第三部 ゴーレム・バレー

Prologue:されど人は希望を求める

 視界がただただ広かった。


 町の端、切り立った崖の上から見上げるどこまでも広がる蒼穹は藤堂がこれまで見たことがないくらいに大きく、連なる山吹色の峡谷は荘厳で美しい。

 季節はまだ夏だが、標高が高いせいか気温は低い。だが、頰に感じる冷たい空気も風も、どこか精神が洗われるかのような気持ちにさせる。


 ゴーレム・バレー。


 それが、魔導人形ゴーレムが無数に棲息する峡谷地帯にして、ルークス王国でも屈指のレベルアップのフィールドの名前。

 陸路から辿り着ける崖の上に存在する町、その片隅に存在する展望台から見下ろす景色は傭兵の間でも是非とも一度は見てみたいと有名なものだった。


「これが……ゴーレム・バレー……」


「凄い……わね……」


 思わず出た藤堂の感嘆のため息。リミスもまた、風で帽子が飛ばないように頭を押さえながら呟く。


 ゴーレム・バレーはルークス王国の中でも屈指の危険地帯だ。険しい自然は人が集まるのには適していない。

 効率のいいレベルアップリソースである魔導人形ゴーレムや、それから取れる貴重な素材などのリターンは大きいが、そこで安定して狩りを行うには一定以上の実力が必要とされる。

 町に屯するレベルアップ目的の傭兵や魔物狩りのレベルもそれだけ高く、道行く傭兵たちの眼光もどこかヴェールの村にいた傭兵たちよりも鋭いように見えた。

 危険な町なので、傭兵以外の人間の――商人や住人の平均レベルも他の町と比較すると著しく高く、町全体の雰囲気が違う。


 ルークス王国公爵の息女であるリミスも、ゴーレム・バレーに来るのは初めてだった。レベル上げでもなければ来る機会のない土地だ。

 アリアもまた、目を見開きその光景に見入っていた。かつて聞き及んだ内容を思い出し、藤堂に告げる。


「王国の騎士団のメンバーは一定以上のレベルに達すると皆、修行をするためにここを訪れる事になっているのですが……ここの光景が一番記憶に残ると聞いたことがあります」


「そうなのか……確かに凄いね」


 大地の匂いが風に乗って嗅覚を刺激する。強い風に髪が舞い上がり、藤堂はとっさに頭を押さえた。だが、眼は見渡す限り続く峡谷地帯に向けられたままだ。

 いつも無反応なグレシャもまた、その景色にはさすがに思う所があるのか、沈黙したまま、しかしずっと峡谷を見下ろしている。


「スピカにも見せてあげたかったな……」


 藤堂の呟きに、アリアが柔らかな笑みを浮かべ、言った。


「宿を取りましょう。今日はもう遅い。計画も立てる必要があります」


「うん、そうだね。……あ……あの動いているのが『魔導人形ゴーレム』?」


 落下防止の柵により掛かるようにして藤堂が腕を伸ばす。その指の先には豆粒程の茶色の何かが動くのがぎりぎりで見えた。

リミスが呆れたようにため息をつき、藤堂の服の裾を引っ張った。


「さ、わかったからさっさと行くわよ。これから嫌になるくらい戦う事になるだろうから」


「わ、わかったよ……」


 後ろ髪引かれる思いで藤堂は最後に空を見上げ、大きく息を吸った。

 新天地にその身体を慣らすかのように。


 ゴーレム・バレー。

 そこは、古き魔導師の生み出した無数の『魔導人形ゴーレム』と、険しい環境に適応した魔物の棲まう地である。





§






 数年ぶりに訪れたゴーレム・バレーの第一の町ファースト・タウンはしかし、以前訪れた時と何ら変わらない様相を見せていた。


 ゴーレム・バレーは標高千メートルを超える峡谷地帯である。遙か下には流れの激しい、船ですら渡れない川が流れ、それに分断されるように隆起した大地が連なっている。隆起した崖の上部、そしてそれをくり抜くように空いた複雑な洞窟にはその地の名の由来となった魔導人形ゴーレムが無数に活動している。

 そこに入るのに整備された陸路は一本しかなく、ゴーレム・バレーを訪れたものは意図的に避けでもしない限り、まず第一の町にたどり着く事になる。

 その町はレベル上げに訪れる傭兵たちに補給所を提供すると同時に、峡谷に無数に棲息する高度な魔導人形をゴーレム・バレーの外に出さない防波堤に似た役割も持っており、ここを経由せずに峡谷に入るには垂直に近い切り立った崖を登る必要がある。


 峡谷は見渡す限りに広がっているが、そこに存在する魔物のほとんどは魔導人形ゴーレムであり、生き物の数が極端に少ない。道も細い箇所が多く大荷物を持ち込む事が難しく、一度足を踏み外すと千メートル近く下を流れる川まで一直線に落下してしまう、フィールドとしての危険性は屈指といえる。

 ゴーレム・バレーの内部には、レベル上げに挑む者たちが滞在するための小中規模の町が五つほど分散して存在している。レベル上げに訪れた者たちは皆、そのレベル上げの状況に応じて拠点の町を変えるのが通例になっている。


 ゴーレム・バレーに存在する町はそれぞれ町の出来た順番の数字で呼称されるが、第一の町ファースト・タウンは役割が一際重要なこともあり、五つ存在する町の中では最大の規模を誇っていた。

 ゴーレム・バレーで得られた鉱物や素材の類を外に持ち出す商人なども大抵はこの町に滞在しており、人の行き来も最も多い。


 藤堂に遅れる事半日、ファースト・タウンに入った時には既に日が暮れかかっていた。


 崖の上に存在しているため、ピュリフと比べて面積は狭いが、人口密度はその比ではない。

 響き渡る車輪の音に無数の足音。商売のためにこんな辺境くんだりまで来た逞しい行商人に、レベルを上げにやってきた精強な傭兵。ゴーレム研究のためにこの地に居を築いた魔導師たちに、それらに加護を与えるためにこの地の教会に滞在する僧侶プリーストたち。

 標高は高く風は強い。平野に比べて過酷な環境だがそれらの喧騒を見つめていると生命の力強さというものを強く感じさせられる。


 数年前とは言え、ゴーレム・バレーは俺がかつて通り過ぎた町だ。勝手は分かっていた。


 もともと、ゴーレム・バレーは傭兵の間では、一流への登竜門としてよく知られている地でもある。

 ここでのレベル上げは効率的な面で言うと間違いなくトップクラスだが、同時に藤堂たちにとって一つの壁となるだろう。


 細く足場の悪い道に、標高が高い故に薄い空気。レベル上げをするために倒さなくてはならない魔導人形ゴーレムは力強く、俊敏で、頑丈で、数が多く、何より死を恐れない。魔導人形と言っても種類も豊富でそれぞれ対策する事が求められる。

 ゴーレム・バレーで効率よく上げられるレベルは六十前後までだが、この地でレベルを上げる事のできた者はその数値以上の強さを持つとまで言われている。

 藤堂の現在のレベルだとかなり厳しい戦いになると予想されるが、ここを乗り越えられたその時、藤堂は戦人として一つ上のステージに上がっている事だろう。


 藤堂には才能と加護、聖剣がある。だから、俺は藤堂についてはあまり心配していなかった。大墳墓の時のように妙な弱点が発覚しない限り――高所恐怖症だとか言い出さない限りなんとかなるはずだ。

 逆にリミスとアリアについては心配だが――ここでダメならどうせこの先も耐えきれまい。その時はパーティメンバーの交代という事になるだろう。


 ただの孤児だったスピカがグレゴリオに修行を付けてもらいに行っているのだ。お前らも頑張れ、俺に言える事はただそれだけである。グレゴリオの下で修行するよりはここでレベル上げする方がずっと楽だろうし……。


 自らの意志でそれを決めた強いスピカの表情を思い出しながら感慨に浸っていると、教会の方に話を付けに行っていたアメリアが戻ってきた。藍色の眼に同色の髪が強い風に吹かれさらさらと流れている。

 教会との連携は生命線だ。物資の補給に藤堂に対する情報供給。事前にクレイオを通して話はつけてもらっていたが、アメリアが向かったのは『足』としてここまで乗ってきた騎乗蜥蜴をしばらく世話してもらうためと、『新人』に仕事の方法を教えるためである。


「アレスさん、お待たせしました」


 既に話をつけたのは通信で聞いている。だから、俺の興味はそこにはなかった。

 目を凝らしてアメリアの後ろを探す。

 いない。アメリアが連れて行ったはずの『新人』がどこにもいない。アメリアの後ろにも隣にももちろん前にもいない。

 頭がズキリと痛む。額を抑え、アメリアに尋ねた。


「おい……ステファンはどうした?」


「……え?」


 アメリアが慌てて後ろを見る。辺りをきょろきょろと見回す。

 主要な通りなので人通りは多いが、はぐれるような混雑でもない。『普通』ならば。

 ステファンは身長こそ低いが完全な黒の髪はこのあたりで見るようなものではなく、それなりに目立つ。


 いない。どこにもいない。

 アメリアが唇を噛んで、上目遣いで俺を見上げる。


「……ッ……つい先程までは……確かに私についてきていたんですが」

 

「マジかよ……」


「ちゃんとついてくるように行っておいたんですが……」


 なんで前を歩くアメリアに付いていくだけの仕事なのにはぐれるんだよッ!!


「どうしましょう……崖から落ちてる……かもしれません」


「ありえない。展望台を始めとして、町で落下する可能性がある場所には柵が設置されてる。馬鹿でもなければ落ちたりしない」


「アレスさんはステイを知らないんです」


 深刻そうに囁くアメリアの表情を一笑に付す気にはならなかった。

 あああああああああああああああああああああああああああッ!!!


「……探せ」


 アメリアが呪文を呟き探査の魔法を行使する。

 それを横目に見ながら、俺はクレイオに何と連絡すべきか考えていた。


 クソッ……要員入れるの……早まった。

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