、そう思ったかを聞いてもいいですか?」
具体性のない意見だとしても、意味がなさそうな反省だとしても、梅原さん自身が何かを考えているのが大切で、その自主性は尊重すべきものなのでしょう。人間が動き出すには、特に大人が動き出す時は、理由があるはずですから。小さな言葉であっても、本人にとっては理由があって出てきたものだから。そこを聞き出すくらいは、私でもやれますよ? 促す程度でいいのなら、引き受けましょう。
「立派な理由なんてありませんよ。僕としては、実績が欲しいだけなんですよ。どちらにしても愚痴を聞かされたり、悪口を聞かされ続けるだなんて、仕事としては認めたくないですから。人間観察を趣味にしている人ならいいのかもしれませんが、僕としては勘弁して欲しいだけですね。佐藤君の話を聞いて、素直にそう思いました」
「そういう考え方もあるんですね。梅原さんは真っ直ぐですね。私みたいな人間にとっては、眩しい存在ですよ」
最終的な結果だけを見るのなら、今回の案件は事件として取り上げられてもおかしくないレベル。正直なところ、警察に呼び出されて相談を受けた時の様子を聞かれたり、マスコミに詰め寄られる可能性も考えなかったわけではない。マニュアルに従う形でアドバイスをしたとはいえ、私が担当をした案件には違いないのだから。多少の責任は取らされるものだと思っていた。それなのに、何も連絡が来ない。
やっぱり、公務員が相手になるとやり辛いということなのでしょう? それとも、身内だから甘いだけなのか。どちらにしても、私と鈴木さんがかかわっていたのを知っているのは、当事者だけであり、私が失敗しない限り公の場に晒されることはなさそうだ。
仲良くなった相手が自殺したというのに、私の頭の中にあるのはこの程度のことで、わずかな悲しみ程度しか存在していない。佐藤君のようにショックを受けてみたり、梅原さんのように嫌悪感を抱くこともない。ただ、そこにあるものをそのままに見ているだけでしかなく、そこに感想を抱くことさえしない。
「年下である天野さんに、そんな目で見られても困るんですけどね。どうしてそんな扱いになるんですか?」
「これでも一応は先輩ですからね。私はもう窓口業務自体には慣れてしまいましたからね。インパクトは大きいものでしたが、それ以上のものにはなりませんでしたね」
鈴木さんの自殺について、私達はそれぞれの感覚で、なぜかと言うことを考えさせられた。
梅原さんは彼女が命を絶った事実について、なぜ死ななければいけなかったのかと考えているのでしょう。実際に発生していることを基にして、佐藤君や吉田さんとの関係、今まで築いてきたであろう思い出なんかについても考えたのかもしれない。
けれど、私が考えていたことは違う。自殺した理由について考察しているのは事実だし、同じようなものだけれど。私が興味を抱いたのは、彼女を連れて行ってしまった、恋愛という感情そのものについて。そこまでの衝動をもたらした、感情自体について頭を悩ませることになりました。
経験者ではない私にとって、恋愛というものは異質でしかない。私の中に存在しない、未知なるものでしかない。相手のことを考えるだけで、見ているだけで動機やめまいに襲われるだなんて、病気だとしか言いようがなく、そこに憧れる理由も正直なところ不明。不確かであり、努力を重ねたところで将来的な確約もない、そういったもの。より分からないのは、それだけ頑張ったのに、不安な状態も乗り切ったのに、破局を迎える人たちがいるのが信じられない。そんなものを繰り返している方が、よほど苦しいはずなのに。どうして人間は恋をし、愛を求めるのでしょうか?
「天野さん、それは疲れてるだけじゃないですか?」
「どうなんでしょう? 今の職場こそ私の天職だと思っているし、結構気に入っているんですけどね」
警察関係に入ることはできず、そして探偵に依頼することも出来ない。そんな探し物をしている私にとっては、ここ以上に情報を集められる場所はないだろうし、安全な場所もないはずだから。この仕事を辞めたいと思ったことはないし、辛いと思ったこともない。
長くいれば今以上に性格がゆがんでしまうかもしれないけれど、それは世の中に求められた結果だと考えれば、大したことでもない。この仕事を続けている以上は困るとも思えないし、これ以外の仕事が務まるとも思えないから。
「ただ、梅原さんの言うとおり今回の件は疲れたといっても許されるかもしれませんね。長期戦になるだろうと見込んではいましたし、関係者同士で揉める可能性は高いと見ていましたから。まさか関係者の自殺で幕が閉じるだなんて、思ってもいなくて、素直に驚きましたよ。直接でないとはいえ、鈴木さんの死に自分が関わっているというのは、何も感じないではいられません」
私は全員と話をして、詳しいところまで聞いてしまった。そうでなければ、テレビ越しに眺めているような、視聴者的な立場でいられたのに。自らの足でトラブルの真ん中へと、歩を進めてしまい関係性を持ってしまった。これについても、深く関わり過ぎたという面で失敗。もっと事務的に感情を入れることなく処理すべきでした。
「でも、まぁ、それも仕方ないのかなって」
「それは、どういうことですか?」
さっきから質問してばかりですね。会話の流れ的にそうなるのも分かりますが、そればかりでは後々痛い目にあいますよ?
「私達は相談にも乗ったし、情報の提供もお願いしました。その後、個人的にはメールでのやり取りもしていたから、ただの情報提供者と窓口担当者、そういった立場的なものを少し逸脱したのが原因です」
こんな私が、鈴木さんの進路相談を受けていたなんて言ったら、梅原さんはどんな顔をするのだろう? 問題ないと、いつもの調子で言ってくれるだろうか? それとも、軽はずみなことはしないようにと、注意されるだろうか?
仕事の延長線上であったことは否めないけど、それでも私にとっては久しぶりの、業務連絡以外のメールあり同年代と交流を持てること自体が楽しかった。それでも過ぎたことでしかなく、今後発生する可能性がゼロになったものだから。このタイミングでは、話のネタにもならない。
「それでも、私達の関係は友達ではありません。相談するものと相談されるものでしかなく、鈴木さんにとっての私は相談をする相手でしかありませんでした。この線引きが消えない限り友達というラインには到達出来なかったでしょうし、その溝のせいで教えてもらえなかった情報があるのも事実でしょう」
人間同士の関係というのは複雑だから、仮に私が友達だと思っていても、鈴木さんもそう思ってくれる保証はない。一方通行の思いが、たまたま重なるタイミングでしか仲良くは出来ない。そういった意味合いでは、変な勘違いをしてしまう前に関係が途切れて、良かったのかもしれないね。途切れ方は最悪だけど。
「天野さんって、もしかして友達がいないタイプですか? いや、友達を必要としないタイプと言った方が良いですかね?」
プライベートな内容に含まれるような会話を、今まで梅原さんとしたことがない。立場も年齢も、経歴も違う私達だから、当然だと思っていたけれど、実際のところはどうなんでしょうね。仕事をこなしていく上でも、ある程度はお互いの情報を持っていたほうが、スムーズに進むこともあるのでしょうね。
「梅原さんが踏み込んでくるなんて、珍しいこともありますね。そういった話を避けるのかと思っていましたが、突っ込むところも鋭く正確ですね」
仕事とプライベートを完全に分け、同僚とは仕事の話しかしないタイプだと思っていましたが、そこまででもないのでしょうか?
「事実として、私は友達がいません。過去に欲しいと思ったことはありますが、実行に移せたことはありませんね」
同僚であり、先輩後輩の関係にある私達は、もう少し情報を開示すべきなのでしょう。梅原さん自身にやばい雰囲気が漂っているとか、警戒する必要がある人物だと感じているのなら、話は別かもしれないけれど――少なくとも、彼の持つ誠実さについては疑う必要は感じない。
これも線引きの1つなのかもしれないけれど、プラスに見れるのであれば意味はあるでしょう。梅原さんと仲良くなっておくことは、私の人生にプラスをもたらす可能性があるのですから。仲良くなれるように、こちらからも少しは歩み寄るべきなのかもしれないですね。
「望んではいても努力をしなければ、結果を得ることはあり得ません。この年で学校にも行かず、能動的に人に会おうともせず、そんな人間の友達になろうだなんて、余程の物好きでしょうね。そういった意味合いでは、多少勉強が出来たところで、今更学生に戻ろうとも思えませんよ」
話題が合わない、好みが分からない、共通点を探すほうが難しい。年齢の開きがあり、性別での溝がある。経験が足らないから、それを埋められるだけの話題すら私は持ち合わせていない。
何もない。そんなところから、信頼を築き上げていかなければならないのは、正直なところ疲れる作業です。梅原さんの経歴に興味を持ち、考えていることに興味を持ち、プライベートについてもある程度の興味を抱く必要がある。それは、仕事とは全く別の行動パターンが必要になることを、私自身に教えている。
どういった会話を振ればいいのか分からないし、いっそのこと質問攻めにでもしてくれれば楽なんですけどね。情報を持っていないのは、梅原さんも同じでしょう?
「聞いて大丈夫なことか分かりませんが、天野さんは中退されたんですか?」
何かを訪ねてほしい。そう考えていたのが通じたのか、それともただタイミングが合っただけなのか。真実は分からないけれど、私にとっては都合の良いほうに話が流れた。聞き辛そうにしているところ申し訳ないけれど、私としてはお礼を言いたいくらいですよ。
「そうですね、揉めるような形になったわけではありませんが、中退しましたよ。勉強についていけなかったようなことはありませんでしたが、私には元々協調性と呼べるものが欠けてしましたので、誰かと仲良くするとか、他人の気持ちを考えるとか難しいものでした。なにより、学校という独特の空間に苦手意識を持っていましたので。いやはや、ウワサ程度には聞き及んでいましたが、女の子のイジメというのは陰湿でやばいですよ」
最初の始まりはなんだったのだろう? いや、もしかしたら始まりなんて明確なものは、存在しなかったのかもしれないですね。挨拶を返してもらえなかったとか、持っている小物が自分のより可愛いとか、使っている携帯電話が自分の欲しいものだったとか――きっと、そんな些細なことがきっかけとなりイジメに繋がっていく。始まりがないから終わりというものがなく、際限もない。第三者がとめない限りはずっと続き、学校という空間に居続ける為に、その脅威に身をさらし続けるしかない。ひどい場合には校外にすら及ぶこともあるみたいだけど、怖いものだね。
「他人のことを考えて喋るのが苦手で、そもそも喋ることすら苦手。人の名前を間違えて覚えていることも多くて、語学力という面では随分と劣っているのでしょう。そんな私の態度を敵対視されると、もう笑っとくしかなくなりますね」
私の場合は、イジメられる理由だけは明確だし、自覚もあった。集団に溶け込んで暮らしていけるだなんて思ってもいなかったし、無視されるのが日常的になったあたりで、渦中にいることに気付いただけ。それ自体は仕方のないことだと思えたし、予想が当たったことについて、笑いそうになったくらいです。世の中は意外と単純に出来ていると、安心したくらいだよ。
「笑って済ませて良い問題ではないでしょ? イジメなんて言葉で誤魔化していますが、脅迫、恐喝、暴力ですよ。ただの犯罪じゃないですか」
最初は無視から始まり、暴力へとつながっていく。そこから先は、多少の選択肢が存在するけれど、金銭が絡んでくることも多く、最終的には自殺に追い込まれるケースも存在する。どの段階であっても、原因がはっきりしているほど止めやすく、原因が不明確であるほど、長引き悲惨な結末を迎えることが多い。
またクラスのリーダー格に目をつけられたとかであれば、割と止めさせやすいのは事実だね。周りも異変に気付けるし、全てがゆだねられるというのは、どうしても心への負担となってくるから。リーダー的な存在とはいえ、彼女の中にも良心は存在するから。そこを意図的に意識させれば、止められるものです。だから、私のケースも止めようと思えば周りから、止められたとは思うよ? もちろん、私自身に努力を求められる結果にはなったでしょうけど。
「私の場合は、そこまでひどくはなかったですよ。期間も短かったですし」
もっとも私の場合は長く続くこともなく、ひどい結末が見えるようなラインまでいくことすらなかった。私としてはありがたいお話しなんですが、イジメが終わった理由については軽く口に出来るようなものでもないから、今のタイミングで梅原さんに話してしまうのは負担にしかならないでしょう。このタイミングで預けるには、重たい。
彼の性格上、知ってしまえば私の問題にも首を突っ込もうとするだろう。こちらがそれを望んでいなくても、協力を拒んだとしても自分の気持ちを口にしてしまうだろう。そんなことをされてしまっては、困るんですよ。こちらにはこちらの都合があり、自分だけで対応出来るように環境を整えてきましたから。
「梅原さんは真っ直ぐですね。でも、その正論が通るなら、まずは大人の世界からイジメがなくなっているはずですよ」
お互いのことを知らなければいけない。そんなふうに思ったのはついさっきだというのに、私の心はすでに閉じようとしている。梅原さんへの情報開示を拒み、篭る方向へと心が動き始めている。誰かに話すことのできない事情。誰かに渡すには、ちょっと重過ぎると感じている事情。それを知った時、彼は同じように怒るのだろうか? それとも、何もしようとしていない私に対して、彼は怒りを抱くのだろうか?
どちらにしても、迷惑な話としか感じられないんですけどね。私には私のリズムがあり、そこには梅原さんのような他人が入り込む余地はないのだから。これではどうしようもないですね。
「それはそうかもしれませんが、でも納得は出来ません」
「私にも原因がありましたし、細かいことを気にしてはいけませんよ。少なくとも今の私はあの頃よりも強いし、あの頃よりも幸せですよ」
彼の真っ直ぐなところは気に入っています。自分の正義を持っているところには、好感が持てます。けれど、それだけでしかない関係の彼に、私のやり方を否定された場合、我慢することは出来ないでしょう。受け入れたり、改善したり、そういったプラスの行動を取れるとは思えない。私の器量は小さくて、誰かを迎え入れたりすることは出来ないのだから、やっぱり今くらいの関係を保っているのが賢いのかもしれないですね。
「高校を中退して、すぐにこの部署に来ました。当時の室長は別の方でしたが、よく私みたいなのを採用してくれたと思いますよ? 確実に反対されただろうし、その教えを引き継ぐようなことをするから、今の室長も苦労を買ってでもしろって言うし。私としては信じられないことですが、そんな信じられない人達のおかげで私は今を生きていられるんだし、感謝はしていますけどね」
閉じた心で話せるのは、誰でも知っているような、調べればすぐに出てくる情報だけ。そこにわずかな感情が混ざる程度であり、重たい部分については、何も話せなくなってしまう。これもまた、仕方のないことだとは思っているけれど、こんな上辺ばかりの情報しか渡せないのであれば、私と彼が仲良くなるようなことはないでしょう。同僚になることは出来ても、友達のような関係になることは出来ない。
やっぱり、私には友達なんて作れないんんですよ。何でも話せるような関係というのは、私にとっては手の届かない理想でしかありません。誰かを信じる前に、誰かを疑おうとする。言われている言葉をそのまま受け入れることは出来ず、騙されていないかと検分しようとする。ほんと、ロクでもない人間。自分のことながらイヤになりますね。
「前の室長には、何か思うところがあったのでしょう。実際に、天野さんは実績を残されてますから。室長の目は正しかったのではないでしょうか?」
「実績ですか? 私が解決した相談案件なんてないですよ。話を聞いて、うなずいて。話の先を促して、私がやれるのはそこまで。その先は本人がどうにかしなければ、何にもなりませんから。当然、促した結果として破局したカップルもいて、仲直りした家族もいます。友達を信じられなくなった子もいれば、親と別れることを選択した子供もいます。必ずしもハッピーエンドばかりにならないのは、今までの経験からも分かっていたことなんですよ」
今回の相談。吉田さんの話が真実だったと仮定した場合、ハッピーエンドというのはどこにあったのでしょう? まず、佐藤君は彼氏であり、鈴木さんが親友ということになり。そして、2人は仲が良かっただけで、例えば吉田さんへの誕生日プレゼントに悩んでいた佐藤君が、鈴木さんに相談をしていたというだけなら、ほのぼのとした結末を迎えられたのでしょう。
勘違いしてごめんねなんて謝りながら、佐藤君からのプレゼントを受け取る吉田さん。私達はその一部始終を見ながら、次の相談者から愚痴を聞くと。そうであれば、どんなに幸せな結末だったのでしょう。現実ではないところで繰り広げられる物語だからこそ、憧れてしまう。幸せに満ち溢れた相談が訪れることを、望んでしまものです。
「分かっているのに、天野さんは相談を受け付けるんですか? 努力しても、無駄になるかもしれないんですよ?」
分かっているのに、受けている。窓口に座って、マニュアル通りのアドバイスを相手に渡す。その行動に意味があるのかと問われれば、虚しさを感じることだってありますよ。自分がやっていることなんて、意味がないと、相談者の望んでいる結末には向かえないと、そんなこと分かっていますよ。それでも、仕方ないないんですよ。
「梅原さんは、鋭いところを真っ直ぐについてくる。そんな質問の仕方がが得意なようですね。ウチの部署にいる間は役に立つスキルですし、問題の解決のためには役立つものですが、気を付けたほうがいいよ。感がいいというだけで嫌われる部署もありますから、心当たりはあるでしょう? それに、ウチの部署においても、梅原さんの質問を痛みと感じて逃げ出す相談者もいます。時にはぬるま湯に漂っているような、解決策を出さない相談というのも時には大切ですよ」
正しいことをすれば、それが認められるわけではありません。自分の正義を振りかざせば、みんなが納得してくれるものでもなありません。私には私の意見があり、梅原さんの意見を取り入れられないところもある。梅原さんにだって、そういうところがあるでしょう? それは、私達だけではありません。人にはどうしても譲れないものが、自分だけのこだわりがあります。
頑固だと言われるかもしれないけれど、みんなそういった部分を多かれ少なかれ持っている。それをぶつけあって生きていくから、みんな傷だらけになる。そうでないのなら、世の中はもっと平和になっているし、みんなが笑って暮らしていけるような世界になっているはずですよね。
けれど、そんなの夢物語でしかないから。それぞれに歪みを抱えて、真っ直ぐではない道を歩いていくしかないんです。
「ズルいと感じるかもしれません。無意味だと思うかもしれません。けれど、それを求められる時もあるし、世の中の汚さをこんなもんだって、眺められるようになるのも大切なことではありませんか? れれが出来るようにならないと、ただ目立つだけで、反感を買うだけで終わることになるよ?」
ズルくなれとは言えませんよ。この生き方は私のものでしかなく、梅原さんには直接的には関係のないものなのだから。今こうやって話している時間だって、長い人生においてはただの一幕でしかなく、遠い将来には記憶にすら残っていないような、その程度のものでしかありません。それなのに、労力をつぎ込もうとするのは、賢いやり方だとは思えないですよ。
「私は汚い大人の仲間入りをしています。そういった事ばかり、ずっと見てきたから。今の立場も、仕事だから相談を受けているだけとしか答えようがありません。親切心で聞いているほど、お人好しではありませんから」
相談窓口担当の職員。慣れてしまった今では疲れることも少なく、一般的な会社のように残業が発生することもほとんどない。その上で、メンタルケアという名目で年間の休日も多く設定されており、プライベートな時間だって十分過ぎるほどに確保されている。ついでに、私の目的を達成できる可能性もあるから、何かを改善しようなんて気が起きない。
梅原さんみたいに、出世したいとか考えない限り、ここからの移動なんて望みたくもないよ。そんな面倒な話は、私に持ってこないで欲しい。
「それでも、天野さんは真面目に聞かれていますよね? 話を聞き流して、杓子定規な回答しかしないメンバーとでは、違いますよ」
「そういった話は難しいですよ。真面目さなんて人それぞれだし、真面目の定義も人によって違うから。どうしようもないからと、最初から事故解決を促している人もいて、それを無責任だと言うことも出来るけれど、最終的な責任は相談者自身が取らなければいけないから、深く関わるべきではないという、そういったスタンスの人もいますね。そういった内容は、個人の主張に近いから。こちらから口を出しても揉めるだけで、意味もなく出口もない、楽しくない議論が始まるだけですよ」
正義の定義に、真面目の定義。個人の中にそれぞれ存在するものだから、論争になってしまうことは避けられないだろう。どれだけ仲が良さそうなペアでも、大人しそうに見える相手でも、そこで会話が成り立っているのは相手の正義、つまり引いてしまった方が賢いという考え方に救われているだけですよ。本質的なところを話し始めれば、熟年夫婦ですら離婚騒ぎになってしまうでしょうね。他人でしかない以上、どれだけ傍にいても分かり合えないことがあります。
「良かれと思ってしたことも、そのまま相手に伝わるとは限らないから、押し付けるような形にならないように気をつける必要がありますよね」
私がそれを言うのかと、どこから突っ込みが入ったとしても不思議はない。梅原さんは私よりもずっと大人で、今だって口をはさむことすらなく話を聞いてくれている。年齢の差を理解していないとしか思えない、私よりは痛感していることでしょう。この会話も、梅原さんが大人だから許されているだけで、普通は怒られたとしてもなんら不思議はない。そして、この関係もまた、私が許してもらっているだけという、何とも弱い関係でしかありません。
「そうですね、気をつけます」
「梅原さんの真面目な部分、すいて切れる相談者もいるはずです。大切にして下さい」
この部署にいる間に、彼がどう変わっていくのかは分からない。何も変わることなく、堅物のまま他の部署へと移っていくのか、ここの居心地になれてしまうのか、それとも去ってしまうのか。未来のことは全く分からない。
ただ1つだけ、今言えることで確かなのは自分のことだけ。真面目なことを考えながら、真面目な話ばかりをしていたせいで、疲れたということ。私は基本的に、お気楽に生きていたい人間だから、どうしようもないね。
「ところで梅原さん、一つ相談があるんですが。白衣ってどう思いますか?」
真面目な話は、さっきので終わり。ここから先は思考を切り替える為だけの、緩いものにしましょう。意味もなく、悩むこともなく、細かい理由を探す必要性もない。そんな下らない、ただの雑談。糖分不足に陥ったら、大変でしょ?
「白衣、ですか? それは、我々が着用するという意味で捉えていいですか?」
「そうですよ。私達の仕事には相談所的な役割が求められますから、専門家に見えるように、言葉に重みを持たせるために、小道具として使うのもありなんじゃないかと思うんです」
どのような内容であっても、真面目な態度を崩さないのは梅原さんの自由だし、どのような受け答えをしてもらっても私は一向に構わない。報告書が作れなくなるような、お堅い会話を続けたくなかっただけだ、細かいところは気にしません。どうせ考えるなら、これくらい気軽で、誰の得にも損にもならない、そんな話のほうが楽ですよ。誰かを傷つける可能性のある、強い言葉を使っていても求められるものなんてないのだから。
「確かに形から入ることによって、相談者の方に安心感を持ってもらえるかもしれませんね。ただ、僕らは医者でもありませんし、カウンセラーでもありませんから。そういった勘違いを防ぐためには、小道具的な効果を狙うのは危険ではないでしょうか?」
誤解を避ける努力ですか。今回の案件から、本当に私が学ぶべきところはそれなのかもしれない。誤解されている場合、それをどう利用するかしか考えていないから、その歪みを調整したほうが今後の為にも良さそう。
「そうですね、もっともなご意見です」
誤解を避けることは、私の為になる。そして、誤解しないようにこちらが促すのは、相談者さんの為にもなる。それを考慮するのなら、白衣の着用を検討する前にやるべきことがある。今回みたいな結末を迎えないために、相談者の涙を見ないためにも、私が頑張るべきことがある。それを認識出来ただけでも、今後にとって大きなプラスとなるでしょう。
「天野さんの場合、それよりも先に名前と顔を覚える努力をして下さい。僕の名前覚えるの、結構時間かかりましたよね?」
「そうですね。説得力と考えるなら、そちらの方が賢そうです。相談者の生に関してはメモが取れますから、手元を確認しながら進めてしまうんですよね。暗記しようという気にならなかったのが、大きな問題でしょうね。便利さに預けてしまい、努力を怠った結果ですね」
人の名前を覚えるというのは、どうしても前提条件として設けられてしまうから、速度を優先してしまった結果として、私はそれを乗り越えるための手段を外部に用意してしまいました。最初の頃は仕方のないところもあったし、そういった対応でも問題はなかったのだけれど、いつまでも続けるわけにはいかないですよね。タイミングがつかめずに、ずるずるとひっぱってしまったところもあるから、丁度いいのかもしれません。苦手だからと逃げているだけでは、何にもならない。努力をせずに、何かを得ようとするのは私の望むところではない。
「相談所と考えると、小さなことでも誤解を避ける努力も大切だと、僕は思います」
梅原さんは真面目だし、堅実な意見を出してくれる。人の裏をかくような、すれてしまっている私とは別の見方をしてくれるのが嬉しい。さっきの白衣だって、別に真面目に考えてくれる必要はなかったんですよ。流されても構わない程度にしか思っていなかったのに、ちゃんと答えてくれましたね。
「梅原さんの意見が正しいですね。無理なものを無理だと留める為にも、出来ることは積極的にこなしていくのも大切です」
「名前と顔、覚えられませんか?」
「基本的には無理ですね。今日の会話だって手元の手帳がなければ、進まなかったでしょうね」
すぐには無理です。似たような苗字が多いし、名前まで覚えてしまおうと思えば、私にとってはスペックオーバーだと感じてしまう。
けれど、将来的にも不可能だと決め付けてしまうのは早計でしょう。これでも私は未だ十代なのだから、これからの伸び代だってあるはずですね。そこを信じて努力してみるのも、悪い話ではない気がします。
「嫌な予感がしますが。天野さん、所長の名前は覚えていますよね?」
「……斉藤さん、だったかな?」
この反応は、間違っている感じですね。まぁ、予想の範囲内ですよ、所長の名前なんてほとんど呼んだことないんですから。覚えているはずないでしょ?
「渡辺ですよ。また見事なほどに、一文字もかすりませんでしたね。随分とお世話になってるはずですよね?」
「さすがにまずいですよね。いつも所長としか呼んでいないから、覚えていませんでした」
問題が起きないと、改善するのは難しいですね。
「室長、泣きますよ?」
「あの年齢の男性でも、泣くことなんてあるんですね。窓口でそれなりの人数に関わってきたつもりでしたが、まだ遭遇したことはありません。語学の為にも是非、見てみたいものです」
会話の流れは理解できないけれど、そんなものは梅原さんが理解しているなら問題はない。私のコミュニケーション能力には、元々問題があるのだから、今更これくらいのズレは驚くようなことでもありません。
そんなことよりも、私は壮年男性が涙を流すシーンというものに興味を引かれます。お世話になっている相手ということがあり、多少の罪悪感はあるけれど見たいものは仕方がないでしょう。どういった場面で、どのような流れで泣くのだろう? 押し殺したように小さく声を漏らす程度なのか、それとも年齢を感じさせない情熱的な泣き方なのか。想像するだけでも興味が沸いてきますね。
「僅かな罪悪感までなくさないで下さい。どう付き合えばいいのか、悩みますよ」
「え? 奥さんが要るのに、他の女性を口説くとか、ダメですよ梅原さん。誰にも言いませんから、今回限りで止めてくださいね?」
どう付き合えば良いかなんて、浮気は関心しないぞ? 今回の案件のこと、既に忘れていたりしませんか? せめて、報告書を書き終わるまでは、なくさないで下さいね?
次の案件にすぐ取り掛かれるのは、窓口担当としては頼もしいところですが、そのような対応をされても困ります。ちゃんと案件を完了させてから動き始めてください。記憶というものは一度忘却することによって、捏造されてしまいますから。報告書の内容に齟齬が出てしまいますよ?
梅原さんが以前の部署でどのような報告書を書き、どの程度慣れているのか私には分かりませんが、その報告書がウチの部署で求めれられている書き方と同じとは限らないのだから、終了するまでは気を付けて欲しい。
どちらにしても、奥さんのいる身分である梅原さんが、誰かと付き合うだなんて言葉を軽々しく口にしてはいただけません。いくら私といえども、女であることには変わりがなく年齢の差も開いています。冗談だと受け取ってもらえなかった場合に、面倒ごとに巻き込まれそうだから、口に出すのは危険だと思います
そういえば、室長の話はさっきの涙の件で終わってしまったのでしょうか? こちらはコミュニケーション力に問題があるのだから、いくつもの話題を同時進行するのは止めて欲しい。私は1つ1つのことについて、ゆっくりと考えるほうだから、あまり速度を上げられるとついていけなくなります。せめて紙にでも書き出して、分かりやすいようにしてくれないでしょうか? 整理をしないままで話を進めようとするのは厳しいものがあります。今回は先輩として見逃しますが、他の人へ同じような対応をしてはいけませんよ?
「今の流れで、どうすればそうなるんですか? 僕が話してるのは、室長のことですよ」
ほら、また話題が飛びましたよ。私としてはリスクを抱えた話題よりも、随分と楽ですけど誤魔化していませんか? そこを指摘するほど私は子供ではありませんが、そういった部分のみをクローズアップするのが大好きな方々もいますから。無意味な騒ぎを起こさないように、気をつけて下さいね。
「そうでしたか? どちらにしても報告書の提出が必要ですから、室長の在籍を確認しとかないといけませんね。報告書を出すまでが仕事ですから」
「僕、そんな話をしていなかったはずなんですけど?」
室長の話ということは、つまりは報告書についての話でしょ? そう予想したのに違うものなんですか?
ここまでズレているとなると、速急にやるべきは梅原さんとのコミュニケーション方法を確立させることと、そのように感じますね。仲良くなろうにも、ここまでズレているとどうしようもない。手始めにノートでも購入して、話題の整理から始めたほうがいいのでしょうか? 今のような状況のまま続けていると、その内業務にも支障が出てきそうな気がします。そうなってしまうと、私個人としても困る。
「そうでしたか? 私としては会話を続けていたつもりだったんですが。まぁ、こういった流れもいいじゃないですか。あまり無駄話ばかりをしていたとなると、私は室長に怒られてしまいますからね。吉田さんの案件、終了しただけで官僚はしていません。最後の仕事、仕上げとも言える報告書を提出しないといけませんから。長期案件分は少々面倒なので、梅原さんにも手伝ってもらいますよ?」
「天野さん、結構自由な人ですね」
ため息とともに、そんな言葉をプレゼントしなくてもいいと思うのですが。私は私なりにやっていますよ? 話の流れについてつかめていないのは、これでも自覚はしているんだからあまり深く突っ込まないで欲しいな。流れを掴めていなくても、やらなければいけないことに変わりはないのだから。それなりにはやれているはずなんですけどね。
「そこまでではないと願いたいところですけどね。それにしても、今日は随分と突っ込んできますね。私のリズムが独特で、メンタル方面では随分と強く見えるようですし。梅原さんからすれば、分かりにくいのかもしれませんね」
ズレを修正しようとするなら、どうにかなるのかもしれない。こういったものだから仕方ないと言ってしまえば、歩み寄ることも難しいのかもしれない。そこら辺は、バランスと言われてしまえばそれまででしかなく、私が苦手としているところだけど、左遷されるだけあって梅原さんもあまり上手だとはいえなさそうですね。流すべきところは流してしまって、受け止めるべきことはちゃんと受け止める。そして、受け入れてはいけないことについては、ちゃんと拒否をする。そんな、臨機応変の対応が出来るようになって、初めて大人と呼ばれる存在になれるのかもしれません。私のようにすべてを受け流そうというスタイルでいるのは、冷たいだけで終わってしまい、先が望めなくなってしまいます。
「悪い人だとは思っていません。仕事の上では、尊敬出来ることもあります。ただ、もう少し年齢相応の姿を見せてくれてもいいんじゃないですか?」
そうなんでしょうか? いえ、別に尊敬しているようには見えないとか、私を子ども扱いして欲しくないという意味ではないのですが。もう少し表に分かりやすく出してくれると、こちらとしてはやりやすいのですが――これについては、梅原寒川の求めている年齢相応の対応を、私も求めてしまっているということになるのでしょうか? 都合よく後輩として扱ったり、先輩として扱ったり、私も随分とわがままなことをしてしまっていますね。そういった対応をこちら側がしてしまっている以上、梅原さんにだけ対応を求めるというのは不公平ですね。
「それはとても難しいものですね」
ただ、難しいものは難しい。その事実が揺らぐことがない。梅原さん求められている年齢相応の態度を出せるのであれば、私はここにいないでしょうね。きっと女子高生というブランドに染まって、青春を謳歌していたことでしょう。学校へ行き、友達とだべり、恋愛なんかもしていたのかもしれませんが、それは空想の中に生きる私の話でしかありません。
「私は警戒心が強い方だから、自分のことを気軽に誰かに喋ったりはしません。簡単に誰かを信じることもないし、誰かを頼ることもしたくないです。これは、一種の職業病とも言えるのかもしれませんが、簡単に変わることは出来ません。嘘をつく人や、自分に都合の良いことしか話さない人に会う機会も多いし、この仕事についている間は、年齢相応な振る舞いは意識的にやらない限り無理に等しいものになってしまいますね」
常に疑心暗鬼な状態だとは言いいませんが、同年代の子に比べると頻度は高い方でしょうね。相手の言葉に引き込まれないように、作り物の世界を信じなくて済むように、仮に引き込まれたとしても対応出来るように、常に心構えをしてしまうのは最早仕方のないことだと、自分自身が割り切ってしまっている。仮に意図的にやったとしても、無理矢理な感じを消すことまでは出来ないでしょう。
それくらいなら、別の方法を探すほうが賢くて、効果があるように感じますが。これもまた、私が歪んでいるからそのように考えてしまうのでしょうか?
「軽い人間不信になっているのでしょうか? 僕はこの部署について日が浅いですけど、天野さんの言わんとしていることは分かりますよ。どうしても、疑いの目を相手に向ける機会が増えてしまいますからね」
「そういっていただけると、助かります」
分かります、ね。女性の相談ごとには同調すれば良いというのが一般的な意見だし、奥さんと一緒にいられるような梅原さんとしてはベストの言葉を選んだつもりなのかもしれないけれど、女性的な女性の考え方と、男性的な女性の考え方というのは、必ずしも同じ対応方法で乗り越えていけるだなんて思ってはいけませんよ。特に、私のように自分の歪みを自認しているタイプだと、よりややこしい変質を遂げていることが多いですから、火傷をしない内に気をつけて欲しいものです。
まぁ、話が変な方向へ飛んでいくので、今この場で伝えるようなことはしませんが、お子さんが生まれたりして、環境が変わった場合に揉め事にはなるのかもしれませんね。その時までには、私が相談に乗れるくらいの技術と人間性を身につけているといいのですが。
「梅原さん、私の言っていることに同調してもらえるのは嬉しいですが、時には分からないで通した方が自分自身楽なこともありますよ」
プライベートでの対応と、ビジネスでの対応は変えるべきもの。なにより、全てに真正面から挑む姿勢は、リスクばかり高めてしまう。梅原さんが素直なのは知っているつもりだし、そこについてはこれといって考えていないだろうということも、今の私は理解しているつもり。
ただ、そうだったとしても、エリート街道に戻ろうとしているのなら、そういった言葉を発する為に口を開くべきではない。あの場所は、失言など許されないプライドがぶつかり合う場所。上に上がるために必要ならば、明るみに出さない形で積極的にやっていくべき、手心を加える以外の形では、全てにおいて全力でなければ自分が潰されれしまう、そんな世界だと聞いていますから気をつけて欲しいものです。
私の方は生きている間に関係しそうなことはないですし、そんな部署の人達が関わってくるとも思っていないから、室長にされた忠告は何一つ覚えていないけど。梅原さんは積極的に関わっていくのでしょう? そこで生きていこうとしているのでしょう? それなら、ウチにいる間に対策を考えておくべきではないでしょうか?
もっとも私にとって、室長から貰っている情報は無駄なものでしかないから、ほとんどを覚えていないしこれからも覚えるつもりはないです。私の脳はとても素直なので、膨大な記憶容量を誇っているはずなのに、自分に関係なさそうな情報はすぐにでも忘却の海に放り込んでしまう。反面、思い出すべき情報を大切に扱ってくれるから、そんなに困ることもないのですが、ビックリするくらいの速度で忘れますよ?
「梅原さんは元々いた部署に戻るにしても、他の部署を望むとしても、ここから移動することを望んでいるのでしょう? その時に相手しなければいけないのは、ここで相談を受けているレベルのものではないはずです。もっと面倒で、更にややこしい、相手ばかりになるでしょう? それなら、知らなくていいことへの関わりを、積極的に避けていくべきではないでしょうか?」
ウちの部署のいいところは、相談者、利用者が面倒ごとを持ち込んでくれるおかげで、部署内での仲がこじれる心配が少ないということ。ほぼ全員が面倒なタイプの人にあたっているから、同じよな愚痴をこぼしているだけで仲間意識が勝手に生まれてくる。けして、プラスの形で生まれた連雷管ではありませんが、結果的に協力出来る体制が整うだから、細かいところまでを気にする必要もないでしょう。窓際部署だから、上を目指している人は残らないので、のんびりした雰囲気も漂っています。
それに比べて、上層部を目指している人達は同じ部署の人間がライバルになってしまうので、相手の弱みを握ろうとしてこそこそ動いていることがあると聞きます。そんなにまでして粗を探し、何をしたいのかは理解に苦しむところだけれど、そういった行為を涼しい顔のままで出来ないようであれば、上にいくことなんて出来ないのでしょう。全体から見れば小さな市役所でしかない場所も、権力争いが存在するというのがイヤな話ですね。
「うーん、もしかしたらその程度の認識ではダメかもしれませんね、こちらが避けようとしても、向こうから近寄ってくる可能性を捨てきれませんし、元々隙を見せてはいけないのだとしたらこういった場面を見られる可能性自体をなくす必要があるのでしょうか? 梅原さん、大変ですね。私にはそんな場所へ行こうという考えが、理解出来ません」
家以外に安心出来るところがない。デスクで書類を書いている時も、利用者の相手をしている時も、電話対応をしている時も、誰かに見ら張られている環境なんて、想像したくもないよ。仕事以外のことで、疲れ果ててしまいますね。
「天野さんだって、大変なものを抱えているんじゃありませんか? 年下の子が頑張っているのを見せられて、僕だけ逃げ出すようなことはしたくありません」
梅原さんは何を誤解しているのか知らないけれど、相談者のみなさんが持ってくるトラブル程度であれば、心理的にかかっている負担なんて殆どありませんよ。私は十七年程度しか生きていないけれど、それなりの経験は積ませてもらっているから。簡単に潰れたり、抱え込んだものに影響されるような下手な真似はしません。
大体、相談事のほとんどは軽いものが多いから、愚痴を聞いているだけで終わってしまうことが殆どでしょう?
「他人が頑張っているからと、気にする必要はありませんよ。人には向き不向きというものがあります。私は単純ですからね、ちょっとくら汚いところを見ても、なんともありませんよ。梅原さんのように憤りを感じたりすることが、少ない分負担にもなりません」
相談を受ける時、感情移入してしまうと面倒なことになる確率が、一気に引き上げられてしまう。解決すべき、手を伸ばしておくべき情報から、自らを遠ざけてしまう結果につながりかねない。そういったリスクは、一度経験すると骨身に染みて覚えるものです。
「その言い方だと、天野さんにも憤りを感じることはあるということですよね?」
梅原さんはこういった質問ばかりするタイプでしたか? 別に不快だというつもりはありませんが、第一印象からは随分と変わりますね。
「どうしても全ての相談において、ゼロにすることは出来ませんね。受け入れがたい主張をする人もいますから」
あまりにも自分勝手な話しかしない上に、どうにか自分の思う通りにならないかと相談されても、こちらとしてはアドバイスする気すらなくなってしまう。歩み寄るつもりはなく、自分の行いを反省するつもりもない。罪の意識というものが欠如しており、正直なところ救いようがないような、説教をしたくなるような相手もいる。
そういった人の殆どは過去の栄光に取りつかれていたり、実績を必要以上に重要視していたりして、会話の端々に現れるからすぐに分かるから、話のほとんど聞き流すことにしていますが、イラっとくることくらいはありますよ。
「そんな時、どうされるんですか? まだ短いからか、僕は天野さんが怒っているところ見たことないんですけど」
「一応表に出さないように気をつけているので、成功していると考えれば大歓迎ですが。梅原さんと一緒にやっている時も、感情的になったことはありますよ」
それは、怒っているところを見たことがないんじゃなくて、気付いていないだけですね。結構な頻度で怒っているはずなので、梅原さんも見たことはあるはずですよ。口調に現れないように、表情に出さないように、そういった面では気をつけていますけどね。私程度で気付けないとなると、梅原さんの観察眼がないということになってしまいますね。
「ただ私の場合は、自分の興味のないことについては流してしまうクセがあるので。どれだけ私に向かって文句を言っても、理不尽なことを言われようとも、私が興味を持てなければ感情が大きく動くことはありませんよ」
ただ、この場でそれを指摘するようなことは、私には出来ません。梅原さんが口にしていることが事実なのか、それともカモフラージュなのか、その判断が出来ませんから。
そして、他人から他人への愚痴を聞かされたところで面倒なだけ。私自身を傷つけられているわけでもないし、文句を言いたいのなら言わせてしまえばいい。それだけで満足出来るかどうかには個人差があるけれど、ある程度吐き出した後は止まれる人が多いので。諫めたり押さえつけようとすると、反発されたりして余慶な時間を取られたりしますから、吐き出してもらった方が総合的に楽なんですよ。
「そして、自分への興味も薄いから、私自身について何かを言われたとしても、そこまで気になることもありません」
仮に、真面目に聞いているように見えないから、同調しないからと、こちらへ矛を向けられたとしても気にする必要がない。相手は相談者という立場を利用して、愚痴や文句を言いたいだけなんだから、放っておけばいいんです。カウンターを乗り越えて殴りかかってくるようなことがあれば、対処しなければいけないかもしれないけど、そういった限りなく低い可能性を警戒していたところで、意味はないので。やっぱり、放置して聞き流すに限ります。
「私が分かりやすく怒るとすれば、仲良くしたいと思っている人を傷つけられた時ですね」
唯一の例外があるとすれば、これ。赤の他人に何を言っていたところで、町の雑踏みたいに聞き流すことが出来ます。自分へ矛を向けられたところで、害はないのだから放置しましょう。
けれど、私が好いている相手に何か言われたのであれば、放置することは出来ない。いえ、この時ばかりは放置してはいけない。関係ないにもほどがあるのに、そこにすら怒りを向けようというのなら、その人自身に問題がある可能性が非常に高いから。話を聞く必要もなければ、聞き流す必要さえなくなります。改善すべき点を機械的に伝えて、マニュアルを遵守する形で、早期退席を促すだけですね。そういった相手は話を聞く時間さえ無駄でしかないのだから、付き合ったところで私自身が得るものは殆どないでしょう?
「天野さんは忍耐力が強いですね」
「そんないいものではにですよ。親身になって聞いていないだけです。全ての相談を、真面目に聞いているのは難しいですから、それだけの話です」
忍耐力とは明らかに違うでしょう。話を耳に入れないことを前提にしているのだから、感心されるようなことは何もないです。どちらかと言えば、真面目に仕事をしろと怒られてもおかしくはない態度だね。
「この仕事で、自分の中にある正義なんてものを振りかざしていたら、疲れるだけで何も解決しませんよ。それに気付いてしまったから、何もせず期待するのを止めただけです。私のしているアドバイスなんて、そこら辺の本をちょっと読めば載っているような、そんな浅いことしか言っていませんよ。大半は愚痴をこぼした後、それを聞いて満足してくれますよ」
「それでも、実行するのは難しいですよ。どうしても、感情が入っちゃいますから」
感情が入るのは、梅原さんが話を受け止めたり、受け入れているからだけど。ここら辺は感覚だと思うから、慣れてもらって気付いてもらうしかありません。私が何かを伝えたところで、慣れるまではその言葉は表面を滑るだけでしかなく、滑らないようであればそれはまだ受け入れようとしているということなのだから。これについては、アドバイスすること自体が難しいですね。
私にもっと技術的なものがあれば、梅原さんに何かを伝えることが出来たのかもしれませんが、そこまでのものを持ち合わせていません。
「私も入っていますよ? 面倒だから早く帰って欲しいという、本来人様に向けちゃいけない、汚い感情が」
伝えてもいいと思えるのは、これくらいかなぁ。梅原さんの抱いている感情と、私が抱いてしまう感情。その種類が違うことを伝える程度なら、受け入れてもらっても問題にはならないでしょう。それに、この程度で気付いてもらえるのなら、悩んでいることが解決されるかもしれない。
さて、無駄話はそろそろ終わりましょうか。見慣れた交差点と、見慣れた駐車場、庁舎まではもうすぐ。無駄話ばかりしているところを見つかると、小言を言われるかもしれないから。あれはれはで、面倒なんですよ。
「さて、戻りましょうか梅原さん。今日は長期案件に関する報告書を書き終わらないと、家に帰れませんよ」
「承知しました。僕もお手伝いしますよ」
梅原さんの情熱の入れ方は、あまり公務員向きだとは思えない。少なくとも、上を目指している人間が持つべきスキルとは別物だと言える。けれど、だからこそ面白そうでもありますね。梅原さんのような人が上に行った場合、何らかの変化が起きそうな気がして。それが私にとってプラスになるのか、それともマイナスになるのか。現段階で予測するようなことはしないけれど、楽しそうですね。
まぁ、定時退社への情熱もしっかりと持っているみたいだから、そこは公務員らしいけどね。
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