第五章 許してくれと魔物は悔いた

1 追憶の弐


 私が彼を連れ帰った時、父上や大臣たちは大いに紛糾したらしい。


 まぁ、当然だろう。素性の知れぬ天涯孤独の若者を、いきなり姫君付きの騎士に叙するなど、考えられないことだ。それがこのエウクレイデス王国のような小国であっても。

 だが私は譲らず、諦めず、最後には我意を押し通した。ライゴウ=ガシュマールは私の騎士となり、そして同時にエウクレイデスで最強の剣士となった。


 好きな分野で遅れを取るというのは悔しいものだ。どうにか彼に勝てないものかと、私は工夫と研究を重ねた。しかしそれは結局、ある事実を私に思い知らせる結果となった。


 私は女で、彼は男だった。互いの体が成熟していくにつれてその差は明確になり、彼に勝ちたい一心で努力を続ける私は次第にそれを意識せざるを得なくなっていった。


 そう。私は女で、彼は男だった。




   ○   ○   ○




 出会って一年ほど経った頃、私は彼に本気の勝負を挑んだ。

 結果は惜敗。しかし精根尽きて地に寝転ぶ私とは裏腹に、彼は両の足で立っていた。


 この一年で、彼は背が伸びた。腕の力も体の力も増した。

 私はそうならなかった。胸が大きくなり、動くのに邪魔になったくらいだ。


 これから先、私と彼の体格の差は、さらに明確になっていくだろう。勝てるとしたら今が最後のチャンス、そう思い決めて挑んだ。そして負けた。


「ぜぇー、はぁー……ぜぇー、はぁー……」


 悔しさは無い。誠実に相手してくれた彼に感謝さえしていた……踏ん切りがついた。

 体を起こし、稽古する場としてよく使っている小高い丘の上から町を見下ろす。近くに彼が腰を降ろしているのを見て隣に移動し、その肩に頬を乗せた。


「婿を取ることになった。今年の内に相手を決めるという話だ」

「そう……ですか。おめでとうございます」


 ふざけたことを言うので手の甲をギュッとつねってやる。彼の喉の奥から潰れた悲鳴が漏れた……いい気味だ。


「おい、ここはお前が怒るところだぞ。一緒に逃げようだとか、誰にも俺の女は渡さないとか、いろいろとあるだろうが。素直に祝福してどうする」

「俺はあなたの騎士です。そのような不敬は道に外れます」

「建前はいい。これだけ一緒にいて気持ちが分からぬほど、私は鈍くはないぞ」


 彼は押し黙った。それでも彼が何を考えているのか、手に取るように分かった。

 ――しばらくして、彼は覚悟を決めたように口を開いた。


「俺は一人で生きてきた。父の顔は知らん。母も、俺が十になる前に病で死んだ」

「そうか」


「生きるために必死だった。野盗紛いのこともした。それなりに剣を使えるようになってからは傭兵だ。頼れるのは剣術だけだった。そうやって一人で生きて、いつか一人のままどこかで死んでいくのだと思っていた」

「……そうか」


「だが、変な女に会った。変な女に会ったんだ。その女は俺の剣を預かると、自分付きの騎士にすると言った。何がなんだか分からなかった。夢を見ているか、騙されているか、そうでなければ正気を失ったのかと思った。だがその女は、本当に俺の剣を認めてくれたんだ。俺の唯一の誇りに、俺の全てに、最高の名誉を与えてくれた」

「良い女ではないか、もっと褒めてもいいのだぞ? その妙な呼称は気になるがな」


「実際に変な女だろう。こんな宿無しの傭兵を、自分の側に置こうとしたんだぞ? 俺が悪党だったらどうするつもりだったんだ」

「そうでないという確信があったのだろう。剣は話さずして己を語るものだからな」


 彼の手が私の肩に回る。いつもはここまではしてこない……黙って受け入れる。


「それから俺の見る景色は変わった。仲間ができた。守るべきものができた。帰る場所ができた。嘘みたいだ。今でも時々、寝る前に“目覚めたら全て夢になっているんじゃないか”と不安になる。それくらい……幸せだ。これ以上は何もいらない、これ以上を求めるのは良くない、これ以上は俺が望んでいい域を超えている、本気でそう思っている」


 彼がいったん言葉を切る。何も言わずに、私はその続きを待った。


「……俺は強欲だ。それ以上のものが、その女が欲しい」


 肩に置かれた手に力がこもる。強引に引き寄せられ、気付くと私は彼の腕の中にいた。


「お前が……ユキナが欲しい。お前の全てが欲しい。心も体も俺のものにしたい」

「やっと言ったか、女々しい男め。で、どうする。来年の春には私は婿を迎える身だぞ」


「嫌だ」

「ならその意志を示して見せろ。候補はいるのだろうが、誰を婿にするかはまだ決まっていない。父上たちに堂々と名乗りを挙げて、その座を勝ち取れ」


「……まったく無茶なことを言う女だな」

「始める前から弱音を吐くな。一国の姫を己のものにしたいのなら、王になる覚悟くらいしてみせろ。まぁ、いざとなれば私がお前を浚って逃げてやるから安心するがいい」


「そこは“私を浚って逃げて”というところじゃないのか」

「互いの胸の内も分かって結構ではないか。なんなら勇気が出るまじないをかけてやる」

「まじない?」

「……前祝いだ。お前がそうすることを望むのなら、今ここで私を好きにして構わんぞ」


 キスを、交わした。生まれて初めてのキスだった。


「……これだけで良いのか?」

「これ以上やったら我慢できなくなる自信がある」


 続けて彼は言った。私を得るためにそれが必要なら、王にもなってみせると。この国の全てを、私と共に背負うと。その言葉に満足し、褒美にこちらからもキスをしてやった。


 早速父上に名乗り出るという彼と共に、城へと戻る。そこで私たちを待っていたのは、隣国が攻め込んできたとの急報だった。

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