第二部 ユーティス大墳墓
Prologue:こうして勇者は全滅した
体内時計が狂っていた。今が朝なのか夜なのかもわからない。
頬を撫でるじっとりとした湿った重い空気、通風口から感じる風の流れ。
光源と呼べるものは自ら発光する
側には仲間を除いて他に人影はない。いや、もし仮に他のパーティが付近にいたとしても、ユーティス大墳墓は地下に広がる墳墓である。通路は無数にあり、まず他のパーティと遭遇したりする事はない。
息を殺し、どこか焦燥した表情で藤堂が歩みを進める。黴びたような匂いと、飲み込まれてしまいそうな濃い闇がその精神を少しずつ削り取っていく。石造りの通路はヴェールの森とは異なり歩きやすいが、その足取りはヴェールの森を探索していた時よりも遥かに重い。
頬に垂れた冷や汗を手の平で拭う。静けさと闇のみがあった。まるで、殺した息が聞こえてきそうな程の音のない空間。
その後ろには、同じく頬を強張らせたアリア。そして、その逆にいつもと大して変わらない表情のリミスと、グレシャが続く。リミスの手の中には地図が広げられていた。
今まで、何人もの傭兵たちが潜って来たその集大成。深層はともかく、今歩いている浅層ならば、あらゆる分岐のその先が網羅されている。
使い込まれたその地図は、ユーティス大墳墓付近の村の教会に寄った際に与えられた者だ。各部屋や通路に現れる魔物の種類や、仕掛けられた罠など、注意点などが所狭しと書き込まれていた。
やがて藤堂が立ち止まり、後ろをちらりと振り返って尋ねる。
「……リミス、今どの辺?」
「……まだ入って一時間しか経ってないから」
「……そう、か。まだ一時間か……」
もう何時間も潜っているような気がするよ、という言葉を、藤堂は飲み込んだ。リーダーの気勢はメンバーに伝わる。その事を、藤堂は知識の一つとして知っていた。
一時間という事はまだ昼間のはずだが、ユーティス大墳墓は地下墳墓であり、昼間である事を示すものは何もない。
リミスが呆れたように声をかける。
「ナオ、大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」
その肩に乗ったガーネットが同意するかのようにきーきーと鳴いた。
藤堂が唇を噛んで答える。しかし、その口調にはいつもと違って明らかに力がなかった。
「だ、大丈夫だよ……まだ慣れていないだけさ」
続いて、リミスの視線が墳墓に入ってから異常に口数の少ないアリアの方に向けられる。
「アリアも顔色が悪いみたいだけど?」
「……大丈夫だ。慣れていないだけだ」
リミスの方を向きさえせず、視線を忙しなく何もない周囲に投げかけながらアリアが答えた。
光源は少ないが、レベルがそれなりにあるアリアや藤堂にはある程度の視界が確保できていた。
天井は高く、通路の幅も藤堂たち一行が横に並んで通れるだけのスペースがあった。広い通路を流れる冷たい空気の流れに、藤堂がぞくりと肩を震わせる。
ふと、リミスが正面通路の角から現れたその影を見つけ、声をあげる。
「あっ」
「ッ!?」
藤堂とアリアがその声にびくっと目を見開き、ゆっくりと顔をリミスの視線の先に向けた。
現れたのは――一体の
吐き気を催させる腐臭が漂い、怨嗟と悲哀を感じさせる呻き声が通路に響き渡る。
身の丈は人と変わらず、その姿もまた人に似て、しかし人とは決定的に異なっている。まるで煮詰めたようにぐずぐずに崩れた皮膚と肉、その頭はうつむくように床に向けられ、藤堂たちの方を見ていない。が、その身体は緩慢な動きで藤堂たちの方に湿った音をたて、確かに一歩一歩近づいてきている。
リミスが眉を潜め、じっとそれを見つめると僅かに首を傾げた。
「ずっと考えてたんだけど、あれ、どうして動いてるのかしら?」
「……」
それに答えず、無言で藤堂とアリアが顔を見合わせる。互いの青ざめた表情を確認し、藤堂が唇を開いた。
「あ……アリア……倒していいよ」
アリアが目を剥き、唇を噛みしめて藤堂を睨みつける。
「いいいえいえ、な、なおどのに、譲ります」
「あ、
「ヒッ!?」
リミスの声に藤堂とアリアがシンクロして身を震わせ、慌てて後退ろうとして足を縺れさせ地面に転んだ。
床に顎をぶつけ、しかしそれを気にすることなく、慌ててひっくり返る。聖鎧が床に擦れ、甲高い音を立てた。
リビングデッドの頭の上を通り抜ける透けた肉体。浮かんだ虚ろな表情に、身に着けているのは錆びた鎧だがしかしその全てが透けており、それがこの世に肉体を持っていない事を示していた。動きはそれほど速くないが、崩れた身体で這いずりまわるように向かってくるリビングデッドと比較すると遥かに速い。
『
それもまた、アンデッドの中ではポピュラーな種であり、ユーティス大墳墓でリビングデッドに並び最弱とされる魔物である。
藤堂が限界まで目を見開き、更に後じさり壁に衝突する。
アリアががたがた震える手で剣を正眼に向けた。地面をのそのそと向かってくるリビングデッドを指し、震える声をあげる。
「わ、私が、あれを、やります。ナオは、レイスを」
「い、いや、僕があっちをやるよ」
「いいから、さっさと倒しなさいッ!」
突入してから何度も繰り返されたやり取りに、リミスが杖で床を打ちつけ、声を荒げる。
浮遊するレイスのぽっかりと空いた眼窩が、あれこれ言い合う藤堂たちを補足した。宙を浮遊するようにゆっくりと流れていたその動きが藤堂たちに向かって加速する。ぼろぼろに錆びた手甲に包まれた手が虚ろに前にあげられた。しかし、その動きは小走り程の速度であり速くない。
「ひぃっ!?」
「
リミスの声と同時に、煌々と燃える炎の槍が射出された。リミスの腕ほどの太さの炎の槍が術式に従い飛翔し、レイスを貫き小規模な爆発を起こす。
不安定だったレイスの肉体が、飛散し、弾ける寸前にレイスが断末魔をあげた。壁が震え、空気が震える。リミスが眉を潜め、両耳を抑えた。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいああああああああああああああああああっ!!!」
「ッ!?」
鼓膜を貫き、脳を揺さぶるような
「ちょッ、ナオ!?」
慌てて駆け寄るリミスに、アリアが血の気のない表情で説明した。
「『
説明し終えると、まるで糸が切れたようにアリアの身体が倒れる。
「アリア!?」
何も攻撃を受けていないのに戦闘不能になった二人を、リミスが交互に見る。恐る恐る、二人がまだ生きている事を確認し、リミスは額を抑えて呆れたように呟いた。
「……
「うぅ」
リビングデッドが呻き声を上げながら進んでくる。一般的な人族の歩行速度よりも遥かに遅い動きだ。普通に歩いているだけで引き離せるだろう。ヴェールの森の魔物の方が遥かに俊敏だった。
「お腹空いた……」
倒れた二人に視線を向ける事もなく、向かってくる敵に視線を向ける事もなく、グレシャが悲しげに呟く。リミスはパーティに入って初めて危機感を覚えた。
事前に、ユーティス大墳墓の攻略に必要な最低限のアイテムは教会で受け取っていた。
その中に気付け薬もあったが、まさか本当にそれを使う羽目になるとは……。
それを先に使うかどうか迷い、リミスは結局、先にリビングデッドを片付ける事にした。
慣れた動作で杖を持ち上げ、亀のような動きでこちらに向かってくるリビングデッドに杖を向ける。
こんな動きが遅い魔物、初心者でも倒せるわよ。
「まったく……頼りにならないんだから……『
炎の槍を打ち込まれたリビングデッドの身体が爆散する。体液が蒸発し凄まじい異臭が広がる。
「え……」
麻痺性のそれを至近距離から吸い込んだリミスの意識が一瞬で遠のき、全身から力が抜ける。意識を失うその寸前まで、リミスは自分に何が起こったのかわからなかった。
§ § §
「なんでここを選んだし……」
俺は、たった一時間ちょっとで全滅してしまった勇者パーティにうんざりした。
もはや怒りすら抱けない。哀れみや呆れを感じるが今更である。俺にとっての藤堂とはずっとそういう奴であった。
完全に意識を失ったようなので、さっさと距離を詰め、倒れ伏す藤堂、アリア、リミスに近づく。ついでに神聖術で辺りの空気を浄化する。
唯一意識が残っているグレシャが俺に気づき、びくりと大げさに身体を震わせた。仮にも元亜竜であるグレシャに最下級の
頬を引く付かせ、グレシャがまるで言い訳でもするかのように呟いた。
「お腹……空いてないです」
「そういう意味じゃねえッ!」
確かに、腹が空いたばかり言ってんじゃねーと叱ったが、俺が言いたいのは断じてそういう事ではない。馬鹿が。この馬鹿が!
だが、説教している場合じゃない。
藤堂とアリアの脈を取り、瞳孔を確認する。命に別状はない。レイスの『
続いて、リビングデッド相手に中途半端な威力の炎の魔法をぶち込んだリミスの方を確認する。
リビングデッド系のアンデッドの麻痺毒は極めて高い即効性があるが、命を奪う類のものではない。アンデッドや悪魔が持つ瘴気を合成して生み出したもので、大なり小なり秩序神アズ・グリードの加護を持つ人族ならば時間経過で自然に抜けるものだ。まぁ、大体の場合は意識失ったら殺されるんだけど、今回は相打ちだったので運が良ければ次の魔物に襲われる前に目を覚ましていただろう。やはり、同じように睡眠薬を仕込んでおく。
続いて、藤堂の手首とアリアの手首にロープをしっかりと結びつける。防御力の低いリミスを背負うと、手で束ねたロープを握り、出口に向かって歩みを進めた。
引きずられている藤堂とアリアの鎧がかんかん音を立てるが、こいつらは防御力が高いから大丈夫。グレシャも、大人しくついてきている。
時たま現れる下級アンデッドを裁き光で片手間に浄化しながら、俺はずっと考えていた。
こいつら本当になんでここ選んだし。
ここはユーティス大墳墓。
多種多様な状態異常攻撃を繰り出してくるアンデッドが蔓延る厄介な地である。
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