第313話 憧れの人

 ヨハンナ先生に会いに来た榊原さかきばらという人を、食堂に案内した。

 そこで先生が帰って来るまで待ってもらう。


 ヨハンナ先生のあこがれの人は、小柄な人だった。


 ヨハンナ先生を引っ張っていくような人だから、大きくてバイタリティーの塊、みたいな人かと思ったら、物腰が柔らかい、華奢きゃしゃな人だ。


 だけど、案内した椅子に座って背筋をスッと伸ばしているその姿は、堂々としていて風格があった。

 ヨハンナ先生より二つか三つ上だろうけど、長年、教鞭きょうべんを執っているベテラン教師っていう感じだ。


 涼しげな目元で、視線を向けられるとこっちまで背筋が伸びた。

 ヨハンナ先生と同じで紺のスーツを着ていて、もう夕方だけど、シャツはさっきアイロンを掛けたみたいにパリッとしている(もしかしたら、ヨハンナ先生が紺のスーツを着ているのは、この人の影響だろうか?)。



「すみません、ヨハンナ先生は、まだ職員会議で抜けられないみたいです。会議中なんでスマートフォンの電源を切ってるのか、電話もつながらないですし」

 お茶を出しながら僕が説明した。


「いいえ、私が急にお邪魔したんだからいいの。出張の帰りに時間ができて、霧島さんの顔を見ていこうって寄っただけだから。霧島さんが暮らしてるこの寄宿舎も、一度見てみたかったしね」

 榊原さんは「ありがとう」って言って僕が出したティーカープを傾ける。

 その所作しょさ悠然ゆうぜんとしていて美しかった。


 この人からは、全てにおいて余裕を感じる。


「ここは、本当に素晴らしい環境ね。建物も雰囲気があるし、静かだし、それに、掃除が行き届いていて綺麗だし、お茶は美味しいし」

 榊原さんが食堂を見渡して言った。


「あなた達が管理してるんでしょ? あなた達が主夫部?」

「はい、そうです」

 榊原さんは主夫部を知っているみたいだ。


「ふうん、やっぱり。もしかして、君が篠岡君かな?」

 榊原さんが僕の目を覗き込む。

「はい、そうです」

 緊張して、声が震えてしまった。


「霧島さんからあなたのことは聞いてるわ。アイディアマンだし、家事は万能だし、妹さん二人の面倒も見てるんだってね。偉いのね」

 ヨハンナ先生、榊原さんに僕のことを話したのか。


「彼女、酔うとあなたのことばっかり話すから、どんな男の子なのかと思ってたけど、彼女の言う通り、可愛い子ね」

 榊原さんがそう言って僕に微笑みかける。


 だまされるもんか。


 大人の女性は、すぐにそういうことを言うんだ。


 可愛いとか言われたら、僕達男子高校生が、どう反応したらいいのか分からなくなってパニックになること知ってて、わざとそんなことを言う。


 大人の女性の、卑怯ひきょう常套手段じょうとうしゅだんだ。



「それはそうと……」

 榊原さんが横に目を振る。


「この可愛いお嬢さん達は、どちら?」

 榊原さんのすぐ横で、弩と萌花ちゃんと宮野さんが、三人顔を並べて彼女を見ていた。

 強い眼力で、にらみ付けるみたいにしている。

 弩なんて、榊原さんにみつかんばかりの勢いだった。


「彼女達はここの寄宿生ですけど、気にしないでください」

 弩! 萌花ちゃん! 宮野さん! 何やってるんだ! って、僕は念を送る。

 だけど三人は彼女を睨んだままで、僕の視線なんか気付かない。


「ヨハンナ先生はもうすぐ帰ると思うので、それまでお待ちください」

 僕はそう言うと、三人を引っ張って食堂を出た。


 食堂の前の廊下には、主夫部の男子と新巻さんもいて、食堂の中をうかがっていた。


「もう、みんな何してるの!」

 僕は榊原さんを睨むようにしていた三人を注意する。


「だって、あの人がヨハンナ先生を連れて行くのかと思ったら、なんだかくやしくて」

 萌花ちゃんが言った。

「そうですよ。先生を連れて行くんですよ。先輩は、悔しくないんですか!」

 弩が口を尖らせる。

「僕、思いっきりガン飛ばしてやりました」

 宮野さんまで悪い顔でそんなことを言った。


 まったく、気持ちは分からないでもないけど、先生に会いに来たお客さんなんだし。



「よし、私達であの人がどんな人か、確かめましょうか? ヨハンナ先生はあの人のもとで働くことになるんだし、どんな人か、見極みきわめてやりましょうよ」

 腕組みした新巻さんが言った。


「確かめるって?」

「色々と、質問攻めにしてやるの。変な答えを返したり、質問されるのを嫌がって私達を邪険じゃけんに扱ったりしたら、ヨハンナ先生に言いつけてやる。場合によっては、あんな人のところへ行くなって、先生に訴えるわ」

 新巻さんが言ってみんなが頷く。


「篠岡先輩も行きましょう!」

 普段物静かな御厨まで鼻息が荒かった。


「だから、ヨハンナ先生のお客さんだし……」

 まずい、なんか、みんなが変なテンションになってる。

 みんなにとって姉のようなヨハンナ先生を連れて行く人ってことで、見境みさかいがつかなくなっていた。


「篠岡が来ないなら、俺達だけで行くから」

 錦織が言ってドアを開く。


 もう、僕では止められそうもなかった。


 こうなったら先生を呼んでこよう。


 僕は、林を抜けて校舎に急いだ。

 校舎ではちょうど職員会議が終わったところで、職員室から先生達が、三々五々廊下に出てきた。

 若手のヨハンナ先生も、最後に職員室から出てくる。


「先生、お客さんです!」

 僕は大声でヨハンナ先生を呼んだ。

「お客さん?」

「はい、榊原さんていう方が、寄宿舎のほうに訪ねて来られました」

「えっ? 榊原さんが?」

「はい、それで、みんなが、この人がヨハンナを連れて行く人だって、変なテンションになってて……」

 ヨハンナ先生は僕のその一言で全てを察したみたいだった。


「まったくもう!」

 先生が走って、僕もあとを追う。

 二人で寄宿舎に急いだ。




 ところが、どうなってるのかと慌てて寄宿舎に戻った僕達が聞いたのは、賑やかな笑い声だった。

 食堂のドアを開けると、榊原さんを真ん中にして、寄宿生と主夫部の輪が出来ている。


 みんなでなごやかに話していた。


 弩なんて、榊原さんの隣に座って、体に手を回して抱きついている。

 さっきまで、噛みつかんばかりの勢いだったのに、榊原さんにほっぺたこすりつけて幸せそうだ。


「ああ、霧島さん、お帰りなさい」

 先生に気付いた榊原さんが手を振った。


「はい、先輩こんばんは……」

 ヨハンナ先生も、呆気あっけにとられている。



 榊原さんは、凄い人だった。


 僕がここを離れた少しのあいだに、寄宿生と主夫部、みんなの心をつかんでいた。

 みんな、一瞬で榊原さんのことを好きになっている。


 これが、榊原さんが持つ人望なんだろう。

 この若さで、新しい学校を一つ作ってしまうような行動力がある人は、人並み外れた魅力を持っているに違いない。


 ヨハンナ先生が憧れる人は、やっぱり、大きな人だった。



「それじゃあ、みんなでお夕食にしましょうか」

 榊原さんが言って、御厨と錦織、子森君が立ち上がる。

 榊原さんは、もうすっかりここのリーダーになっていた。


 悔しいけど、この人ならヨハンナ先生を任せられると思った。


 この人のところなら、ヨハンナ先生が安心して夢を追いかけられるだろうって、そんなふうに納得してしまう。

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