第318話 長い沈黙のあとで
「僕を、ヨハンナ先生のお
僕は言った。
寄宿舎のトイレの一室で吐いていたヨハンナ先生と、その背中をさすって
忘年会帰りで紺のワンピースの先生は、トイレの床にぺたんとお尻をついている。
「僕は全然、カッコよくないし、運動神経とかも良くないし、お金持ちでもないですけど、家事のことなら、絶対に、他の人には負けない自信があります。先生の好みの料理とか全部作れますし、先生が好きなおつまみも全部知ってますし、先生の服の洗い方だって、全部、
先生は口を半開きにしたまま、焦点の合わない目で僕を見ている。
「それに、なにより、僕は先生のことが好きです。大好きです。教壇の上で、
「この二年間、先生に、学校でも寄宿舎でも、長い休みのときは家にも来てもらって、ずっと一緒にいて、先生と色んなところに行ったり、普通に生活してたら絶対に出来ないような経験をさせてもらって、心から感謝しています。逆に、僕が先生に色々してあげたり、先生に心地いい一日を送らせてあげようって考えること、それが楽しくて、毎日が充実してました…………もう、先生と離れて生活することは考えられません。僕は、これからもずっと、先生と居たいです。一日だって、離れたくありません。だから、僕を先生と一緒に連れて行ってください。僕を、先生のお婿さんにしてください」
僕は、心の中で思っていたことを全部言ってしまった。
今まで口から出なかったのが不思議なくらい、すらすらと言葉が出た。
自分がなんでこんなに
だけどとにかく、僕は取り
僕が話すあいだ、先生は無言で聞いていた。
ぴくりとも動かないで聞いている。
真夜中の寄宿舎は静まり返っている。
トイレのタイルの壁に、僕の心臓の鼓動が響いて聞こえそうだった。
「ねえ、塞君」
ずっと黙っていた先生が、口を開く。
「ここは、トイレだよ。私、お酒臭いし、ベロベロに酔ってるし、便器を
先生が、脇腹の辺りのシミを指した。
「
先生が、僕に顔を近付けて訊く。
「い、いえ、いないと……思います」
「分かる? これは私が受ける、一生に一度の大切なプロポーズなんだよ。大切な瞬間だよ。それを、こんなところで……」
先生はガックリと肩を落とした。
「まったく、君は、君って子は、主夫部っていいながら、女子の気持ち、全然分かってないんだから!」
「すみません」
「これまで主夫部で何を学んできたのよ。主夫部は主夫部であって家事部ではないって、それが主夫部の
ヨハンナ先生が、涙目になっている。
先生の青い瞳から大粒の涙が一筋、零れた。
失敗した。
僕は、完全に失敗した。
よく考えてみれば、先生の言う通りだ。
僕は、先生の都合も考えないで、一方的に自分の感情を吐き出してしまった。
ここがどこだとか、そんなこと考えてなかった。
自分勝手にプロポーズしてしまった。
それは、僕が高校生だからだとか、子供だからだとか、そんな言葉で逃げられることじゃないと思う。
しばらく放心状態だったヨハンナ先生が、黙って立ち上がった。
そして、壁を伝いながら脱衣所まで一人で歩く。
僕は後を追った。
すると、脱衣所で先生はおもむろに服を脱ぎ始める。
僕は一旦、脱衣所から出てドアを閉めた。
少しして、中からお風呂場のドアが開いた音がする。
シャワーの水音がするのを確認して、僕は再び脱衣所に入った。
先生が脱衣所に脱ぎ散らかした服を片付けて、バスタオルと着替えを用意する。
酔っ払った先生がお風呂の中で倒れたらいけないから、僕は、時々曇りガラスのドア越しに先生を確認した。
やがて、シャワーを終えた先生が、スエットに着替えて脱衣所から出てくる。
先生は、自分で髪を乾かした。
洗面所に行って歯を磨いて、
そして自分の部屋に戻ると、ベッドの掛け布団をめくって、横になって布団をかけた。
ここまで、先生は何も言わなかったし、僕も、何も言えなかった。
僕は、先生が夜中に喉が
そして、部屋の電気を消した。
「先生、さっきは、本当にすみませんでした」
僕はベッドに寝た先生に頭を下げた。
深く深く、頭を下げる。
僕の決死のプロポーズは、失敗したのだ。
たぶん僕は、彼女いない歴=年齢のまま、この
もう一生、誰かを好きになることなんて、ないと思う。
「ねえ、塞君」
僕が部屋を出ようとしたら、先生がベッドに寝たまま僕を呼び止める。
「私、今日は一日中、
「えっ?」
「そしたら、私、『はい』って
「お願いします、私をあなたのお嫁さんにしてください、って答えるから」
「先生、どういう……」
僕はベッドに駆け寄って訊いたけど、先生はもう気を失ったみたいに眠っていて、スースーと寝息を立てていた。
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