第8話 ジャグリオンは孤独を越える
目が覚めると、知らない天井を見上げていた。
頭がぼんやりし、俺はここがどこだか考えることができない。見慣れない木目の天井。ずいぶん古い造りのような気がする。俺はベットではなく布団で寝ていて、開いている窓から、涼しい風が入ってくる。その風に海の匂いがする気がした。
海?
俺はその匂いを訝しむ。どうして東京の自分の部屋に、海の匂いがするんだ・・・?
そこまで考えたとき、ガバッ! っと布団から跳ね起きた。慌ててあたりを見渡す。畳の部屋、古い天井と梁、窓の外には夢じゃなく海がすぐそばに広がっている。ここは、・・・そうだ! 大将の家だ!
そのとき俺の部屋を閉めていたふすまが開かれ、快が、お盆に水の入ったコップをのせてよたよたと入ってきた。起き上がった俺と目が合い、驚いてお盆を落とす。落としたコップを気にするよりも、
「レオ! レオ起きたよー!!」
といって襖も閉めずに駆け出していった。その言葉に、ドタバタと激しい脚の音が響き渡り、「レオ!」と、初めて聞く女の人の声が、俺に覆いかぶさるように抱き着いてきた。
「母さん・・・?」
「レオ、レオ!!」
俺の質問に答える余裕もなく、女の人は俺のことを抱きしめる。俺も恐る恐るその体に、肩に手を回す。「レオ!」と、その女の人は何回でも俺の名前を呼びながら、俺の首筋を熱い涙で濡らしていた。
「母さん!」
俺は思わず回していた腕に力を込めた。母さんは俺を抱く力をもっと強め、壊れるんじゃないかと思うぐらいに強く俺のことを抱きしめた。 ・・・腕? そうだ、俺は自分の腕で母さんの事を抱きしめている。白銀の毛がなびくホワイト・ライガーの前脚ではなく、俺の、人間の、自分の腕で―――。
もう言葉にできることはなにもなく、俺も泣きながら母さんのことを抱きしめ続けた。その体から甘く柔らかな香りがする。母さんの匂いだ―――。
「レオ、顔を見せて、お願い」
やっと俺を離した母さんがそういい、俺顔に両手を寄せる。母さんはまだ泣きながら、俺の頬に置かれた手を何度も愛おしそうに動かした。俺も泣いたまま母さんの顔を見た。大きな目、高い鼻、整った唇。あの写真がそのまま年を取ったような、俺の母さんが、そこにいた。
「母さん・・・」
それ以上何もいえなかった。俺たちがいつまでも泣き続きていると、「グスッ」と大きく鼻をすする音が頭の上で聞こえた。その方向に目をやると、大将が目を真っ赤にはらして涙をこらえるためにものすごい形相で立っていた。
「あんた!」
「だってよう・・・」
恵さんが大将の太ももをピシッと手で打つ。でもその瞳にも小さく涙が光り、恵さんはもう片方の手でその涙を拭いた。その二人の後ろでは三人の子供たちが大将と恵さんに隠れるようにしてクスクス笑い、快の腕には、天が重たそうに抱っこされていた。その横には父さん。父さんは涙を隠すこともなく泣いている。そして、レンもそこにいた。人間の姿で、シャツの下から、肘まで伸びる包帯をした姿で。
「レン!」
レンはその場で頷いた。母さんもレンに気づき、「レン」と泣きながら声をかける。レンはそれにも、頷いただけだった。
「レン、いらっしゃい」
母さんがいう。レンは一瞬迷うようなそぶりを見せたが、それでもそろそろと近づいてくる。母さんがレンに腕を伸ばす。レンはまるで叱られた後の子供のように、その手の中に頭を埋める。
「レン」
母さんはレンのこともその腕の中に抱きしめ、俺たちはその母さんの腕の中で三人で抱き合った。レンは怒ったようなしかめっ面をずっとしていたけれど、抱きかかえられたその頭を、素直に母さんの胸に預けていた。
その夜は宴会だった。
恵さんが島の料理に腕を振るってくれ、母さんも自慢料理をいくつも作り、机の上に乗り切れないほどの料理が並んだ。子供たちがはしゃぎ、大将が酒で酔っ払い、父さんはずっと恐縮し、母さんはずっとニコニコニコニコしていた。俺は照れて母さんとうまく話せなくて、料理ばかりを口に運んだ。レンはもういつものクールなレンに戻って、黙々と料理を食べていた。
俺はその席で、あの後のいきさつを聞いた。
受胎装置が振動を止め、白い光が薄くなったころ、ほどなく俺と母さんは羊水の中で溶けて混じりあった。そして一瞬の間。そのわずか何秒かの間の時間が、父さんには永遠の時間のようにも感じたそうだ。そしてまた受胎装置が振動を始め、その振動が大きくなり、羊水全体がまた白い光を発し始める。そしてその白い光が眩しくて目も開けていられないほどになった後、ふっとまた暗闇が訪れた。そして暗闇の中、父さんが恐る恐る目を開けると、羊水の中には母さんと俺、二人の姿が浮かんでいたそうだ。父さんは喜びで声も出なかったといっている。そして俺たちのことを迷彩服の人たち(自衛隊の特殊部隊らしい)が救い上げ、あのおじいさん ―――首相か。でもどうしてもただの優しそうなおじいさんに見えてしまって、おじいさんとしか俺はいえない――― が、俺をここまでヘリコプターで運んでくれたらしい。
「いやー、驚いたさ~」
もう酔っ払った大将が赤い顔でいう。その隣で快が大将のマネをして同じ口調で繰り返す。
「だっておめ、ヘリコプターが庭に降りてくるだけでも大事件なのに、そん中からときの首相が出てきたんだぞ! そりゃ驚くさ~。しかもゴツイ兄ちゃんたちがレオのこと抱きかかえてくるもんだから、何事か! と大騒ぎさ。でもそんあと、おまえの母ちゃんがすぐ出てきて、俺に頭を下げるもんだから、はー、命の恩人のいうこと聞かないわけにいかないさ~。そんで、おまえが目を覚ますのをみんなで待ってたっちゅうわけよ」
大将はそれだけ話すとまた泡盛をグイッと空けた。
「レンは? レンはいつ来たの?」
「それそれ、それもまた大騒ぎさ!」
大将のグラスに、恵さんが泡盛を注ぐ。大将はそのグラスをまたグイッと飲み干しながらいう。
「昨日さ~! またヘリコプターがやってきて、今度は何事か! って思ったら、レンが涼しい顔して降りてくんのよ。まあ、いかついあんちゃんたちはいたけどな。それで、どうした!? って聞いたら、肩の怪我を東京で治して、またやってきたっていうでねーか。まあなんで怪我したか聞いても大丈夫としかいわねえんだけど、レオレオレオレオいってるから、また家に泊まることになったのよ。ま~、最近は驚くことバッカだわ!」
「昨日?」
と俺はレンを見た。レンは鳥の唐揚げを口いっぱいにほう張りながらもぐもぐとやっている。そんなレンを見て、父さんが笑っていった。
「おまえ、三日も眠ってたんだぞ。母さんはあの後すぐ目覚めたんだけど、おまえは少し時間がかかった。怪我はあの装置の中で治ってたけど、本当に心配したぞ」
「三日・・・」
そんなに寝ていたと思って驚いた。そういえばなんとなく体がダルいと感じていたのは、そういうことだったのか。三日も寝ればダルいに決まってる。そして自分の肩を触る。あんなに痛かったのに、確かに傷口はもうどこにもなかった。
「レン、肩、大丈夫なの?」
「大丈夫」
レンはもぐもぐと口を動かしながらいった。その表情はよく知っているレンの顔で、無理をしているとは思えなかったけど、その袖から見える包帯が俺を重い気持ちにさせた。
「心配ないよ。俺、普通の人間より回復力強いから。それにあのじいちゃんが、ちゃんと病院に連れてってくれたし」
「そっか」
「うん」
とレンは頷いた。母さんが俺の隣に腰を下ろし、「レオは大丈夫?」と声をかける。俺は「うん」と頷くだけだ。こんな時、なにを話せばいいんだろう? 誰かに教えてほしいけど、みんなにこにこと俺たちのことを見ているだけだ。
「母さんは? 母さんは大丈夫?」
「私は大丈夫」
母さんは笑った。
「そういえば、」
と話に詰まった俺は話しだした。アカデミーでの冒険のことだ。今、俺が母さんに話せることなんてそれぐらいしかない。母さんは「なあに?」といってまた笑った。
「みんなで溺れそうになった時があるんだよ。なんだか、変な白い部屋で。天井からドバドバ水が落ちてきて、出口なんてなくて、天井まですぐ水でいっぱいになってさ。もうダメだ! って思ったときに偶然排水溝が開いて助かったんだけど、あれ、なんだったんだろう?」
「ああ、あれは私」
「母さんが?!」
「そう。私の受胎装置は、アカデミーの各施設と繋がっていたの。なんでもできるわけじゃないけど、あの中からできることもあったのよ。だからあの時は、なんとか排水溝だけを開かせることができたの。ごめんね、危険な目に合わせて」
「いいんだ」
びっくりした。そしてまた心配事を一つ思い出す。
「そうだ! あのホワイト・ライガーは? スノウはどうなったの?」
「無事だぞ」
今度は父さんが横からいってきた。親子三人、初めて顔を突き合わせて、俺はなんだかくすぐったいような、照れるような感じでもぞもぞした。この気持ちを誰かにうまく伝えたくてレンを見たけど、レンはさっきから食べてばっかりいる。今は海ぶどうの緑色の房を、パクっと口の中に放り込んだところだ。その先では恵さんが俺を見てニコニコしている。大将は今にも寝てしまいそうだ。そして子供たちは、はしゃぎながら唐揚げをみんなで奪い合っている。
・・・家族って、こんな感じなのか。
俺はむずがゆく思いながらも、なんとなく、心の奥で嬉しく思った。その嬉しさは多分、今俺の表情に現れているだろう。家族、家族だ。
「あのあと、首相に頼んで保護してもらった。重症だが、命に別状はないそうだ。今後はアカデミーとは違うちゃんとした保護団体に守られて、ゆっくり生きられるはずだよ。他の
「そっか」
ホッとした。スノウがいなかったら俺は今ここにいることはできなかったはずだ。あいつには二度も助けられた。生まれたときと、この間と。俺の中にもうスノウの細胞はないとしても、会いに行けば、俺のことをまだ覚えていてくれるだろうか?
「会いに行きたいな」
「行こう!」
と横から会話に入ってきた青が、意味も分からずそう叫んでみんなで笑った。
「行こうな」
と父さんがいった。
「行きましょう」
と母さんもいった。レンはなにもいわなかったが、コクリと、短く頷いた。
そして、これは後で聞いた話だ。
あのおじいさんが、―――首相。もういいか――― が、どうしてアカデミーを敵対視していたか。そのことを父さんが聞いたとき、首相はこういったそうだ。
「人は、老いて死ぬべし。人の力で永遠の若さなど手に入れてもなんになる。人は生き、老いて死ぬ。それが、人に定められた天の摂理。それ以上のものを求めても、人は人以外になれぬのだからな」
その言葉を聞いたとき、「おー」と思った。なんだかわからないけどカッコいい。さすが首相。国を束ねるだけのことはある。
そして、アカデミーは解体されるそうだ。
今回のこと以外にも、アカデミーはいろいろな悪さをしていたらしい。国としては俺の事件にかこつけて、アカデミーを一網打尽にすることができて喜んでいたらしい。俺はなんだか複雑な気持ちだったけど、大人の世界には大人の世界の事情があるんだろう。それはそれでいいや。俺が、深く考えるようなことでもなかった。でも母さんは? 母さんもアカデミーに協力していた。その罪で、捕まらないのだろうか?
心配になって父さんに聞いたら、答えは「No」だった。
首相の計らいで、母さんは誘拐されて無理やり協力させられていたことになっているらしい。まあ、実際に似たようなものだったはずだけど、とりあえず罪に問われることはないと聞いて安心した。これからは家族で、ずっと一緒の家に暮らせるんだ。
レンは?
それも大丈夫。レンは俺の兄弟として、家に住むことになった。それも、母さんが首相に直々に頼んでお願いしたらしい。この件は首相は少し渋い顔をしたみたいだ。レンがもしも街中で
母さんの熱意と迫力に負ける形で、首相はOKした。でも時々報告が必要らしい。それぐらいは、まあ、俺たちもオッケーだ。レンにそのことをいうと、
「よかった」
と少しそっけない返事が返ってきた。一緒に住めることに興奮していた俺は少し肩透かしを食らった気持ちだった。そっけないだけならいつものレンだが、その横顔は少し寂しそうだった気がする。そう思ったが、『一緒に住めるのになにが淋しいんだ?』と、俺はそれ以上考えることができなかった。
そして、テーブルいっぱいの料理をたらふく食べた後、畳で寝てしまった大将をまたいでまた風呂に入った。母さんは恵さんと打ち解けたらしく、二人で並んで楽しそうに話しながら洗い物をしていた。父さんはビールをちびちびと飲みながら、洗い物をする母さんの後ろ姿を眺めていた。ビールのせいで顔が少し赤い。そして、父さんはここのところ泣き虫だ。その目には、やっぱりうっすらと涙が溜まっていた。
居間に、布団を四つひいてもらってみんなで横になって電気を消した。俺とレンが真ん中に眠り、俺の横には母さんが、レンの横には父さんが眠った。なんだかみんなで眠るのが恥ずかしい。でも、きっとこんな光景にも、徐々に慣れていくんだろう。
「おやすみ」
とみんなでいい合う。それもなんだか、恥ずかしかった。
波の音で目が覚めた。
枕元に置いていたG-SHOCKを見ると真夜中で、縁側は閉めて寝たはずなのになんで波の音がするのか不思議に思ってあたりを見渡すと、横に寝ているはずのレンの姿がどこにもなかった。父さんと母さんは静かに寝息を立てている。トイレにでもいったのかと思って体を起こすと、縁側のドアが、ほんの少しだけ開いていた。
「レン?」
と声をかけても返事はない。俺は
海への道が続いている。
今日も夜空は晴れて、満月がその空の上に輝いていた。街灯もなにもない島の夜だけど、眩しいほどの満月の光だけで夜の道は照らされ、そのまま歩いていくことに問題はなかった。俺はサンダルを履いて外に出る。夏の南の島の夜の風が気持ちよく肌を抜ける。
「レン」
俺はまた呼びかけた。返事はない。俺はそのまま、海への坂を下っていった。
浜辺に、レンは座っていた。
膝を抱える格好で、夜の海を見て。まだ少し遠くから、「レン」と俺は呼びかけた。返事はない。風が少し吹いてるから、声は風に流されたのかもしれない。俺は砂浜の上に足跡を残しながら、レンのそばに近づいていった。
「眠れないの?」
俺はそういってレンの横に座った。レンは俺を見ず、横顔のままで「うん」と頷いた。
その横顔は、やっぱりいつものレンと違った。どこか張り詰めた表情で、海の遠くを見つめていた。
「どうしたの?」
俺は話しかける。レンはなにもいわない。俺はまた心の中でレンに向かって呼びかけてみた。でも人間に戻ってしまった俺には、心でレンも声を聞くことは、やっぱりできなかった。
そのまま、しばらく黙っていた。
夜の海の風に吹かれていると、ここ数日の出来事がすべて夢だったみたいに感じる。実際、そう思った方が現実的なことばかりだった。最初は、なんだっけ? ああ、そうだ。ペスに襲われて、レンが現れて、西表島にきて、大将に会って、そして・・・。いろいろあったな、と思った。誰に話してもきっと信じてはもらえないだろう。琢磨にも優二にも、夏芽にも話せない。焼けた肌を見られたら、家族で西表島にいってきたというしかないだろう。誰にも話せない想い出は、ただ俺の中で、夢のように忘れられていくだけだろうか?
ザン・・・、と少し大きな波が寄せる。その波は、すぐに音もなくまた海の中に還っていく。俺は首を振った。
ううん、違う。俺には話せる友達がいる。この夏の冒険をすべて一緒に見てきた友達、レンが、これからもずっと、俺の隣にいるんだから。
「楽しかったな」
俺はいった。怖いこともいろいろあったけど、今、静かな夜の中で思い返せば、それはすべて楽しい想い出になった気がする。俺一人じゃ、その想い出は作れなかった。レンがいたから、作れた想い出だ。
「レン、俺、おまえと会えてよかったよ。始めはビックリしたけど、楽しかった。ありがとな」
「うん」
レンは、でもまだ力のない声で頷くだけだ。俺は海から視線をそらし、レンの横顔に目をやった。すると驚いたことに、その頬に、涙が月に照らされて光っていた。
「どうしたんだ!」
驚いて俺は声を上げた。レンは涙を拭くこともなく、ただ海だけを見つめていた。
「俺、一人ぼっちだ」
レンはいった。俺はレンがなんでそんなことをいうのかわからなかった。
「そんなことないよ」
俺はいった。
「俺がいるし、父さんも母さんもいる。レン、今度から俺たち一緒に暮らせるんだぞ? 俺たち、家族になるんだぞ」
「うん」
そういっても、レンの涙は止まらなかった。俺はどうしていいかわからず、「どうしたんだよ」といってレンに顔を近づけた。レンは顔を振る。俺は、どうしていいのかわからないままだ。
「レオは、もう
その言葉に、俺は海に突き落とされたようだった。その時初めて、レンが泣いている理由がわかった。俺はそのことに、気づきもしなかった。
ずっと一人だったと、あの時レンは心の声でいっていた。俺とレンの心は混じりあい、あの時、確かに二人で一つの魂のような気がしていた。
そうだ、その前に、俺も海で泣いたじゃないか。
俺は一人きりだって、そう思って、泣いたじゃないか。
それなのに、レンの気持ちに気づかなかったなんて。
「レン、ごめん」
「ううん」
レンは首を振った。涙はただ、静かに流れ続けていた。
「ほら、レン」
こんなとき、子供の俺はなんていっていいのかわからない。それに、なにをいってもレンの涙は止まらない気がした。それで、俺は肩をレンの肩に寄せて、その肩を抱きしめた。レンは一人じゃないと、そんなことでしか伝えられる気がしなかったのだ。
レンは素直に俺の肩に肩を重ねた。二人の髪の毛が擦れ合い、耳と耳がくっつくほど、レンが俺のすぐそこにいた。目の前では海が、何度でも何度でも、遠い旋律のように波を寄せては返していた。
しばらくそのままじっとしていた。俺もレンも、ピクリとも動かなかった。
淋しさって、なんだろう?
俺はここにいるのに、レンはここにいるのに、淋しさは自分でしか抱えられない。でもたまに、あのときみたいに、誰かと心のすべてが混ざり合う瞬間がある。その瞬間があることを信じることができれば、淋しさは、消えていくのかもしれない―――。
「俺がいるよ」
そう、言葉にするしかなかった。たとえ不自由でも、言葉と態度で、伝えていくしか。
「うん」
レンはいった。俺はその肩に置く手に力を込めた。そうするとレンが初めて、「痛いよ」と笑った。
「笑ったな」
「笑ったよ」
俺たちは顔を寄せ合い、おでこがくっつくような距離で、いつまでもクスクスと笑い合った。
俺たちは、大将の家で夏休みのバカンスを楽しむことになった。俺と母さんの再開に感動した大将が是非にといい張り、恵さんもそれに同意して、せっかく再開できたのだから、この島でいい思い出もたくさん作っていってほしいと提案した。その話が出たとたん、父さんと母さんが返事をするよりも早く、子供たちは大喜びだった。それで、俺たちは大将の気持ちに甘えることにして、今年の夏休みは、まるまるこの南の島で遊ぶことになったのだ。
俺たちは毎日海に山に遊びに行った。快も青も海も、俺たちよりもずっと元気に俺たちのことを引っ張りまわした。俺たちは真っ黒に日焼けして、沖の海でシュノーケリングで海の中でも太陽の光に光るような熱帯魚に興奮し、島をいくつも流れる川をカヌーで渡り、魚を釣って食べ、アカデミーに操られていない、自然な西表の動物たちを見に山に登った。素早いイリオモテヤマネコも羽ばたくカンムリワシももう一度見ることができて、俺は「おー」と思わず感嘆の声を上げた。でも一番びっくりしたのはヤエヤマオオコウモリに遭遇したときだ。そいつは名前の通り本当にBIGで、夕方、カヌーをしまいに川沿いのマングローブの林を歩いていたらいきなり現れて俺は本気で悲鳴を上げた。そんな俺を見て子供たちは一斉に笑い、俺は笑われながらもドキドキする心臓を抑えることで精一杯だった。
そんなふうにして、七月は過ぎていった。
そして八月一日の朝を俺は迎えた。
一四歳だ。
この日に、俺はホワイト・ライガーに変ってしまうとレンにいわれた。俺は起きてすぐ自分の腕を確かめた。当たり前だが、白い毛は生えていない。俺の腕は、俺の腕のままここにある。グッ、グッとその手を握る。俺のままの俺の姿が、布団の上に横たわっていた。
俺は起き上がる。まだ早すぎる時間で誰も目を覚ましていない。
俺は伸びをして縁側を出る。朝の空気が気持ちいい。南国の太陽はこんな時間でももう海を照らしていて、今日も暑くなりそうだった。
生きててよかった。
水平線にキラキラと朝の太陽の光が弾ける。青い空に薄い雲が広がっている。俺は空気を思い切り胸の中に吸い込む。朝の空気が、俺を満たす。気持ちのいい朝だ。
「おはよう」
いつの間にかレンが俺の後ろに立っていて、俺にそう声をかけた。「おはよう」と俺も返す。
「誕生日おめでとう」
レンがいった。
「ありがとう」
俺は笑った。
「なんだか、怒涛の十三歳だったな。非日常なことばっかりだったけど、楽しかった」
「うん」
「これからは、日常が日常だ。レン、これからも、楽しくやってこうな」
「・・・うん」
朝日があっという間に水平線から高く高く上がっていく。俺たちはそれを見て、また思い切り伸びをした。その途端、俺たちの腹が「グゥ~」と鳴った。
「腹減った! 母さんたち起きたかな?」
「うん。もう朝ご飯の準備してるよ」
「そっか」
「今日の夜は、誕生日ケーキを用意するっていってたよ。サプライズだから秘密にしてって」
「おまっ! それっ! いうなよー!」
俺は笑った。レンも、朝日の中で笑っていた。俺と同じ、普通の少年として。
「俺、インスタントラーメン食べたい」
「それは東京帰ってからな」
そういって、俺たちはみんなの待つ家の中に帰っていった。
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