第4話:魔法から思わされたこと
セイジが意識を取り戻した頃である。
先程までの彼は魔女に魔力を吸われ、庭に倒れ伏していた。
「……怠い」
力が上手く入らず、倦怠感に身を任せる。
外は音が少なく、世界が闇に包まれる時間。時間や月の位置という感覚が分からないままであったが、
「そんなに経ってないのか」
怠さの割に、身体の痛みが無いことから感じ取った。
――ゲームしながら床で寝落ちした時よりマシ。
地面に転がっていた身を考えると、想像より身体が痛まないことに違和感を抱いた。
「あぁ」
すぐさま、セイジは違和感の正体に気付く。彼の横たわっていた場所には、柔らかい羽毛が敷かれていた。
「怒ったのに気を遣ってくれたのか」
ならここまでやるなよ、と苦笑していると、
「気付いたんだ」
ラフィアルーンの声が聞こえてきた。
そちらを振り向くと、庭と家屋を繋ぐ出入り口から、彼女が姿を見せた。
そこには、その日の中で最も冷たいであろう表情をした魔女の顔があった。
「本当にすみませんでした」
その場で平伏し、男は真剣に謝る。
「……もう」
それを見たラフィアルーンは軽く溜め息を吐いて、中に入るように促した。
「お風呂、こっち。覚えてる?」
家屋へと入ると、入浴を勧められる。
大丈夫、分かると返したが、二人で浴室へと向かっていった。その間も、言葉や常識の授業は続けられた。
一度や二度で覚えられれば良い方で、浴室に向かう途中で、最初の方の単語を忘れていくセイジであった。
「これ、分かる?」
「分かりません」
一つの魔道具を前に、何度か繰り返されたやり取りが行われた。
「もう言いました」
「すみません。再び、お願い」
しっかりして、という言い方と、仕方ないけど、という表情で魔女は語った。
現地の言葉で繰り広げられる二人の会話は、言葉の発音や構成がどことなく歪であった。
それでもラフィアルーンは、何度も丁寧に言葉と意味を教えようとした。
セイジは理不尽な気持ちと申し訳なさを抱えながらも、説明を聞いては答えていく。
ラフィアルーンが早歩きし、一人で別の部屋に引っ込んでいく。セイジが空気を読んで入り口で待っていると、室内用の衣類を手に彼女は戻ってきた。
「売り物だけど」
とりあえず、という体で手渡したのは、店舗の商品である上下の衣服。
ジャージ、パジャマという単語がセイジの脳裏を過る。
その二つに当てはまる特徴といえば、その形がフォーマル向けではないということだけであったが。
――肌着よりはしっかりしてる、外に着ていくような感じじゃないけど。
印象そのままに内心で語りながら、魔女から手渡された服を男は受け取る。セイジの想像よりもまともな質感が彼の掌へと伝わった。
時折、彼女が魔法を用いるところや、魔道具と呼ばれる魔力の込められた魔法製品を改めて目にする。
「セイジ、待って」
魔女がセイジへと一言断り、暗い室内を明るくしていく。
呪文や詠唱に当たる言葉を発してはいなかった。近付いて手を向ける。それだけで、燭台に火が灯った。
浴室に向かって、壁に埋め込まれた箱に手をかざす。それだけで、壁から伸びた筒から浴槽へと湯が注がれていった。
着替え、タオル、籠、桶。歯磨き。
風呂、水、湯、石鹸、頭髪用の溶液。
一度に説明されたセイジは、まともに覚えられなかった。
それでも、見れば分かる形状や位置であった為、使用には困らなかった。
「風呂、使う。着替え、ありがとう」
単語のみで会話し、ラフィアルーンから了承を得る。
彼女が離れていったのを確認し、服を脱いで脱衣籠に放り込む。
木で出来た扉を横へスライドさせ、浴室へと立ち入った。
湯を桶で掬い、身体を流す。少し熱いぐらいの温度の湯が、頭から足へと流れていく。身体を綺麗にする用途の物へ、手を伸ばして思う。
「シャンプーあるのかよ……」
改めて驚きながらも、シャンプーや石鹸に該当する物を使う。
どこかで嗅いだことのあると思ったこの匂いは、ラフィアルーンと似た香りだと感じた。泡立ちこそ前の世界の物より劣るが、手やタオルの摩擦により泡が生まれ、汚れが落ちていくような感覚を体感していく。
再び身体を洗い流し、泡が落ち切ったのを確認してから湯船へと浸かった。
はぁ、と男は大きく息を吐く。全身を湯に包まれ、一日の疲れが落とされていく気がしたのであった。
心身に余裕が出てくると、想定と現実の差を埋めるべく、脳が動き出す。
――この世界は想像以上に発展している。
調理器具、冷蔵庫、照明、シャンプー、石鹸、自動湯沸かし、ドアの構造、トイレ、風呂。
調理器具で言えば、コンロの他に電子レンジのような箱があったことをセイジは思い出す。薪やガスで火を点けるのではなく、火の魔法を土台に使うことで、炎が維持されていた、と。
彼の知るシャンプーやコンディショナーと思われた水溶液。
泡立ちの観点から考えると、何らかの化学反応により生み出された物だろうと推測する。
だが、これも魔法で作られたと言われれば信じてしまいそうであった。ドアは滑車を用いたスライド式、風呂に至ってはほぼ全自動という認識しかなかった。
この日に見て、すぐに思い付く物だけでも、前の世界と同等以上の生活水準だと感じた。
風呂から上がったセイジは、着替えとして渡された服を見た。
生地に詳しくない彼には、麻のような感覚としか分からなかった。
だが、全体的に白いそれはしっかりと裁縫されていたのである。下着も同様であり、ただの穴が開いた布ではなく、衣服としての機能を果たしているように思えた。
――ゴム製品はあるのか?
腰回りで紐を結ぶ構造の下着と着替えを身に付けたセイジは、ふと湧いた疑問について考えていた。
靴下があれば、ゴム製品を作り出す技術がある。
そう思うのは、一度気になった事はたとえ些細な事でもずっと頭に残る性分によるものであった。
調べようとした情報を検索し、一つのデータを見て、それに関連する事項を調べていく内に、元の情報から全く関係の無い内容まで調べてしまう。
元の世界で仲の良かった連中と話す時も、一つの話からどんどん脱線していくことも少なくなかった。話題の中心でありたいという気持ちも少なからずあったが。
そんなどうでも良いことを考えるぐらいなら、一つでも単語を身に付けた方がマシだ。浴室から出たセイジは、着替えを済ませながらそう思ったのである。
浴室へ向かってくるラフィアルーンを見て、彼は割り切ることにした。
「…………」
黙ったまま考え込む男。
なぜここまで気を遣ってくれるのか。
寝室へと案内された彼が思うのは、ラフィアルーンの行動原理についてであった。
――教えてくれたって事は、今日はここで寝て良いって訳だよな。
今更と言えば今更だが、訪れた時よりは随分冷静になった精神で、現状を確認する。
セイジは曲がりなりにも男であり、今の状況は一つ屋根の下の男女である。それも、お互いが見ず知らずの人間であり、更に言えば異文化圏の存在であった。
一目惚れの線を真っ先に除外し、何か目的があるのだろうと訝しむ。
――この世界の住人ではないから? ……有り得る。
しかし、彼は元の世界のことを説明してはいなかった。
言葉が分からず、それでも意思疎通を図ろうとしてくれたラフィアルーン。魔法に驚いたことから、魔法の存在を知らないということは伝わったかもしれないと、男は思った。
「無知全開だったからなぁ」
セイジは、今の今まで何も知らない状態で過ごしてきたと思い返していた。
一般家庭レベルで魔法が普及している生活水準を考慮すると、最も可能性が高い線。異邦人どころか、異界人。それゆえの、接し方だろうか、と。
――物珍しさから? ……同じく有り得る話か。
衣服を含む、見た目の違いで好奇心を示すパターン。何かの研究対象として軟禁状態というシチュエーションを男は連想した。
「セイジ、また」
「おやすみ、ラフィアルーンさん」
セイジはこの時も以前の言葉を話してしまった。慌てて言い直そうとするも、言葉が出てこないのであった。
「また」
結局は彼女の真似をして短く返答し、寝具へと身を預けた。柔らかい布と毛触りの良い毛布に包まれる。
その姿を眺めてから、魔女は燭台へと手を向け、火を消していく。消灯した後、外の明かりを頼りに部屋から出ていった。
去っていくラフィアルーンを、セイジは眺め続けていた。
寂しさが一気に押し寄せてきそうな気がして、彼は毛布で顔ごと覆った。
感情を誤魔化すように、先程まで考えていた疑問を見つめ直すことにした。
――行き倒れみたいなのを見て、純粋に親切心から? ……有りそうな理由だ。
何かに利用するだけなら、衣食住はともかく、言葉の面倒まで見る必要はないのでは、と疑問に思った。
自問自答しては、真実に辿り着けない感覚を抱く。
――やっぱり言葉がまともに通じないのはキツい。
頼れる存在は、魔女一人だけ。
いきなり死ぬことは免れた。その事は非常に運が良かったと、セイジには思えた。
いつまでここに居て良いのか、これから何をしなくてはならないのか。色々と起こり過ぎた一日だと感じた。
「なんでこの世界に……」
帰る方法はあるのかと、彼の中で忘れかけていた思いが蘇る。
有耶無耶にしていた心情が連なるように思い出されていった。
それでも、主に心の疲労によって、セイジは睡魔に襲われていった。
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