検死(死者は時を刻む)   ~クレ様から頂いたお題「成長する死体」より



監察医、冴島裕子は、額に浮いた汗を拭き取った。油を含んだ汗は、既に冷たい。

冬虫夏草。裕子はその文字の意味を理解した…。




(1時間前)

遺体解剖を行う部屋は、常に冷気で満たされ、白銀のゲレンデの如く白い。白衣も、無機質に並べられた器具も、遺体が横たわるベッドも…。


犯罪性が認められた場合、刑事訴訟法に基づき遺体は司法解剖となる。死体解剖保存法の規定があるから、遺族の同意も必要とされない。だからいつも、監察医は突然の死者の訪問に答えなくてはならない。

…だが、今回の案件は特別だった。


「私を名指し?」

「ええ、死んだ浮浪者の衣服に手紙が入っておりまして」

 松浦刑事は、一枚の封筒を差し出した。



『私は、ある組織に追われております。もしも私が死亡した場合、どのような殺され方をするか今の段階では分かりません。すねに傷を持つ人間ゆえ、警察の保護もはばかられ、ただ、このまま、むざむざと殺されるのは慚愧に堪えない。組織は私を自殺か事故に見せかけて殺す事も考えられます。

監察医、冴島裕子先生へ。数々の難事件を解決されたこと、存じあげております。あなたに私の検死をお願いしたい。先生なら僅かな痕跡も見逃さず、私の無念を晴らしてくれることでしょう。くれぐれも、くれぐれも、よろしくお願いいたします。       ~冬虫夏草~』



「どこであがったの?」

 手紙を読み終えた裕子は、松浦に即座に聞いた。

「それが皇居の門扉近くでした。頚動脈が切り裂かれた状態で発見され、凶器は見つかっておりません」

「皇居?…」

 裕子は納得がいった。皇居周辺はウオーキングやジョギングのメッカであり、時間帯によらず無人になることはそうない。かく言う自分も、週に何度か走り込みをしている。自殺とは考え難い。凶器は犯人が持ち去った可能性が濃厚だ。

「直ぐに取り掛かります」

 丁度、朝の祈りを捧げた直後だった。公務員が宗教に傾くのはある意味ご法度ではあるが、裕子は自室に小さな祭壇をもうけている。そうでないと神経が持たない。上司も黙認しており、仕事の前、きまって定刻に祈りを捧げるのが日課だった。


浮浪者にしては、筋肉がしっかりしている。年齢は30代半ばから後半と言うところか。

「あっ?」

 裕子は遺体の口を開き、小さな声を吐いた。

デンタルインプラント。顎骨に人工歯を埋め込む手術が施されている。可也、高価な手術だ。

裕子は専門外ではあったが、形状から手術されて間がないことはわかった。精々、半年前か一年‥・。

こうなると先程の手紙の内容に、ますます信ぴょう性が増す。

これほど高価な医療を受けた人間が、僅かな期間で浮浪者に落ちるとは考えにくい。

~冬虫夏草~これは身元が明かせない、せめてもの自己主張であろうか?俳名とかその他、本名以外の自分を表現するなんらかの手段。


ある種の昆虫が夏に産卵し、孵化して土にもぐりこむとき、冬虫夏草属の真菌に感染すると、幼虫の体内で菌がゆっくり生長する。幼虫は約四年で成虫となるが、幼虫の中で徐々に増えた菌は、春になると幼虫の養分を利用して菌糸が成長を始め、夏に地面から生える。地中部は幼虫の外観を保っており、それが所謂、「冬虫夏草」の姿となる。

中国では不老不死の象徴としてなぞらえられ、だがそれが、もう動くことない遺体の名に使われるのは、なんだか皮肉だった。


死は何者にも平等である。

裕子はこの仕事をする上で、このことだけは肝に命じている。

金持ちも貧乏人も、男も女も、犯罪被害者も、加害者でさえも…。

自分は遺体と正面から向き合い、科学的根拠で判断を下す。


~冬虫夏草~ 人間は、いびつな不死を望んではならない。

死者が時を刻むことは許されない。

同情など排除して、冷徹に分析をすること。

それが死者に対する尊厳となる。



遺体にかけられたシーツをゆっくりと降ろした。

裕子の瞳に、遺体の腹にある真新しい手術痕が映った。




(1時間後)

白い世界の中で、唯一、目の前に赤い洞穴が広がる。

血はその鮮度を失い、ただドロリと、だらしなく流れている。

冬虫夏草。裕子はその文字の意味を理解した…。


遺体の胃には、こぶし大の器具が埋め込まれていた。

デジタル表示は、残り10分を示している。


プラスチック爆弾。


手紙には組織に追われていると書かれてあった。追われていたのは…自分だったのか。



恐らく男は、自らの手で自分の頚動脈を切った。凶器は皇居の堀の中に投げ入れたか?


死体は直ぐに発見される。裕子が祭壇に祈りを捧げてから仕事に取り掛かるのも計算の内。


逆算。デジタル時計の時間設定は、よほど念密に計画されたものだろう。



死者が…時を…刻む。


許されざる事が目の前にある。



(私に、一体何が出来るだろうか?)

二重扉を厳重に閉め、部屋にある、ありとあらゆるもので遺体を覆った。

(自分の体だけでも、爆発の初期威力を弱める事が出来るだろうか?)

裕子は、遺体の上に重なった。まるで恋人同士のように。




…死は、何者にも、平等に訪れる。





【了】

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