第7話 金網巻きつく時計
ところで、事態は急速に動き出すものだと知っていましたか? さっきまでは落ち着いて見えていたものが、急に崩れ去るのは珍しいことでもない。過去の経験上、私はそれを知っているはずなのに、忘れていた。いや、忘れていたわけではないのだけれど、準備を怠ってしまった。あれほど警戒しなければいけないと分かっていたのに、あの2人の間には既に何かが始まっていると、気付いていたはずなのに。どうして、こんな結果につながったのでしょう。
「鈴木さんが亡くなったそうです」
休日のあけた月曜日、私を待っていたのはくだらない仕事ではなく、辛そうな顔をした梅原さんだった。苦いものを食べてしまった後のような、なんとも言いようのない顔。覇気があるとは言えない声。なにより、定まることのない瞳。
どういった経緯で彼のところへ連絡が来たのかは分からないけれど、自分が担当している案件の関係者に死人が出たことなんて、経験の浅い私にはないから。長くやっている職員であれば、こんな時にも冷静に対応出来るのかもしれないけれど、残念ながら私はそうも行かないようですね。
「事実確認をしてきます。梅原さんは出られるように準備して下さい」
情報がどこから入ってきたのか、それはどの程度信用していいのか。まずはそれを確かめなければ何にもならない。出来ることならタチの悪いいたずらであった欲しい、そう願わずにいられない弱い私が心の中にいる。
「佐藤君からの伝言です。前にお会いした、喫茶店で待つと」
「分かりました」
そういうことですか。そうであるなら、どれだけ望んでもいたずらで終わってくれる可能性はなくなってしまったんですね。最も辛いはずの人、どうにかしたいと願っていたはずの人からの連絡というのは、彼の心に響いたのでしょう。
けれど、鈴木さんが居なくなってしまえば、その穴を埋めることはもう出来ない。穴を開けない為に、広げない為に私達は動いていたはずなのに、失敗してしまった。どうしようもないと諦めたつもりはなく、出来ることなら綺麗な形で解決を促せるように、フォローだってしていたのに。私のやり方では足りませんでしたか。
鈴木さんとはそれなりに仲良くなり、つい先日もメールでやり取りをしたばかりだというのに。どうして彼女は遠いところへいってしまったのか、私にはその素振りすら見抜けませんした。楽しいはずの学生生活を捨て、愛しいはずの恋人を残し、どうして自らの命を絶つほどまでになってしまったのか。
自分が情けない。
◇
以前に訪れた喫茶店。雰囲気の良さと、金額だけで選んだ場所。私達が共通で知っているt頃がここしかないとはいえ、少なからず思い出のある場所を指定するのは、彼にとってどれだけ辛いことだったのだろうか? 何より、私達に吐き出してしまわなければいけないほど、どうして彼が追い詰められているのか。関わってしまった窓口担当しては、ある程度は把握しておきたいところですが、話してもらえるでしょうか? 私達は警察ではなく、鈴木さんの件について調査に乗り出すような権限は持ち合わせていないので、ここで佐藤君に聞けるお話だけが、情報源となります。
「突然お呼び立てしてすみません。他に頼れる人がいなかったもので、以前お聞きしていた電話番号にかけてしまいました」
詰まることなくスムーズに出てくるセリフ。なるほど、悩んだり待ったりしている間に、随分とシミュレーションを重ねたのでしょう。しかし、それは大人のすべきことですよ? 高校生でしかない佐藤君は、もっと素直に感情的な言葉を吐いても、許される立場でしょう?
「気にしないで下さい。私達も蚊帳の外に置かれているより、お話を聞かせて欲しいですから」
朝一、当日に申請したにもかかわらず、室長は深い理由を聞かずに承認をくれた。長期案件に関わっているものとして、処理の一端として、状況調査をするようにとの指示だ。もちろん、その途中で警察に介入される可能性もあるし、止めるように指示を受ける可能性もある。その時は、公務員という立場である以上、引かなければいけないから。今こうしてすぐに動けていることはありがたい。
それに、室長も流石に気持ちが悪いのでしょう。案件解決に協力してくれた立場であり、全体的に被害者と呼べる立場にいたはずの鈴木さんが、自殺という形で短い人生に幕を閉じてしまったことに、その選択肢しか選べなくなるような状況に陥ってしまったことに、思うところがあるのでしょう。
まぁ、正直なところ、私が上手く立ち回っていれば、もっと細かくフォローすることが出来たのなら、死なせずにすんだはず。だから、次があった場合に困るから、同じようなミスをして関係者が自殺するようなことがあれば問題だからと、原因の調査も兼ねているといったところですね。個人的には、許可さえ出してくれるのなら、少々の無理をしたところで話を聞きに行くつもりではあったけれど、ちゃんと責任の一端を私に向けてもらえるのはありがたいですよ。ここで変に庇われて、私には責任が全くないなんて言われようものならば、その冷たさに私の心は怯えてしまうところでした。自分の居場所だと信じていたのに、私が居ていい場所なんだと思えていたのに、虚飾に彩られた悲しいところであったのなら、この部署にさえ私が疑いのまなざしを向けなければいけなくなるところだった。
ほんと、役所に居ると時々感じてしまう。仕方のないことなのかもしれないけれど、そこらへんはどうにかして欲しいです。
「上手に話そうなんて考えなくて良いですよ。佐藤君の気持ちを、苦しみをゆっくりと吐き出して下さい。私達は、それを聞きに来ましたから」
「ありがとうございます。正直、僕も何から話せばいいのか分かりませんが……」
しきりに首元を触りながら、落ち着かない様子で話そうとする佐藤君。その様子と顔色から察するに、殆ど眠れていないのでしょう。私達に連絡をしてきたのが、鈴木さんがお亡くなりになられてから何日後かは分かりません。決定打となった出来事も、私達の耳には入っていません。ただ、気のせいでなければ佐藤君は責任を感じているようですね。鈴木さんが自殺してしまった原因に心当たりがあるのでしょうか?
こんな時にまで相手の反応をうかがってしまう、素直に受け止められずに疑ってしまう。そんな自分に嫌気が差しますよ。
「その、美代と吉田さんが話し合うことになった日。ケンカの原因になるといけないから、女の子同士で話をつけるということになったんです」
「そうですね。自覚がないとはいえ、今回の件において佐藤君の立ち位置は、ややこしいものですから」
以前に話を聞かせてもらった場所。同じ時間帯の同じ席なのに、人数が減っている。私と梅原さんは並んで座っているのに、佐藤君の隣にある席は、空白のままで今後も埋まることはありえない。
その事実から目をそらすことは出来ないけれど、佐藤君自身には立ち直って欲しいと願うのは、大人の勝手でしょうか。それとも、彼の弱った姿に、私が同情してしまっているだけ?
「学校が終わってから話をして、夜に電話を貰った時には随分と明るい様子でした。親友でしたから、誤解が解けるのも早いんだなって、僕も安心したんです」
男子禁制とまでは言わないけれど、女の子同士の会話というものは独特の雰囲気を持ってしまう。それは仲が深まれば深まるほど、周りには理解しがたいものへと変質してしまうことが多い。簡単に言ってしまえば、これが男女における差なのかもしれないけれど、お互いの間で問題を解決しなければならない時ほど、女の子同士の会話、女性同士の会話というのは、寒々しいものを感じさせる。
相手の話に共感しつつ、こちらの意見にも共感してもらわなければいけない。そして、相手の意見には共感をするだけで受け入れてはならず、こちらの意見は共感してもらった上で、受け入れてもらわなければいけない。針に糸を通すかのように、慎重に、大胆に、話を進めなければ、問題の解決には至らない。
だから、夕方から話し始めたとしても夜中までかかったりするのが普通らしい。ええ、友人と呼べる相手に巡り会えていない私にとってみれば、そんなにも長時間の間おしゃべりできる相手がいるというだけでも、非常に羨ましい話です。それなのに、いや、それだからこそ自殺に至ってしまったのでしょうか? 友人を得て、関係が深くなってくるほど依存率も高まるでしょうから。影響を受ける相手がすぐ近くにいるというのは、良い話であり同時に悪い話でもあるようですね。
「でも、僕の安心は間違いでした。美代に話の内容を聞かなかったのは、大きな問題でした。それに、翌日に謝罪という形を取られたので、勘違いでしたごめんなさいと言われたので、安心してしまったんです」
女の子同士の話に踏み込むべきではない。そういった考え方をもつのは、男性として確立される前に学ぶことらしい。男の子である内に、将来の準備とでも言うべき心構えをもってしまう。それこそが波風を立てないために必要なことなんでしょうが、ちょっと悲しいですね。子供らしさというのは、どこへ行ってしまうのでしょう?
「続けて下さい」
まぁ、恋愛を知っているとのだから、私が子供扱いするのは失礼かもしれません。
「……実際のところ、吉田さんは全く分かってくれていませんでした。いえ、正確には僕と美代が恋人同士であることは分かってくれたんですが、僕と吉田さんが恋人関係ではないというところを、理解してくれていなかったんです」
人の話を聞いた上で、曲解してしまう。どれだけ話を重ねても、本人の認識を書き換えることが出来ない。その上で、他人の事情自体は分かってくれるものだから、対処が難しくこちら側も勘違いをしてしまう。そんな面倒な人も、世の中には一定数いますから。佐藤君達の周りにいたとしても、不思議はないです。ただ、気付いたタイミングについては、不運だったとしか言いようがないですね、。
仲良くするなとか、近寄るなとか、口に出すのは簡単ですが。そこに注視してしまうと、人生を楽しめなくなってしまいます。何より、私と佐藤君は知り合い程度の仲でしかありませんから、そんな踏み込んだこと言えません。
「嫌な言い方になってしまうんですけど、彼氏を共有しているみたいな感じだったのかもしれません」
「共有ですか? んー、佐藤君と鈴木さんは恋人、佐藤君と吉田さんも恋人。こんなイメージでよろしいですか?」
両手に花といってしまえば、世の中の男性にとっては羨望の的でしょう。しかし、佐藤君の様子を見る限り、それを望んでいたとは思えませんね。鈴木さんと恋人関係であれば幸せだったのに、そこに吉田さんが加わってしまうとなると、それはただ情事がもつれてしまったようにしか見えません。周りに相談することも難しいでしょうし、なるほど、その頃から疲れ始めたんですね。望まない結果にたどり着いてしまったことで、心身ともに磨耗していったのでしょう。
鈴木さんから来るメールが、時々雰囲気の違うものだった時、私の見えないところでは何かが起きていた。直接的に文字に含めることはなくとも、私に気付いて欲しいと、察して欲しいと、なんらかの合図を送っていた可能性がありますね。そう考えるのであれば、気付けなかった私が、彼女を殺してしまったようなもの。落ち込むつもりはないけれど、事実として無関係ではなかったことを把握しておくのは必要なことだから。許して欲しいなんて、口にしてはいけない。
「間違っていないです。ただ、その中で美代を優先してくれるような感じではあったんですけど、吉田さんとも恋人らしいことを求められてしまって」
「佐藤君、詳しいところまで聞こうとは思いません。ただ、応えてしまったということでいいですか?」
重苦しく、喫茶店には似合わないうなずき。年齢にも似合わない、難しい表情のままアゴが縦に動く。
その表情に表れているのは、複数の女の子と付き合えていることに対して喜んでいたり、優越感を抱いるようには見えない。不本意だと、僕のしたかったことはこんなことではないと、望まない未来に辿り着いてしまったことを私達に教えてくれる。男性であれば多少は喜んでもいいはずなのに、誠実さとはこういったことを言うのでしょうか? とがめられるようなことはないはずなのに、責任を感じている。
梅原さんなら、彼の気持ちを分かってあげられるのでしょうか? 私のように表面的なものを見て理解したつもりになるのではなく、相手の感情を汲み取ってあげられるのでしょか?
「そうですか」
ただ、吉田さん側から見てみれば、鈴木さんが望んだ形、恋人であることは正しく伝わり、2人を祝福して優先している。その上で、自分自身も佐藤君と恋人であると考えるなら、多少ズレてはいるけれど、どちらの願いも叶った形になっており、みんなが幸せになってると考えられるかもしれない。それこそが事実だと思い込んでしまえば、自分とも恋人である佐藤君に対して、迫ることを躊躇する理由がなくなってしまう。
吉田さんの中にあるのは、優先順位。自分よりも鈴木さんが優先されるというのだけで、それ以外について我慢する必要なんてないと思っていたら? 自分の思いを素直に伝えて、恋人だと信じている佐藤君に迫ったとしても、彼女の中では矛盾がない。
「実際のところ、断り辛い状況を作り出す手立ては、いくつもありますから。特に恋愛において、火のついてしまっている女の子を止めるのは、非常に難しいものがあります」
状況さえ作ってしまえばいい、最後の武器は自分自身だから。逃げ道をふさぎ、相手の視界をふさぎ、耳をその手でふさいでしまえばいい。途端、そこに現れるのは2人きりの世界だ。第三者の介在する余地のない、例え鈴木さんが気付いたところで止めようのない、精神的な密室が出来てしまう。
もちろん、逃げ道が本当にふさがれてしまったわけではないでしょう。腕力で勝っているのだから、払いのければいい。その場で、君の事なんてなんとも思っていないと、気持ちをぶつけてしまえばいい。もっとも、彼女への後ろめたさを感じつつ、彼女の親友というポジションに納まっている吉田さんを、佐藤君がどうにか出来たとは思えませんが。
恋人がいることで余裕が出来る。けれど、その恋人自身が彼の行動を制限する枷ともなりえるのだから。彼女の心象を悪くしないために、彼女の親友の心象を悪くしないために。扱いは多少心得ていたとしても、想定していなかった事態に遭遇してしまえば、人間は流されてしまうものです。優越感を抱けていたのなら、吉田さんを捨てるような行動も取れたかもしれません。自分はモテるんだと、少しでもうぬぼれていられたのなら、その状況に対応出来たのかもしれません。
けれど、それこそ高校生に求めていいスキルだとは思えません。
「そういった意味で、吉田さんは上手だったのでしょう。責任を感じないようにとは言えませんが、全てが自分だけの問題だとは思わないで下さい。結果を考えると難しいかもしれませんが、いつかは問題が表面化していたはずですから」
人を追い詰めるの自体は、難しくはない。どうにかしようとすれば、準備に時間をかけられるのであれば、誰にでも出来てしまう。関係性が近ければ近いほど、一度迫られてしまっては逃げるのが難しい。逃げられるのに逃げ出せない、今までの関係が、これから先にありそうな関係が、ピンのように彼をその場にとどめてしまったのでしょう。引くことも出来ず押すことも出来ず、その場の流れに身を任せるしかない。そんな状況が、彼と鈴木さんを追い詰めてしまう結果となったのでしょう。
「非常に残念な結果につながってしまったのはゆるぎない事実です。しかし、それだけが全てではありません。今後を考えるのであれば、ここで立ち止まるのではなく、次につなぐために解決をしていきましょう。残されてしまった我々には、その程度のことしか出来いのですから」
鈴木さんが何に絶望し、何を望み、命を絶ってしまったのか。そこには本当に希望はなかったのか、それとも希望はあったのに、命を絶つしか選択肢がなかったのか、それを調べるのは危険な行為だ。自分達が、自分自身が少なからず関与してしまっているからこそ、どのタイミングで責められることになるか、予想もつかない。何より、他人に責められなくても、自分自身を責めてしまう。そんな無限ループに陥ってしまいそうで怖い。
ただ、この場においてソレが許されるのは佐藤君だけ。私や梅原さんは相談を受ける立場にあるのだから、自分自身がへこんでいては意味がない。こちらに非があったとしても、それ以前に果たすべき役割がある。これ以上に被害を広げないためにも、佐藤君と吉田さんのフォローくらいはしてみせないと、何のために話を聞いているのすら分からなくなってしまう。私達は、別に興味本位で聞いているわけではないのだから、仕事をしましょう。
「次につなぐって、もう美代はいないんですよ? それなのに、意味はあるんですか?」
「そうですね。確かに、鈴木さんはもういらっしゃいません。けれど、意味がないと見るのは早計ではありませんか?」
被害者であると同時に加害者にもなってしまった、佐藤君の言い分はもっともだ。既に鈴木さんは亡くなっており、次につなげるという発言に、過剰に反応してしまうのは仕方のないこと。どう改善したところで、今から手を打ったところで、既に起きてしまっていることに対しては無力だ。
ただ、私といえどもそこに気付けないほどではないですよ?
「鈴木さんが愛したあなたはここにいます。そこには、鈴木さんの気持ちもあるはずです。佐藤君がふさぎこむようなことがあれば、その気持ちを無駄にすることになってしまいます。そうならない為には、ちゃんと考えましょう」
私が口にしている選択肢が、酷であることは理解している。亡くなった恋人の気持ちを考えるために、佐藤君の心を整理するために、鈴木さんの気持ちを考えろと押し付けているのだから。私のワガママでしかない言葉。彼の抱えている傷を考慮するならば、ここは大人として対応すべきで、こんなことを強要するような言葉を投げかけるべきではない。とにかく優しくしてあげるのが正解なのかもしれません。
ただ、これでも沢山の人を見てきたから、それなりに人を見る目はあるつもりですよ。佐藤君に必要なのは慰めではなく、前に進むためのアドバイスだと感じたので、口にしています。佐藤君なら耐えられると思ったから、鈴木さんとの思い出がどうにかしてくれると思ったから、口にしているんですよ。罪悪感から逃げず、反省と後悔はしても、ちゃんと足を進めていける。そんな強さを手にして欲しいと思います。
「美代の気持ちですか。確かに、今までちゃんと考えたことはありませんでした。自分の感情を優先してしまって、彼女を悲しませる原因になって。それなのに、笑っててくれたんですよね」
「鈴木さんも気付いてはいたのでしょう。どうにかして欲しかったけれど、どうにも出来ない理由があったと。今後を考えた上で、友人として考えた上で、どうしようもなかったと」
吉田さんは、佐藤君の友人ではない。彼女である鈴木さんが居たからこそ、つながっただけの関係に過ぎない。最初の橋渡しをしてしまった、落ち込んでいる時の励まし役に指名してしまった。そのことについては、鈴木さん自身にも罪悪感があったのでしょう。自分が何もしていなければ、こんな面倒な自体にはなかなかった。佐藤君が困ることもなく、吉田さんが勘違いすることもなく、鈴木さん自身が苦しむ必要さえなかった。親友と彼氏、その両方へと迷惑をかけてしまっている状況、それこそが彼女を苛んでいたのではないでしょうか? 浮気と呼びたくない状況を、引き起こしてしまったのは自分なんじゃないかって、苦しんでいたのでしょう。
今は気付けないのかもしれない。けれど将来的には、きっと佐藤君も気付いてしまう。心の中にある悩みが、鈴木さんを発端としていることに。吉田さんを止め切れなかった、話し合いで上手く解決出来なかった鈴木さんにも、責任があるということに。その時、どんなことを言われるかと想像してしまったのかもしれませんね。
もちろん、私の口からソレを伝えることは出来ないし、例え相談されたとしてもそこについては、憶測でで喋ったりなんて出来ないけれど、事実は事実として存在してしまうから。どれだけ否定したとしても、ちょっと視点を変えただけで見えてしまうものがあるから。それを全てにおいて否定することは出来ない。
「暫くの間、佐藤君は非常に苦しく、そして難しい立ち位置にいることになるでしょう。恋人を失ったことを慰めてくれる人もいれば、必要以上に同情してくる人もいます。勘違いして、佐藤君を責める人までいるかもしれません」
同情してくれる人、慰めてくれる人は、少しくらい鬱陶しかったとしても我慢して下さい。どんな言葉を口に出したとしても、その人達は佐藤君の味方であろうとするものですから。君を傷つけようとする、悪意を持っている人ならそんな態度を取りません。
最も厄介なのは、佐藤君がいたせいで鈴木さんは死んでしまったと、責めてくる相手です。敵意を持ち、悪意を持ち、傷つけるための言葉を投げつけてくる、そんな相手にも目を付けられてしまうかもしれません。君がいなければ、佐藤君が傍にいなければこんなことにはならなかったと、そう口にする者もいるでしょう。
しかし、その相手に反負けてはいけません。どんな言葉を投げられたとしても、心を折られてはいけないんです。
心が折れるということは、心を折ってしまうということは、相手の言葉を認めてしまうことにつながります。どれだけ口で抵抗しても、違うんだと訴えたとしても、心の中で認めてしまえば同じなんですよ。また、同時に反論することは火種が大きくなってしまうだけなので、相手が飽きるのを待つしかないのも厄介なところですね。
そうならないためにカウンセラーがいますが、これにも良し悪しがありますからね。ティーンエイジャーの恋愛がらみ、恋人に自殺されてしまった男の子の話なんて、聞いていられないと言い出すカウンセラーに当たらない保証はありません。下手をするとそちらからまで攻撃を受ける可能性もあります。
また話を聞いてくれることもなく、健康診断と身体検査、そして投薬によってうつ病にされてしまうような、悲惨なケースも事例としてはありますから。出来ることなら、望んでもいいのなら、佐藤君自身の心が強くなることによって、乗り越えて欲しいです。
「別に責められるのは構わないですよ。僕は美代の彼氏です。彼女に何かあった時に知らん顔が出来るような、そんな大人っぽい恋愛をしていた覚えはありませんから」
「いい返事です。ただ、思いつめないようにして下さい。自ら袋小路に入ったところで、得することはありませんよ」
勇気と蛮勇は違う。男気と投げやりになるのも違う。そこを分かっていないのなら、意味がありませんよ?
「ところで、元気な要であれば、鈴木さんと吉田さんの様子について、もう少し深くご存じないでしょうか?」
吐き出せるものはここで、可能な限り吐き出してしまえばいい。ここにいるのは、佐藤君よりは大人であるはずの私と、人生の先輩と呼べる程度には年齢の離れている梅原さんだけ。幸いにして、喫茶店には他のお客さんはほとんどいない。泣いたとしてもいいでしょう。今のこの場なら許されます。マスターだって、少しの間なら許してくれるでしょう。ややこしい話ほど、学生さんが大挙して訪れる放課後までに、この状態について少しでも話題の決着つけなければからかわれてしまう。恋人がいなくなって疲れている彼に対して心ない言葉を投げつけるものがいるかも知れない。そんな時、私達は守ってあげられないから。壁になってあげることは出来ないから。
彼の心には、無理矢理でも強さを手に入れてもらう必要がある。その一歩としてなら、この質問には意味があるはず。
「僕が知っているのは、美代と吉田さんは、高校生になってから知り合ったということ。それに、親友と呼べる中で、お互いの秘密を共有している仲でもあったということですね。」
「んー、それなのに、恋人になったこと、恋人になっていることを伝えていなかったんですね、ちょっと不思議な感じがします。親友だというのなら、祝ってくれそうなものですが」
「僕も不思議に思って聞いたことがるのですが、中々難しい回答を貰いましたよ。言わなくても伝わることを、わざわざ言葉にする必要はないって」
なるほど。全てを話してしまえる関係が親友だと思っていましたが、あえて話さずに察してくれることを待つという方法もあるわけですね。交友関係における特別なポジションと考えられますから、それを求められる相手を探し当てたと考えれば、本来はとても喜ばしいことなのでしょう。もっとも、今回に関してはその信頼こそが、彼女を追い込んでしまう原因となったのですが。
「鈴木さん、面白いことをいいますね」
彼女の意思を引き継ぐとか、そんなたいそうなことを掲げるつもりはない。鈴木さんの気持ちを、吉田さんの気持ちを、全て理解するなんてことは、不可能。けれど、考えることを止めなければ、考え方を追従するくらいは不可能ではないはずがじっっさいはどうなんでしょう? 中々に難しいものでしょうか。私は相談窓口の担当者でしかなく、捜査官ではありません。探偵でもなければ、分析を得意とする学者でもありませんから。自分の役割を逸脱しているのは理解しているつもりでしたが、能力的なものも逸脱していたのかもしれませんね。
よくあることだと切り捨ててしまえば簡単ですが、自身が公務員であることを考慮するならば、そんな考え方に辿り着いてしまったいることに危機感を覚えた方が良さそうです。悲しい話ですね。
個人としての対応であれば問題とみなされないことでも、組織として動いていた場合、個人ではなくなってしまった場合、私たちには公務員としての義務が課せられ、公務員としてのルールが適用される。その1つとして、そつなく仕事をこなしていくことは求められるし、残業をして無駄な経費を発生させないこと、つまりはお役所仕事でいるのを求められる。
だから、今のこの状態というのは、公務員としては一人の案件に時間と、経費を使い過ぎていることになる。更にはこの案件に関しては既に解決も進行も不可能な状態であり、完結させることが求められるでしょう。早く手を引けと、相談者でもない関係者に会うために経費を消費するなと、私の行動を制限されたとしてもなんら不思議はない。
関係者が自殺してしまっている状態で、下手な動き方をすればマスコミにかぎつけられてしまう可能性もある。そうなれば、今回の相談内容が変な形で世間に伝わることになり、クレームからバッシングへとつながってしまう。そうなれば市役所の電話が意味を成さなくなる程度に鳴り響き、業務が全ての業務が止められてしまったとしても不思議ではなくなる。
もっとも、こういったリスクに関してはプロのカウンセラーが間に挟まってしまうことでも起きるので、話さないほうが良い内容について注意を促す目的もある。
同じ学校の生徒が自殺すれば今の世の中、全校生徒へのカウンセリングが行われても不思議ではなく、この案件に関しても既にカウンセラーが派遣されることが、部署内でも情報程度には出回っている。そうなってしまえば、窓口の担当者として会うことは出来なくなるし、個人で会っていた場合は面倒な事態になってしまう。こそこそとやるのは、後ろ暗いことがあるからで、自殺した生徒に何か関係があるのではなんて、疑われた時に対応しなければいけないのは憂鬱でしかない。
「僕、この後はどうすればいいんでしょうか? 美代は既にいません。でも、吉田さんは僕の傍にいます」
どうすれば、ですか。んー、難しいですよね。アドバイスを求められているのは分かりますが、答えることは出来ないんですよね。私は役所の人間でしかありませんし、ついでに恋愛経験もありません。つまり、三角関係になった経験もなければ、身近にそんな状況になった人もいないんですよ。だから、判断を仰ぐような質問にはお答え出来ないんですよね。
「そこについては、私達が何かを言える立場にはいません。そのまま吉田さんと付き合って、寂しさを埋めても良いでしょう。鈴木さんというつながりがなくなった以上、別れ話を持ち出すのも自由です」
これもまた、酷な話でしょう。そう頭では理解しているけれど、この言葉以外を私は発することが出来ない。アドバイスをするにしても、具体的な内容を指示したとなると困るんです。そこを分かってもらえると楽なんですけどね。なんで、他人の悩みで私が凹まなければいけないんですか?
ロクに友人すらいない私が、恋愛に関するアドバイスなんて出来るわけないでしょ? こういった時こそ、梅原さんが口を挟んでくれれば嬉しいんですけど、まだ求めるには早いでしょうね。
「これは個人的な感想でしかありませんが、どちらを選んだとしてもイバラの道になることに、変わりはないと思います。だから、他の道を探すというのも、3つ目の選択肢として覚えておいて欲しいです」
流石に、何もアドバイスをしないというのは後味が悪いので、この程度なら許されるでしょう。
「そうですか。ただ、美代を失ったとことで、吉田さんも落ち込んでいて。このまま放っておくというのは、ちょっと可哀そうかなって」
今回の騒動の発端ともいえる吉田さん。鈴木さんという彼女を失った上で心配しているのは、本当に彼女の心だけだろうか? 邪推するのがよくないとは分かっている。詳しく話す必要はないと、私のほうからさえぎったのだから、何があったのかは想像しか出来ない。
けれど、最初に私が言った内容に近いことがあったとしたら? それを鈴木さんが知ってしまい、ショックを受けての自殺だったとしたら? 佐藤君は気付ける立場にいたのに、その両方を知ることが出来た唯一の立場にいたはずなのに。彼は何もしなかったということになるのだろうか?
高校生は、まだ子供だ。そんなふうに決め付けてしまうのは、よくないことで、私達は認識を改めなければいけないのだとしたら? 子供の時間は終わり、既に大人になっているのだとしたら? 情事のもつれの結果、感情のままに動いてしまったのだとしたら?
今回の案件、そして事件はけして軽い恋愛相談などではなく、婚姻関係がないからこそ浮気と取ることも出来ないのだとしたら、私達全員の認識が甘かったという他ない。言葉としてこちらに伝えられているものを、そのまま信じてしまったのは私の責任だ。
ただ、この期に及んで何も分かっていないという可能性も捨てきれない。吉田さんの認識が、共通の彼氏を持っている親友という、ただそれだけの認識だった場合、彼女は友達の死を単純に悲しんでいるだけなのでしょう。少し前に揉めたのも、順番を決める、優先度を決める程度の話で、彼女には鈴木さんが命を絶ってしまった理由も、自分が大いに関わっていることも、理解出来ていない可能性がある。
その場合、現段階で吉田さんに別れを告げた場合、鈴木さんの自殺には佐藤君が関わっており、親友に浮気をしていたのが原因だ、気まずくなったから吉田さんを振ることで全てをリセットしようとしたと、そんな噂が流れる可能性がある。仮に、吉田さん自身に佐藤君を攻めるつもりがなかったとしても、うっかり誰かに話してしまえば噂なんてすぐに広がってしまう。広がってしまったものは制御出来ない情報源として、尾ひれがついたかのように泳ぎ始めてしまう。みんなに認識される為に、派手に泳ぎ回ることでしょう。学校という特殊な閉鎖空間は、社会のルールとはまた違ったものの上に成り立っている。だから、気をつけておかないと、どこに敵を作ってしまうことになるかが分からない。私達が変に口を出したせいで、佐藤君が必要のない苦労を背負ってしまう可能性はけして低いものではないでしょう。
ただ、心を軽くする為には外に原因を求めていくほうが楽で。もしも佐藤君がリスクを把握しないまま、吉田さんに非があると考えているのなら、どこかのタイミングで漏らしてしまうかもしれない。君がいたから、君の勘違いがあったから、鈴木さんは苦しんだと口に出してしまった途端に、別れを告げる以上のリスクとなって、その身に降りかかることになるでしょう。
もちろん、全てにおいて最終的な責任は佐藤君に帰ってきてしまうから、少々のアレンジを加えたところで耐えてもらうより他はない。ここで変に騒ぎ立て、吉田さんを責めるのは得策とは言えないでしょう。近くにいれば納得できないこともあるでしょうし、鈴木さんがつないだ縁と考えると、縁を切るのも難しいでしょう。どうしても、辛い道になりますね。
「佐藤君、可哀想だと関係を続けるのは君の自由です。けれど、全ては君の責任で行うことになります。まだ高校生で、責任を取るということについて難しく考える必要はありませんが、自分が動いたことによって生じたものは、プラスもマイナスも、そして結果に至るまでが全てあなたのものになります。それだけ覚えていて下さい」
「なんだか、難しい話ですね。僕はただ、仲直りして欲しいだけだったのに」
仲直りですか。彼氏の立場として、彼女が友達と仲たがいしている状態は、心地良いものではなかったのでしょう。その気持ちが分からないとは言いません、ただ願っているだけでは、現実は変わりませんよ。
「前にお話したはずです。結果を先取りした形になっている場合、何もしなければ正しい対応が出来なければ、今を失うことになると」
願いの大小に関わらず、そこに至るまでの過程には必ず苦労が存在する。手にしようとするのなら、努力する。
ただ、人間という生き物は甘いから、既に手にしているものに対しては努力を怠ってしまうことが多々ある。その行為について、サボリだと非難するつもりはないけれど、努力を怠ってしまったことによる結果は甘んじて受け入れてもらうしかないよね。何かが欲しい時に努力をするのは普通のことのように言われるのに、現状維持の為の努力を省みてもらえないのは、どうしてなんでしょう?
個人的には世の中の不思議の1つなんですよね。
「そうですか。だから、僕はダメだったのかもしれませんね。新しいものばかり、先のことばかり見ようとして、今を見れていないんですね」
「それが悪いことだとは言いません。単純な話です、結果に納得いかないのなら頑張るしかないというだけですよ」
学生だからと、高校生だからと、子供だからと、彼等から何かを奪うようなことをしてはいけない。無理矢理押し付けるような形を取るつもりはないけれど、大事に守られていた環境から、突然厳しい世界に投げ込まれても困りますよね。バランスよく厳しさを与えてもらえるのならいいかもしれないけれど、そう上手くはいかないから。今の世の中は犠牲の上に成り立つようになっている。
社会人となれば嫌でも体験すること。大学生くらいになれば、高校生でも気付いている子なら、そのルールを知っているけれど、知らない人は知らないから。唐突に現実を押し付けても、厳しい部分だけを見せても、受け入れるのは難しいのかもしれない。
「吉田さんとの関係、しっかりと悩んで下さい。そこについて悩めるのは、佐藤君だけですから。自分の答えを、努力して見つけて下さい」
私に言えるのは現実はこの程度でしかなく、私が示せる優しさもこの程度でしかない。鈴木さんの名前を口にしなかったのは、最低限の優しさ。吉田さんとの関係を口にしたのは、厳しさ。水先案内人とまではいかないけれど、しておくべき心構えを軽くは伝えられる。
彼は失敗したのかもしれない。それは犠牲の上にしか成り立たず、取り戻せるものではないのでしょう。
けれど、今回の案件が引き起こしている結果は、彼だけの失敗が原因ではない。私も失敗した、吉田さんも失敗した。もちろん、鈴木さんも失敗している。みんなが失敗した結果として、今日のこの場がある。
「僕に、答えが出せるんでしょうか?」
「分かりません。答えを出さないという、結論もありますからね。単純に見えることさえも、複雑に何かが絡んでいる可能性がある。その結果しか見ないから、単純に見えるのだと。知るだけでも全然違うでしょうね」
この先、彼が何を求めて成長していくのか、それともその場に留まろうとするのか、それは分かりません。想像することも出来ず、予測することすら出来ません。ただ、今のままではいられませんよ? 頑張って下さい。
「さて、あまり長い時間になっても迷惑でしょうし、ここら辺で終わりましょうか。時間は有限ですから、大切にしましょう」
あまり遅くなってしまうと、室長から電話がかかってくる可能性がある。最後になる今日の話の場だって、まったく問題がない状態で実現したものではない。佐藤君が希望してくれて、その上で許可を取りに行った感じだから。残業が発生するような時間まで話をしていたとなれば、室長が非難を受けることになるだろう。そうなってしまえば、次の案件で同じように話を伺いに出るのが難しくなってしまう。
今の仕事は私なりにやりがいというものを見つけられているし、ここにしか居場所がないと思っている。だから、この仕事がやりづらくなるのは、個人的に困るの。冷たいかもしれないけれど、お役所仕事だと思って諦めてもらうしかない。
「……分かりました。僕に何が出来るのか分かりませんが、吉田さんと話をしてみます」
「ええ。それから、2人で悩んでみて下さい。答えが見つかるといいですね」
彼が納得してくれたのか、それとも諦めただけなのか、真意は分からない。どんなことを考え、どんなふうに感じたのかも分からない。
けれど、前に進むことを決めてくれたのなら、ここで話した内容も今までの行動も、全てが無駄になるようなことはないでしょう。遠回りをするかもしれませんが、佐藤君だけの答えが見つかることを祈っていますよ。
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