異世界報恩記

皐月 show

第一章

第1話:地球に似た、異世界へ迷い込む

 中野聖志なかのせいじは夢を見ていた。

 彼が成人する前、他人に関心を持たずに趣味に興じていた時期。

 ゲームという、狭い世界が男には全てであった。

 趣味の域を越え、彼にとっては生き甲斐とさえ感じていた。

 その頃の男は、実力の無い者には見下し、上位には媚びつつも内心では否定する。

 そういった人間の醜い部分を、当時は剥き出しにしていた。


『中野。お前このままだと孤立するぞ? ゲーム好きなのは俺も分かる。ゲームを通じて、人としての成長を目指せ』

 当初は反発した、今となっては良い道標となった恩人の言葉。夢の中で聞きながら、彼は懐かしい気分に浸っていた。


『対戦ゲームってのは対戦相手あってのモノだぞ。人に嫌われてどうするんだよお前?』

 生き甲斐であったゲームの勝負で、簡単に打ち破られた日。

 男の物言いに恩着せがましさを覚えた彼は、対極の孤独な道を選ぼうとしていたのであった。

 感情的になり、他者に攻撃的であった聖志を救ったのは、同じ男であった。


『素直に頼れ。そんな奴を助けてやるのが俺みたいなおっさんの役目だろ』

 ――実力でも人格でも、全国優勝者には敵わなかったな……。

 意識が浮上し、自身を卑下する彼の恩人が消えていく。

 いつか俺も、あの男に恩返ししたい。

 あの男のように、何かを成し遂げたい。

 誰かの力になりたい。

 夢から覚めつつあった聖志は、心の中で思いを馳せていた。


 音が耳を打ち、驚いた聖志がその身を硬直させる。

 祭りの会場のような、静けさと騒がしさが同居する場所。

 ひんやりと冷たい空気に、足から伝わる硬質感を彼は自覚した。

 周囲には家屋が建ち並んでおり、屋台や専門店らしき建物が見えた。夜遅くにも関わらず、立ち尽くす聖志の周辺は明るかった。

「……は?」

 理解不能という言葉が、彼の口からひとりでに漏れる。全く見覚えのない場所に、馴染みのない文字。

 まわりから聞こえてくるのは、聖志の聞いたことのない言語であった。

「夢なのか……?」

 夢か現実かを確かめるように、聖志は恐る恐る周囲を窺っていく。

 彼のよく知る、しかし違和感のある人間が通りを行き交う。普段、目にすることのない持ち物が原因だろうか。

 足元を見下ろせば、タイルが敷き詰められ、道となっていた。

 心拍音の加速を知覚しながら聖志が辺りを見渡すと、光る噴水が目に付いた。見たことのあるオブジェクトを目にしたことで、聖志の心が少しだけ落ち着いていく。

 空では、地上を照らしていた月が雲間へと隠れていった。


 リアルな夢、まるで全てが生きているかのような光景。それらが、聖志の視界へと飛び込んでくる。

 別世界に来たのではと思い つつも、どこかで否定したいと彼は考えていた。

「俺はどうなった?」

 ――いつもゲームする店から帰って、それから……?

 己を見やるも、身体に異変を感じない聖志であった。いつもゲーセンに向かう時に身に纏っている、ジャケットにジーンズ。上着を摘まんで中を覗くと白のカッターシャツが見え、上下の肌着は彼の肌の上に変わらず存在していた。

 履いている黒の革靴、同色の靴下。これもいつも通りであった。店に行く時、店内の匂いが移るのを嫌っていたのである。

 駐車場の隅に車を停めて、車内でスーツの上下を脱ぐ。それから私服へと着替えるのが、彼にとっての遊ぶ準備であった。靴や下着までは着替えなかったゆえに、それらはいつもと変わらぬままであった。


 まず、別の世界だろうと聖志は思った。彼が夢や神隠しの話より現実的に捉えられたのは、サブカルチャーの発展が大いに関係していた。別世界モノが舞台の対戦ゲームも触った経験があったからである。ストーリーやキャラ毎の設定までは知らないものの、それなりに有名な作品の粗筋を、聖志は覚えていた。


 辺りを確かめた聖志は、頭の中から発する猛烈な違和感を拭えずにいた。何かが無くて、何かが有ると思った男はひと呼吸し、周囲を再び見渡す。

 人はほぼ確実に彼の知る人間と言えた。彼の知る常識の通り、顔も体型も千差万別であった。頭も人に同じであり、黒髪が今のところ居ないという印象を抱いていた。

「髪の色、か?」

 己の抱いた違和感の正体を聖志は訝しむ。人々の着ている服に関しても、髪と同じく色取り取りであった。ちょっと古い印象を受けつつも、流行に乗らないという個性もあるのだ。

 そのことを彼は思い出し、意識を音へと傾ける。

 言葉はやはり分からないままであった。外国語を真面目に学んでいたとしても無理そうだと判断し、保留していく。

 違和感の拭えぬ男が、再び視線を巡らせ、建物を遠目に見やる。

「何て書いてあるんだ……?」

 入り口には窓やドアがあり、店先や高所にあった看板の文字を見て独白する。見知らぬ文字を解読出来ずにいた。

「コスプレか、いや」

 男が通りに視線を戻すと、道歩く人々の髪の色や持ち物が目に付いた。それらは仮装として納得することが出来た。


 ――電気だ。

 暗がりに明かりはあるのに電線が無い。その事に気付き、街灯や建物の照明器具を見る。

 まだ分からない。自分の知らない仕組みで点灯しているのかもしれない。

 世界全てを知っている訳ではないし、そもそも器具内部の構造なんか無知にも等しい。

 そう片付けようとした矢先、一人の女が建物から出てくる。黒い三角の帽子を深く被り、首か肩辺りで留めた紺色のマントを羽織っている。足元まで眺めると膝やや上ぐらいの丈をしている黒のスカートと、白っぽいブーツ。その裾から出ている手の先には、杖のようなものが見える。

「クオリティの高い魔女じゃないか」

 典型的な魔法使いのコスプレ。聖志はそう割り切りたかった。割り切りは生きる上でもゲーム内でも重要だった、と意味も無く自分を説得しようとした。

 一方で、夢だと割り切れない部分が、彼の心のどこかで生まれてきていた。

 女性が杖を光の灯っていない照明器具に向ける。

 ――ああ、そうやって電気点けるのか。

 ――やめろ……地球に魔法なんてある訳が……!

 相反する心情。知っていることが、知らないこととなって、彼の視界に現れていく。


 ヒュッ


 杖から炎が飛び出す。ガラスのように透明な素材に包まれた空間に、火が灯る。

 ここは夢の世界、そうでなければ異世界。

 それも科学以外の技術が発達した場所だ。

 聖志はそう結論付けた。そう考えざるを得なかったとも言えた。

 何かに縋りたくなったからか、何度も辺りを振り返る聖志。

 最近まで別世界に行く小説や漫画を読んでいたじゃないか。

 そのゲームだって触ったじゃないか。

 そう思う聖志は屋台に立つ中年男性を目にし、男性が目の前の肉を手に取った。直後、反対側の手元から火を起こす。

「ガスバーナーか!」

 ああやって商品にしていくのかと、火で手元の肉を焙る様子を眺めて、理解に及んだフリをする。

 客観的に、他人事として受け止めようと、受け止めたい心がそう思わせた。男の理解の器が、徐々に飽和しつつあった。


 最初の魔法使いらしき女性の方を向く聖志。電気を点けた彼女は、建物の出入り口に歩いて行っていた。杖を地面と平行に持ち、横にあった何も書かれていない透明な看板へ手を向ける。

 今度は杖を持った手ではなかった。聖志には読めない文字が、ひとりでに浮かび上がる。

 ――感応式センサーとか、立派な看板過ぎる!

 彼の脳が理解を拒否し、事実を書き換えていく。目が離せず、現実を受け入れ切れず、聖志はその女性をずっと目で追っていく。

 いよいよ建物内へ戻るのかと思った時、彼女は立ち止まり、両手を上に掲げた。

 釣られて彼もまた、その手の先へと視線を向ける。

 音も無く建物の外観が変わっていく。木材で組まれたログハウス風の建物から、木目一つと無い、白い壁へと。

「ああああっ!!!」

 聖志の思考が、脳が、理解することを拒絶していく。彼の視界から色彩が消え、形が崩れていった。

「何で!?」

 あの女は天井に張り付いているんだ? という彼の思いは声にはならかった。

 崩れ去る大地、曖昧になっていく人々。 天と地の境界が分からなくなる。まるで己が泣いているような、景色の滲み。

 そういった印象を、倒れゆく男はぼんやりと抱いていた。

 ――あ、こっちが倒れたのか。

 どこまでも客観的にあろうとする彼の意識が、彼女を捉え、脳へと情報を伝達していった。

 先程の女性が、彼の声に、あるいは倒れた音に驚いたように、聖志の方へと身体を向ける。

 聖志にとって、睡眠以外で意識を失った事など無かった。いよいよ死の可能性に行き当たった頃、聖志の心に色んな思いが沸き起こった。

 ――……まだ何も成し遂げていないのに……。

 彼が抱いた後悔と未練が、叶わぬ望みへと変わる。

 ――誰かの力になりたかった。何かを成し遂げたかった。人に、恩返しがしたかった。

 薄れゆく意識の中で彼が見たもの。それは、帽子を押さえながら駆け寄ってくる魔女の姿であった。

 新たに切ることになった人生の幕開け。 人生という長い舞台において、聖志と彼女は主演を張る関係となる。

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