酒乱
万全の体制が必要だった。
もうすぐ一月が経過する。
グレシャを森の深部から追い立てたという悪魔はともかくとして、これまでの記録が真実ならば間もなく魔王側に聖勇者の存在がばれるだろう。
これは総力戦だ。人族と魔族の総力戦。
俺達は藤堂のレベル上げを全面的にサポートし、魔族はなんとしてもそれを妨害し勇者の命を狙う。
此処から先は一処にとどまり続ける訳にはいかない。プリーストが闇の眷属の存在を察知出来るのと同様に、悪魔にも似たような能力を持つ者がいる。
場所を頻繁に変えつつレベルを上げ続ける作業は藤堂たちにとって、大きな負担となるだろう。
魔王配下の軍と人族の軍の戦力差は明白である。ベースの強さがそもそも違うのだ。レベル上げをすれば力量差は縮まるし、数自体は人族の方が多いが、ピンポイントで上位魔族を派遣され、狙われたら守り切るのは難しい。
人の利点は数が多い事である。その基本的な戦闘能力に大きな差異があるにも拘らず、まだ人族が魔族に敗北していない理由がそこにある。例え相手が上位魔族であっても、最上位クラスの戦士を複数人編成すれば対応出来るだろう。
しかし、現在は戦時、魔王の出現により活性化した魔族と魔物により、どこの国も苦境に立たせられている。魔族を相手取れる程高レベルの傭兵となると、どこの国も喉から手が出る程欲しており、中には爵位を与えると名言している国さえある。それらを複数人集めるのはかなり難しい。
本来ならば、だ。
ここ数日で、俺は理解していた。一人や二人で藤堂たちをサポートするのは……無理だ。教会に依頼した所で派遣されるのは僧侶、戦闘能力を持っていたとしても、せいぜいが
教会の持つ戦力は基本的に守るための力。藤堂たちを襲うであろう圧倒的な悪意を取り除くには純粋な戦闘能力が必要だった。レベル故に俺は戦えるが、同時に俺は無敵でもなんでもないのだ。
幸いな事に、長くあちこちを旅していた事もあり、知り合いは多かった。謝礼は弾まなくてはいけないが、恐らく俺が頼めば断らないだろう。
前線で傭兵業を営んでいる友人に手紙を認めると、俺はようやく顔を上げた。
壁に掛けられた時計を確認する。既に日は高く登っていた。
既に藤堂たちは街の外に出ただろうか。
ゴーレム・バレーの付近の街までは大草原を超える必要がある。いくつかの村を中継していく形になるはずだ。距離はかなりあるが、出現する魔物はそれほど強くないし、道も複雑なわけではない。アイテムも最低限の物は村長を通じて渡してある。道中で問題が起こる可能性は高くない。
既に教会本部を通じてそこまでの村の教会には連絡を取ってもらっていた。辿り着いたら連絡が来るはずだ。
こちらの準備も既にできている。藤堂たちは四人だがこちらは二人。馬車は必要ない。
藤堂たちを追跡する形になる。馬では速度が遅いため、教会に依頼して騎乗用のランナー・リザードを用意してもらった。人に懐く珍しい蜥蜴種の魔物であり、馬を超える速度と持久力を持つ。需要が多く高額で馬と比べて扱いにくいという性質があるが、操作については慣れている。
勇者パーティとは違って収納用の魔導具が用意できていないので旅は快適な物にはならないだろう。そこは精神力でカバーするしかない。俺は平気だが果たしてアメリアが耐え切れるかどうかが不安だ。
……まぁ、普段の彼女を見ているとへこたれる様子がイメージできないんだが。
「アレスさん、藤堂さんたちですが、門の外に出たという連絡が入ってきました」
「そうか」
外に出て連絡を取ってくれていたアメリアが入って来て報告してきた。事務的な会話。交換手をやってもらっていた時の事を思い出す。
アメリアはシスターの着る法衣とは異なる活動しやすそうな象牙色のジャケットとパンツを着ていた。耳に下がるイヤリングと指輪だけがプリーストの証だ。証がなければシスターには見えない。彼女は少し……自由すぎるな。
アメリアが俺の視線に気づいたようで、俺の目の前で軽快なステップでくるりと回転してみせた。
「似合いますか?」
「……ああ」
教義で明確に定められているわけでもない、が、本来のプリーストとは常に法衣を身に纏うものである。俺だってなるべく法衣を纏うようにしている。もしかしたら魔術を扱うホーリー・キャスターは異なるのかもしれないが。
俺の答えが嬉しかったわけでもないだろうに、薄く笑みを浮かべるアメリアに、小さくため息をつく。文句を言うわけにもいかない。負担の大きな仕事だ。別に任務に影響するわけでもないし、服装くらい好きにさせてやろう。
「藤堂が中継地点の村に着くと同時にこちらも出よう。道中顔を合わせるのは避けたい」
もし首にしたはずのメンバーがついてきていると知ったら藤堂がどう思うか……一度や二度ならば偶然で済ませられるかもしれないが、なるべくならば避けたい所だ。
夜中の行軍になるが、幸いランナー・リザードは夜目が利くし、俺も夜目が利く。魔物の動きが活発になるが俺のレベルならば草原の魔物で喧嘩を売ってくる者は殆ど居ないだろう。
既に準備も終えている。村長への話も通しており、ヘリオスへの情報伝達も済んでいる。
漏れはないはずだ。指を折りながら確認すると、前髪を弄りながらこちらを見ているアメリアに言った。
「アメリア、今日は夜中に動く事になる。今の内に寝ていた方がいい」
「……それは、アレスさんにも言えると思うんですが……」
眉を顰め、アメリアがまるで抗議でもするかのような口調で言った。
「俺は三日三晩寝ずに戦える。実際に戦った事もある」
何かあった時のために一人は起きているべきだ。いくらアメリアが平気な表情をしていると言っても、彼女は女である。人族は生物的に男性の方が身体能力に秀でる。俺よりも体力がないのは間違いないだろうし、追加で言うのならば俺の方がレベルもずっと高い。
俺の答えに、アメリアが珍しくため息をついた。俺の言葉を信用していないのだろうか?
もう一度強く説明する。
「飲まず食わずでも三日までならば問題ない。実際に戦った事もある。アンデッドに飲み込まれた街を三つ、一人で対応した時の事だ」
「……あなたは疲れを知らないゴーレムか何かですか?」
「早急な対応が必要だった。さすがに出来るならもうやりたくないが、必要ならばまた同じ事を出来る」
三年程前の話だ。
アンデッドだけならばまだ一気に浄化できたが、あの時は魔族が関わっていた。高位の魔族が現れると解決の難易度は大きく跳ね上がる。
俺の答えを聞いて、むっとしたようにアメリアが言った。
「……一応言っておきますがアレスさん。私はアレスさんが定期的に休みを取らない限り休むつもりはありません」
彼女は一体何故そのような事を言うのだろうか。俺とアメリアでは性能が違いすぎる。
俺は少し考え、アメリアを刺激しない事にした。おそらく、歳は俺と同じくらいだろうが、この年頃の女の子が一体何を考えているのか俺にわかるわけもない。
「休んでいるさ。今も休んでいる」
「……睡眠を取ったほうがいいのでは?」
「昨晩十分に取った」
「私もアレスさんよりちゃんと睡眠を取りました」
「……そうか」
どうも彼女は俺の事を心配しているようだ。ありがたい話だが、自分よりレベルの低い者に心配される謂れはない。
三日三晩戦闘したのは随分と前の話だ。今の俺のレベルならばやろうと思えば一週間以上ろくな睡眠も食事も取らず連続で行動出来るだろう。疲労もダメージもある程度ならば神聖術でごまかせる。彼女は先程俺の事を
が、言っても無駄だろう。
まぁ、夜間行軍といっても起きていなければいけないのはリザードを操作する俺だけだ。揺れさえ気にしなければランナー・リザードの上でも十分睡眠を取れる。
黙る俺に何処か気まずかったのか、アメリアが話を切り替えるかのようにぽんと手を打った。
「ということで、夜まで時間があります」
「定期連絡を忘れるなよ」
朝の七時と昼の十二時、夜の七時に定期的にグレシャと連絡を取る事。魔法で通信が出来るアメリアにしか出来ない仕事である。
アメリアは顔色一つ変えず素っ気なく「わかってますよ」と答えた。
「アレスさんにも仕事はありません」
「やらなければならない事はないがやれる事はある」
「……そこで、相談があります」
……お前、昨日も同じ事言って結局何も相談してこなかったよな?
俺の訝しげな視線を感じていないわけでもあるまいに、アメリアは平然と言った。
「飲みましょう。ヘリオスさんからいいお酒を貰ってきました」
「……お前本当にプリーストか?」
酒は教義で禁止されてはいないが、節制が求められる。敬虔な信徒ならば飲まない事も少なくない。事実、俺の両親は酒類を嗜まなかった。
既にここ数日で何度も思った事だが、どうやらアメリアのメンタルは大概頑丈らしく、その問いに関しても全く気にした様子を見せなかった。
なるほど、なかなか頼りになりそうではあるが釈然としない。
「大体、まだ昼間だぞ? こんな昼間から飲むのか?」
窓の外を指して見せる。まだようやく昼になったばかりだ。酒好きの傭兵でもこんな時間から飲むような奴は少ないだろう。
アメリアがどこからともなく酒瓶を持ってきて軽く上げてみせる。
「お酌しますが?」
駄目だ、話が通じない。昼間から酒を飲むことに抵抗がないでもないが、俺はそうそう酔わない性質だ。酔ったとしても神聖術で酔いを飛ばせる。
どうやら、どういう事なのかアメリアは飲む気満々らしい。仕方なく、出来る限り嫌そうな表情を作って尋ねる。
「お前、飲めるのか?」
「当然です。私は強いです」
「……そうか」
……もしかしたらストレスでも溜まっているのだろうか?
まだ数日だったが、理不尽な状況だった事は否めない。仕方ない、それを解消するのも上司の役目である。
ため息をつき、アメリアに言った。
「……準備が万全であるかもう一度確認した後だ」
「了解です」
微塵もストレスなどなさそうな表情でアメリアが答えた。
§§§
……どこのどいつだ。酒に強いなんて言ったのは。
「あれすさぁん。きーてるんですかぁ?」
「聞いてる聞いてる」
平時からは微塵もイメージできない呂律の回らない間延びした声で、アメリアがグラスをどんとテーブルに置いた。
白い頬には僅かに朱が差し、いつも感情の浮かばない藍色の虹彩が熱で潤んでいる。俺はそれを眺めながら自分のグラスに口をつけた。
辛みの強い酒が口腔を満たし喉を通り抜ける。度数はそれなりに強いだろうが、アメリアがこの状態になるまで必要とした酒量は僅か一口である。素面に戻ったら一体どの要因から自分が酒に強いなどと宣言したのか問い詰めたいものだ。
俺のため息を気にすることもなく、アメリアはグラスを持ち上げると半分以上残っていたその中身を一気に煽った。唇から溢れた雫が白い喉元を雫となって濡らし、テーブルにこぼれる。飲み始めた時には着ていたジャケットは暑い暑いと言い出してとっくに床に投げ捨てられており、薄水色の薄手のシャツとなっているが、完全に酔っ払っているせいで雫が溢れシャツを濡らし、後ろの下着が透けて見えた。神の花嫁が聞いて呆れる。
「……酔いを飛ばすか?」
「らから、酔ってないっていってるれす!」
憮然とした様子でアメリアがぶんぶんと首を左右に振った。
れすじゃねえ、れすじゃ!
酔ってない奴はそんな事言わねえんだよ!
腕を掴んで神聖術を掛けようと手を伸ばすと、アメリアは酔っているとは思えない程俊敏な動きでそれを避けた。酒瓶を左腕に抱きかかえて椅子から立ち上がり、口を開きかけた俺にびしっと右手人差し指を突きつけた。
「たまにはいいれしょ! あれすさんは硬すぎなんれす!」
あまりにキャラが変わりすぎて逆に不安になるわッ!
「お前……何か今の待遇に不満でもあるのか?」
「べ〜つ〜に〜? わたし、のぞんできたんれすし?」
ならこの醜態の原因は一体何なんだ。
今まで誰かと酒を飲む事がなかったわけではない。だが、一般的に高レベルである傭兵たちはここまで酒に溺れない。酒精に耐性があるのだ。誰が今の彼女を見てプリーストだと思おうか。
まるで俺から奪われるとでも思っているのか、大事そうに酒瓶を両手で抱きしめ、俺に潤んだ視線を向ける。
その様はいつもとは正反対でとても子供っぽい。酒って怖え。
「いまはしごとないれすし? おふれすし?」
「……ああ、わかった。わかったよ。思う存分酔っ払ってくれ」
定期連絡の時間が来たら問答無用で捕まえて素面に戻してやる。
まだ意識はあるのか、俺の言葉を聞いてアメリアが今まで見たことがないくらい満面の笑みを浮かべる。
「わーい! あれすさん、だいすきなのれす!」
ご丁寧に酒瓶をテーブルに置き、両手を広げタックルのような勢いで飛び込んでくるアメリアを、椅子から立ち上がり素早く回避する。激しい音。アメリアが椅子を巻き込んで床に倒れる。
俺はできるだけ冷静を装いつつその様を見下ろした。こいつ……まさか絡み酒か? 面倒臭え。
アメリアがごろごろとそのまま床を転がって、恨みがましげな視線でこちらを見上げた。
「……酷いのれす」
「わーいじゃねえ! わーいじゃ!」
大体酷いのはアメリアの方である。さすがにこの醜態、彼女を派遣したクレイオも知らない事だろう。
眉を顰め、少しでもアメリアが冷静に戻れるように声を荒げて叱りつける。
「大体シスターが男に抱きつこうとするんじゃねえ!」
貞淑が求められるシスターともあろうものが酔っ払っているせいとはいえ酷すぎる。彼女を藤堂のパーティに派遣しなくてよかったと思うべきか。
俺の言葉の意味が理解出来ているのか出来ていないのか、アメリアはその場で起き上がって床に座り込んだまま、一言呟いた。
「……あ……あついの……れす」
熱い吐息を漏らすと、覚束ない手つきでシャツのボタンに指をかける。
思わず目を開く俺に真っ赤な顔を向け、アメリアの身体はふらふらと左右に揺れていた。
……よかった。勇者のパーティに入れる事ができなくてよかった。入れていたらあっという間に神聖術を使えなくなっていただろう。
果たして酔いを覚ました後、この有様を彼女は記憶に残しているのだろうか?
飲む前に自分は強いと宣言していた以上、可能性は低いだろうか?
俺は立ち上がると、ボタンを千切るような勢いで外し始めているアメリアを見下ろし、素面に戻った後覚えていないであろう事も承知の上で宣言した。
「俺は二度とお前に酒を飲ませないぞ」
あまりにも性質が悪すぎる。
時計を再度確認する。定期報告の時間まではまだ間があった。が、そろそろ潮時だろう。これ以上放っておいたら真っ裸になりかねない。
シャツを脱ぎ捨て白のキャミソール姿になったアメリアを眺める。身体を隠す物は薄布だけ、だが性欲を刺激されないのは彼女の今の状態故か。ぼうっとした表情でアメリアの眼が俺を見上げている。
ぽきぽきと手を鳴らして一歩距離を詰めた。
「俺の本気を見せてやろう」
「手を出したらせきにんとってもらうのれす?」
「……お前は俺を何だと思っているんだ」
この村の最後の敵はレベル55の
奴のせいでない事はわかっていたが、俺は後でクレイオに愚痴を言う事にした。
いや、言わずにはいられない。酷い。
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