第三十レポート:海の都の調査について②

 観戦していた連中に動揺が奔る。俺は振り下ろしたメイスをゆっくりと持ち上げた。


 水の中、砕け散った石欠が音もなく舞い上がる。床に顔面から突き刺さったヤルマルは動く気配がない。

 後頭部を守るヘルムは一撃で大きく陥没していた。砕けこそしなかったが、致命打だ。まだ死んではいないが時間の問題だろう。


 透明な水に薄っすら朱が交じる。ヘルヤールが眉を顰めていた。


「……何故、殺した……」


 強いものとは真正面から戦わない。当然のことだ。

 ヤルマルはゴーレム・バレーの鋼虎族程強くはなかったが、乱戦の中で現れ防御に徹されたら数分は取られるだろう。

 後顧の憂いは断たねばならない。秩序神の下、俺はあらゆる非道を許されている。


 沈黙すること数秒。ようやく死んだのか存在力が流れ込んでくる。まだ俺のレベルは上がらない。

 恐ろしく訓練されていたヤルマルを見下ろし、吐き捨てるように言う。


「このテイドのジツリョクで、ユウシャとタタカおうなどとは、カタハライタい」


「ッ……こ……このッ!!」


 海竜人の一人が目を大きく見開き、こちらに槍を向けてくる。俺はメイスを振り上げ、そちらに向けた。


「いくらでもクるがヨい、ウミのセンシよ。モクテキとはコトなるが、ジャシンのミナのモト、インドウをワタシてやろう」


 大きくぐるりと見渡し、品定めをする。

 全員殺すのは不可能だ。ベストが無理ならばベターを目指すべきである。相手をするのならば存在力の高い順からだろう。だが、全員連続で来られるとさすがの俺でも辛いものがある。


 その時、ヘルヤールの右隣に控えていた竜人が高い声をあげる。


「お、オモいダしましたッ! グレゴリオ・レギンズ……ヨウチュウイジンブツとしてマワっていたオトコのナです」


「何だと!?」


 あいつまさか噂になっているのか……内通者がいるのか? 消し残った敵がいるのか?

 しかし参ったな……今更だが偽名を使うなら他人の名前ではなく完全な偽名を使うべきだった。偶然で済ませられるだろうか?


 ヘルヤールが杖を握り、立ち上がる。優雅な動作だったが、警戒していることは明らかだった。


「チツジョシンにツカえるキョウカイのセントウインです。アッキのようなツヨさでムスウのヤミのケンゾクをホフった、とか」


「アズ・グリードの信徒……? …………だがこいつは魚人だ」


 訝しげな表情のヘルヤール。告発してきた竜人も俺をぎょろりとした目で見て口を噤む。

 戸惑いが伝わってくるかのようだ。同姓同名の別人だよ。


「海底に教会はない。闇に連なるものもまた、な。魚人が陸上で闇の眷属に勝てるとも――そもそも戦う理由があるとも思えん。何かの間違いだろう」


「し、しかし……」


「大体、こいつのどこが秩序神の信徒だッ! 教会の僧侶プリーストは知っている、連中は奇跡の担い手だが戦闘力は高くないし、魚人ではなれないッ!」


 酷い言われようである。

 怒鳴られた竜人は、しかし退かなかった。悲痛な声でヘルヤールに訴える。


「……も、もしかしたら、ヤミにオとされたのかもしれません」


「……説明したまえ」


 ヘルヤールの言葉に竜人が自信なさげに言う。俺は思わずメイスを止めて聞き入った。


「ス、スイソクですが……ツミをカサねスぎてチツジョシンからミハナされたのではないでしょうか……ヒトのスガタをウバわれ、ギョジンにオとされたのでは……そうカンガえれば、ホカのギョジンをアットウするチカラや、ゾウオにもナットクできます」


 秩序神ってそういうもんじゃねーよ。


「あるいは……ジャシンにミソめられたカノウセイも……」


「力を求め人の姿を捨てた、と? だが魚人だぞ!?」


 本当に酷い言われようである。どうして人の姿を捨てなければいけないのか。俺が何をやったというのだ。

 ヘルヤールが杖を握り、俺を睨む。仲間を殺したにも拘らず捕縛の命令を出さないのは、きっとヘルヤールにとって配下の海竜人の命などどうでもいいからなのだろう。


 否定してもよかったが、誤解されても何ら困ることはなかったので続ける。


「ソウゾウにオマかせしよう。オレは、カミのケイジにシタがうだけだ。そしてまた、オレのタダしさがショウメイされた」


「正しさ……? どういうことだ?」


「ジャシンはユウシャのタマシイをホッしている。オレ、そのテアシにスぎない。ここにキたのはセイカイだろう」


「…………」


 ヘルヤールが考え込むように沈黙する。こちらの目を見ているようだが、頭についている目はただのハリボテである。

 信頼してくれるのならば折を見て後ろから殴り殺す。信頼されないのならば暗殺する。


 だが俺には確信があった。

 魔王クラノスの軍は統制されている。ヘルヤールー自身が邪神の信奉者じゃなかったとしても、多くの闇の眷属がそれに与している。無碍にはされないだろう。

 しばらく沈黙していたが、やがれヘルヤールは鷹揚に頷いた。


「……いいだろう、グレゴリオ。そんなに戦いたいのならば、邪神に捧げたその力、存分に発揮してもらおうではないか」


「!? オウ!?」


「不意とはいえ、グレゴリオはヤルマルを圧倒した。実力に不足はあるまい」


 魔族共は総じて実力主義なところがある。力があれば尊敬され高い地位につける。ある意味人とは真逆だと言えるだろう。

 皆の殺意と興奮が治まったところでメイスを下ろし膝をつく。

 殺す。殺してやる。そのためならばあらゆる不徳を為そう。


 膝をついた俺に、ヘルヤールが壮絶な笑い声をあげた。まるで王のような不遜な声で命令を出してくる。


「ふははははは……グレゴリオ、貴様に勇者討伐の名誉を与えよう。この海王の剣となり、かの忌々しい聖勇者――アレス・クラウンを殺すのだッ!!」


 !?


「…………………………ショ……ショウチした。ジャシンのメイにシタガい、このグレゴリオ、オウのハイカにクワわろう。アレス? クラウン? を、コロせばいいのだな?」


 良かった。偽名を使って本当によかった。確かにこの旅を始めてから何度か名乗ってはいたが、どこから流れたんだろう。

 分厚い魚人アーマーの下で冷や汗をかいている俺にヘルヤールがにやりと笑って言った。


「まぁ待て。一人で戦いに行けと言っているわけではない。奴は未熟なれど神に選ばれた勇者――いわば、貴様の人間版だ。我が軍は無限にして精強。町ごと海に沈めてくれよう」




§ § §



 まったく変な仕事だ、と、ラビは嘆息した。


 ラビは戦闘技術に秀でた斥候スカウトだ。技能の偏りが酷いので暗殺者アサシンなんて呼ぶ者もいる。だからこれまでも変わった任務や危険な任務は数多くこなしてきたが、ここまでおかしな仕事は記憶にない。


 まず多数の名のある傭兵達が死んでいった魔王討伐が目的の時点で特A級の難易度なのだが、まさか率いている雇い主が魚人の格好で敵陣に潜り込むだなんて、誰が信じようか。

 冗談にしか聞こえないし、もしもラビが聞かされたらやはり冗談だと思っていただろう。


 道の向こう、ぎりぎり視認出来る程度のところを勇者の一行が歩いていた。

 水の都レーンは精霊と契約するために訪れる土地だ。普通の傭兵はほとんど訪れず、鎧を着るような者はほとんどいない。顔のととのった女の子を三人連れているということもあり、鎧姿の勇者――藤堂直継はとても目立った。絡む者がいないのは長身でこれみよがしと帯剣したアリアが睨みを効かせているからだろう。


 分厚いフードの下、耳をピクピク動かし音を拾う。風の音や水の音、雑多な生活音に紛れて勇者の声が聞こえてくる。

 ラビの斥候技能はサーニャより遥かに劣る。総合的な身体能力もサーニャにはずっと劣る。

 姉妹弟子であるサーニャには生まれつき才能があった。ラビにはたったひとつしかない。


 だが、尾行くらいなら出来る。


 藤堂は数百メートルをあけてついていくラビに気がつく気配はない。

 その様子はとても無防備に見えた。慣れてはいるが修めてはいない、そんな一挙一動。

 戦いを始めて半年という短い年月を考えれば驚異的だが、勇者の名を背負うにはあまりにも拙い。


 ラビは思う。殺す覚悟がないのだ、と。

 『戦場で殺す覚悟』ではない。『いつ如何なる時でも平然と殺す覚悟』である。人としては歪だが、優れた傭兵ならば誰しもがもつ資質だ。

 それがこの勇者にはない。だからもしも今ラビが襲いかかったら、藤堂は対応するまでワンクッション『戸惑い』という隙が入るだろう。

 もしも藤堂の能力がラビより遥かに上で正面から相対した場合絶対に勝てないようなレベルだったとしても、それだけの隙があればラビならば間違いなく殺せる。そういう隙だ。


 ボスには覚悟があった。ラビははっきりと覚えている、初対面時、品定めをするようなその目。

 平然としていたが隙はなかった。真剣なその目は殺意こそなかったが、魔物を見るかのような色をしていた。

 何も信用していない目だ。今まで見てきた傭兵の中には似たような目をした者もいたが、本来ならば秩序神を奉じる僧侶プリーストが持つようなものではない。


 どれほどの修羅場を潜ってきたのか想像もつかない。


 故に、ラビはサーニャと違い試したりしないし、試されたりもしない。試すまでもないし、ラビは臆病なのだ、試さることなんてあったら泣いてしまうかもしれない。

 何にせよボスが強いのはいいことだ。それは本来ならば任務の達成率に繋がる。


 だが今回はそれでも――仕事の難易度が高すぎるかもしれない。


 ただの魔物の討伐ではなく、自分が頑張ればそれで解決できるわけでもない一番面倒な任務だ。


 藤堂が水路を覗き込む。魚でもいるのか、目を見開き指差している。


 ラビに下された指示は海魔をボスが退治するまで藤堂達を海に近づけないことだ。つまり、邪魔をさせないことだ。

 どうやら邪魔されたことが過去あるらしい。


 ラビは少し考え、声をかけることにした。

 一度山の村で対面しているが、あの時は化粧もしていたし演技もしていた。声だって作っていた。

 怪しまれる可能性もあるが、今後も似たような任務をやるのだったら、面識があったほうがいいだろう。男と話すのは苦手だが、そうも言ってはいられない。


 気配を消したまま数百メートルの距離は小走りで近づき、後ろから勇者に声をかけた。


「気をつけた方が……いいですよ」


「ヒッ!?」


「ッ!?」


 勇者が素っ頓狂な声を上げ、慌てて後ろを振り向く。仲間も気づいていなかったのか、フード姿のラビを振り返り、表情に警戒を浮かべる。

 隙だらけだ。ラビならば一秒で全員の首を飛ばせる。優先順位が一番上なのは一番身体能力の高い亜竜の化身。それ以降は似たようなものだ。


 もちろん、そんなことはしないけれど。


 少しでも落ち着くように低めの声で続ける。

 藤堂は引きつった表情でラビを見ていた。その視線を受け、一瞬違和感を感じたが、すぐにそれを心の奥に押し込める。


 なんでもいい。ラビの仕事は遠ざけることだけだ。


「この辺りにはこの時期……とっても強い、魚人マーマンが出るのです……メイスを武器に、仲間でも構わず殴りつける、そんな血も涙もない恐ろしい魚人マーマンです」


「え!? そ、それって――」


 心当たりがあったのか、そしてその心当たりとの遭遇が余程衝撃的だったのか、藤堂が目を見開き食い入るようにラビを見る。


「理由はわかりませんが例年通りなら後数日でいなくなるはずなのでそれまでは絶対に海に入らない方がいいです。水路に入ってきたことはありませんが、この町に来たばかりのご様子で何も知らなさそうだったので老婆心ながら警告させていただきました」


 すらすらと言葉が口から出てくる。落ち着いた声に、ようやく藤堂の動揺も収まる。

 敵ではないと理解したのか、リミスとアリアの警戒も一段階下がる。


 やはり甘い。甘すぎる。ただでさえ隙だらけなのに警戒まで解いてしまっては、目をつぶっても首を落とせてしまう。


 藤堂が慌てたように礼を言う。じろじろと見られるが、気にはならない。


「え、えっと……ありがとうございます。あ、貴女は――!?」


 ラビは少しだけ考え、それっぽいことを言うことにした。


「失礼しました。私は……旅する魔物研究家のラビです。この町には毎年この時期、魚人の中の魚人、世界最強の魚人と言われる――『アレスマーマン』の研究のため滞在しています。貴方がたは見たところ旅する傭兵――この先、縁があれば出会う機会は何度もあるでしょう。以降お見知りおき下さい」




====あとがき====


本年は大変お世話になりました。

来年もよろしくお願いします。

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