懺悔(ざんげ) ~ちえぞう様から頂いたお題「相容れないモノ達」より
街灯からステンドグラスを抜け、磨かれた床に突き刺さる光。僕はこの光景が結構好きだ。少しは神妙な気持ちにもなる。小窓から覗くひざの上には几帳面に両手が置かれ、対じする相手もやはり同じ気持ちなのだろう。
「私のこの気持ちをお許しください」
懺悔(ざんげ)。
中心街から遠く外れた田舎の方が需要は多いかも知れない。秘密を吐露するのに住まい近くの教会では、誰しも気が引けるものなのだろう。
内容を要約すればこうだ。
自分は母の介護をしている。そして疲れた。自分は一度結婚したが、生まれてきた子供にどうしても愛情を抱くことが出来ず、結局は離婚した。それさえも、若い頃うつ病を患った母からの影響だと今さらになって思え、病院のベッドで小さくなって行く姿にさえ、殺意を覚えるのだと……。
聞き流せばいい。聖書の一節を語る必要もない。でなければ、……単なる高校生の僕に、この役目は務まらない。
父が入院し、日常の祭事は知り合いの神父が来てくれる。だが、この役目は僕に託された。
「ただ話し終わるまでそこにいればいい。但し、聞いた秘密は誰にも喋ってはいけない」
父の言う通り、懺悔をおこなう人々は案内書きにしたがい秘密を吐露し、終われば立ち去ってゆく。小窓はその名の通り小さく、感じるのは互いのわずかな息づかい、存在だけ。
先ほどの女性もやすらかな顔……実際には見えはしないが……で立ち去った。彼女にも僕の鳩尾(みぞおち)から下の、神父服しか見えてはいない。
「ふぅ……」
ヘビーな内容に、しばし思考が停止した。
神が全知全能であるならば心の中、祈ればすむことであるが、どうもそうではないらしい。人は誰かに話すことで開放され、神から許され自分をも許し、そしてその秘密は完全に守られる。この一連の作業は、宗教の合理性そのものであると感心もする。
ぼんやりとしていたが、木札を回し、懺悔室へ向かう扉のしるしを変えた。今夜はもう終わりだろうと思ったが、存外、次の人が扉を開けて廊下を歩いて来る。座ったのは男性であった。
またやはり、ヘビーな内容。まあ、でなければここに来ることは無いのだろうが……。
高校時代、交際をしていた彼女が妊娠し、未成年であった二人は堕胎することに決めた。だが不幸にも、その女性は二度と妊娠が出来ない体になってしまい、その後、二人は別れたのであるが、狭い街ゆえ近況はおのずと聞こえてくる。三十を過ぎても、まだ独り身。
実は自分は結婚をすることになった。でも、自分だけが幸せになることへの心苦しさに、また自分に子供が授かったとしたらその申し訳なさに、今、苛まれている。
っとまあ、そんな内容である。
??? 祈ったところで、状況は何も変わらないじゃないか。
個人としてその男性にそれほどの罪があるとは思わない。……実際やる前は殺人だとか盗みだとか、犯罪行為に対する懺悔があるのだろうと思っていが、いや、そう言う類もいずれは巡り合わせるのかもしれないが……祈ったところで実際の何も変わらない、罪とも思えぬ罪が圧倒的に多い。先ほどの女性なら、彼女の母への憎しみが、介護の辛さが、少しでも和らぐのなら意味はある。……だが、この男性が祈ったところでその人の状況がどうなるわけでもないではないか。こんなことに、意味はあるのか?
僕の思考に関わりなく、床に映るステンドグラスに、帰りゆく男性の影がパズルの様に重なり通り過ぎた。
「お前がそこに居る意味がある」
と、父は言った。贖罪はやはり、自らを救う手段なのだと思う。懺悔とは、一方通行。
神がもし本当に存在するのならば、意味は違ってくるのかもしれない。が、僕には……わからない。
―――――――――
教会に風呂はないので、20分程かけ行く早朝の銭湯は、その日、すいていた。
「ようぉ!」それでも不意に、同級生から声がかかる。
「夏休みの間、家の手伝いで大変だよ」
彼の家は魚の卸し業をしている。今が仕事終わり。これから寝るのだ。
「お前も教会の手伝いしているのか?」
「ああ、まあ、アルバイトだね。座っているだけさ」
「それで朝からお清めかよ。魚臭いのも大変だけど、実家が教会ってのも大変だよな」
誤解している。僕も、これから眠るのだ……。
老人達のために熱めに設定されたお湯に、二人とも顔を真っ赤にしながら浸かった。
「卒業したら家の仕事を継ぐのか?」
「そうなるのかなぁ。専門学校行く柄じゃないし、碌な就職口はないしさ。お前も継ぐんだろ?神学校だっけ?専門学校みたいなもんだよなぁ」
後から入ってきた老人の、伸びきった陰のうを避けながら言う。
「ああ。でもうちは単立教会だから、別に特別な学校に行く必要はないよ。でも一応……」
僕も避けながら答えた。
「まあ、魚臭いよりはましさぁ。ひゃぁ、もう我慢できない」
同級生が立ちあがり、湯船からお湯がこぼれた。
「お先なぁ。あ、結婚式のときはお前のところ使ってやるから、安くしろよ」
冗談なのか本気なのか。彼は振り向きもせず、後ろ手でピースした。
―――――――――
「私をお許しください」
老人の手には、深いしわが刻まれている。
話を要約するのも面倒臭い。子捨て。僕は、怒りを覚えた。老人の顔は、やはり見えない。懺悔をして、安らかな表情を浮かべるのなら許せない。でも、その表情を見ることなく、やがて老人は立ち去った。
木札を回したが次に来る人は居ない。だから忌々しいが、先ほどの老人の話を勢い反芻するしかなかった。事情は良く分かった。やむにやまれぬ事情。でも、許せなかった。
三十年も前の話なのだから、老人の捨てた子が僕であるはずもないのに……。
僕は生まれたばかり。この教会に捨てられた。
―――――――――
空が白み、銭湯には行かず、気まぐれに僕は病院に向かった。
清潔な白いカーテンが、ふわり風に揺れ、父は静かに眠っている。
生涯を独身で貫いた父は、僕を引き取り育ててくれた。
神に殉ずる者として、いやひとりの人間として、誇れる人だ。
人を疑うことを知らぬその心根は、病の床につく事で、更に際立ちその顔に刻まれている。
僕が秘密を漏らす事など微塵も疑ってはいない。だから託した。だから僕は裏切れない。
実の母親に殺意を抱いた、あのときの婦人が思い出される。
彼女は言った。100点を取ったとき飛び上がって喜んだ母と、学芸会で主役を取ったときの無表情の母。そのギャップに、自分は戸惑い、怯えたのだと。
男の僕は役に立たない。だから、介護で疲れ果てることもない。だから、だから正常でいられるのだろうか?……いや、違う。父は、本当の父親以上に僕を愛してくれた。
父は公平だった。決して教義で僕を縛ることはなかった。決して無理強いすることなく、なぜそうなのか?美しい数学の公式のように、やさしく整然と語ってくれた。
だから、だから、だから、僕の罪は重い。
静かに椅子に座り、もう少し近くで父の寝顔が見たかった。たとえ、一方通行であろうと。
『僕を許してください。僕は、僕の人生でどうしても得ることが出来なかった(こと)……自分の人生に、水の怖さをまだ知らぬ子供の様に、軽く触れてみたいのです。そんな生き方が、そんな生き方がしてみたいのです。決して、決して息苦しくなったわけじゃない。僕は、あなたを愛しています。……これからの人生に……誓って、あなたから受けた愛情を汚す事だけはしない。……でも、許してください。僕が、……僕が、あなたから巣立つことを』
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