第5話:魔法への思い
――分かってたけど。
起き抜けの怠さと肌寒さを覚え、セイジは馴染みの薄い毛布を引っ張り上げる。
昨日までの出来事が夢ではないのだと、彼は改めて思い知った。
朝からマイナス思考に陥る男に、部屋の前に来た家主から声が掛けられる。
「おはよう、セイジ」
「……おはよう」
そのままのテンションで言葉を返す。
入るよー、という声の後に、扉の開かれる音が鳴った。
「大丈夫?」
様子を窺うように、セイジを覗き込みながら気遣うラフィアルーン。
「ああ、大丈夫」
全然大丈夫じゃないと言いたい気持ちを抑えつつ、セイジは寝具から起き上がった。
「朝ご飯、作りました!」
「助かります」
声を掛けたラフィアルーンは、昨日の服に似た衣服を着ていた。
デザイン――刻まれた魔法式――がちょっと違うだけ、としかセイジには思えなかった。朝食の準備が出来たことを伝えてから、彼女は部屋の扉へと向かっていく。
「冷たっ!」
床に下ろした足に冷たさを覚え、思わず足下を見ると、
「あ、室内用の靴、用意しました」
昨日はごめんね、と振り返って謝るラフィアルーンが床を指差す。
白い毛で覆われた履物が一足、彼女の履いているものと同じ物が置かれていた。
男はそれに足を通し、感謝の念を伝え、彼女の後をついていく。
「今日は時間が、たくさんあります!」
寝室から別の部屋へ向かう途中、魔女はそう宣言した。
「魔法、使いたいんでしょ?」
彼の心中を知ってか知らずか、彼女はさも分かっているかのように笑いながら話す。
目が覚めても前の世界ではなかったこと。彼女の言う通りであること。
「使いたい」
――帰れる方法は後で聞けば良いか。
未練が無い訳ではなかったが、現状で出来そうなことへの受け入れと期待。魔法に対しての興味へ、セイジは心を委ねていった。
ラフィアルーンの後ろを歩いていったセイジは、広めの部屋に入ったところで、いくつかの皿と容器が机に置かれているのを目にする。
「さっき作りました」
どうぞ、と手で促され、二人して椅子に腰を下ろした。
男は既に置いてある朝食を眺めた。
大きめのサンドイッチと牛乳、それに紅茶。横にある果実はオレンジ、という印象を抱いた。
軽く焼いたパンに、薄く切った肉と野菜が挟み込まれており、カップには白と、赤茶色の液体が注がれていた。
「ありがとう、いただきます」
彼がこの世界の言葉で述べると、
「どうぞー」
ラフィアルーンはのほほんと返しながら、パンに手を伸ばした。
セイジは元々、食事への関心がそこまで強くはなかった。
だが、今の彼はただ飯食らいである。感謝の念に堪えず、彼は昨日と同様に両手を合わせてから食事を摂っていった。
「あ、飲み物は好きな方を……、んー」
魔女は、セイジが理解出来るような言葉を探しているようであった。
多分大丈夫と言ってから、セイジにとってはミルクに見える方の容器を手に取った。
口に入れると、前の世界のものより甘い。そんな味わいを彼は感じた。
「美味しい」
「良かった! じゃあ食べた後は魔法と世界のことを話します」
「お願いします!」
起床直後のテンションはどこへやら、顔をガバッと上げて言った。
朝食を味わうのもそこそこに、早々に食べてしまったセイジであった。
「子どもみたい」
待ちきれない様子のセイジを見て、くすくすと笑う魔女。
そんなことないと悪態をつくが、セイジ自身も胸中で同意していた。
オレンジと予想した果物は、彼の想像通り、甘酸っぱい柑橘類特有の味であった。
食事を終えた男女が裏庭へ出ると、太陽が壁越しに光を注いでいた。
地面の上に厚手の布が敷かれ、囲いの近くに標的が置かれる。
魔法練習用の為に、ラフィアルーンが物置から持ってきたのであった。
「じゃあ、昨日と同じです。魔力の流れから確かめて」
「分かった」
その上で二人は向き合いながら話す。
彼らは早速、魔法について試行錯誤していた。昨日同様、ラフィアルーンが指導役で、生徒役はセイジである。
「魔力が少なくなると、苦しくなるから」
そうなったら言うようにと、言葉と絵で教えていく魔女。
全身を黒く塗られた男がセイジで、白抜きの女がラフィアルーンという、絵に描かれた男女。クオリティは低いままであった。
「分かった。よろしく頼む」
その絵を見ない振りをしながらセイジは答えた。
「苦しい時、魔力をあげられるからね!」
魔力はたくさんあります、と続けて、魔女は紙に描き起こしていく。
歪な手が白い女から生え、黒い男の周囲に波打つ線が描かれるのであった。
眺めていると集中出来ないような気持ちに、セイジは踏ん切りを付ける。
己の中の魔力を確かめようと、彼は両目を閉じて片手を突き出した。
「魔法は、思いで生まれるの」
「思い、か」
「そう」
――イメージで良いのか?
男が脳内で考えていると、昨晩の出来事が思い出された。
水、液体。流れ、出す。
セイジが水について想像していくと、澄んだ空のような色合いの集まりを、自身の胸元に感じた。水属性の魔力であるそれを意識し、どうにか放とうとしていく。
――出ろ!
ひと際強く思い込むと、セイジの体の周辺から水蒸気が放出された。
「うおおおお出来たああ!!!」
少しだけ眩暈を覚えるものの、水魔法らしきものの発動に成功したと喜ぶセイジ。
喜びと驚きに気色ばむ彼に対して、ラフィアルーンは、
「それは失敗」
と一言でバッサリと切り捨てた。
「え? これ駄目なの?」
ぼやく彼に、どうしたの? という表情を向ける彼女。
「え、ああ。どうなんだ、失敗なのか」
「うん。手から出てなかったよ」
そう言われた男は、全身から霧状の水が放たれたことを思い出す。
彼女の指摘通り、構えていた手から放出されていなかったことを思い返した。
――さっきの眩暈、魔力を使ったってことか。
失敗しても魔力を消費するのだと、セイジは気を引き締め、意識を研ぎ澄ませていく。
男は再び水について想起していく。
魔法を使うことを意識しながら水を思い浮かべていく。セイジの胸の辺りに、再び魔力が集まっていった。液体、流れ、と先程と同じく考えていたところで、
「手から、出す」
と言葉にして意識を傾注していった。
心臓から魔力が腕へと向かい、突き出した手の方へ流れていくのを確認する。
――いけ……、出ろ……!
「いけえっ!」
念じながら叫ぶと、セイジの手から水が勢いよく放たれる。
鋭い水流が的に直撃し、標的が音を立てて破砕していった。
「出来たああああって威力すごっ!? 頭いてぇ!」
目論見通り魔法を撃てた喜びから一転、魔力消費による頭痛がセイジを襲う。
「凄い、ちゃんと出来た! おめでとう!」
横で見ていたラフィアルーンは、諸手を挙げて喜びながらセイジを祝った。
「あ、ありがと! ラフィ……!」
ラフィアルーンさん、と口に出そうとしたところで、彼はその場に立っていられなくなった。
頭痛と眩暈、胃を圧迫するような気持ち悪さがセイジの身体へ広がっていく。
顔を顰める彼はその場に座り込み、何とか彼女へ感謝しようと見上げる。
「あ、苦しい? 待って」
腰を落としたラフィアルーンは、セイジを抱えるように手を回した。
「魔力あげるので、受け入れて!」
魔女の両手が淡く輝く。
受け入れってどうやるんだっけと思いながら、セイジは彼女のされるがままであった。
魔女が触れている腕と背から、魔力の波が押し寄せていく。
セイジがそこへ意識を向けると、体内へと魔力が流れ込む様子を知覚した。
彼の体内にあった不快感が払拭され、セイジの眩みと頭の痛さが和らいでいった。
「ありがとう、ラフィアルーンさん」
「魔力、たくさん使うと危ないよ!」
感謝を告げられた魔女は、首を振りながら忠告する。
「気を付ける、すまん」
苦痛が消え、すっきりした心地でセイジは詫びた。
「うん。絵を描いておくので、頑張ってね!」
心配そうな表情を消し、微笑むようにラフィアルーンが話す。
絵は今後の解説用のもの、と付け足してから敷物に座った。
それを眺めた男は、再び魔法を扱う練習を重ねていった。
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