4 騒乱


 その後ザンが何をやらかしたのかを知り、慈乃は怒り心頭でカジノを出た。


 手には金貨が大量に詰まった袋。受け取りたくなかったのだが、そこは向こうがプロとしての意地を発揮してむりやり握らされた。実はもう少しあったのだが、自分自身とあの時に部屋にいた女性全員の身請けをしたのでその分だけ減っている。


「そんな怒るなよぉ、御嬢だって楽しんでたじゃねェか」

「黙りなさい悪漢。あなたの口車に乗って出掛けた私が愚かでした」


 口も利く気にならず早足で宿へと向かう。感情に己を委ねるのは聖職者として恥ずべき行いだが、物事には許せることと許せぬことというものがあるのだ。


「なるほど、人の世で生きていくにはお金はどうしても必要なものです。これだけあれば当面路銀に困ることはないでしょう。ですがだからといって人を騙して質に入れるような行為が許される道理はありません。そもそも賭け事などというものは……」


「分かった分かった。御嬢を連れて正面から乗り込んだ方が手っ取り早いもんな」

「私が言っているのはそのようなことではなく――」


 足を止めて振り返ったところで、いきなりザンに路地裏へと引っ張り込まれる。


「な、何をするのです?」

「黙って走れ。後ろを歩いてる三人、うまく変装してるが……ありゃ兵士だ」


 背後から舌打ちする声。肩越しに見やる。商人にしか見えない、しかし短剣を手にした三人組。狭い裏路地を右に左に駆け、ザンに押さえ付けられながら物陰に身を潜める。


「……分かるものなのですか?」

「足音でな。訓練を受けた人間ってのは、体の動かし方にそれが出る」


 待ち伏せて奇襲を仕掛けるつもりか、ザンが剣を手に粘ついた笑みを浮かべる。しかし兵士らしき三人組は深追いをせず、その気配は徐々に遠ざかっていった。


「まさか、アルメルティの……?」

「多分そうだろ。訓練を受けた兵士……常備軍なんて金のかかるモン抱えられるのは、五大国の連中だけだ。どっかの組織に雇われた傭兵って線もあるかもしれねェが」


 他国に変装させた兵士まで送りこんでくるとは……例の特務騎士団とやらだろうか?

 すぐそこにまで追手が迫っている。少なくとも自分たちがこの街にいることは知られてしまっている。一刻も早く発たなければ……いや、あるいはもう宿の所在も?


「……ライゴウ様」

「お、おい……!? 御嬢!」


 彼が今一人きりであることを思い出して、慈乃は無意識にその場を飛び出していた。






 浄言で風をまとい、夜のクアンプールを飛翔する。宿へと近づくに連れて不自然に喧騒が増していくのを耳にして、慈乃は己の懸念が現実のものになったことを知った。


 宿の所在が知られている。兵士たちがライゴウを捕まえるために動いている。

 彼は無事なのだろうか、それとももう敵の虜に? まずはそれを確かめなければ。


 離れに到着。玄関は開け放しにされ、周囲には踏み荒らされた跡がある。

 ザンとカジノに向かう前とは明らかに様子が違う。風を御して地上に降り立ち、慈乃は離れの中へ、ライゴウの寝室へと踏み込んでいった。


「ライゴウ様!」


 扉を開けて、名を叫んで、一歩進んで――鳩尾に衝撃。呼気と動きが止まったところで腕を取られて組み伏せられ、そこでようやく痛みを感じてきた。

 首筋に硬質の冷たい感触。刃を突きつけられた。


「不死人ライゴウ=ガシュマールはどこだ」


 簡潔に尋ねられる。視線を巡らせる。念の入ったことに二人掛かりで組み伏せられて、さらに武器を持った男が部屋の中に二人……待ち構えられていたらしい。


 非常に危険な状態である。しかしどこだと尋ねられても、この部屋にいないのであれば分からないとしか言いようが無い。一瞬の内に思考を巡らせ、とにかく時間を稼ぐ。


「い、言え、ま……せん」

「吐け。隠すとためにならんぞ」


 興味を引くことには成功したらしい。慈乃が何か知っていると踏んで、男がそれを聞き出そうと脅しをかけてくる。極められた腕がギリリと捻り上げられた。


 分かったことが二つ。一つは、この男たちはまだライゴウを捕えていないということ。もう一つは彼らはライゴウを不死人だとはっきり認識して動いているということ。

 詳しい事情まで把握した上で活動している……金貨三百枚が目当ての賞金稼ぎではありえない。やはりアルメルティの手の者だろうか。


「う、ぐ……っ……!」


 横隔膜が痺れて呼吸できない。間接を取られて身動きできない。腕と腹部の激痛で思考が乱れ、浄言を編み上げることもできない。といって下手なことを口にして何も知らないのだと知られれば、恐らく即座に殺される。この窮地をどう凌ぐ?


 黙したままの慈乃を見て、話す気が無いと判断したか、男が刃を持つ手に力を入れた。

 思わずギュッと目を閉じる。生温かい鮮血が体にかかるのを感じた。


「……?」


 しかし予想していた痛みは来ない。四人の男が倒れる音を聞いて、慈乃は誰かが彼らを斬ったのだと悟った。喉を擦り、咳き込み、極められていた腕を庇いながら体を起こして……いつの間に入ってきたのか、意外な人物が部屋の中にいるのに気づく。


「ゼフィー様……」

「危ういところであったな、聖女殿。しかし男二人と逃避行とは、その肩書きが泣くぞ」


 血で濡れた剣を手にゼフィーが笑う。どうして彼女がここに……いやそれ以前に、どうして自分を助ける? この男たちはアルメルティの兵士ではないのか?


 状況が理解できずにいる慈乃の服の胸元をゼフィーが掴み、片手で軽々と持ち上げる。そのまま部屋の壁に押し付け、なんとか息ができる程度に締め上げて尋問してきた。


「さぁ、きりきりと白状してもらおう。ライゴウのヤツめはどこに隠れておる?」

「あ、あなたは……何故……この方たちは、あなたの同胞ではないのですか!?」


 宙吊りにされたまま問う。顔に一瞬疑問符を浮かべ、ややあってゼフィーは得心したとばかりに口の端を歪めた。


「この者どもはファルニオの兵よ。よって某ともアルメルティとも無関係だ」

「ファ、ファルニオの……?」


 ここから遥か南東にある、イオラント大陸の覇権国である。五大国の中では末席に位置するが、ほぼ大陸全土を領土としているため周辺との摩擦が少なく、国力や統治の体制は非常に安定していると聞いたことがある。


 問題なのは、遠く離れた海の向こうの国であるファルニオの兵士が、どうしてライゴウの秘密を知った上でこの場にいるのかということだ!


「ライゴウを捕えよとの王命でな。さりとて国外で派手なこともできんし人手も足りん。そこで裏から手を回して、あの色男が不死人であるという情報をあちこちに流した」


「なっ……」


「探すのは他の者に任せ、横から奪い取ろうという寸法よ。世界のどこかにいるライゴウを見つけるのは難しいが、世界中を巻き込む騒ぎの中心を見定めるのはそう骨ではない」


「あ、あなたは……それが何を意味するのか分かっているのですか!? 世界中に混乱が」


「混乱がどうした。その程度でどうこうなるような軟弱な代物は、放っておいてもどうせ潰れる。あの色男が最終的にアルメルティのものになっておれば、それで良いのだ!」


 野太い笑みと共に吼える。邪魔するものは全て粉砕して蹂躙する力強さをそこに見て、慈乃は冷たい汗が背に流れるのを感じた。

 大変なことになってしまった。一番恐れていた状況に向かって世界中が加速している。なんとかしなければ……しかし、いったい、どうすればいい!?


「むっ」


 ゼフィーが慈乃を手放して振り返る。剣戟が交わされ、襲撃者がいったん距離を取る。


「ザン……!?」

「ぐげげげげげげげげッ!」


 ザンが再度斬りかかる。ゼフィーがそれを迎え撃とうとした刹那、ザンが二人分の分身を作り出す。三方からの波状攻撃――剣ではまず防ぎ切れぬその斬撃の嵐を、ゼフィーがマントでまとめて絡め取った。


 剣が泳いで体勢を崩した三人のザンに、女騎士が襲いかかる。一人は叩き切り、一人はアゴを掴んで床に叩きつけて頭蓋を砕いて、最後の一人には体当たりを食らわせる。一瞬で二体の分身が消滅し、体当たりを食らったザンも部屋の壁際まで吹き飛ばされていく。

 しかしその間に、慈乃は得意の浄言を編み上げていた。


「風よ!」


 圧縮された大気が槌となり、至近距離からゼフィーに炸裂する。鈍い炸裂音と共に鎧が歪み、しかし重竜を昏倒させたそれを受けてなお倒れず、三歩後退して踏みとどまる。

 瞠目、驚愕、息を飲む慈乃に女騎士が一足で接近し、横薙ぎに剣を振るう。身を沈めてそれを回避しながら、慈乃は床に手を突いて浄言を放った。


「穿て、鉄槌の風!」


 強大な威力を秘めた不可視の衝撃が、二階の床を打ち砕く。瓦礫と共に一階へ落下し、着地と同時に素早く距離を取って自分の荷物を回収。杖を手に、油断なく身構える。


「やるではないか聖女殿よ。場数を踏んで、その類稀な才気がいよいよ開花したか?」


 ややあって、粉塵の中からゼフィーが姿を現す。正面で構える慈乃と、二階の大穴から自分を見下ろすザンを見て、彼女は愉快そうに笑んだ。


「ユートムの小さな欠片と無尽剣……同時に相手にするとなると、さすがに不利かの」

「……退いてください。私にはゼフィー様と争う理由がありません。ライゴウ様が今どこにいるのかは、私にも分かりません」

「おいおい御嬢、ンな温いこと言ってないできっちり殺そうぜ?」


 宿の周囲……いや、街全体が異様な雰囲気に包まれたのはその時だった。地響きのような唸りが絶え間なく続いている。無数の人間の叫びが合わさった争乱の声だ。

 慈乃とザンを牽制しつつ、ゼフィーがじりじりと移動して扉の外に出る。それに続いて離れの外に出てみると、そこには異様な光景が広がっていた。


「こ、これは……」


 怒号、爆発、剣戟、血臭。街のあちこちが燃えている。そこかしこで誰かと誰かが切り結んでいる。悲鳴が、助けを求める声が四方から響いてくる。

 どこかの兵士だろうか。あるいはどこかに雇われた傭兵だろうか。恐らくはライゴウを巡って、人々が殺し合っていた。あの華やかなクアンプールが戦場と化していた。


「潜伏していた不死人目当ての連中か。ここしばらく牽制に終始していたが……先走って離れに手を出す者が出れば、こうなるも必然だな」


 離れの玄関先に立つゼフィーが、他人事のようにごちる。呆然としながら争乱の様子を見詰めていた慈乃は、それを聞いて頭の奥がカッと熱くなるのを感じた。


「何を言っているのです! これはあなたの行いが招いた結果なのですよ!?」

「だから、なんだ? もともと火種は世界のあちこちに燻っておったのだ」


 悪びれもせずに言って、ゼフィーが慈乃を見やる。


「白の魔王が去って二百年。今のラトリウムの舵取りは、五大国とユートム教団が担っている。だがそれ以外の力もまた、世界のあちこちに育ってきているのだ。フィルウィーズ然り、このクアンプール然り、ズの国を滅ぼした元属国然り。かの国々がやがて自立を、独立を、今の体制からの脱却を求めるは明白だ。これはそれが表面化したに過ぎん」


「これが……このようなことが、やがて世界中で起こるというのですか?」

「早ければここ二、三年の内にも確実にな。世界の頂きに座するユートム教団に対して、あの色男は有効な手札……切り札にもなりえよう。必ずアルメルティの虜としてくれる」


 宣戦布告のように告げて、ゼフィーは戦場と化した街の中へと走り去った。悔しいのか怒りたいのか様々な思いが胸に去来し、しばらくそこに立ち尽くす。

 ふと気付くと、ザンが軽く屈んで目の高さを合わせて自分の顔を繁々と眺めていた。


「泣くほど悔しいならスッと殺せば良かったじゃねェか。綺麗な頭蓋骨が歪むぞ」

「……泣いてなどいませんし、悔しいわけでもありません。己の無力さが情けなかったのです。それと、気味の悪いことを言わないでください」


 頭を振って雑念を払う。渚の危惧した混乱が回避できなくなったとしても、この惨劇がやがて世界中で見られるものになるのだとしても、自分には今できることがあるはずだ。


(どこの手の者であれ、その目的がライゴウ様であることは変わらないはず。先程の兵士たちの問いからすると、ライゴウ様はまだ誰にも捕まらずに逃げ回っている?)


 ならばライゴウを見つけて一緒に街を脱出すれば、この騒ぎも自然と収まるはずだ。


「ザン、手を貸してください。ライゴウ様を探します」

「見つけたら殺していいか? 邪魔するヤツも殺していいな?」

「いいかげんにしなさい! ユートムは常にあなたと共にあられるのですよ?」


 宿代と離れの修理代に金貨の詰まった袋を一つその場に残し、ザンと別れて浄言で風を纏い、夜の街を飛翔する。眼下の喧騒の中、漆黒の獣の姿を確認して目を見張った。


(あれは黒渦の……あの魔物もこの街に来ているのですか)


 どうやってライゴウの居場所を調べているのか分からないが、まさか南部半島まで追いかけてくるとは。大体の距離と日数を頭の中に記憶しておく。

 住民が襲われるかもしれない。ここで倒すべきか、早々にライゴウを探して街から脱出するべきか……そう逡巡する中、慈乃はさらにとんでもないものを目にして息を飲んだ。


「あれは……!?」


 通りで人面の妖樹が暴れている。長い年月を経て大樹が変異したものとも、古木に悪神の邪気が宿ったものとも言われる。いずれにしても町中に現れるようなものではない。

 恐らく魔法の心得を持つ何者かが、召喚術……距離も時間も無視して特定の存在を呼び出す魔法を使ったのだ。黒渦ならともかく、人間が人間同士の争いのために街中に魔物を放つなど正気の沙汰ではない。完全に術者の制御から離れているのか、まったく無関係の民家を襲っている。ユートムの使徒として、この暴挙を看過することなど到底できない。


焔御霊ほむらみたまよ!」


 周囲の熱量を御し、眼前に収束。呼応して周りの大気が凍てついていく。撃ち出された灼熱の塊が人面樹に命中し、その巨体を炎で包む。崩れ落ちる魔物を見てほっと息を吐く一方、慈乃は不意に眩暈を覚えた。慣れない浄言を使って、脳を酷使し過ぎたのだ。


 糖分を摂取すればすぐ回復する。水飴なら荷物の中にあるが、さすがに戦っている中でのんびりと舐めるわけにもいかない。自身を叱咤し、必死に意識を繋ぎ止める。

 そのために動きの止まっていた慈乃の真横で、死角から飛んできた炎の塊が炸裂した。


「……っ!」


 体勢を崩し、それを立て直せず落下する。途中、魔法式の中央に立ち尽くす男が路地裏にいるのをチラリと見た。人面樹を召喚した魔法使いだろうか?


 石畳に激突。纏っていた風の衣が炎を遮り衝撃を和らげてはくれたものの、ダメージは小さくない。衝撃で動けないでいる慈乃に、剣を持った男が駆け寄ってきた。

 剣が振り下ろされる。防げない――思わず目を瞑る。生温かい液体が頬にかかった。


「……?」


 予想していた痛みと衝撃が感じられない。目を開けると、慈乃の眼前で一本の腕が凶刃を受け止めていた。


「無事か」


 ライゴウが寸前で割って入り、己の腕を盾にして自分を守ってくれたのだ。よく分からない感情が胸に溢れ、こんな時だというのに思わず涙が出そうになった。


「ラ、ライゴウ=ガシュマール!?」


 叫んで彼に掴みかかろうとした男の頭蓋に横合いから飛んできた剣が突き刺さる。鮮血と脳漿を盛大にブチ撒けて兵士が倒れ、路地裏にいる魔法使いが顔色を変えた。


「おのれぇ……!」


 怨嗟の声を吐いて魔法式を組む。先ほどの炎の魔法もあの男か。しかしそれが完成するより早く、殺到した黒い影がその体に無数の剣を突き立てていた。


「ぐげげげげ」


 路地裏に一人。


「げげげげげげげ」


 通りの向こうに一人。


「げげげげげ!」


 屋根の上にも一人。


 分身したザンが、殺戮の嵐を巻き起こす。恐らく今この界隈はラトリウムで一番危険な場所だ。止めなければと杖を支えにして体を起こすと、屋根の上のザンが降りてきた。


「よう御嬢、生きてるか? 襲ってきたのはコイツらだし、皆殺しで構わねェよな」

「そのようなことは許しません! 今すぐ剣を収めなさい」


 浄言で気流を生み出し、その上に大きな布を敷く。限界は近いが……慣れた術ならなんとかなるだろう。布の上に三人で乗り込み、慈乃は気流を一気に上空へと導いた。

 追いすがるように飛んでくる矢や魔法は、風を絡めて打ち払う。猛然と吹き抜ける気流は、一行を素晴らしい速度でクアンプールの外へと運んでいった。


 追手を振り切ったのを確認して、ようやく水飴を舐める。脳と意識が劇的に覚醒した。


「魔法使いが甘いものを食べるのは、今も昔も変わらないな」

「もっと気軽に糖を補う方法があれば助かるのですが……ライゴウ様、お怪我の方は?」

「すぐに治る。この程度で死ねるなら苦労はしない」

「で、次はどこに行くつもりだ?」


 ザンに尋ねられる。しばらく考えて、慈乃はこう決断した。


「……クオンツァに行きましょう。あそこはユートム教団の聖地、大国といえど易々とは手を出せません。ライゴウ様のことを調べるにも黒渦に対抗するにも、最良の場所です」


「クオンツァって、それ確かグース大陸の東の端じゃねェのか。長旅どころじゃねェぞ」

「厳しい旅になるのは覚悟の上です……ライゴウ様もよろしいですか?」

「お前がそう決めたのなら、それで構わん。好きにしろ」


 いつもの通りに素っ気無い物言いの中に、慈乃は不思議と暖かいものを感じた。

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