第12話:この街の一員となった帰りに

「初めて来ました……」

「そうでしたか、ということは」

 広い空間に雑多な人、物。高い天井。

 人々は屋内に掲げられた案内や表示を見ては行き交い、目的の場所に座る。

 用事を済ませた者は出入り口へと向かい、また新たな人と入れ替わっていく。

「あ、そうです。別の国から」

 過去の人魔の衝突後に、この街へと流れ着いたこと。ラフィアルーンに拾ってもらい、店で働きながら生活していること。真偽を織り交ぜた経緯を軽く話し、役所内へ商品を運ぶセイジ達であった。

 入り口をはじめ、あらゆる場所に板や台座が設置されており、それらの上に張られた紙が目立った。中には勝手に文字が描かれては消え、新しい内容を書き表す魔道具も存在した。

 ――近代的というか、何と言うか。

 天井や床、壁にある一部の魔道具からは、空調を整える為の風魔法が取り入れられていた。

 頭上や壁からは事務手続きの邪魔にならない程度の微風が流れてくる。温度も湿度も丁度良く思われ、屋外に居るよりも快適であった。

「過ごしやすいし綺麗でしょう?」

 ジーンの語る内容こそ役所の自慢であったが、その口調や表情は施設の紹介するような自然さがあった。

「そうですね、良い環境だと」

「最近、変わったばかりでして」

 前は無残でした、と苦笑しながら話した。

 ジーンの発言通り、足元の白い床は綺麗に磨き上げられていた。窓からの天然の輝きと天井からの人工の炎によって、明るい空間が保たれている。


 一定間隔に設けられた受け付け窓口。

 セイジの前の世界で言うところの、アクリルボードや強化ガラスのような素材で出来た透明な仕切り。

 受け付けの前には台と椅子がそれぞれ用意されており、仕切りの空いた部分からはジーン同様、きっちりとした格好の役員達が顔を覗かせている。

 そこでは訪れた人が各事務手続きや交渉といったやり取りをしていた。老若男女問わず、似たり寄ったりの作業をこなしていると見受けられた。

 武器とか鎧とか、あれは盾だろうな、などと見当を付けながら、セイジはジーンの後を進む。

 男が居た世界だと、法に触れそうな刀剣。身を守る為の盾、鎧、兜といった防具。荷物や商品、収穫物を入れる用途らしき袋。学生のような見た目の人間が持つ、杖や書物。

 彼らの外見は人間であること以外、統一感の無さが窺えた。応対する職員の格好だけは規則的であったが。

 ――これ制服だったのか。あ、犬耳だ! ……って、兜かよ!

 自分が知らないだけで、魔族の人達も居るのだろうか。セイジがそう思いながら眺めていると、横合いから声を掛けられる。

「こちらです。ご協力、ありがとうございました」

「あっはい」

 目的地に辿り着き、二人揃って商品を床へと下ろす。

 空間内に人の割合は高かった。が、受け付けの数もそれなりに多く、混雑している印象を与えなかった。人数の割にはスムーズに処理が為されていると、セイジには思えた。

「住人の登録はまだでしたよね?」

 街の住民登録をしてこいと、ラフィアルーンに言われていたのである。

「まだでしたら、宜しければ、こちらで登録することが可能ですが」

 強制ではなく任意。そういった口調で語られた言葉を、セイジは頭で訳していく中、近くの空いた机と椅子に座るようにジーンから促された。

「こちらへどうぞ。そちらが、登録の際の確認事項となります」

 セイジが椅子へ座り、続いてジーンが斜向かいへと静かに腰を下ろす。


 登録することの長短を考えている最中、ジーンが懐から紙を取り出した。

 両手で収まる程のサイズのそれを受け取ったセイジは、

「小さい……」

 記載された文字の小ささに顔をしかめた。

「如何されました?」

 何かお困りでしょうか、という表情でジーンはセイジの顔を見る。

 困るも何も、とぼやいてから、

「すみません、読めません」

「……そうでしたか。では説明致します」

 と、正直に弁解したセイジであった。

 彼の困惑した様子に納得し、ジーンは丁寧にそう語った。

 書かれている確認事項というものは、この世界の標準語とされている文字である。それが読めないとなると、他の大陸から訪れたか。あるいは、識字率の低い生まれの者だろうとジーンは推測する。

 人と魔種の戦後、この街へ流れ着いた者達。彼らの中には、そういった字の不得手な層も少なからず居たからであった。


 この街の住人になる為の必要事項や恩恵。

 役所がある地域ならば、世界のどこであっても身分を保証されるということ。

 公共施設の利用が無料または安価で可能になること。

 病気、災害、事故、事件に見舞われた時の保障を受けられること。

 住民としての役割――納税のような義務。街に住むにあたっての注意事項を数点。

「……などと、以上のようなことが書かれております」

 時折、知らない言葉を聞いては理解出来ないという表情をしていたセイジ。

 それに対し、ジーンは理解が及ぶまで丁寧に説明したのであった。

「ありがとうございます、よく分かりました」

「いえ、良かったです。では、こちらにお名前の記入を」

 と言いながら、別紙を差し出す。

 厚紙のような質感の良い紙。横には筆とインク壷が並べられ、小型の紙の表面には、名前、住所と前書きされた線が二つ並んでいた。

 ――年齢とか生年月日とか、そういうのは無いのか。

 セイジがそう思いながら眺めていると、別のことに気付く。

 ――って字! ヤバくねこれ!?

 今更ながら読み書きの双方が出来ないことを自覚する。

 記入にあたり、焦りを見せるセイジへ、

「代筆も可能です」

 決まり文句のように、そう答えるジーン。

 それなら良かったと、ジーンの返答に安堵して、セイジは胸を撫で下ろすも、ですが、と続けられることで再びドキリとするのであった。

「普段お使いの文字によるご記入でも構いませんよ」

 異なる文字を使う地域の存在を考慮して、ジーンはそう語った。

 慌てふためいていたセイジの脳が、その言葉の意味を遅れて翻訳していく。

「……そんなことが?」

「ええ。独自の文字は、そのまま本人の証明となりますので」

「はぁ、なるほど」

 付随して説明されたジーンの言葉を聞き、理解に及ぶセイジであった。

 可能ならば保証人の随伴か、既にこの街で暮らしている住人の紹介が好ましい。

 確認事項を説明された際と同様、セイジがジーンに再び言われた言葉である。

 ――そりゃそうだよなぁ。

 手続きに際し、身分証明書などの準備もなく登録など出来ない。

 前の世界での登録手段を、セイジは思い返し、諦めたような顔をしていた。

 その表情を見たジーンは、ラフィアルーンの渡した控えを掲げる。

「こちらを保証書としてご利用可能ですので」

 そう説き、保証人への迷惑行為は厳罰であると続けた。

 ジーンの言葉を聞いたセイジは喜びも束の間、記入を躊躇するのであった。

 予期せぬ事態により、魔女に迷惑を被らせる可能性を考慮していたのである。

 一方で、セイジは己のことをそこまで気にしていなかった。死にたくはないが、死を免れられない状況なら諦めが付く。

 ――ワンチャン悪足掻きするぐらいは許されるだろ。けど……。

 ただで死んでやるつもりなどセイジには毛頭なかったが、彼はラフィアルーンに対して世話になりっぱなしなのである。自分が原因で、知らない間に彼女へ被害が及ぶことを危惧していた。

「知らずに迷惑を掛けた場合は」

 懸念事項を告げ、可能性の果てに起こり得ることを訊ねる。

 先程説明を受けた、この街の規則をはじめ、何か厄介事に巻き込まれた状況。その被害が行き着く先を考えた場合、訊ねずにはいられなかったのである。

「迷惑行為の内容を、保証人の方、あるいは被害を受けた方。

 それと、役所の者を含めて話し合われます」

 規則を頭に思い浮かべるジーンの説明に、裁判のようなものかと考えていたセイジ。

「分かりました」

「あとは、魔素認証……ああ、装置に手をかざすだけですので」

「と言うと?」

 理解と質問を重ねながら、セイジは紙面に記入していくのであった。

 魔素認証の技術を用いた、証明用の魔道具へ登録者の手をかざし、魔力情報を読み取る。これにより、登録者情報をデータベース化する仕組みとなっている。

 魔力を感じ取ることが出来ず、魔法を使うことが出来ない者。そういった人間であったとしても、魔力というものは生物に必ず宿っている。

 役所に勤める際、事前にそう学んだジーンは、セイジへと一から説明し、備わっていた魔道具を指し示す。

「すぐ終わりますので、ご安心を」

「はい」

「……はい、確認致しました」

 セイジの同意を得たことに微笑み、認証が無事済んだことを見守っていた。

「ランク……あ、いや、格付けとかは?」

 一通りの手続きが終わり、ふと浮かんだ疑問を言葉にする。彼が好んでいた文化に見られた、ランキング制度は無いのかと問う。

「一応存在しますが、一年以上の生活が認められてからになります」

 詳しくは別紙を、といって資料を取り出すジーンに、

「ああ、いや、大丈夫です」

 既に条件から外れていた為、礼だけ述べて断った。

「そうですか。では、登録は以上となります」

「あ、はい。ありがとうございました」

「登録証は本日、すぐにお送り致します」

 そう話すと、ジーンから手を差し出された。

 握手の文化があるのだと、セイジは率直に感じた。

「よろしくお願いします」

「こちらこそ。今後ともよろしくお願いしますね」

 手を握る二人。柔らかい手だと、互いに思った。


 ジーンに別れを告げ、セイジはラフィアルーンの居る家へと歩いていた。

 その僅かな帰路の道中であった。

 ――しくじった。

 セイジはこちらに向かってくる女性を見て、そう思った。

「誰か助けて!!」

 目が合った。意味も分かった。男は気付いてしまった。

 太陽が雲に隠れ、肌寒い空気の中。

 セイジの耳に、明らかに非日常的な音が聞こえてきた。

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