第2話:魔女と出会う

 聖志は目を覚ました。薄暗い木造の室内と、透明な枠で覆われた燭台が、彼の視界に入ってきた。

 ついで、己の身体が柔らかな生地と羽毛に包まれていることを悟る。窓にはカーテンが備え付けられ、緩やかな風と光が入り込んできていた。

 心地よさにぼんやりと身を委ねていると、今の状況への把握と理解の為に、彼の脳が動き出していく。

 ――どこだ此処は。何が起きた? 自分が倒れたことを忘れ、何か手掛かりがないか、周囲を観察する。

 木の匂い香る部屋。カーテンこそあるが、電気製品が一切無い空間。燭台、机と椅子、箪笥といった室内具が見受けられた。

 違う世界に飛ばされた。有り得ないものを見た。それらを思い出すと、男の胸が締め付けられていく。

「何で、こんな目に」

 その考えだけで彼の頭は埋め尽くされていた。

 軽やかな音を立てて扉が開いていく。ビクリとしながら振り向き、誰だ、と思わず問い掛けを放つ聖志であった。

 彼が気を失う前と同じく、マントに覆われた魔女のような格好の女性が入ってくる。

 ――あ、起きた?

 男の推測では、彼女はそのような言葉を喋ったように思えた。彼女の歩みに伴って、金色の髪が微かに揺らぐ。

 ――この人が助けてくれたのか。

 恐らく自身を救っただろうと聖志が思う。

 仮装、過去の実在はともかく、彼の世界では典型であった魔法使いのような姿の女性。

 なぜ助けてくれたのか、どうやって運んだのか。

 ここはどこなのか。なぜ自分はこの世界に居るのか。

 聖志は魔女へと元の国の言葉で問い質すも、言葉が通じていないことを思い出す。 必死な印象を感じたのだろう、彼女は明るかった表情を怪訝そうに歪める。

 魔女が再び何かを喋るも、聖志にはやはり分からなかった。双方ともに言葉が通じていなかったのである。

「…………」

 訊きたい事は口に出したと、聖志は思った。困惑した女性を見れば、彼が何を得られたかは一目瞭然であった。

 結局、二人は言葉の不通を再確認出来ただけであった。

 それからして、女性は黒地の布に包まれた片手を前に出し、ゆっくりと動かしていく。

「落ち着け、と言いたいのか? この状況で?」

 彼女の制止を、男は挑発としか受け取れなかった。心に余裕が無かったからか、神経を逆撫でされたと思い込んだ。

 不安と苛立ちの心情を隠せず、

「落ち着いていられるか! 説明しろ! なぁ、早く!!」

 ――まさかお前が巻き込んだのか!? おい!

 男は物凄い剣幕で相手を責め立て、女性へ詰め寄ろうとする。

 しかし、魔女はその動きを止めて黙っていただけであった。

「これも魔法なのかよ! いい加減にしろ!!」

 身動き出来ない男の全身から、怒りの感情が溢れ出す。だが、どんなに喚き暴れようが、彼の体は微動だにせず、一切の変化が訪れなかった。

 己の意思を通さない自分の身体に、聖志は強烈な違和感を覚えた。金縛りにあったが如く、彼が力をどれだけ込めても、指一つすら動かせずにいたのだ。

 彼の怒りが突き抜け、隙間の生まれた心に虚無感が訪れる。

 魔女はというと、真紅の双眸で真っ向から見つめていた。その視線を浴び続けた聖志は、その瞳をまるで魅入られるように覗き込んだ。

「分かったよ。そんな睨むなよ」

 ここに来て、聖志の目にようやく理性の光が灯った。それを確認した相手は、目元を微かに緩め、かざしていた手を下ろす。不可視の拘束も併せて解かれ、男の身体に力が戻る。

 一人身勝手に喚いた気まずさからか、気恥ずかしさからか、聖志は彼女から目を逸らして俯いた。のろのろと再び自己分析を始める、魔女と相対する男。頭は多少痛むが、身体への異常は感じられなかったと結論を出した。

 だが、聖志の心は余計に絶望へと駈られた。一つのことに安堵した刹那、複数の心配事が、男の胸中へ浮かび上がる。

 ――前世で何かしたからか?

 彼の脳が、この状況を作り出した原因への答えを模索する。

 前世を考え、まるで死んで生まれ変わったみたいじゃないか、という感情が生まれていき、彼の精神をマイナスへ振り分けていくだけであった。

 怒りと混乱が治まった後、聖志に溢れて来るのは孤独感と涙であった。

「くそっ、なんで……誰か……!」

 かつて居た世界。ゲームに、同好の志に囲まれ、毎日を楽しく生きていた日々。頼れる恩人、愉快な知人、明るい後輩。名も職業も知らないとはいえ、それなりの時間を共に過ごした仲間達。

 生き甲斐を一気に失った喪失感が、聖志の胸中へと押し寄せてくる。悲しみと恥ずかしさで、顔を上げることが出来ないでいた。

 そうしていると、彼は女性の動く気配を感じた。涙を堪える姿を見られないよう、視線だけで動きを見ていく聖志。

 魔女は聖志の居る寝台へ近付き、おずおずと腕の裾を触れた。

 ――俺にどうしろって言うんだよ。

 遠慮がちに掴まれた腕。聖志は払う気になれなかった。

 しばらくして、彼の視線は伸ばされた腕の先を辿っていく。その果てに、紅い瞳を伏せがちにした、申し訳なさそうな表情が目に入るのであった。

 はー、と彼は溜め息を吐く。その反応に対して、女性は僅かに体を硬直させた。 理不尽な出来事に、魔女に対しての当て付け。

 そう捉えられたかもしれない、それでもいいと聖志は思った。

「……それで?」

 今度はしっかりと意志を込めて見つめ返す聖志。男の落ち着きを確認したのか、彼女もまた、表情を改める。ひとつ気合いを入れると、少し待つように、といった行動を取る。

 怒りが消失し、不安、孤独、絶望といった負の感情が、彼の心へと押し寄せる。そんな風な心持ちになった男は、彼女の後ろ姿を追い縋るように眺める。

 扉が閉められた直後、世界から拒絶された気持ちになっていくのであった。考えまいとしていた悲しみが再びぶり返すのを彼は感じた。

 小箱を片手に抱え、パタパタと小走りで戻ってきた女性。その姿を見て、安堵するように男は息を整えた。

ここに来て人心地付いた彼は、彼女が何をしようとしているのかを推測する。

 ――魔法のある世界だし、翻訳機能がある道具か?

 どうせ何も出来ないなら、せめて前の世界では有り得なった、この世界の謎に触れたい。その思いから、聖志はやけくそのように言葉を放った。

「何でもいい」

 斜に構えて開き直った男を見て、魔女がどう思ったのか。

 小箱から取り出されたのは紙と筆、インク。筆記具を見た聖志は、ふて腐れた顔を意図せず素の表情へと戻した。

 それらはひどく現実的な物であり、二人は原始的な方法で意思疏通を図ることとなる。


 ラフィアルーンが手に持つ筆記用具とインクを、自身の胸元まで上げた。

 これを使って会話をします。

 そんな事を言ったのだろうと、混乱から抜け出せない聖志にも分かるのであった。相手が話す言葉を理解出来なくとも、状況が物語っているのである。

 一つ頷き、頭を下げる聖志。それを見た相手は微笑み、紙に筆を走らせていく。 まず歪んだ帽子が描かれ、輪郭が追加され、彼女の着ている服が装飾された。

「ヘタクソだな」

 紙に描かれた、魔女本人らしき絵面を見ての第一印象であった。

 彼女はしきりにその絵を指差しては己を指し示しつつ、何かを繰り返し喋る。

 絵心が無いのに上手く描こうとして、微妙な絵になる。そんな経験を男もしたことがあった。

 抱いた感想が表情に出ていたからか、彼女は先程より慌てて何度も話していた。

 ――ラヒアルーン、か?

 彼女自身の名前を説明しようとしているのは分かった。思っている事をそのまま口に出した聖志。

「……! ……んー」

 正解! と言いそうな喜びの仕草を一瞬見せたが、すぐに表情を曇らせる魔女。

 何かが違うのか、通じるかは聖志には分からなかった。人指し指を立て、もう一度、と頼み込む。

「ラフィアルーン」

 無事に通じたと彼は判断した。

 絵を指差し、己へ手を向けながら、彼女は再度名乗った。

「ラフィアルーン、な」

「!!」

 今度こそ歓喜の表情を見せる女性。

 それから、ラフィアルーンは体全体と併せて物凄い勢いで語る。

 とにかく喜んでいる様子を受け、聖志にとって言葉は分からずとも正解に辿り着けたことを安堵した。

 次はそっち、というような動きをしながら、再び筆を手に絵を描いていく。顔を描こうとしているのか、何度も彼女の紅い目と視線が合った。

 睫毛まで金色なんだな、と感慨に浸りながら、聖志はその容貌を眺めていた。

 しばらくして、出来た! とばかりに筆を置いたラフィアルーン。

 観察されていた男が、改めて絵を見た。画力の無い者が写実的な絵を描こうとした結果が、そこには表現されているのであった。

「ヘタクソだな」

 自分の事を顔が整っていると評価したことは、聖志には一度も無かった。

 だが、描き上げられた絵を見ると、不格好にしか見えない顔と感じたのであった。

 妙にリアルで、しかも微妙に似ていない。

 というか、どことなく不気味さを聖志に訴え掛ける絵が、そこにはあった。

 男から見て容姿の優れたラフィアルーン。

 聖志の目の前に居る本人と、先程描かれた彼女の絵を比べてみても、フォロー出来ない芸術センスの無さであった。

 ここにきて、この女性の名前と、彼女に絵心というものが乏しいという事だけは、聖志にも理解出来た。

「……聖志」

 この残念な絵が己を表しているのだと思うと、聖志は認めたくはなかった。

 が、このままでは会話が進まないと判断の下、彼は仕方なく受け入れ、自分の名前を名乗った。

「セイジ?」

 瞼を広げ、これで合ってる? と言わんばかりにリピートする。

 もう一度だけ自身の名前を言い、相手が繰り返したのに合わせて頷いてみせる男。首肯する動作も、文化が違えば意味も変わるのではと考えたが、幸いにも通じたようであった。

「セイジ」

 目を細めて嬉しそうに発音する。

 母音の形に合わせて、真っ白な歯を見せながら笑っていた。


 それからは、この世界の言葉の説明を兼ねて、日常会話についての質問と解説が続いていった。

 発音は異なるが、前の世界と同じ意味を持つ単語。

 発音は同じだが、前の世界と異なる意味を持つ言葉。

 発音も意味も、前の世界とは全く関係の無いフレーズ。

 例えば、男性と女性。発音そのものから独特で、一度口にしたところでセイジの違和感は拭えない。

 だが、言葉が持つ意味の差は、かつて話していた言語の派生形のように、一部分が同じ発音なのであった。

 ――文法も似ているようで違う。でも全く違う訳じゃないんだな。

 語られる単語と意味に集中しながら、セイジはそういった感想を抱いた。

 ラフィアルーンの口頭説明と、紙に描かれた絵による授業。

 家の中を貼り紙だらけにしながら解説する魔女。徐々に楽しくなってきたのか、彼女の表情が豊かになっている、とセイジは気付く。

 彼が箪笥に目をやると、目玉の絵と骸骨マーク付きで怒るように説明されたのであった。牛歩のような進歩具合の言葉の講義は、彼らが空腹を訴えるまで繰り広げられた。

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