第13話:怒りの風
肉体と物質がぶつかり合うような衝突音。
殴打音と言うべき音が、少し離れた場所から聞こえてくる。
――どうする。
目の前の金髪の女性に両肩を掴まれている現状を、どう打破すべきかという意味であった。
必死さゆえか、セイジの想像より強い力で、通りの路地へと引き込まれた状況。どのように弁解し、如何に早くこの場を離れるべきかを考えていた。
「聞いてる!? グラロフが!!」
再びセイジへと懇願する女性の様子に、事態が切迫しているのは嫌でも気付いていた。
言葉が分からないフリをするか。
戦闘力が無いアピールをするか。
争いたくないスタンスを取るか。
彼の事情を考慮すると、いずれも嘘ではなかったのだが。
「俺は」
と言いかけたところで、新たな人間が現れる。
「ここに居たか。何者だお前は!?」
「兄を解放しなさい!」
濃い灰色の髪と同じ色の髭を生やした中年の男が、勢いそのままにセイジを睨み付ける。その男へ、掴んでいた腕を離した女性が強い口調で言い返した。
――予感が当たった。
この世界の言語には未だに不慣れであった。それでも、断片的に分かった単語を頭で組み立て、セイジは事態を把握する。
グラロフという男が囚われており、この女はグラロフ側の関係者。後から現れた男が、彼を捕まえている仲間の一人。
それらを認識したセイジは、自分の意思を表していく。
「自分は、戦えません。知りません」
「えっ……!?」
普段より早くなった心拍音を意識しながら、セイジは努めてしっかりと話した。
その言葉に女性は、意味が分からないという顔を向ける。
役所前の大通りは人の行き交いが多いが、道を一つ折れると、途端に人の気配が乏しくなる。
「助けて! お願い!!」
ましてや、女性のような存在に手を差し伸べる人間は居ない。居たとしても、この中年のような、悪意による接触だけ。それを知る女性は、藁にも縋る思いでセイジを頼ったのであった。
「居たようだな、ほら」
彼らが現れた道から、新たに三人の男が姿を現す。
後方を振り返らずに声を出した男は片手に太い槌を持ち、ゆっくりと歩いて向かってくる。
次に見えた男は、犬のようなその顔を腫らしていた。
――犬人種……。
ラフィアルーンがセイジへと話していた、種族ごとの特徴。金色の頭髪と、記憶にある犬のような顔立ち。今もなお血が流れる身体を、破れた衣服から晒している。
その男を片手で掴み、後ろから押すように現れた者は、黒い外套でその身を覆っており、それ以外の外見は分からなかった。
だが、捕らえている男達と繋がっていることが、セイジには疑いようもなかった。
「グラロフ兄さん!」
「うぐ……」
女性が兄と呼ぶ、グラロフという男が声を出そうとする。
「お前、この二人の関係者か?」
犬人種を囲んでいた男の一人が、セイジに向かって凄む。
違う、と答えようとするも、
「その男は、無関係だ……」
傷付いた男が、絞り出すように話す。
直後、フードを被った男から淡い輝きを伴う風が放たれた。
速度のある風の塊が、セイジの頬を掠めていく。
「……っ!」
魔法耐久は、セイジにも備わっている。己の周囲に存在していたような、薄い魔力の膜が剥がれた感覚が、彼の神経へと伝わった。
顔の正面から受けたが、セイジの皮膚は傷付いてはいなかった。
だが、セイジにとって明確な敵意を向けられたという事実。牽制とはいえ、強い害意に晒されたのは、この世界では初めてのことであった。
「…………」
頬を押さえ、傷が無かったことを確認するセイジ。
「人と言えども、魔種の肩を持つのなら容赦はしない」
彼へ向け、憎しみの籠った声で男は話す。
脳内で男の言葉を理解することに専念したセイジへ、
「こんな風に、な!」
再び男の手の先から光り輝く。先程と同じ風魔法が、今度はセイジの腹部へと直撃した。
魔法耐久が低下すれば、魔法の効果は十全に機能するようになる。
セイジは風属性を身に纏わせて相殺しようとしたが間に合わない。
「うぐっ……!」
腹を殴られたような衝撃に、セイジは息詰まった。
大きく身体を仰け反らせ、地面に倒れ込み、その身を悶えさせた。
「やめろ、その人は関係無い」
「うるせぇ!」
「兄さん!!」
犬人種の男の発言が気に入らなかったのか、激昂した男は彼を殴り付けた。
――どうすれば……!
蹲ったまま様子を窺いながら、状況の打破を考えるセイジ。
彼らの騒動の理由すら分からず、関わりたくないという思いが頭を占めていた。
しかしその胸中では、可能なら若い男女を助けたいという気持ちが芽生えていた。
「こいつはな、俺の女に手を出したんだよ!」
「違う! 兄さんは私を助けようとしただけ!」
激しい口調で中年の男と若い女性が言い合う。
周囲を窺うも、道行く人々は遠巻きに関わろうとしていなかった。
何故、という気持ちが、己を棚に上げていたセイジの心へと込み上げていく。
「やめろ! 妹に攻撃するな!」
手を出さないようにと犬人種が言ったことを、セイジの脳が翻訳する。
「黙れ! 犬人種が!」
仲間が後ろに居るからか、持っている鈍器を使わず、再び拳で殴り付けた。
犬人種の兄の口から、血が流れ出る。
思わず目を背けたセイジは、恐怖に苛まされていた。
「こいつらは、悪魔の子だからな!」
悪い魔種の子という言葉が聞こえ、セイジは遅れて意味を悟る。
――魔族は人間の差別や敵意の対象だから。
同時に、悲しげに語るラフィアルーンの姿が思い起こされた。
「何もしなければ、見逃してくれるのか?」
痛い目に遭いたくない。死にたくない。そういった気持ちになりながら、男達へ問い掛けた。
「ここへ戻って来なければ、な」
答えた男が手の槌を地面へと叩き付け、周囲を威嚇する。それを見た街の人達が、慌ててその場から離れていった。
ラフィアルーンやジーンを呼びに帰ろうとセイジは考えたが、この状況では見逃してもらえそうにないと思えた。
――どうするか。
「その男と話したい」
「なにぃ?」
立ち上がったセイジの提案に、男は眉を跳ね上げながら話す。
「犬人種を見るのは、初めてなんだ」
見納めになる前に、という思いが伝わるように、セイジは語った。
「なんだ、お前も魔種が嫌いなのか」
「この特徴をよく覚えておけよ!」
掴んでいた男がそう言いながら、セイジの前へと犬人種の男を投げ飛ばす。
「関係無い人間なら、逃げろ……」
傷だらけの顔で、辛うじて喋るグラロフ。
その姿をしっかりと目に焼き付けながら、襟元を掴むように持ち上げようとする。
セイジの手に血が付着し、見た目以上の重さを心身で感じた。
「こいつ……!!」
救世主だと思っていた男が、実は助けにならない存在であったこと。それどころか、自分達を裏切ったと判断したのだろうか。
セイジの後ろに居た犬人種の妹が、その相貌を絶望と怒りに歪める。
「変なことをしたらこいつより痛い思いをしてもらうことになる」
「この街から悪魔の血を引く者どもを全て消してくれたら更に良いぜ!」
セイジに敵対心が無いと判断したのであろう男達は、下卑た笑いを浮かべながら語った。
反魔種主義、過激派といった言葉がセイジの脳裏へ浮かぶ中、魔族の血を引く存在を彼は思い浮かべる。
――ラフィアルーン……。
セイジにとって、一番身近な魔族。
男達にとって、彼女すら排除の対象であるということを理解したセイジは、
「……恩返ししたかったけど」
と前の世界の言葉を発し、ラフィアルーンが居てくれなければ今頃どうなっていたかと考える。
別の形で生き延びていたかもしれないと思うと同時に、この日まで生きらなかったかもしれないと、相反することを思った。元より、ゲーム以外は割とどうでも良い生き方をしていたのだ。
帰る方法を探すとは言ったが、恐らく戻れないだろうと、半ば諦めていた。
世話になった魔女の存在と、己の命。恩を返したい、出来るなら力になりたい。
「すまん」
思いを胸に秘めたセイジは、短い謝罪を口にする。
苦痛や死を想像し、体が恐怖で竦むような気がした。
ラフィアルーンのことを想うと、悲しみと怒りで心が焼き付きそうになった。
――生き延びよう。生きて、ラフィアルーンの夢を手伝いたい。
魔女の持つ、人魔共存の夢。その力になれるとは思えなかった。
それでも、彼女の悲願ともいえる夢を、見てみたいとセイジは思った。
青年が男達を見やる。強い想いをそのままに、体内の魔力を手へ巡らせていく。
「あぁ?」
怪訝な表情の男に対して、セイジは魔力を込めた手を向ける。
掌から勢いよく放たれた風が、男達へ向かって射出された。
「ぐおおおぉぉ!!」
「なっ、貴様ァ!」
「ぐっ……!」
渦巻く風が広がり、荒ぶる風の層となって男達を襲う。
「うあああっ!」
セイジの後ろに居た女性も風の影響を受け、その場に身を伏せる。
地面と水平に撃たれた、竜巻のような風魔法が、凄まじい音と砂埃を立てて、暴風が路地を駈けていく。
男達の魔法耐久を破壊し、その身を刻み、あるいは壁へと吹き飛ばしていった。
「貴様!!」
魔法の影響が薄かった、フードを被っていた男が叫び、セイジへ向かって手を突き出していく。
憤慨する男へ、セイジもまた同様に怒りの表情を向け、拳を突き出した。
持ち前のものと、身に付けていた衣服の魔法耐久。
加えて、立ち位置によって風魔法の被害を抑えた男は、
「覚悟しろ!!」
魔法を行使した反動を狙い、魔法を撃ち込もうとしていた。
だがその直前、セイジの様子がおかしいことを悟った。
「なにいいぃ!?」
セイジの掌から、先程よりも一段と強い暴風が放たれる。
男は咄嗟に両手を交差させ、吹き荒ぶ風から身を守ろうとした。
地面へ踏ん張っている両足ごと、風が壁へと男を押しやっていく。
「くそが……!」
強烈な風の中で、悪態を付きながら耐え凌ごうとしていた。
自身の魔法耐久が削れていくのを自覚し、魔力を防御へと回していく。それと同時に、反撃や逃亡の算段を脳内で練っていた。
「嘘でしょ……?」
風の影響が弱まっていく。
顔を上げた犬人種の女性が、信じられないといった様子で声を漏らす。
「おおおおおぉっ!!」
セイジが吠えた。
前方へ腕を回し、防御に身を固める男へ、セイジは叫びながら両腕を握り締める。
握り込まれた指先が開かれ、掌から放たれていくのは、再三にわたる風魔法。
それも、これまでで最も強力な風圧が、セイジの両手から撃ち出された。
「――馬鹿なっ……!?」
男には理解出来なかった。
平均的な魔力量、魔法の威力、規模、反動といった言葉が、脳内を駆け巡る。
「…………っっ!!」
足を軽々と掬われた男は、声を出すことすら能わずにいた。
全てを巻き上げる音に遅れて、衝突音が路地に響く。
壁や地面に叩き付けられたことで、男達は皆、戦意や意識を失っていた。
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