第309話 勤労者たち

「どう? お兄ちゃん、おいしい?」

 花園が訊いた。


「うん、おいしいよ。花園ちゃんが作った料理は、世界一おいしい」

 僕は答える。


 僕が座るダイニングテーブルで、可愛い妹に、おでこ同士がくっつくくらいの距離に顔を近付けて訊かれたら、そう答えるしかない。


「そう、やっぱりね。花園は、料理の才能もあったんだな」

 花園は納得して顔を離した。

 ピンクのワンピースの上に、黒ウサギのアップリケを縫い付けたエプロンをしている花園。


 腰に手をやって僕を見下ろして、なんだか得意げである。


 花園が僕のために作ってくれた目玉焼きが、料理であるかどうかは議論の余地よちが残るところだけど、ただ単純に、妹が作ってくれた料理を食べるのは嬉しい。

 世界一っていうのも、過言かごんではないと思う(厳密げんみつに言えば、焼きすぎてて黄身が固かったし、胡椒こしょうがかかりすぎてからいし、端っこに卵の殻が入ってて、ガリガリしたけど)。



 今日の朝ごはんは、花園と枝折が二人で作った。


 トーストに、花園が作った目玉焼きと、枝折が作ったスクランブルエッグ、二人で作ったほうれん草のキッシュっていう、素敵な献立こんだてだ。


 僕は、妹達が作ってくれた料理を、皿を舐める勢いで残さず食べた。


「それじゃあ、朝ごはんを作ってもらったから、片付けは僕がやるよ」

 ご馳走様のあとで僕が言う。

「ダメ! 今日は勤労感謝きんろうかんしゃの日なんだから、お兄ちゃんは家事をしちゃダメなの。ね、枝折ちゃん」

 花園が枝折に投げかけると、枝折がコクリと頷いた。


 11月23日、勤労感謝の日で休日の今日、二人は朝から家事を全部自分達でやるってきかない。

 お兄ちゃんはゆっくり休んでいなさいって、涙が出るようなことを言ってくれた。


 その言葉に甘えたいところだけど、二人の危なっかしい料理とか見てると、手を出したくなる。

 料理をしながら、実際何度も手を出してしまった。


「さあ、お兄ちゃんはソファーに座って、ゆっくり休んでて。あとでコーヒー入れてあげるから」

 花園が背中を押して、僕をリビングに追い出す。


「それじゃあ片付けの間に掃除をするのはダメかな?」

「掃除もダメ!」

 花園が口を尖らせた。

「洗濯物を干すの……」

「ダメ!」

 食い気味にダメ出しされる。


「もう! お兄ちゃん、家事のことばっかり考えてないで出掛けてきたら? せっかくの休みなんだし、彼女とどっか行けばい……」

 花園が言いかけたところで、枝折が花園の服の裾を引っ張って止めた。


「あ、そっか、お兄ちゃん、彼女いない歴=年齢で……」

 花園があわてて口を押さえる。

 枝折が、「もう!」って言ってるみたいな顔で花園を見た。


「まあ、人それぞれだし、お兄ちゃんみたいに一生彼女が出来なくても、幸せに生きていけると思うよ」

 枝折が言う。


 なんか、枝折のほうが花園よりひどいこと言ってる気がするけど、気のせいだろうか。


 とにかく、妹達に色々と気を使わせる兄ですまない。



「それじゃあ、ちょっと出掛けてくるよ」

 二人が何もさせてくれないから、しかたなく着替えて家を出る。

「うん、出掛けておいで。夕ご飯も期待しててよね。枝折ちゃんと二人で、食べきれないくらいのご馳走ちそうを用意するから」

 花園が言った。


 願わくば、卵料理以外にしてほしいところだ。




 家を出てはみたものの、久しぶりに自由な時間が出来てどうしていいのか分からなかった。

 街をぶらぶらするのも違う気がするし、見たい映画とかもなかった。

 まだ一ヶ月以上あるっていうのに、街の中はクリスマスの飾り付けがされてるし、仲よさげなカップルが歩いていたり、僕にチクチクと精神攻撃を与えて来る。


 その時、飛び切りのアイディアが浮かんだ。


 そうだ寄宿舎に行こう!


 家で家事が出来ない分、寄宿舎で目一杯家事をしてやる。

 あそこなら、なにかしらすることがある。

 そろそろ冬物も出したかったし、コタツ布団とか、ホットカーペットの用意をするのもいいかもしれない。

 それが終わったら、寄宿生の髪を片っ端から洗ってもいいし、ひすいちゃんと思いっきり遊んだっていい。



 そう考えて半分スキップしながら寄宿舎に向かったら、林の獣道けものみちの入り口で、弩が待ち構えていた。


 弩が、腕組みして仁王立ちしている。


「弩、どうした?」

 僕は訊いた。

「先輩、何しに来たんですか?」

 弩は仏頂面ぶっちょうづらをしている。


「何しにって、暇だったし、ちょっと家事でもしようかなって……」


「先輩、今日は何の日ですか?」

「勤労感謝の日だけど」

「そうです。今日は勤労感謝の日です。だから、先輩達は家事をしてはいけません。家事は禁止です。今日くらいゆっくり休んでください」

 弩まで妹達と同じことを言うなんて。


「いや、あの、僕の場合、普段の家事も全然苦じゃないから」

 むしろ、家事をしてないことのほうが苦痛だ。


「ダメです。今日は、私達だけで家事をします。寮長として、今日だけは男子禁制にしました。お引き取り願います」

 弩には取り付く島がない。


「まったく、油断もすきもないんだから。さっき、錦織先輩と御厨君、それに子森君が来たから追い返したところです。主夫部の男子は、ちょっと目を離すと、すぐに家事をしようとするんだから!」

 弩がプンプン怒っている。


 ああ、みんなも来てたのか。


「主夫部の男子は絶対にここを通しません。通りたければ、私を倒してから行ってください」

 弩はそう言って半身に構えた。


 こんなにちんちくりんな弩だけど、実は柔道の達人ってことを僕はよく知っている。

 抵抗しても弩に投げられて地面に押さえ込まれる未来が見えていた。


 ここは引き下がるしかない。


 仕方なく、きびすを返すことにする。

「なあ弩、ヨハンナ先生もちゃんと休んでるか?」

 帰り際、僕は弩に訊いた。


「ヨハンナ先生は打ち合わせとかで出掛けているので、寄宿舎にはいませんよ」

「えっ? そうなんだ」

 先生、また打ち合わせなのか。


 先生、ここのところ休日はずっと打ち合わせな気がする。

 三年生の担任で、クラスでは僕と新巻さん以外受験だから、色々と気を使うこともあるのに、せっかくの休日まで働いてるなんて。


 勤労感謝の日っていえば、ヨハンナ先生こそ休むべきなのに。


「分かった。それじゃあ、先生が帰って来たら何かおいしいもの食べさせてあげて」

 弩に頼んでおく。


「おいしいものって言っても、ホワイトロリータ以外だからな」

 まさかとは思うけど、一応確認した。

「わわわ、分かってますよ! そそ、それくらい」

 弩が言う。


 分かってなかったらしい。




 それにしてもヨハンナ先生、何の打ち合わせをしてるんだろう?


 この前、実家の旅館で御両親と何か深刻な話をしてたことも、僕はずっと引っかかっていた。


 実家での話も、この打ち合わせと関係があるんだろうか?

 本人に訊いてみても、ヨハンナ先生ははぐらかして教えてくれなかった。

 でも、まさか先生の御両親に訊くわけにもいかない。


 そう考えたとき、あの人の顔が浮かんだ。


 アンネリさん。

 ヨハンナ先生の妹、アンネリさんなら、なんか知ってるかもしれない。

 姉妹で相談することもあるだろうし、御両親から何か聞いてるかもしれないし。



 僕は寄宿舎から駅に帰る道で立ち止まって、スマホにアンネリさんの電話番号を呼び出した。


 幸運なことに電話はすぐに繋がる。


「どうしたの塞君。なになに、やっと私の彼氏になる気になった?」

 電話口でいきなり、アンネリさんはそんなことを言った。


 やっぱり、女子大生のお姉さんは恐ろしい。

 僕達男子高校生なんて、簡単に手玉に取られてしまう。


 僕はなるべく平静を保ちつつ、ことを説明した。


「お姉ちゃんがうちの両親と深刻な話か……うーん、私には心当たりはないなぁ」

 アンネリさんが答える。


「そうですか」

「役に立てなくてゴメンね」

「いえ、こっちこそ突然電話してすみません」

 アンネリさんの休日を邪魔してしまった。


「ううん、大丈夫。運動不足だったから、プールで泳いでたの。ちょうど、つかれて休んでたところだから」

「そうだったんですね」

「今、おニューの水着着てるんだよ。塞君に見せてあげたかったな」

 アンネリさんが言う。


 だまされるもんか。

 まったく、純情な男子高校生をからかわないでほしい。


「もし気になるんだったら、親とかお姉ちゃんにそれとなくさぐりを入れてもいいけど、あれでしょ? お姉ちゃんが学校辞めるってことは、もうみんな当然知ってるだろうし、そのこととは別なんだよね?」

 アンネリさんが訊く。


 え?


 僕は、アンネリさんのその言葉の意味が解らなかった。


 ヨハンナ先生が、学校を辞める?


「あれ? ちょっと塞君、聞こえてる?」


 ヨハンナ先生が、学校を辞める?


「もしもし? 塞君、どうしたの?」


 ヨハンナ先生が、学校を辞める。


「おーい」


 ヨハンナ先生が、学校を辞める。


「ねえ、ホントに大丈夫?」

 アンネリさんの声は、僕に届いてなかった。


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