2 謀

 五大国が一つ、魔法王国アルメルティ――その異名は飾りではなく、魔法の技術や研究においては紛れもなく世界の最先端を行く。

 洗練された文化、優れた教育、行き届いた医療、国内を縦横に走る街道、意匠に魔法式が組み込まれた建築物。強国たる証と由縁が少し歩くだけでいくらでも目に入ってくる。


 中でもその王都は、世界でもっとも豊かで文化的な都市である――少なくともこの地に暮らす民たちはそうだと信じているし、それがあながち間違いではないことも事実だ。


 店先には様々な地方の品が常に並び、道は歩かずして人を運ぶ。夜には魔法の力で彩られた街灯や看板が光を放ち、衛兵たちの努力もあって犯罪者の存在を許さない。


 そんな王都の中心、民を見守るようにそびえ立つ王宮内の一室にて、ゼフィーは国王や大臣たち……アルメルティの重鎮一同を前に深々と頭を垂れていた。


「表をあげよ。不死人の捕獲と移送、大義であった」

「もったいなきお言葉にございます」


 マントの下で、尻の辺りがもさりと動く。居並ぶ大臣たちが興奮気味に口を開いた。


「よくやった。他国に知られる前に不死人を手中にできたのは僥倖ぎょうこうだ。さすがに鼻が利くな」

「しかし本当に本物の不死人なのか? 容易には信じられん」

「暇ができたら地下牢に行ってみるがいい。どういう理屈かは分からんが、どれほどの傷を負おうと元通りだ。酸の池に突き落とそうと、消し炭になるまで焼こうとな」

「その謎を解き明かし、技術として再現できれば……ユートム教団に奪われたラトリウムの覇権を、我らアルメルティが取り戻すための力となるわけだ」


 復活の呪文が編み出されて、ざっと百年。地方の田舎宗教だったユートム教団は劇的に勢力を拡大し、同時に世界のあらゆる国家、組織を間接的に支配するようになっていた。

 何しろ彼らは『死人を生き返らせられる』という絶対的な優位を握っているのである。世界の国々……特にそれまで事実上の世界の覇者だった五大国にとって、ユートム教団という連中は目触りながらも従わざるを得ない厄介極まりない存在だった。


 だが、今、それを一変し得る可能性がここにある。あの男……ライゴウ=ガシュマールの不死の秘密を解明すれば、ユートム教団を世界の覇権の座から叩き落とす――いや、他の五大国をも出し抜いてアルメルティだけがその地位を独占することも不可能ではない。


「我らに幸運をもたらしてくれた、お優しい聖女様はどうされているのかな?」

「国境の砦にて保護してあります。薬漬けにして飼い殺しにするのがよろしいかと」

「なるほど。下手に殺したら、復活の呪文で蘇らせられ、我らが不死人を確保しているとユートム教団に伝えられてしまう。余生は塔の上で過ごしていただこう」

「早急に薬を手配する。明日の夕方には砦に届くだろう」


 ――つまりあの娘の命運もそれまでというわけだ。冒険のツケにしては高くついたな。

 膝をついた礼の姿勢のままで、ゼフィーは微かに口の端を緩めた。




   ○   ○   ○




 砦に連れて来られて三日。今日もゼフィーは戻ってこなかった。


(王都までは半日ほどかかるという話でしたから、一昨日の夜には到着されたはず。話が滞りなく進んでいれば、そろそろ戻ってこられる頃合いなのですが……)


 やはり自分が直接ジングウで説明した方が良かっただろうか? 嘆息しながら窓の外を眺める。すでに日は沈み、星の光と夜の闇が変わり映えもしない景色を彩っていた。

 この三日間のほとんどを、慈乃は客間だけで過ごしていた。瞑想や浄文陣の作成など、充実した時を過ごせて個人的には満足なのだが。


「…………」


 ライゴウは、どうしているのだろう?


 兵士に囲まれた時、なぜ抵抗せずに捕まることを選んだのだろう。彼らも話には応じてくれていたのだから、自ら進んで罪人扱いを受けるような必要は無かったはずだ。

 話し合いなど無駄だと考えたのだろうか。それとも勝手についてきた自分を慮って? そもそも彼は、知己もいないアルメルティに来てからどうするつもりだったのだろう。


 自分はライゴウのことを何も知らない……知ろうともしなかったのだと不意に気づく。彼は今どこにいるのだろう。もしかしてまた閉じ込められているのだろうか。

 早く誤解が解けて、ゼフィーが戻ってきてくれるといいと、慈乃は思った。そういえば夕方に早馬がやってきていたようだが、あれはなんだったのだろう。


 扉がドンと叩かれる。兵士が夕食を運んできてくれたのだと察してそちらに向かい――途中で足を止める。ノックが一回だけ、それもあんなに強くというのは妙だ。

 生臭い鉄の臭いが微かに漂う。ほんの数日前にも同じ臭いを嗅いだ記憶がある。


 不穏なものを感じて後ずさる慈乃の前で、扉に外側から無数の刃が突き立てられる。分厚く頑強な扉が打ち砕かれ、黒い影が客間の中へと殺到してきた。

 悲鳴を上げる間もなく胸倉を掴まれて押し倒され眼前に剣を突きつけられる!


「ライゴウの野郎はどこだ!?」


 慈乃に馬乗りになったまま襲撃者が叫ぶ。見覚えのある人物だった。


「ザ、ザン=ミナモト……」

「答えろ! 答えないならこの国の人間をみなごろしにしてやる!」


 呼気荒く、目は充血し、異様な興奮状態にあることは明白だった。


「言え。ライゴウ=ガシュマールはどこだ、どうしてヤツは殺しても死なない、あの野郎はいったい何者だ。今ここで知ってることを欠片も残さず全部吐けッ!」


 抵抗できる状況ではない。不用意なことを言えば自分も殺される……どころではなく、この男は本当にアルメルティの民を老若男女構わず無差別に殺し始めかねない。


「わ、分かりました……分かりましたから、落ち着いてください」


 なだめるように言い、言葉を選びながら、知っていることを素直に話す。そんな慈乃の顔を凝視しながら、ザンは一言もしゃべらず彼女の言葉に耳を傾けていた。


「白の魔王の時代の、不死身の剣士……本当かよ?」

「ライゴウ様の話を信じるならば。少なくとも私は嘘だとは思っていません」

「……ふん」


 ザンが慈乃の上から離れる。起き上がって距離を取り、そこでようやく慈乃は部屋の前に倒れる人影に気がついた。全身に剣を突き立てられ、見るも無残な姿を晒している。

 駆け寄って抱き起こす。まだ暖かい。廊下のあちこちに同様の死体が転がっていた。


「な……こ、これは……」

「邪魔してきやがったんで、この砦の連中は殲滅してやった」


 慈乃を追うように廊下へ出てきたザンが、あっけらかんとそう言い放つ。まるで子供がカサブタを取ったことを報告するような口調だった。


「あなたは、あなたという人は!」

「うるせェな。お前だってここの連中に取っ捕まってたんだろうが、ちったァ感謝しろ」

「……そうだったのですか?」

「気づいてなかったのかよ……これ、読んでみろや」


 ザンが一通の手紙を突き出してくる。そこには驚くべき内容が書いてあった。


 ライゴウの護送が完了したこと。同封した薬品を食事に混ぜて服用させ、自分――東雲慈乃を廃人にして監禁しろという指示。その全ては口外厳禁。末尾にはアルメルティ第零騎士団長……ゼフィーの署名。


「これは……そんな。どうしてゼフィー様がこのような……」


 いくらでも協力すると彼女は言った。だというのに、これはどういう仕打ちだろう。

 何かの間違いか、それとも信じがたい転変でも起こったのか。思考がグルグルと巡り、手紙を持ったままその場に立ち尽くす慈乃の額を、ザンが無遠慮に小突いた。


「どうもクソもあるか。そのゼフィーってのがお前らをハメたんだろ」

「ゼフィー様が私たちを騙したと? 確かにそう考えれば辻褄は合うかもしれませんが」

「ずいぶんメデタイ頭してんだな……まぁ、ヤツの居場所さえ分かりゃ用はねェ」

「……! どこへ行くのです?」


 歩き去るザンを呼び止める。振り返った彼の顔に、粘り気のある笑みが浮かんでいた。


「決まってるだろ、ライゴウ=ガシュマールを殺しに行くんだよ。その手紙とさっきの話からすると、どうやらアルメルティの王都に運ばれたらしいな」

「ライゴウ様は不死人だと言ったでしょう。あなたが何をしたところで死ぬわけが……」

「知ったことか、オレに殺せないモノなんざねェんだ! ライゴウの野郎はオレが殺す。何百人だろうが何千人だろうが邪魔するヤツはすべからくことごとく皆殺しだ!」


 拳を握り、顔を歪め、歯を剥き出しにして絶叫する。慈乃の背に冷たいものが走った。この男は本気だ。このままにすればどれだけの死を撒き散らすか分かったものではない。


「そ、そのようなことは……」


 勇気を振り絞って言い掛けた慈乃の首に、気がつけばザンの剣の切っ先が触れている。いつの間に近づかれたのか、どこから武器を取り出したのか、まったく分からなかった。


「そのようなことは……なんだ? 見逃してもよかったが、邪魔するんなら話は別だ」

「させ……ません。あなたのやっていることは、悪いことです。いくら蘇らせられるとはいっても、人殺しが許される道理などありません。あなたは私の、ユートムの敵です!」


 はっきりとそう言い切る。ザンの目に殺意が浮かぶ。その彼に指を突きつける。


「そこで少し待っていなさい!」


 返事も聞かずに客間へと戻り、ライゴウと別れて以来そのままにしていた旅の道具を身につける。何事かと廊下に立ち尽くすザンの前に、慈乃は大急ぎで駆け戻った。


「お待たせしました。では参りましょう」

「…………え? ……何?」

「あなたがライゴウ様を殺すというのなら、それは構いません。あの方もまた死を望んでおられるのですから。ですが、他の者を巻き込むようなことは私が許しません」

「それでどうして旅支度なんだよ。普通こういう場合は力尽くとかだろ」

「勝算の無い戦いをしても無意味でしょう。あなたと行動を共にして、極力死人が出ないよう努める……これが今の私にできる、最善の選択です」

「……え~と……ここの連中とか、生き返らせなくていいのかよ?」

「やむをえません、私以外のユートムの使徒に任せます。これ以上の死者を出さないためにも、ここであなたを野放しにするわけには参りません」


 ザンが繁々と慈乃を見る。困ったような戸惑ったような顔で、小さくポツリと呟いた。


「……変な女だなぁ」

「あなたに言われるのは心外です」


 心底本気で、慈乃はそう反論した。

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