End of the Earth ―地球最後の日―

如月恭介

プロローグ

 二〇一七年、十二月――

「なんだ、あれは?」

 南極の昭和基地から表に出た隊員が、奇妙な光景を目にした。この時期の南極はちょうど白夜で、夜でも太陽が地平線に浮かび、果てしない雪原を淡々しい光で照らし出している。その薄明かりの純白のキャンバスに、まるでゴマを振りかけたように黒いシミが拡がっている。

「ペンギンだ……」

 隊員がつぶやいた。無造作に転がる無数のペンギン――数千匹、いや、一万匹近くもいるかもしれない。微動だにせず横たわるその様から、すでに息のないことは明らかだった。しかし異常なのはそれだけではない。とつぜん彼の視界が白く霞んだ。

「どういうことだ……」

 思わず彼は、曇ったゴーグルを顔からはぎ取った。顔に吹き付ける凍てついた風――のはずだった。しかしじっさいに彼の顔を襲ったのは、生暖かい温風だった。彼はあわてて基地の中へ駆け戻った。

「た、たいへんです!」

 その報はまたたくまに世界中に配信され、ちょうど地球温暖化が危惧されるていることもあって、各国の関係者たちに強い危機感を募らせた。しかし幸いにも半日もするとあたりはいつもの寒気に覆われ、まるで何ごともなかったかのように、基地周辺は本来あるべき姿を取り戻した。

 その後各国の学者たちによる調査が進められたが、けっきょく原因はわからずじまいだった。

 年の明けた二〇一八年、一月――

 南極での出来事も人々の記憶から薄れかけたころ、今度は東アジアを異常気象が襲った。東京では二十八度という、この時期としては観測史上最高の夏日を記録し、山間部では雪崩が多発した。かと思うと数日後には一転、最高気温〇度という、今度は百年ぶりの寒波だ。それは東京だけではなかった。

「きれい……」

 香港の人々は、初めて見る雪景色に目を奪われた。これまた観測史上初の積雪である。しかし喜んでいるのはごく一部の人であって、水道管は破裂し、凍結した道路のせいで交通網は完全に麻痺した。しかしそれも長くは続かず、数日後にはまるで嘘のように、事前予想のとおりの暖冬に戻った。その後も程度の差はあれ、寒暖が激しく繰り返し、何かしらの異変が生じていることは誰の目にも明らかだった。しかし世界中の英知をもってしても、その原因を究明することは叶わなかった。

 それにしても人間というのは不思議な生き物で、適応性に優れているのか、あるいはただ鈍感なだけなのか、かつてはあり得なかった事態を目の当たりにしても、いつしかそれを当然のように受け入れるようになっていた。

 そんなおり、今度はオーストラリアのクイーンズランド州、ゴールド・コーストで事件が起こった。世界中から集まったサーファーたちで賑わうこの海岸が、おぞましい地獄絵図へとその姿を変えた。

 波待ちをするサーファーたちの少し沖合で、とつぜん水飛沫が上がった。そしてまるで波が押しせるように海面が盛り上がり、その奥に無数の黒い影がうごめいていた。

「サ、サメだっ!」

 ビーチで眺めていた海水浴客が叫んだ。しかし当のサーファーたちはまるで気がつかなない様子だ。慌てる気配も見せずに波待ちを続けている。

 そしてそれからしばらくして、世にもおぞましい惨劇が幕を開けた。

「あっ……」

 白い砂浜の上で、海水浴客たちはただ茫然としてその光景を見つめていた。

 一つ、また一つと、逆光に浮かぶサーファーたちの影が波間に消えていく――

 そして残されたサーフボードがむなしく宙に舞う――

 それから数十分後、浜辺に打ち上げられた醜い肉塊の数々。ちぎれた腕に、赤く染まった脚、それらに埋もれて、ギロッと目を剥いた頭まで転がっている。食い残された数だけで二十人はくだらないだろう。サーファーたちのいなくなった海には、無数のサメの背びれだけが、ゆっくりと沖合に向かって移動していた。

 その翌月の二月、東京――

 横浜市神奈川区の自宅のリビングで、浅田公平は瞬きもせずにじっとテレビの画面に見入っていた。これまでの四十二年の人生でこんな光景を目にするのは初めてのことだ。それも当然だ。なにしろ観測史上初めての出来事であるし、それ以前にあらゆる記録をひっくり返しても、きっとどこにも見つからないに違いない。彼はつぶやいた。

「どうしてこんなものが東京で……」

 龍のようにとぐろを巻いてうねる巨大な柱。朝方に東京湾で発生した数十本もの竜巻は、その後次第に勢力を増し、さらにはお互いが重なり合い、ついには一本の巨大な竜巻となって品川の街に上陸した。低く垂れ込めた曇天に伸びる巨大な柱、猛烈なスピードで移動するその竜巻が、電柱をなぎ倒し、あらゆる看板をはぎ取り、とうとう車までをも宙に巻き上げた。それだけではない。運悪く逃げ遅れた人々までさらわれ、竜巻の駆け抜けたあとにはゴミ一つ見当たらないありさまだった。そしてしばらくすると巻き上げられたそれらが、天からまるで雨のように降り注いだ。

 けっきょく品川から山手線に沿うようにして北上した竜巻は、上野のあたりで次第に勢力を失い、最後には春一番となって東京の街を吹き抜けた。そして午後には抜けるような青空が拡がり、数時間前までの惨劇がまるで嘘のようだった。しかし品川から上野に至る深い傷痕が、それが紛れもない現実であったことをありありと物語っている。木造家屋は基礎だけを残して消滅し、街路樹は根こそぎ引き抜かれ、かわりに空から降り注いだ瓦礫や車が無造作に転がっている。総動員された警察や消防が、それらに交じったおぞましい姿の屍をかたづけるのに、日が暮れるまで街を駆けずり回った。

 その夜浅田公平はリビングのソファーで寛ぎながら、昼間テレビで見た光景を想い出していた。ここのところ異常気象が原因と思われる事件が後を絶たない。地質学者の彼にとっては畑違いではあるが、それでも何かとんでもない異変が起きていることは想像に難くなかった。そうでなければ「観測史上発」と冠のつく事件が、こう毎週のように起きようわけがない。けっして偶然とは思えないのだ。

 グラスのウィスキーを一口飲み、浅田は小さくつぶやいた。

「いやな予感がするな……」

 彼は何か得体のしれない胸騒ぎを覚えた。しかしそのときはまだ、まさか自身の専門分野にまで異変が及ぼうとは夢にも思っていなかった。

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