第3話 密会! 二人が忍ぶその意味!
ランカシーレ女王は南の王国の王子をゴットアプフェルフルス国に招待する命を出しました。国中の要人を呼んでの盛大な食事会を開き、そこでランカシーレ女王と南の王国の王子がどれほど釣り合っているかどうかを皆に見極めてもらうためです。
ランカシーレ女王はその命を出した後に、執務室を出ました。重い決断をした、という気疲れのため、ランカシーレ女王の足取りはふらふらしていました。ランカシーレ女王はそのまま廊下を歩き、宮殿を出て、庭園にある工芸小屋へと足を運びました。
工芸小屋では職人たちが絵画や彫刻を日々作っていました。そしていつも工芸小屋でとりわけ熱心に絵を描いている職人に、ランカシーレ女王は会いに来たのです。
ランカシーレ女王が工芸小屋の扉を開けると、そこには一人の銀髪の職人がいつもと変わらぬ仏頂面で絵を描いていました。その銀髪の職人は齢三十路前といったところでしょうか。彼は乱雑に組み立てられた椅子に腰かけ、煤けた画架にかけられたキャンバスにゆっくりと筆を走らせていました。
「ごきげんよう、パクリコン」
「ごきげんよう、女王陛下」
パクリコンは女王の前であるにも関わらず、大して女王に関心を見せずにキャンバスとにらめっこしていました。ランカシーレ女王は手近にあった椅子に座り、パクリコンに尋ねました。
「良い色は出ていますか?」
パクリコンはランカシーレ女王に目もくれず、筆をキャンバスに塗りたくったまま言いました。
「出ませんね。とくにここ数週間は、てんで思った色が出せていません」
そう言いつつ、パクリコンはキャンバスに橙色の絵の具を重ねていきます。ランカシーレ女王は再び尋ねました。
「何故思った色が出ないのでしょう?」
「世界にはもっとたくさんの色があるからです」
パクリコンは簡潔に言いました。
「世の中には俺の知らない色がもっともっとたくさんあります。なのに俺は絵の具をいくら混ぜても、ほんの数千種類の色しか作れません。夕陽の大きさ、虹の広さ、葉脈に流れる水分から動物たちの血液にいたるまで、俺はいまだに描けずにいます。ひょっとすると、この大自然の中にある色という色をもっと観察しろ、という神様のお告げなのかもしれません」
ランカシーレはパクリコンの言葉をじっと聞いていました。パクリコンは筆を走らせ終え、パレットで絵の具をかきまぜました。
「女王陛下、こんなところに来ていていいんですか? また大臣に怒られたりしませんか?」
「構いません。女王たるもの、怒られることには慣れております」
ランカシーレ女王は自虐的な笑みを浮かべました。パクリコンはそれを見てにやっと笑い、
「なら、一緒に怒られましょうか。俺の下手な絵を女王に見せびらかしていた、というかどなら俺も充分怒られえましょう」
ランカシーレはその言葉に困ったような表情を浮かべました。
パクリコンはふっと笑い、パレットと筆を置き、ランカシーレ女王のほうに座りなおしました。パクリコンは肩まである銀髪をかきあげ、ランカシーレ女王に告げました。
「先日より、この工芸小屋に大臣が顔を出す機会が増えました。要件はいたってシンプルです。毎回『ここに女王陛下はいらっしゃらないか?』と怒鳴っていくものですから」
「あら」
ランカシーレ女王は意外そうな顔つきで返答しました。しかしパクリコンは続けました。
「どうやら女王陛下がこちらで気を休められていることを、大臣たちは快く思っていないみたいです。何度も俺に対して、お前のような卑しい者が女王陛下に話す資格などそうそう無い、と言われたものですし」
「そんな……! 人と人とが話す上で資格など必要ございません! そもそも身分の差など、人が生きるうえで何になりましょうか!?」
「ははは、それを是非とも大臣たちに言ってやってくださいよ」
パクリコンは色とりどりに濁った手拭いで、筆をぬぐいました。それによってまた一つ、新たな色の線が手拭いに引かれました。
「大臣たちが女王陛下の行方を探しているときには、俺も恭しく大臣たちに出鱈目な方向を教えたものです」
「あら。でしたら私がこれまで庭園で自由な時間を満喫できたのは、パクリコンのおかげでございましたか」
「芸術家は時として嘘吐きだ、ということを覚えていただけるとありがたいですね」
パクリコンとランカシーレはふふっと笑みをこぼしました。工芸小屋の中のよどんだ空気が、窓から差し込む陽の光によって少し和らいだように感じられました。
「女王陛下、また大臣たちが探しに来るかもしれません。しばらくはこちらにいらっしゃることをお控えになってはいかがですか?」
「嫌です」
ランカシーレ女王はきっぱりと言いました。それは子供の駄々に近いものでした。
「私がどこへ行こうと私の勝手です。それこそ、公務をしようがしまいが、どこの誰と嫁ごうか嫁ぐまいか」
「ははは、それでこそ女王陛下だ。お好きに遊ばせ」
パクリコンは乾いた笑いに乗せて手ぬぐいを近くの手桶に浸しました。濁った絵の具がじんわりと水の中に溶け出始めました。
一方でランカシーレ女王は、発してしまった自分の言葉を何度も反芻していました。やがてランカシーレ女王は、尋ねようか尋ねまいかと迷っていた事柄をパクリコンに尋ねました。
「失礼でなければ教えていただきたいのですが……パクリコンはご結婚されているのですか?」
パクリコンはしばらく何も答えずにいましたが、やがておもむろにランカシーレ女王から目をそむけました。そしてゆっくりと立ち上がったかと思うと、パクリコンは前掛けを乱雑に外して、近くにあった机に乱暴に投げつけました。
「していません」
パクリコンは荒い息を抑えようとしながら答えました。
「金持ちに、金をやるからうちの娘を娶れ、と言われたことならあります。観賞眼のかけらも無い、商人あがりの金持ちでした。その金持ちは、俺の絵に肩書きを付けて高値で売り飛ばそうと考えていたようでした。そして芸術家を囲っているという体を為すために、娘とくっつけさせたかったのでしょう。……冗談じゃない」
「パクリコン……」
ランカシーレは、触れてはいけない過去に触れてしまったかのような罰の悪さを感じました。パクリコンは続けました。
「芸術を侮辱されたような気がしたので、俺は断って逃げました。そのときに這う這うの体で辿り着いた先が、この王宮内工芸小屋だったんです。俺は絵で商売なんかしたくないんです。俺は、俺の絵を好き好んでくれる人の所で、ずっと絵を描いていたいだけなんです。それができるような場所は、この国の中ではこの工芸小屋しかありません」
パクリコンはランカシーレ女王のほうを見やりました。
「女王陛下と初めて会った時、女王陛下は長いこと俺の絵を見てくださりました。絵のことのみならず、画材や、筆や、絵の具の話までしてくださりました。俺は……女王陛下になら俺の絵を全て捧げても良いと思えました。それこそ、俺がこれから一生描いてゆく絵の全てを」
「パクリコン……」
ランカシーレが思わずそう口にしたときのことでした。パクリコンは窓の外に、格式ばった服に身を包んだ男たちが工芸小屋に近づいてくることに気づきました。
「大臣たちです! こっちにやってきています!」
「ええっ!?」
ランカシーレは立ち上がろうとしました。しかしパクリコンはランカシーレの肩を押さえました。
「見つかるとまずい。奥のクローゼットに隠れてください。さあ!」
パクリコンは背をかがめ、ランカシーレの右手を握りました。ランカシーレは左手でドレスをたくし上げながら、パクリコンの後をついていきました。パクリコンは小屋の奥にある煤けた木製のクローゼットの扉を開けるやいなや、ランカシーレの腰に手を回して抱き上げました。
「きゃあっ!?」
「喋らないで!」
パクリコンはそのままランカシーレ女王をクローゼットに押し込みました。
「時間がない。だったら……!」
何を思ったか、パクリコンもまたクローゼットの中に入り込み、扉をそっと閉じました。驚いたのはランカシーレです。いまだかつて触れたことすらないパクリコンが、目の前にいるからです。それも真っ暗なクローゼットの中で、肌と肌とを密着させながら、ランカシーレはパクリコンにしっかりと抱かれていました。パクリコンがあまりに近くにいるため、パニエがたわんでドレスの裾がはだけてしまっています。しかしランカシーレはそんなことを気にする余裕などありませんでした。
すると工芸小屋の扉が荒々しく開く音が聞こえました。
「女王陛下はいらっしゃるか!?」
パクリコンとランカシーレは声を押し殺して、事の成り行きに耳をそばだてていました。
「む……いないのか」
その声を最後に、再び工芸小屋の扉が乱暴に締められる音がしました。
ランカシーレは心臓が早鐘を打ち続けているのを感じていました。それと同時に、目の前のパクリコンという男にぎゅっと身体を抱きしめられたままである、という事態の認識をも抱きはじめてきました。手に汗がにじみ、耳たぶが赤くなってゆくのを感じました。
「行ったみたいです」
パクリコンは小さな声でつぶやきました。一方で暗いクローゼットの中で、ランカシーレは耳たぶがこんなに赤くなっていることをパクリコンに気付かれまいかとどきどきしていました。
パクリコンがランカシーレのほうを見やったとき、ランカシーレは思わず俯いてしまいました。
「女王陛下、いかがなされました?」
「いえ……あの……」
ランカシーレはうまく舌が回らないのを感じました。パクリコンはそんなランカシーレに優しく言いました。
「きっと、急に隠れることになったのでどきどきしているのでしょう。外に出れば、すぐに治まりますよ」
パクリコンがそう言ってクローゼットの扉を開けようとしたとき、ランカシーレ女王はとっさにパクリコンの腕を掴みました。
「お願いです……。もう少しだけ、このままでいさせてください……」
ランカシーレは、その我が儘めいた言葉をひねり出すことで精一杯でした。
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