春の秋波。 ~はるもに様から頂いたお題「酔待ち草」より
ネタはないかなぁ、ネタはないかなぁと……仕事柄、右に左に尻を振るんでやすがね。取立てて目ぼしい物もなく、ぶらぶら歩いてると “謎解きの佐平次” ってのに出くわしたんで。
「よ!佐平次の旦那ぁ。いつ見てもいい男だねぇ、こん畜生」
こいつがイケ好かねぇ奴でして……世間じゃぁ色男だとか言われていやすが、のっぺら坊の
まあこっちも
「縁があるねぇ、旦那とは。こうなりゃどうしても一杯付き合って頂きやすぜ」
よっつに組んであっちに行こうこっちに行こうと大相撲。そしたら急に、
「行きつけの店がある。もう行くまいと決めていたが、あんたとなら行きたい」
と、そう申しましてね。
こっちも若造に拝み倒されりゃ、ふんどしに金玉がこぼれたのも許そうってなもんで、
「へい!旦那。おともしやす」
大体、謎解きなんぞが飯の種になるってぇのが、しゃくな話じゃありやせんか。
「謎はすべてとけた」 なぁんてふざけたことをぬかしましてね。万事解決。
で、まぁ、その話をあっしが売り歩くわけでして……。
「いやぁ!なんとも粋な店でゲスなぁ」
勿体ぶって連れて行かれた店は、どうにもこうにも小汚い。のれんは便所色、オヤジの顔も便所色、肝心の便所は店の外。刺身をひくオヤジの包丁が、目に突き刺さりそうに狭いんで
……まぁそんな店なんで先客は、はじっこの方に一人だけ。なんで、酒の肴は待たされずにどんどん出てきやしたがね。
※鶏魚※ イサキの背びれが
※青柳※ 貝の中じゃ一番好きだね。さっと湯ぶりしてチョンと切った刺身はくぅんと磯の香りが鼻を抜けまして、もれなく付いてくる貝柱の大星、小星を炙ったのは、じんわり甘い。
なんでえぇ、結構いい店じゃねぇか!と、ほろ酔いになった所に、
「オヤジ、酒だ」
職人風の客が入ってきた。
そいつがどうにも蟹みたいな顔で、身も甲羅みたいに広くて固くて隣に座られたこっちは、痛くて痛くてたまらねぇ。おまけに来て早々、湯呑みの酒をぐびぐびと、まぁ野暮でねぇ。
でもまぁ、そこはあっしも心得たもんで、
「ぃよ!旦那ぁ、いい飲みっぷり」
っと、そう声を掛けたんだが
こうなりゃ目の前の肴を相手にするのが一番。
「いいネタはここにあった!」なぁんて、瓦版屋、
酒の肴は続きやす、
※眼張※ 目を見張るからメバルって程でもねぇが、竹の子と合わせた汁物で……
※烏賊※ 透き通った身は、この際アオリでもスルメでも何でもかまやぁしません。
※秋波※ 季節は春。ん?
いえねぇ、……店に入ったときから気にはなっておりやした。あっしらが来るまえから居た、女の客。それがぁなんとも言えず、艶めかしい“気”でしてね。
秋波を送るってぇのは、つまり、女が男に使う色目の事でして……。
そうさなぁ、年の頃なら三十四、五。脂がのった食べごろの白魚のような透き通った肌。酒には弱いんでやんしょねぇ、それが桃色に染まって……てへへ。
「姉さん、粋な着物だねぇ。京かね?加賀かね?」
「嫌だねぇ、安物だよ。でも褒めてくれるのは嬉しいねぇ」
っと、まんざらでもねぇご様子。
女ひとり呑んでるってのは、てへへ。つまりはそういう事で。
こうなりゃ唐変木の佐平次なんざぁほっといて、口説いたねぇ。あっしゃ口説いたねぇ。
※ ※ ※ ※ ※
ところが……、〆の茶漬けがでた頃にぁ女の熱が冷めやがって……。そっからは押しても引いてもまるで駄目。随分と粘ったんだが、
狐につままれたみてぇな心持ちで、袖を引いた佐平次と、並んでふたり大通り。
「あっし……なんか気に障ることでも言いやしたかね?」
「ははは、いくら口説いたって、あの
「へ?そりゃどういう?」
「もとは深川の芸者でね。あの店に来る客はたいてい色目を使われるのさ。男が本気になったところで、手練手管でイナされるのがオチさ」
「カァーぁ、悪い女だねぇ。……あぁ!旦那ぁ!勘定の時、店のオヤジと、ごにょごにょ喋ってやしたね……餌も付けずに釣り糸を、垂らすあっしを笑ってたんで?」
「ははは、違うよ、違う。隣に男が居たろう?あれは、あいつに“奈良漬”でも出しちゃぁどうだいって、ただそれだけの話しさ」
「また、妙なことを言いやすねぇ。奈良漬ってのは……
「ところがそうでもないのさ。あの男が呑んでいる酒な……ありゃ水だ」
「へ?なんですかいそりゃ?」
「どうにも飲み足りなくてねぇ、男が便所に行くその隙に、くすねて呑んだことがある。詳しい経緯は知らねぇが、オヤジに聞くと二年前から……男は全くの下戸だそうだ。まぁ、水に酒代払うんだ、店も文句はねぇのさ」
「また意地汚いことを……しかし、妙な話ですねぇ」
「そこで奈良漬ってわけさ」っと、ふふふと笑う。
女狐と蟹。あっしは絡まった糸の中に絡め取られたモヤモヤした心持ちで、
「もっとあっしにも分るように話しておくんなせぇ」
「あれは腕のいい畳職人でね。何十年もコツコツと真面目に働かなけりゃ、あぁはならねぇ。でもね、女にゃとんと意気地がない。四十過ぎて女の手ひとつ握ったことがねぇそうだ」
そこであっしは膝を打ったね。ぽんっと。
「なるほど。蟹が女狐に惚れたんで……それで水を飲んでの、酔待ち草(よいまちぐさ)」
「ところがそうでもないのさ。お前さん、好きな女に意地悪したことはないかい?」
「あっしを幾つだと思ってるんで、……そりゃまぁ餓鬼んときにゃそういう事も」
「男はそうだよ。だがまぁ、女はもうちぃっと知恵がまわる」
「はてはて?わからねぇ」
「あの
「?……するってぇとなんです。女のほうもその気があるんって言うんですかい?」
「其の様だねぇ」
「馬鹿馬鹿しい。そんならそうと女狐が、芸者上りの修羅シュシュシュ。色目を使えばそれで済む話じゃござんせんか」
「そうさねぇ、その方が話は早い。まぁ芸者を十年も続けてりゃ、そりゃ汚いもんも見てきたろうし、手練手管も覚えただろうさ。でもね、……客のあしらいは覚えても、こればっかりはどうしようもねぇ。あの女狐は、さわるのが怖くて震えているのさ…………男の真心。
…………………………………… 酔待ち草は、女のほう」
「……それで、下戸に奈良漬ですかい?」
「こっちは糸をほどくのが商売だ。奈良漬で足りなきゃ酒を混ぜておやりと言っておいた」
そう言うと佐平次は、春の風かねぇ、秋の風かねぇ、前髪を揺らして、「あら?謎解きの……」「ステキねぇ」なんて女子衆のさえずりなんぞ、どこ吹く風……まぁどうでもいい風なんですがね。すっとぼけた顔であっしに背中を魅せるんでさぁ。
この話はここでおしめぇなんですがね、あっしはどうしてもこの
男は馬鹿だ。女みたいに他人に色目を使って惚れた相手の気を引こうなんてそんな高尚な手練は出来やしません。せいぜい……、意地悪するのが関の山。
(もう行くまいと決めた店)
……酔待ち草が、もうひとり。 ただそれだけのお話で。
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