路地裏での出会い
船場須市、商店街。
シャッターの降りた店が目立つ閑散とした町並みを、夕陽が赤く染めている。
そんな通りを、ニッチーマウスの被り物とスーツを着こみ、とぼとぼ一人で歩いている不審者がいる。
俺だ。
あの後、勢いで家を飛び出し俺が向かった先は駅前広場だった。
大勢の人がいる場所でパフォーマンスし、ニッチーランドの知名度を上げるという作戦はしかし、失敗に終わった。
すぐにお巡りさんが来た。
あわてて逃げ出し、今に至る。
しかし、手ぶらで帰るわけにはいかない。
というかあんな大見得切った以上、なにかしら成果を挙げなければカッコ悪くて帰れない。
なにか、次善の策を講じねば…
ウンウン唸りながら商店街を練り歩いているうちに日はさらに傾き、あたりにはぽつぽつと街灯の明かりがともり始めていた。
「――?」
不意に背後から強烈な視線を感じた。
振り向くとそこには――
「ぅおっ!?」
――闇の濃い路地裏の影から、一抱えほどもある丸っこい紫の物体が俺を見ていた。その頭上にはトレードマークのナスの花。水色のTシャツに包まれたずんぐりした体型。イッちまってるかのような上目遣いのつぶらな瞳。その片方だけ電柱の影から覗かせているその物体は……
「ふ、ふなっすー、さん?」
思わずさん付けになっちゃった。
しかしそこにいるのは紛れもなく、テレビの向こうでしか見たことのない、憧れのマスコットキャラクターの姿だった。
というか、嘘だろ?
超有名引く手あまたの売れっ子であるふなっすーが、なぜこんな時間にたった一人でうらぶれた商店街なんかに…
「……」
返事はない。
ふなっすーはただ、狂気じみたまなざしで俺を見つめ返すだけだ。
視線を切れば、殺られる。
そんな錯覚を覚えるほどのいいようのない圧迫感がその瞳には宿っていた。
今更ながらではあるが、人通りのない夜道で表情の変わらないきぐるみと出くわすのはけっこうくるものがあるな……。
自分が同じ立場でさえなければ通報したい位である。
そんな状態がどれほど続いただろうか。
紫色のナマモノは、電柱の裏へゆっくりと消えていった。
……なんだこれ。
とりあえず危機(?)は去ったようである。
しかし人心地ついて胸を撫で下ろす俺の脳裏に、ある考えが去来する。
あれ、これってチャンスじゃね?
俺は今すぐランドを再建することばかりにこだわっていたが、たった今目の前にいたふなっすーはそんな後ろ楯なしに躰一つでのしあがって来た男(?)である。
彼についていけば、何かがつかめるかもしれない。
いや、考えてる場合じゃない、追うんだ!
ふなっすーが出てきた路地裏の暗がりに、俺は一歩を踏み入れた。
ゴミ捨て場や、謎の水たまり、罅の入った舗装。いかにもな裏通り。
その先の曲がり角に消えていく紫の影。
「待ってくれふなっすーさん!」
なりふり構わず、俺は走りだす。
手足の短いふなっすーはそう早く走れまい。きぐるみとしてはスラっとした体型のニッチーマウスならば追いつくことは容易い。
そう考えながら角を曲がった、その時。
「ひっかかったナス!」
「!」
目の前に突然ふなっすーの顔面が飛び出してきた。
「毒霧ブシャー!」
「なっ!?」
間髪挟まず、その口から放射された紫色の液体が俺の顔に放たれた。
高圧で噴霧されたそれを目と喉に受け、俺はたまらず後退る。
「どうナスか! ふなっすー特製麻痺毒ブレスの味は!」
上半身の大部分である巨大な顔面を激しくくねらせながらケタケタと笑い声を上げるふなっすー。その姿が――にじむ。めまい。そして手足の先端が激しく痙攣を始め、俺はその場にへたりこんだ。ああ、また衣装を汚してしまった……。
「……ぐ、あ……何を……?」
「ちょろいナスねぇ。戦いはもう始まっているナスよ?」
ふなっすーは俺を見下しながらそう言った。
「た、戦い? いったい……なにを言って……」
「まさか、本当になにも知らないナスか~?」
不思議そうに頭部を傾げるふなっすー。
「まあいいナス! ふなっすーファンクラブのみんなでてくるナス! あとはみんなの出番ナス!」
ふなっすーが大きく手を上げてそう叫ぶと、いったいどこに隠れていたのか、路地裏にはガラの悪そうなやからどもがわらわらと湧いて出た。
その男たちの何人かに、見覚えのある顔があった。
朦朧とする意識の中で気づく。あのニヤついたうすら笑い。
ここ最近ニッチーランドに出没し、俺にケンカを売ってきたDQNだ。
「……ま、まさか、アンタが……?」
「おや、気づいたナス?」
「じわじわと営業妨害を重ねて経営破綻に追い込み、いずれランドを乗っ取る計画だったナスが、予定変更ナス! 邪魔者を消しててっとり早くふなっすーランド建設ナス!」
ふなっすーが、俺のニッチーランドを潰そうとしていた……?
嘘だろう? お茶の間のアイドルがそんな邪悪な野望を……何故?
ダメだ。毒の回った頭では思考が追いつかない。
「どうして、アンタがそんなことを……」
ろれつの回らない舌でそんなことを言うので精一杯だ。
しかし、ふなっすーはくねくねとした動きを止め、神妙な様子でこう言った。
「全てはあのお方のお導きナス」
その姿に宿る暗い影。
しかし、それも一瞬。
「さあて、戯れ言はここまでナス!」
ふなっすーの合図に、とりまきの男たちがこぞって俺に群がる。麻痺した体では抵抗虚しく、俺は羽交い締めにされてしまう。
「あのネズミの被り物を剥いで、ツイッターにアップしまくるナス! ケヒョヒョヒョヒョ! これでニッチーのマスコット生命も終わりナス!」
なんてこと考えやがる……!
中の人の露呈。それすなわちマスコットという偶像の破壊。
そんなものが全国に公開されれば、ニッチーというキャラクターが殺されてしまう。
「ホレにやらせてくだせぇ!」
鼻声でそう叫んで前に出た一人の男。顔の真ん中には大きなガーゼ。
オレが殴り飛ばした、ナイフでニッチーを刺そうとしたやからの一人だった。
「くっ……やめろ、汚い手でニッチーに触るんじゃねぇ……!」
必死にもがくが、体に力が入らない。
ケタケタと笑うふなっすーの後ろでは、とりまき達がスマホのカメラを俺に向け、下品な笑みを浮かべている。
ナイフ男の両手が、ニッチーの頭部をつかむ。
もはやこれまでかと思ったその時、
「そこまでにしておくんだな」
どこからとも無く聞こえた、低く響く声。
次いで、まるで強い風に体を攫われるような感覚が俺を襲う。
いや、それはまさに黒い豪風だった。
横合いから突如現れたそれは、一瞬でナイフ男の体を弾き飛ばし、俺の体をやから達から開放したその正体は――
上空に弾き飛ばされた男がきりもみ状に回転し、放物線を描いて路地裏のゴミ捨て場に頭から突き刺さった。「ゲェッ!?」という潰れた声を上げ、動かなくなった。
――山のような黒い巨体。つぶらな瞳に、ほっぺの赤丸。九州は熊本県を発祥とするマスコットキャラクター。
毒で薄れゆく意識の中、俺はその名前を口にしていた。
「アンタは――ベアもん?」
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