第6話 瑠璃色はかく語る

「梅原さん、人間というのはどうすれば信じ合えるんでしょうか?」

 コーヒーを片手に休憩タイム。時刻は午前10時を回ったところで、街はこれからさらに賑やかになっていく時間帯。いつものように何人かの相談者をさばき、案件として処理し終わった私達は休憩所へと足を運んでいた。まぁ、足を運ぶとはいっても些細な距離でしかなく、ここにいても鳴り響く着信音は聞こえてくるものだから、市役所というのは意外と忙しい場所だと教えられてしまう。

 あの日、吉田さんの案件について情報を得るために私達は、鈴木さんと佐藤君に喫茶店で出会った。そこで喋った内容、聞いた内容を詳しく覚えているわけではありませんが、鈴木さんの表情は今も私の心の中に残っています。

 まぁ、そう感じるのはあれ以降飛んでくるようになった、彼女からの相談メールを読んでいるからだと思うけれど、それにしても私にしては中々珍しいことですね。誰かとの関係を仕事の時間以外も続けているだなんて、我ながら何を考えているのか分からなくなります。

「逆に、天野さんはこの人なら信じてみようって思えたこと、ないんですか?」

「あら? 梅原さん、質問を質問で返すのは良くないですよ? 考えがまとまっていないのなら待ちますよ。似合わない行動は慎んで下さい」

 心理学や交渉術。そんなふうに呼ばれている、人間の内面についての学問を取得しようとする行動は、この仕事に必要とされます。持ち込まれた相談事を、大きくならないようになだめながら、可能な限り当人たちの手で解決してもらう。我々の役割は基本的には話を聞いているだけで良くて、相手の話の内容に同調し、大変でしたねと同情していればほとんどのものが解決してしまう。

 ありえないと世間様からは言われてしまいそうだけれど、この世の中には愚痴をこぼしてしまえばすっきりする人は、沢山います。愚痴を口に出すことでため込んでいたものを放出し、そこに愚痴を聞かせてしまったという、程よい感じの罪悪感が流れ込んでくる。そうなれば、相手が話の本質を聞いてくれていないくても、ただ同調して相槌とともに話を聞いているだけだとしても、勝手に満足してくれる。そこには信頼関係なんてないので、大切な情報を全て開示してしまわないように、気を払ってくれる相談者も多い。重く受け止めさえしなければ、このケースは楽に過ごせます。

「そういうつもりではなかったんですけど、申し訳ありませんでした」

 梅原さんの場合、相手から信頼を得るということに対して、結構有利な立ち位置にいるはず。丁寧な口調に、真っ直ぐ前を見ている視線、困った時にごまかそうとせず、まるで子供を相手にしているような、その白さを汚してはいけないという、無言の圧力が自分の中に生まれてしまう。誠実さ、愚直さ。その2つくらいしか私は言葉を知らないけれど、相手のことを信じられるかどうか考える時に、大切だと思われる要素が2つも揃っているから。これを武器と言わずして、どう表現すればいいんでしょうね。

 梅原さん自身がその状態を利用してまで、誰かに取り入ろうとしているのかどうか、私には分かりません。彼自身の目標が、ここから移動すること程度にしか分かっていないから、早急な判断を避けておきたいのが本音。分からないというのを放置するのも、対人関係では必要だったりします。誰かが勘違いしてくれている状況を利用することはあっても、自分が勘違いしている状況を利用するのは難しいから。分かったつもりになって、相手のことを知っているものとして扱うのはリスクを伴うので避けなければいけない。

 私の過去にはそれによる失敗例が存在します。だから、短い時間しか関わりのない相手に、心を許すようなことがあってはならない。信用したいという自分の弱さに負けると、大参事が待っている。楽な道を選べば、それだけ破滅に歩み寄ることになってしまう。

「人が信じ合うには、どうすればいいかというお話でしたよね?」

「若干ニュアンスは違いますが、その回答でも構いませんよ」

 どうすれば信じ合えるのかと問うのなら、結果を求めていることになります。信じ合うにはどうすればいいかと問うのなら、過程を求めているのでしょう。前者は法則的なものを求めているから、誰にでも可能な確定されている手法を求め。後者についてなら、自分のやるべきことを探しているから、誰でも出来ることではなくなってしまう。

 改善策を求めているという意味合いでは同じであり、基本的にプラスとなる回答を求めているのも同じ。けれど、その場で求められているものがブレていることに、梅原さんはどの程度気づいているのでしょうか? こういった差異に気付けるようになれば、心理学や交渉術といったものは面白くなってくるのかもしれないですよ。

 ただ、体勢のない人には厳しいものです。大半の場合は源泉のようにとめどなくあふれてくる、人間の黒い感情を覗き見てしまい、嫌気がさすもの。梅原さんは、どんな道を選ぶのでしょう?

「僕が思うには、まず相手のことを信じようとするところがスタート時点だと思います。信じて欲しいのなら、こちらから信じに行く必要があるんじゃないでしょうか?」

「自ら歩み寄る、そんな考え方もあるんですね。ただ、それだと損していませんか?」

「どうでしょうか。その場限りを見るのなら損をしているように見えるかもしれませんが、先のことを見据えれば得も多いと思いますよ? 信じてくれている相手というのは、疑い辛くなりますから」

 それは一理ありますね。人間同士の会話というのは、どうしても感情のやり取りになってしまうことが多いので。ビジネスの話しかしない特殊な関係でないのなら、いやビジネスの話をしている時でさえですね。感情というのは、捨て去ることの出来ない要素として存在しています。その上で、相手から信頼というものが送られてきているとしたら、梅原さんの言うとおり、信じてくれている相手に対して、懐疑の目を向けるのをためらってしまうものですね。それを意図的に出来るのだとすれば、その人は交渉術に優れているか、心理学に通じていると言えるでしょう。ただ、それだからこそ実際に演じるのは難しい。裏表のある性格でないと、壊れしまうのではないでしょうか?

「これは、ちょっとズルい方法かもしれませんけれど。どんな相手でも信じると心に決めてしまった人は、精神的に非常に強いところにいると僕は思いますよ。疑うという行動は、体力を消耗します。そしてマイナスの行動となるので、自分自身の心にも負荷がかかりますから」

 マイナスの行動、感情を蓄積していくと、それが疲労につながってしまい、こちらが先にやられてしまう。肉体の疲れとは違うので、精神的な疲労というものは中々取り除くことが出来ないから。目に見えるものでもなく、自分にしか感知出来ないややこしいものだから、嫌う人も多いですね。その上で、更に信頼を向けられたりしたら。まぁ、自分の主張を丸めてでも相手を受け入れたら方が楽だと感じるかもしれませんね。

「それをズルいと感じられるのは、自覚出来るからでしょうね。ただ、相手を信頼するというのがプラスの行動として出ているので、相殺されて心が重くなることもないのでしょう。梅原さんは意外と策士ですね」

「いえ、僕もそう出来たらいいなと理想論で語っているだけですよ。実際に出来るようになるとしたら、20年先とかになると思いますね」

 あら、梅原さんみたいな性格ですら20年も見積もっているんですか? いや、それとも、よろしくない性格をしている人間の方が、早くモノに出来るのかもしれませんね。相手の感情や自分の感情というものを考えないようにして、自らにもたらされる筈の利益のみを考えれば、けして悪い話ではないはずです。そういった計算が得意な人間ほど、早く身に着けようとするんでしょうね。

 けれど、それは信頼と呼んでいいのでしょうか? 例え身に付いたものだったとしても、信じ合える関係になるのは難しいんじゃないでしょうか? こちら側は、あくまで信じたふりをしているだけで、実際のところは相手のことなんて信じていない。それでは、私がたずねている関係には程遠いよ。

「難しいも話ですね。梅原さんのように、誠実さを売りにしている人なら、答えを知っていると思ったのですが」

 私は性格が歪んでしまっているから、正しい形ではたどり着けない。私が欲しいと、手を伸ばし求めている答えにたどり着ける可能性はゼロに等しい。それでは意味がないのに、そういったことを理解する為にここにいるはずなんですけどね。梅原さんですら20年も先を見ているだなんて、ちょっとショックですよ? 私はどれだけの時間をかければ良いんでしょうか?

「それにしても、唐突にどうされたんですか? 天野さんが意味のなさそうな質問をするとは思えないんですが」

「梅原さんは、私が雑談も出来ないような、どこにも面白みのない人間だと言いたいんですか? 事実かもしれませんが、言うべき相手は見誤らないようにして下さいね」

 まったく、事実だとしても失礼な話だよ。私だってたまには意味のない会話、会話することに意味を見出してみたい時だってあるんだよ。そういった自由までは奪わないで欲しいです。

「事実として、この質問にだって意味がない訳ではありませんよ。私が探しているものがあってね、そのヒントになるんじゃないかと思っただけですね」

 私の探し物。私の理解出来なかった、理解出来ていないものそこへたどり着く為のヒントに、手がかりになるかもしれない。そう思ったから口にしたし、言葉という形で伝えた。結果的にはハズレたけれど、最初から期待はしていないから問題もない。

 どちらかといえば私の話のニュアンスで、梅原さんが気付いてしまったことの方が考慮すべきこと。なんとも言えない、難しい顔でこちらを見ている。まったく、梅原さんは自分の正義について、真っ直ぐですね。それ自体は、悪いことではないけれど。あまり重く捕らえ過ぎると、自分の心が先に潰れてしまうから注意した方がいい。

「……何を探しているのか、聞いても大丈夫ですか?」

「そうですね。まぁ、調べれば分かることですから。私の家族は昔、詐欺師にカモにされちゃって。両親が自殺しているんですよ」

 あの時の出来事は、私の中に大きな傷跡として残っている。そこについては、誤魔化しようがないし、それが私の歪んでしまった原因の一端になっているのは理解しているから。ここについては、誤魔化したところで意味もない。

「当時の私はね、ただ親切な叔父さんだと思っていたんですけどね。何度か遊んでもらったこともあるし、お父さんの友達で気のいいおじさんだとしか思えなかった」

 重たい話というのは、途中で慰めたくなったり、無理しなくていいと止めてしまいがちだけど。そんなことをされてしまったら、話している側が消化不良になってしまう。掘り起こしたくないものを口にしているというのに、感情がこもり始めているというのに、それを無理矢理口をふさぐようなことをされてしまえば、内部に熱が残ってしまう。消えないまま、くすぶってしまう。

 そんなことをするくらいなら吐き出させてくれと、聞いたんだから責任をもって、最後まで話させてくれよと思う。

「でもね、彼はただお金の為だけに近付いてきたんだよ。お金があるように見えたんだろうね、時間をかけてじわじわと侵略されていった。彼に対する警戒心は薄れ、内部へと入り込まれてしまったの。その結果としてウチは殆どのものを食いつぶされ、借金を負わされる形になっていました」

 信頼を勝ち得ると彼の態度は急変した。私達家族に対して、お願い事をすることが多くなり、今までよりも頻繁に、それこそ毎日のようにうちへと遊びに来るようになっていた。時々、お父さんは嫌そうな顔をしていたけれど、私にはそれがいまいち理解出来なくて、どうするべきかが分からなかった。

「ついでに借金の連帯保証人になっていたから、お金がなくなってしまったんですよ。住む所すらなくなるから、あなたは叔父さんの家に行っていなさいと、半ば追い出されるようにして私は家を出ることになって。その晩に両親は二人そろって首を吊りました。保険金があれば、借金の返済も出来るだろうって考えたみたいです」

 実際のところ、保険金目的で自殺をしている場合、保険金が支払われることは殆どない。うちの両親はそこらへんに疎かったため、自分達の命を投げ出したのに、意味のないものとなってしまった。娘としては、悲しい限りですよ。

「今になって考えてみれば、お父さんは恥ずかしかったのかもしれませんね。ずっと友人だと思って親しくしてきた相手は、自分のことなんてなんとも思っていなくて、最終的にお金を取り立てにくるだなんて、考えることなんて出来なかったんでしょう。まぁ、私が同じことをやられたとして、対応出来ていたかと問われれば、同じようにだまされることになったんでしょうね」

 人が良かった両親は、騙されて全てを奪われた。そこにあったのは、ただ人を信じたが為にもたらされた最悪と呼ぶべき結果のみ。私を外に出してくれたのは最後の優しさだったのかもしれないけれど、それなら警察に頼ったり弁護士に頼ったりと、用意されている手段を試してからにして欲しかった。まだ、やれることはあったはず。

「どなたかに相談されたような感じはありませんでしたか?」

「ありませんでしたね。それに、向こうはプロですよ。素人には分からないようにシナリオが組まれていて、飲み込まれてしまったら相談に行くのも難しい状態に陥ってしまうんでしょうね。加えて、荒事に関してもプロだから。何かあるかもしれないという恐怖心は、足を縫いとめるには十分ですよ」

 相手のことを絡み取るような行動をとり、徐々に追い詰めていく。気付かれたとしても手を抜くことなく、相手が逃げられるような状態は残さない。相手が苦しんでいようとも、相手が泣き出そうとも、一切手を緩めることなく、機械的に進めていく。それによって、相手の精神的な耐久度が削れていくのを知っているから。組み上げられたシナリオ通りに、ことを運べばそれでいい。途中で多少の変更が入ったとしても、大筋がズレるようなことはないのだから。

 やられている方としては、たまったものではないけれど、効果があるのだから、相手から取れるものがなくなるまで止めたりはしない。

「そこに加えて、ウチの両親は知識がないのに遺書を書いてしまった。財産は私にすべて譲るなんて、最悪なものを残していってしまったんですよ」

 遺書に書かれていた短い内容は、謝罪の言葉と財産の分配先。そして、同じ封筒には、養子縁組に関する、申請用紙が記入済みの状態で封入されていた。空白の欄は、伯父さんの署名と捺印だけ。

 それが現場から回収され、私や伯父さんに手渡されたのは、事件発生から約一か月後。それまでの日々は、伯父さんが一番そわそわしながら過ごしていたのだろう。伯父さんは市の職員でしかなく、警察の関係者ではないから。私に法律のことを教えたり、遺産放棄のために必要な書類を整えながら、傍にいてくれた。

「事件のあと、伯父さんは相続関係を全て整えて、建物と土地の処分もしてくれた。そのまま私を養女として育ててくれて、教育も施してくれて、職業の斡旋までしてくれた。それが、この相談窓口です」

 親切なおじさんだと思っていた相手が詐欺師で、その人のせいで両親が自殺してしまい、私は家族を失った。それと同時に伯父さんと同居することになり、自分の生活環境が変わり過ぎてしまった。その状況に負けることなく、心を強く持って学校に通えていれば、今のようにゆがむことはなかったんだろうけれど、そうはいかなかった。

「その頃から、私は学校に行けなくなってしまい、人を疑わずにはいられなくなりました。周りにいるみんなが、親しい人が疑わしくて、仲良くしてこようとする友達が信じられなくて、延ばされた手を全て払いのけて。今思えば勿体無いことをしましたね」

 仲良くしようと話しかけてくれる友人は、いつか私を裏切る。裏切られれば、また私は全てを疑うことになり、おじさんにまで迷惑をかけてしまうから。何度も、何度でも、終わりのない負のスパイラルに陥っていく自分しか、見えませんでした。友人の笑顔には、必ず裏があると。そのままの意味で受け取れば、必ず痛い目にあうのだと。そういった、悲しい受け取り方しか出来なくなりました。他にも、街中で出会った人に親切にされても、お礼すら言えなくなった。その親切心の裏に隠れているものは何だろうと、どんな黒い感情が存在しているのだろうと、考えてしまう。そこにおびえてしまうから、先へ進めない。

「そのおかげで、私は一気に可哀想な子扱いにされて、友達は見事なまでに全員失うことになりました。伯父さんの家に引きこもって、勉強をすることで日々を過ごし、時間だけがどんどんと過ぎていきました。何かをしていなければ不安で仕方がないのに、誰かにその姿を見られるのは耐え難い屈辱、叔父さんと会う時にさえ怯えたこともありましたよ、。大量に揃えられた法律関係の本。それをただ目的もなく、覚える為だけに読み漁りましたよ。それにより、私自身の絶対的な知識量はあがりましたが、引篭もる癖がついてしまって困ったものですよ」

 外出すると、どうしても人と関わらなければいけない。そこにある感情、そこにある思い、その全てを悪意に感じてしまい歩くことさえままならない。相手の言葉、視線を受け流すことが出来ず、素直に受け取ることも不可能。どうやって私を騙そうとしているのか、何を隠しているのかを探ろうとしてしまい疲れる。どれだけ頑張っても、相手を疑いの目で見てしまうクセを直せない。

「そんな状態だったのに、よく市の職員になれましたね」

「そうですね。伯父さんも結構思い切ったことをしたと思います。私に高校卒業認定を取らせて、そのまま臨時職員採用試験に挑戦させて、公務員の採用試験を受けさせたんですから。その間に、私がやっていたのは読書と勉強、レンタル屋にお世話になっての映画鑑賞ですね」

 思いつめる時間がなくなるようにと、おじさんなりの配慮だったと思うけれど、これが良く利きました。やるべきことを決めた私は、他のことに目をやるような余裕がなくなり、目の前に用意される課題を解き続けることで、悩む時間を失った。どちらにしても、興味がある程度のものについては諦めることを覚え、目の前にあることをまずは片づけなければいけないと覚えさせられた。

「やることさえあれば、私はそれに取り組むことで時間を経過させることが出来ました。時間が経過すれば、耐えられそうになかった悲しみにも、成長した自分が向き合うことが出来るようになります。ただ悲しむのではなく、どうやって乗り越えるべきか考えるだけの余裕を持てます」

 忙しい世の中、無駄に時間を過ごすことは悪のように扱われるけれど、過ぎてゆく時間の中で得られるものだって、ちゃんと存在している。記憶を風化させていくことで、日常の中に溶け込ませることによって、少しずつ片付けていけば手際が悪くても、自分の中での整理が付いてきます。整理さえしてしまえば、また心に余裕が出来て受け入れられるようになるから、繰り返していけばいつかは立ち直れる。事実として、私は問題を抱えながらも社会へと復帰していますよ。

「そして、立ち直れた先で気になったのは、どうすれば彼らに騙されない強い心を持てるのか、仮に今騙されている人がいたとして、どうすれば抜け出せるのかということ。詐欺は直接的な被害以上に、人間関係に悪影響を及ぼすものですからね」

 他人なんか信用しなければよかった、私は1人でも生きていける。そんなふうに思わなくて済むようにしてあげられるのなら、どれほどに良いことだろう? 別に善人ぶるつもりはないけれど、誰かの手助けが出来たのであれば私自身が立ち直った証拠にもなるだろうし、世の中の役に立つから悩む必要はなかった。自分が抱えている闇以上のものがこないのであれば、相談されたところで傷を負う心配はないし、仮に重たい話が来たとしても、心の整理整頓を繰り返していけばいつかは乗り越えられる程度の問題へと変えていける。私の中へ受け入れたとしても、それは私の負荷にはなりえない。

「それで、人間が信じあるのには何が必要かなんて、質問したんですか?」

「はい。私はまだ人を信じきれないし、友達を作ることに躊躇いがあります。そういったところは、人生の先輩である梅原さんの方が経験済みかなと思いまして」

 私が想像も出来ない難題、結婚を通過している梅原さん。年齢の差というものは当然存在していますが、現時点で考えれば彼のほうが難しいことを経験済みであり、先輩であることに変わりがない。今回の案件についても、その経験を活かしてくれると助かるのに、経験不足はどうしようもないですね。

「梅原さんは友達以上に難しいであろう、結婚すら経験済みですよね? それなら、信じ合うことについて、一方的ではない信頼について、何か答えを教えてもらえるんじゃないかって、安易に頼りたくなったんですよ」

 人間とは勝手に期待して、勝手に失望する生き物です。誰かを信じていたいという気持ちを相手に押し付けて、結果的に詐欺師の被害にあうことも珍しくはない。自分と同じ程度には相手も信じてくれていると、思い込むのは悪いことです。私が梅原さんにしている質問もそういった悪い癖の1つでしかなく、勝手に相手への信頼を押し付けているもの。だから、せめて回答には期待しないようにしたいんですけどね。答えられない、教えられないと言われても、失望しないようにしたいのですが、中々難しい。

「残念ですが、僕の回答は先ほどので全てですよ。確かに結婚生活を送るにあたって、そこまでズルいことを考えないように気を付けてはいますが、時々顔を出してしまいますからね。妻に対して誠実ではないことをしているなと、自覚はしていますよ」

「人生、上手くいかないことばかりですね」

 答えが出てこないのが分かったなら、この会話に意味はなくなりました。長々と続けていたろころで、休憩時間を浪費してしまうだけで、得るものは何もない。ついでに、梅原さんのプライベートに踏み込むような質問が増えてしまうから、自粛しないとね。信頼関係の薄い私達が、友達のようなのりで会話をしないほうが良いでしょう。仮に、仲良くなれたのならこの続きを聞いてみるのもありかもしれません。

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