Epilogue:集まる英雄たち
椅子に浅く腰かけ、足をテーブルに投げ出す。一難去っても、俺の仕事は終わらない。
場所はヴェール村。その安宿の一室。チェックアウトしたばかりなのに再びチェックインした俺たちを、カウンターの従業員は不思議そうに見ていた。
水を一口咥内に含み唇を湿らせ話しかける。金のイヤリング、通信の魔道具は遠く離れた教会本部にいるクレイオ枢機卿に繋がっている。
「ああ、だから黒き血の民だよ、
俺の言葉に、イヤリングが落ち着いた声を返した。
『ヴァンピールか……今までヴェールの森で出た事は?』
「ない。初めてだ。教会にも確認したが、村の中では勿論、気配を感じた事もここ最近はないそうだ」
闇の匂いは強く香る。特にプリーストならば相当遠くからでも感じ取れる。事実、先ほどヘリオスに確認した所、昨晩ちょうど俺が戦闘していた頃に微かな闇の眷属の匂いを感じていたらしい。仮にいままでそんな事があったのならば、教会からさっさと討伐隊を差し向けていた事だろう。
『ルシフの加護を持つ吸血鬼、か……』
「もう少し向こうに経験があったら苦戦していただろう」
何しろ、俺の攻撃は相手に殆ど通じていなかったのだ。暗黒神の加護はそれだけで加護を持たない戦士に対して圧倒的な優位性を発揮する。
黒き血の民はただでさえ強敵だ。今回は……相性が良かった。ザルパンは言っていた。功績を立てさせるために派遣された、と。つまり奴は魔王軍の中では新参でそして……恐らく本当に期待されていたのだろう。
ヴェールの森が格好のレベルアップの場であるというのはちょっと調べればわかる事だ。勇者のレベルが低ければまず訪れる事になる。そして、低レベルでは勇者と言えどステージ3の魔族には敵わない。
危うかった。相手は本気だ。本気で殺しに来ている。わかっていたことだが、改めて実感する。今回は向こうにも確信がなかったという話だったのでこの程度で済んだが、次はこうはいかないだろう。
「どういう手法かまでは聞き出せなかったが、勇者の出現は予想されていた。ザルパンから連絡が取れなくなったと知れば、次は確信を持って襲ってくるだろう。何より、ちょうど一月が過ぎた」
壁にかけてあるカレンダーにちらりと視線を投げかける。
史実によると、勇者召喚の術式はおよそ一月でバレるとされている。どちらにせよ、ウォーミングアップはもう終わりだろう。
テーブルから足を下ろし、立ち上がって窓の側まで歩く。そっと外を窺った。
昨晩とは異なり、雲ひとつない空。眩いばかりの太陽が燦燦と人の営みに降り注いでいる。
ヴェールの村は盛況、いつも通り何一つ変わった様子はない。
「勇者たちはどうした?」
「……全員眠らせて教会に運んだ。大きなダメージはない。眼が覚めたら次の刺客が来る前に次の街に立ってもらう事になるだろう」
アメリアに魔法を掛けてもらい教会に運んだ。馬車を使えたのでそれほど手間ではなかった。運び終える最後までその意識はなかった。顔は見られていない……と思う。
腹減ったしか言わない役に立たなかったグレシャへの説得も終わっているし、ヘリオスにはきつい説教をしてくれるよう言伝をしてある。これで少しでも変わってくれればいいのだが……。
適所適所で厄介な真似をされると非常に困るのだ。死ぬのは自分だっていうのに、藤堂は無意味にアクティブ過ぎる。
既に、胸中に沸く感情は怒りから諦観に変わりつつあった。何で何もするなっていうのに余計な事するんだよッ!
悪意のある行動ではないからこそ余計に腹立たしいのだ。
此処から先一つの街に長くとどまるのは危険だ。一つのミスが致命的になる事もあるだろう。
俺の声に滲んだ感情を感じ取ったのか、クレイオがふと思案げな声を出す。
『ふむ……』
そして、唐突に想定外の提案をしてきた。
『アレス、この任務、辞めたいかね?』
「辞めるわけがないだろ」
くだらない提案だ。
立て付けの悪い窓を閉めると、もう一度席に戻った。アメリアには教会で藤堂たちの動向を確認してもらっている。こちらも藤堂たちに続いて次の街に出なくてはならない。
余計な事に思考を割いている暇はない。
『面倒なんじゃないのか?』
「俺がやらなければ誰がやる」
『他にも
「そいつらは俺よりも弱い」
これはベストな選択だ。確かに面倒臭い、ストレスのかかる仕事だ。子供のお守りをしている気分だ。魔族相手に何も考えずにメイスを振るっていたほうがよほど楽だ。だがしかし、俺を選んだ枢機卿の判断は正しい。
十人存在するクルセイダーの中で一番強く耐久があり数多の闇の眷属と戦いそして何より……一番レベルが高いのは俺だ。
「心配はいらない。これはビジネスで、俺はプロだ。例えどれだけストレスがかかろうが面倒だろうが、藤堂の頭をかち割ったりしない。胃痛も頭痛も全て神聖術で治せるし、耐えるのには慣れてる。実際に、俺は無防備に気絶していた藤堂たちを傷一つ付けずに教会に置いてきた」
『……ああ、それなら問題ないが……』
クレイオがその言葉を最後に沈黙する。しかし、まだ通信は切れていない。
こちらからは何も言わず、研ぎ直し、磨き直した
武装は途中で補給しなくてはならないが、そう簡単に手に入るようなものでもない。しばらくはメイスだけで戦わなければいけないだろう。攻撃力の低下だけが心配だった。ただでさえプリーストの俺は攻撃力が低いのだ。
確認を終え、ダガーを再度鞘に納めたところで、クレイオが再び話し始めた。
『アレス。我々教会は『
「……誰だ?」
初めて聞いた情報だった。
そして、クレイオがその単語を言った。
『聖女だよ』
「……は?」
思わず、今まで考えていた今後の計画を全て忘れる。それは、そのくらい衝撃的な単語だった。
聖女。アズ・グリード神聖教に存在する象徴的な存在。最高位の神聖術の使い手にして、秩序神の加護を誰よりも深く受けている少女。異世界から藤堂直継を召喚したアズ・グリードの秘奥、英雄召喚の術者でもある。
その命の価値は俺よりも遥かに重い。
『いや、もともと……英雄召喚を試行するその直前まで、我々は聖女を勇者パーティの一員とする予定だった。任務執行中の君が呼ばれたのは、それが反故になったためだ』
確かに、呼び出しは本当に急だった。何しろ、俺はターゲットの討滅にとりかからんとする寸前にその指令を受け取ったのだ。せめて討伐を完了してからにして欲しいという要求も受けいれられる事はなかった。
聖女は強い。戦闘能力が高いわけではないが、聖女の受けているアズ・グリードからの寵愛は他のプリーストとは桁が違う。
「何故反故になった? 聖女の能力ならば少なくとも……藤堂の要求にマッチしてる」
俺は聖女についてあまり詳しくないが、少なくともパーティから追い出されるような事はなかったはずだ。
その問いに、クレイオが、百戦錬磨の聖穢卿が、珍しい事に、非常に苦々しい声色を出した。
『……性質が……違った。そう、我々の想定とは異なっていた。今までに文献に残っていた勇者とは違っていた。それが理由だ。アレス。わかるね?』
「……ああ」
『藤堂の同行者として、レベルの低いリミス・アル・フリーディアとアリア・リザースが選ばれたのも……それが理由だ。勿論、剣武院や魔導院にも各々の思惑があるだろうが、一番の理由はそこだろう』
その言葉を聞きながら思い起こす。
知っている。わかる。性質の違い。
同じパーティだった、たった十日ちょっとの間でも度々感じ取った違和感。
女好きはまぁ置いておくとしても、行動の節々に狂気に似た何かを感じていた。歪な正義、とでも呼べるだろうか。確かにそれは、教会が聖女を預ける事をためらってもおかしくはないリスクと言えるかもしれない。
だが、そうなると……藤堂のレベルを上げてしまうのはリスクになるのではないだろうか?
いや、違う。確かに、教会の召喚した勇者が異常者だったとなれば角が立つ。サポートしないわけにはいかない。が……俺が選ばれたのは、万が一の際に始末をつけるためか?
今の状態ならば間違いなく俺の方が強い。いくら八霊三神の加護を持っていても、しばらくは俺の方が強い状態が続くだろう。
ぞっとするような考えを、頭を振って打ち消す。今考えても無意味だ。ただ、覚悟だけはしておく必要があるかもしれない。
明確に命令が出る事はないだろう。それは教義に反する。
タイミングを見計らったかのように、クレイオが言った。
「アレス、あまり悩む必要はない。大きな意図があるわけではない。私が言いたいのはつまり、そう、君には選ばれた理由があるという事だ。そして、君にはそれを成すだけの能力がある。わかるかい?」
「……ああ」
わかる。覚悟はある。
俺は出来る事を、すべき事をやるだけだ。今までと何ら変わらない。相手が魔王であれ、勇者であれ。
通信の向こうで、クレイオが薄い笑みを浮かべた気配がした。
「ならばいい。期待してる、アレス・クラウン。アズ・グリード神聖教会、
「……了解」
通信が切れる。精神的に疲れた。しばらくぼーっとしていたかったが、すぐに立ち上がる。
考える暇があったら、身体を動かした方がいい。
命令は完遂する。勇者がどんな人間であっても関係ない。勇者のレベルを上げる。魔王の討伐をサポートする。
勇者には加護があり、サポートする俺には教会からのバックアップがある。それだけ揃っていれば十分だ。誰にだって出来る。障害は消す。勇者のレベルを上げる。容易い事だ。
藤堂たちの情報収集は全て終わったのだろうか。
廊下を通るアメリアの軽い足音が聞こえ、扉が軋んだ音を立てて開く。
俺は報告を聞くために、今後の指針について話し合うために、リュックサックの中から地図を取り出し、テーブルの上に広げた。
聖勇者、藤堂直継のレベル。
現在……27。
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