市民の窓でうたた寝を

雨宮由紀

第1話 始まりの日々

 みなさん、市役所などにある市民相談受付窓口というものをご存知でしょうか? あら、ご存じない方もいらっしゃるようですね。それでは、ちょうど良い機会ですし、私のほうから説明させていただきますね。

 こちら、市民相談受付窓口とは、単純に相談窓口と呼ばれることが多く、受付担当として職員が配置されています。受け付けている相談内容としては、税金の話であったり、ちょっとした法律相談、各種手続きについての確認など多岐に渡り、対応させていただいております。もちろん、恋の相談など可愛らしいお話も、大歓迎ですよ。

 さて、今日はどんな相談者さんがいらっしゃるのでしょうか? お悩み事はなんでしょうか?

 私達は、お話を聞くところから関係が始まります。その為の一歩を踏み出していただかなくてはならないのは、非常に心苦しいことですが、その勇気を持って相談に来てください。一人で悩む必要はありませんよ、ここにはあなたの相談を聞くために、私達がいます。一緒に悩み、一緒に考え、一緒に答えを見つけていきましょう。

 

 

 

「――室長、これは帰ってもいいですよね?」

「いいわけないだろ? 君を雇用していることを、これほどまでに有効活用出来たことがあっただろうか? その事実を考えてくれたまえ」

 目の前に置かれているモニターで流される映像。それは市役所の仕事を知ってもらうために、いくつかの部署から応募されたコマーシャルの内、めでたくもテレビで放映される権利を獲得したものだ。仕事内容が分かりにくいという部署ほど、優先度は高かったみたいだけれど、どうしてウチが採用されているの?

 そこに映っているのは、モニターの外にいる私とは正反対で、笑顔に溢れる明るい感じの少女。若干化粧をしているのが気にならないこともないけれど、ナチュラルメイクにしか見えない以上、激しく突っ込まれることもないだろう。見慣れた窓口の前を忙しそうに動き回り、時には回転まで加えながら相談窓口の仕事を伝えていく。普段の口調や暗めの表情からは大きく外れているため、個人を特定される心配も低いように感じる。

 なるほど、確かに他の部署の作っていたお堅いものや、ただ資料を流しているような映像に比べれば、見栄えもよく視聴者受けするのかもしれない。ある程度なら楽しく見ることも出来るし、テレビで流れたからといってクレームが来ることがない程度に、明るさも抑えられている。

 ただ、個人的には問題がないわけではない。大きく、そして譲るわけにはいかない問題が、この映像には含まれている。

「私、これは没案になると聞いていたんですが? ほぼ流れる可能性はないだろうって言われたから、仕事として受けたんですよ?」

「そうだったかな? 最近はどうにも年をとってな、記憶力が曖昧でいかんな」

 人間、そんなに急に老け込むことはないし、病気でないのなら急激な物忘れというのもないはずだから、室長は誤魔化そうとしているに過ぎない。私からの追及をかわすためだけに年を言い訳にし、自分にとって不利な状況をなかったものにしようとしている。

 まったく、短い付き合いじゃないんですから、その程度で誤魔化せるわけないでしょ? それが分からないほどに、年をとっているようにも見えませんよ。これでも頼りにしているんだから、しっかりして下さい。

「そう、にらまないでくれたまえ。俺としても、他の優秀な部署の作品が、放映されると思っていたんだよ。これは、本当に予定外のことなんだ」

「優秀な部署、ね。確かに、本来であれば、ウチの映像が流れるのは、おかしいですね」

 典型的なまでに後ろ頭をかきながら、誤魔化そうとしている初老の男性。その名を市川信夫といい、私の所属している悩み相談室の室長を勤めている男性だ。昔から何かとお世話になっているから、今回の出演は断れなかったし、意外なほどに協力的なお姉さん達によって、化粧気のない私の顔も大いに化けた。

 それはいい。たまにはコミュニケーションを取るのも必要だし、私だってお化粧に興味がなかったわけではないから、個人的にもプラスは大きかった。だから、そこまではいいの。問題は窓際部署とすら呼ばれるウチ以外にも製作していたはずなのに、もっと分かりやすい業務を抱えている部署も参加していたはずなのに、どうしてあんなものしか作れていなかったのかということ。ウチよりも制作費は支給されていたはずなのに、どこかに消費してしまった結果、私のありえない笑顔がコマーシャルとして流れてしまうという、この現実を引き当ててしまったことよ。普段笑顔になる機会がほとんどないせいで、ぎこちなさがある。どれだけ化粧で誤魔化したとしても、限界がある。

 窓口という性質上、どうしても市民の方、相談ごとを持ち込まれる方と、直接顔を合わせる機会が多いというのに。こんな映像を流されてしまっては、暫くの間は明るい笑顔で対応しなければいけないし、クレームにつながるのはイヤだし、もちろん面倒事に巻き込まれるのもイヤ。

 私が笑顔でなかったからと、窓口担当者の愛想が悪かったと、今まで以上にクレームを入れられるのは、正直なところ困るのよね。面倒を見てくれた叔父さんにも、室長にも迷惑をかけることになってしまうから、避けたい未来なの。

 私は、別に自分が担当者として優秀だとは思っていない。可愛く対応出来るほうでもなければ、笑顔を苦手としていることも理解している。だから、多少のクレームは仕方のないことだと思っているし、年齢的にも窓口に座るには早いと理解はしている。

 ただ、それを理由に室長が攻められるのは我慢出来ない。私のミスなのに、上司だからという理由で室長が怒られるのは納得できない。普通に私を呼び出せばいいのに、今回の件についても、嫌味を言われるのは室長でしょ? 他の部署よりも良いものを作ってしまい、テレビ局に認められたってことで文句を言われるんでしょ?

「そんな顔をしなくていい、君は仕事を問題なくこなした。その結果に文句があるというのなら、それは指示を出した俺が怒られるべきことだ。これが組織というもので、君はその中で生きているんだよ」

 そんなこと分かっている。ここでどれだけワガママを言ったところで室長には届かないし、役所というものの体質が変わることもない。組織であることを、役所であることを利用しているのは、こちらも一緒だから、大きな声で批判することも出来ない。

 やれることといえば、これ以上問題とならないように、可能な範囲で仕事に取り組むこと。強めの意見を出すことはなく、その上で一緒に考えているように見えるように喋り、可能であれば解決する報告へ話を持っていき、実績として残すこと。それくらいしか、ないわ。

 まぁ、もっともウチの部署はその業務内容上、成績なんて曖昧だし、査定に関わるような評価に関しても非常に分かりづらいものとなっている。本来であれば、そこもどうにかしたいけれど、ここで最年少である私に発言権なんてないから、今のままを受け入れるしかないのよね。何より、声を大きくして批判をするよりも、与えられている権限の中で仕事をこなしているほうが、余程評価に繋がってくる。大人しくしている方が、先輩方にも可愛がってもらえるというもの。

 まったく、世の中はどこへいっても面倒くさいことばかりで、理不尽な出来事しか転がっていないのね。そんなところで、笑顔になれというのは、無理難題に等しいとどうして気付いてもらえないのかな。室長も、結構無理ばかり言いますよね。

「別に笑顔で対応しろとは言わないさ。天野君はいつものままでいれば良い。映像には補正をかけると聞いているから、すぐに個人が特定されるようなことはないはずだ。そこは市役所として、職員のプライバシーに関わる話だからね。流石に、補正なしとはならないさ」

「ええ、是非。絶対に私だと分からないように、バッチリお願いしますね」

「予算ない対応となるから、絶対にとはいかないが、やれる範囲で対応するよ」

 作り物の笑顔、違和感のある笑顔。これは、私が笑うことを苦手としているのが大きな問題。この映像に関しても、メイクを上手にしてくれたから笑顔に見えているだけで、自発的に笑顔を浮かべて明るさを振りまいているわけでもないわ。何よりも重要なのは、全てのシーンで私は口パクであり、音声は別の職員が担当しているを忘れてはいけない。予算の都合上の問題で、レンタル出来る機材に限りがあったからなんだけれどね。今になって思えば、放映権を獲得してしまった場合の対策として、室長が仕込んでくれたのかもしれない。まったく、そこらへんを素直に伝えてくれれば良いのに、隠したままにするから、いつまでもお嫁さんが見つからないんですよ?

「ん? 俺の顔に何か付いてるか?」

「一般的な顔のパーツだけですよ。変わったものはありません」

 口に出すのが失礼である以上、聞かれたとしても答えない。それも大人としての対応でしょ? だから、この話はここまでしか広げないし、そろそろ業務開始の準備をしないとね。どうせコマーシャルが流れるのも、今日や明日の話ではないはずだから。暫くの間はいつも通り、のんびりと出来る日が過ぎるはず。

 今の私が気負付けるべきことは、今日これから窓口に訪れるであろう相談者の話を聞く、その為の体制と準備を整えておくこと。

「そうだ、天野君。今日から君の業務にパートナーが付くことになった。他の部署からの異動で年上だが、上手くやって欲しい」

 用事が終わったと判断し、その場を去ろうとした私の足が止まる。異動? パートナー? どうして、突然決まったの?

「それ、初耳ですよ?」

「それはそうだろう。私も初めて伝えたからな」

 どうして、そこで胸を張るんですか。褒めていませんよ? どちらかと言えば、責めているんです。早めに伝えて下さいと、急に言われても困ると、非難しているんですよ?

「まぁ、いいですけど。どの部署からくる、どんな人なんですか?」

 私にとっては当然の質問のはずだ。本来この仕事はペアで対応するのが当然とされており、現状の窓口のメンバーも、そのほとんどがペアを組んで相談を受け付けている。トラブル相談を受ける立場として、多角的な視点を持つことはとても大切。中にはパートナーのいない人もいるけれど、彼らについてはそれなりの事情があるから仕方がないの。

 それと同じように、私には年齢的な壁が存在しているから。本来はありえないと言われる、18歳の職員。仕事は一通りこなせるし、室長がにらみを聞かせてくれているから、同じ部署の人たちにからかわれることはなくなったけれど、他の部署にはまだ私のことを快く思っていない人がいるのも事実なの。

 まったく、コネや縁故で入っている人間が沢山いるというのに、私だけを敵視するのは止めて欲しいわね。この上ないほどに迷惑だし、邪魔をされている時間だけ仕事が止まってしまうわ。どちらにしても、そんな状況だったから私にパートナーが付くことは、後5年はないだろうと思っていたのに、何を考えているんだろう?

「エリートだよ。学歴良し、奥さん良し、仕事も良しだ。ただし、ちょっと真っ直ぐ過ぎるのが目立ってね。今回ウチの部署で一時的に研修を受けてもらうことになったんだ」

「左遷ですか?」

「天野君、もう少し柔らかい表現を身に付けたまえ。今のままでは、無用ないざこざを招くぞ」

 柔らかい言い方? 左遷だから、左遷と言っているだけなのに、そこに柔らかいも硬いもないはずだけど。室長はどんな意味があって、私に注意をしたのでしょう? そもそも、私とそのエリートを組ませることに、何か意味はあるのでしょうか?

「真っ直ぐ過ぎた彼は、元いた部署で疎まれてしまうことがあってね。残念ながら、この窓口に配置換えされたのさ」

「なるほど、配置換えですか。分かりました、経験はありませんが、頑張ってみます」

 左遷の柔らかい言い方は、配置換え。大丈夫です、一度記憶してしまえば暫くの間は忘れませんよ。これでも、そういったことに対する記憶力はいいほうですから、安心して下さい。

「まぁ、天野君はいつも通りでいいよ? 大人としての対応さえしてくれれば、特に求めるものはないから」

 柔らかく笑う室長はいつも通りで、これから大変なことが起こるかもしれない可能性を、考慮しているようには見えない。見えないのに、おそらく考えてはいるのでしょう。そうでなければ、うちの室長なんて勤まるわけがないですから。信用していますからね。

 ただ、その信用が返されてしまった時、室長からの信用が帰ってきた時、私は答えられるだけの人物なのでしょうか? 室長からの信用を得られるだけの、人間なのでしょうか?

「分かりました。いつも通りで、対応させてもらいます」

 止めておこう。

 信用に足りるのだとしても、それを判断するのは室長だし、仮に足りないのだとしたら悲しいだけだから。無駄なことを考える前には、配置換えになる人が来た場合、どのような話を降ればいいのか、そっちを考えておきましょう。

「うむ、それでいい。どちらにしても、今日の終業時間内に来るはずだから、彼が来た時点で呼ぶよ」

「では、私は窓口の準備にかかりますね」

「あぁ、頼んだよ」

 市民の皆様に開放されている、相談受付窓口。ここでの業務は難しいことは何もない。専門的な知識は必要ない。

 我々は法律の専門家ではないし、カウンセラーでもないのだから、ただ話を聞いて改善を促すだけ。我々で厳しそうであれば、警察へ通報したり、弁護士協会へ連絡したり、探偵事務所へ連絡することもある。そんな場所。

 今の私が社会人として働いていける、とてもありがたい場所です。

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