第2話 招かれざる空

 吉田小百合さん。市内にある高等学校へと通っている、ふんわりとした感じのお嬢さん。

 私の窓口を訪れた相談者であり、口を開いて恋の悩みについて述べているのが少女。全体的に柔らかそうな雰囲気をかもし出しており、たれ目なことも相まって男の子にモテそうな感じがある。

 そんな彼女の悩みは、彼氏の浮気。浮気相手は自分の親友と言える仲で、信頼している相手とのこと。どうにも、彼氏さんは優し過ぎるところがあるらしく、彼女がいるにも関わらず困っている子を放っておけない優しさを持っているみたい。男女関係なく相談にのっていることがあるみたいで、今回もその一端だろうと、安心してしまったのが問題らしい。自分がしっかりと彼氏を繋ぎ止めていれば、浮気しなかったんじゃないかと後悔しているとのこと。また、親友を信じてはいたいけれど、今のままでは信じ続けることは難しいと。

 まぁ、高校生らしい恋の相談に、スパイスが加わっている感じの相談。私好みではないけれど、これもお仕事だから。諦めて話を聞き、可能な解決策を示していく。まったく、こっちは同じような年齢で働いているのに、恋だの愛だの羨ましくて仕方ない。誰かこの心の荒れを沈めて欲しい。

「それで、吉田さんの望みは彼を説得して、戻ってきてもらいたいということでよろしいですか?」

 人生において初めて出来た恋人。それが初恋かどうかなんてことは知らないけれど、浮気をされたとあっては、彼女の今後の人生への影響は、ゼロとはいえないでしょう。少なくとも、恋愛をする度に、心を痛めてしまうトゲくらいにはなるはずだから。この場で解決して上げられるのなら、アドバイスを渡せるのなら、それに越したことはない。

「いえ、その……彼に戻ってきて欲しいのは本当なんですけど。事実関係を調べてもらったりは出来ませんか? お金なら払いますから」

 戻ってきてもらうのも大切だけど、どういった経緯で今回のようになってしまったのか、知りたいということでしょうか? それとも、自分は浮気だと思っているけれど勘違いで、本当にただ、相談に乗っていただけという可能性があるということなの?

 確かに、こういった相談ごとには良くありがちなこととして、主観だけで話をしてしまい、事実とは全く違った形で相談にきているということもありえる。それを望んでいるのだとしたら、まだまだ冷静だし、この子の相談は少しくらい後に回してしまっても大丈夫なのかしら? 疑って詰め寄る前に、情報を集めようとしている感じがするわね。

 なるほど、今であればそれができるのね。仮に私達が調べていたとしても、修正をかけることも可能だし、何も知らなかったことにも出来る。中々に賢くて、ズルいやりかたね。悪いとは言わないし、恋愛においてそのくらい警戒するのは当然なのかもしれない。けれど、すぐにお金の話をするのは賢いとは言えないわ。そのやり方は、情けない大人か、子供のすることよ? 恋人を手に入れて、人生を横臥している女子高生のやっていいことではないわ。

「探偵の真似事程度なら、私達にも出来るけれど、本格的な調査は難しいですね」

 それでも、相手が相談者であることに加えて珍しい年下となってしまうと、どうしても甘くなってしまう。本来であれば、探偵事務所へ依頼するのが良いと薦めて終わるだけなのに、時々こんなふうに相手をしてしまう。悪い癖だと分かってはいるけれど、私も所詮人間だから、お役所仕事として全てを流すことは出来ない。

「あと、お金必要ありません。ここは、探偵事務所ではなく、市民の相談窓口ですから」

 ここは相談受付窓口でしかない。本格的な調査は出来ず、複雑な状態だと判明したら、専門家に委ねることになるから。けれど、現状レベルであれば、どうにかならないこともない。話を聞いて整理して、解決する方向へ持っていけなくもない。

「ただ、ここは相談受付窓口でしかないので、やれることは限られています。それでもよろしいですか?」

「お姉さんの手に余る時は、どうなるのですか?」

 お姉さんか。お譲ちゃんと呼ばれることには慣れているけれど、年上として見られることは殆どないから。中々新鮮な呼び名。

 もちろん、協力をするのはそれだけが理由ではないし、私も役所の人間である以上、必要以上に動きすぎて、越権行為にならないように気をつけなければいけないんだけど――これくらいならいいでしょう。

「私達の手に負えないと判断した場合、探偵事務所へのご案内という形になると思います」

 私に出来ることは、私がやる。けれど、私に出来ないことは他者に任せるしかない。その線引きを忘れているようでは、公務員は務まらないから。

 下手に話を進めると勘違いされてしまうことがあるけれど、ここは探偵事務所ではないし、斡旋所でもない。警察関係の窓口でなければ、弁護士協会の窓口でもない。市役所にある、市民の相談受付窓口でしかないのだから。専門家へ連絡を入れたりすることはあるけれど、私達がメインとすべきは、話を聞くこと、相談にのること。

 だから、代金として支払われても、発行物やサービスを提供しているわけでもないので、正直困るのよ。お役所仕事だと非難を受けるかもしれないけれど、出来ないものは出来ないし、出来ることが限られている。領分を越えるような仕事については、他の部署、専門的なところが担当することになっている。

「当面、私はどうすれば良いのでしょうか? お姉さん達に、お願い出来ますか?」

「そうですね。もしも、吉田さんの許可をいただけるのなら、ご友人や彼氏さんへお話を聞いてみましょうか? どうなるかという結果については、全く予想が出来ませんが」

 つまりのところ、今の私の提案は越権行為と呼ばれても仕方がない。私は窓口の担当者でしかないのだから、言ってしまえばここに座っていることが仕事。役所外のところへと出向き、謝罪でもないのに話を伺いに行くというのは、正直なところ私の仕事ではない。だから、そのことについて咎められると、大きな問題となってしまう。

 室長に事情を話し、気になることがあるからと言えば数回は可能かもしれないけれど、それで解決するという保証もないから。最終的には中途半端な形で、誰かに引き継ぐことになってしまうかもしれない。

 投げ出すような形になってしまうし、出来ることなら避けたい結末ではあるけれど、現状のままではどの部署へ振ればいいのかという検討が難しいのも事実。もう少しだけなら、室長に許可をもらえば行動出来るでしょう。

「問題はありませんけど、お願いしてもいいんですか?」

 恐る恐るといった感じで、私に確認をしてくる彼女。お金を取られないことが不安なのか、それとも役所の人間がここまで動くことが不思議なのか、あるいは全く別のことを考えているのか。何にしても、全ての案件を画一的にこなしていけるほど、役所のシステムは完璧ではない。人間を相手にしている部署に関しては、ある程度の流動性が認められているから、話を聞きに行くくらいなら問題にはなりませんよ。

「はい、ではこちらで引き受けましょう」

 本来であれば室長の許可を取ってから、手続きを進めるほうが正しい。そうでなければ、何かがあったときに困る上に、揉め事に張ってする可能性だって否定は出来ない。ただ、申請を出して却下されるとは思えないし、配置換えで来る男性の研修を兼ねることが出来るのなら、2人でこの案件に当たることが可能になるでしょう。

「長期の案件という扱いになりますので、連絡先等を記載していただく必要があるのですが、よろしいでしょうか?」

「はい。お話を聞いてもらえるだけでは、ないんですね」

「ええ、役所といえども、それなりには動けますから」

 机の引き出しから取り出すのは、初回の相談のみで解決しそうにない案件について、相談者の情報を書き記すための用紙。内容的には、住民票取得申請書レベルのものでしかないけれど、これがあるのとないのとでは、案件解決のために活動できる幅が大きく変わってくる。なにより正式な手続きを行えば、うちの室長はそれなりに融通を利かせてくれるから、これを提出しておく方がメリットが大きい。

 まぁ、書類不備があった場合ほぼ確実に却下されてしまうから、内容のチェックはしっかりやらないといけないんですけどね。仕事として処理をしたい案件に関しては、問題とならないように、室長が説明できるように、しっかりと書類の準備をしておけば、余程でない限り却下されたことはない。

「こちらに、氏名、ご住所、連絡のつく電話番号をお願いしてもよろしいですか? また、こちらには今回の相談内容を概要程度で構いませんので、ご記載下さい」

 ここから先は、通常の事務作業と同じ。必要な内容をデータベースへ打ち込み、今後の作業に活かしていけるように整えてしまう。こうしておかないと、データの共有が難しくなるし、仕事を引き継ぐ際に手間が増えてしまうので、時間ばかり取られてしまううちの部署の業務は複雑なところはないけれど、情報が命であることに変わりはないのだから、省ける手間は省いてしまわないと、いつまでも確認作業が終わらず、別の仕事にしわ寄せがいくことになり、トラブルの種になりかねない。

 お役所仕事だと、市民の皆様に言われることがあるけれど、私達のほうも面倒だと感じていることがないわけではないのだから、もう少し手間を省けるようなシステムを導入して欲しいところ。そうでないと、このシステム利用を嫌がっている部署が、いつまでも改善されることはないでしょう。

 吉田さんの書く丸い文字を眺めながら、私の意識はパソコンの方へと移って行く。

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