第308話 正義感

 日曜日、秋の高い空に洗濯物を干す幸せ。

 乾いた秋風にはためく洗濯物と、かすかに鼻をくすぐる柔軟剤の香り。

 どこからか、キンモクセイの香りも運ばれてくる。


 なんて平和な日曜日なんだろう。



 僕が洗濯物を干しているベランダからは、花園の部屋の中が見えた。

 花園の部屋には枝折もいて、二人で勉強している。

 一つの机に二つの椅子を並べて、姉妹寄り添って勉強しているのが愛らしい。


 洗濯物を干しながら、最愛の妹達の仲睦なかむつまじい姿を見られるって、ハンバーグが入ったカレーを食べている感じかもしれない(ちょっと違うかも)。


 僕がそんなことを考えていたら、

「なに? お兄ちゃん」

 席を立った枝折が、窓を開けて僕に訊いてくる。


「いや、二人ともしっかり勉強してて、偉 《えら》いなって思って」

 僕が言ったら、机の花園が「偉いでしょ」みたいな得意げな顔をした。


「それはいいけど、私のブラジャーを手に持ちながら、ニヤニヤしないでくれる」

 枝折に怒られる。


 二人の姿を見てたら、自然と顔がニヤけてたらしい。

 僕は、さっさとブラジャーを干してしまう。


「あ、そうだ枝折、ジーンズについてた緑色の返り血みたいなの、洗ったら全部落ちたから心配しないで」

「そう、ありがとう」


 昨日、僕達が温泉に浸かったあとで家に帰ると、すでに家に戻っていた枝折のジーンズが、緑色の飛沫ひまつで派手に汚れていた。


 昨日、枝折はおがみさんと笛木ふえき君と、超常現象同好会のフィールドワークでどこかに出掛けてて、電話したら取り込み中ってことだったけど、その時なにかがあったらしい。

 電話から聞こえた拝さんの声が「あなた達に、この惑星ほしは渡さないわ!」とか言ってたけど、それとあの緑色の返り血みたいなのと、なんか関係があるんだろうか?


「えっと、確認のために訊くけど、あれは、何かの血液なのかな? たとえばその、宇宙人とか、モンスターとか」

 僕は、声をひそめて訊く(こんなこと、近所に聞こえたら大変だ)。


「お兄ちゃん、それは訊かないほうがいい」

 枝折が真顔で言った。

 枝折はそう言って、口のはしを持ち上げて、ちょっとだけ笑う。


「分かった」

 なんか、恐ろしいものの扉を開けそうだから、それ以上訊かないでおいた。

 宇宙の神秘とか見えそうだ。


 超常現象同好会って、いったい……




 洗濯が終わって一息吐いたら、頑張ってる二人のためにケーキでも焼いてあげようって思いついた。

 今日、休日の寄宿舎の家事は御厨の当番だから、僕は午後予定が空いてる。


 飛び切りおいしいケーキを焼いて、三人でおやつにケーキを食べることにしよう。

 二人の喜ぶ顔が目に浮かぶ。



 早速、買い出しのためにエプロンを外して、お財布を持って家を出た。


 玄関のドアを開けて外を見たら、生け垣の向こうに、また、あの男の子がいた。


 この前、花園の中学校の制服を着ていた、あの、眼鏡の大人しそうな男子だ。

 水色のシャツの上に紺のカーディガン、ベージュのチノパンっていう服装の彼。


 玄関のドアが開いたことに驚いて目を見開いているその男子と、目が合った。

 すると彼は、後ずさりしながら二歩、三歩と下がって、振り向いて走って逃げる。


「ちょっと待って!」

 僕は彼を追いかけた。


 今日はちゃんと話をしないといけない。


 何度も家に来たりして、彼が花園のストーカーになったりしないか心配だった。

 そこは、兄として、親として、きちんと言っておかないといけない。


 僕は全力疾走で彼を追う。

 別に僕は体力に自信があるほうじゃなかったけど、彼もあんまり足が速くないみたいで、簡単に追いついてしまった。


「ちょっと、待ってってば」

 二十メートルも走らないうちに追いついて、僕は彼の腕を取る。


「ごめ、んな、さい」

 走って、肩で大きく息をする彼。

 僕に捕まっても、暴れて抵抗したりはしなかった。

 なんか、おびえたように僕を見る。

 中性的な幼い顔で、目をウルウルさせて僕を見るから、ちょっとドキッとした。


「むこうで話そうか」

 人目もあるし、僕が近くの公園に誘うと、彼は大人しく従う。




 子供の頃、花園や枝折ともよく遊んだ近所の公園のベンチに、僕達は二人並んで座った。


 住宅地の川沿いにある小さな公園は、ベビーカーを押す二組の母子と、反対側のベンチに一人、杖を構えたお爺さんが座ってるだけで静かだ。



「君、名前は?」

「はい、高五木たかいつきいたるといいます。花園さんとは、同じクラスです」

 彼は、隣に座る僕を怖々と見て言った。


「なんで、僕達の家を覗いてたの?」

 僕は、できるだけ優しく訊く。


 あの可愛い花園が同じ学校にいれば、男子なら絶対に恋してしまう。

 だから、花園にあこがれて家まで来てしまう彼のことを無下むげしかるわけにもいかなかった。

 彼の気持ちが痛いほど解るし。


 まったく、花園は我が妹ながら罪な奴だ。



「花園のこと好きなのは分かるけど、でも、家まで押しかけるのはどうかな?」


「いえ、違うんです! そういうことじゃなくて! 好きで押しかけたとかじゃなくて! いえのあの、もちろん、花園さんのことは好きですけど! あっ、好きっていうか、違うんです! 好きだけど、違います! ぼくなんか……花園さんには……」

 高五木君は、顔を耳まで真っ赤にする。


「まあ、落ち着こう」

 彼が頭から上気を噴き出して倒れそうだったからなだめた。



「あのう、僕、花園さんに、お礼が言いたくて」

 少し落ち着いた頃に、高五木君が言う。


「花園さんに助けてもらったのに、学校でお礼を言う勇気がなくて、家でならと思って……来てしまって……」


「助けたって、花園が君に何をしたの?」

 僕が訊くと、彼は言いにくそうに口ごもった。

 気まずい空気が流れる。


 反対側のベンチのお爺さんは、さっきから銅像みたいに1㎜たりとも動かなかった。

 ベビーカーの中の赤ちゃんは二人とも寝ていて、お母さん達が楽しそうに話している。


 しばらくして高五木君は踏ん切りを付けたみたいに話し出した。


「あの、僕、親が仕事で忙しいので、学校には自分で弁当作って持って行ってるんですけど、僕が自分で作った弁当を、クラスメートが、地味な弁当だとか、お婆ちゃんの弁当みたいだとか言って馬鹿にして、からかわれてたんです。そしたら花園さんが『そんなことないよ、美味しそうなお弁当じゃない』って僕をかばってくれたんです。助けてくれたんです。周りの女子も花園さんに加勢して、僕をからかってたクラスメートをめてたら、そしたら、僕をからかってたクラスメートが、花園さんに、僕のこと好きなのか? とか、言い出して、それで、今度は花園さんのことをからかったりして……」

 高五木君の話を聞いてたら、なんか自戒じかいの念も込めて中学生男子っぽいとか思ってしまった(好きな子にちょっかい出したくなる気持ちが、分かりすぎて痛い)。


「そんなふうに花園さんが僕を助けてくれたのに、僕、お礼を言う勇気がなくて。それに、二人で話してるところを見られたら、また、花園さんに迷惑がかかるっていうか、僕を助けたばっかりに、花園さんが変なこと言われたらまずいから、だから学校では言えなくて、家に来てしまって」

 なるほど、話の筋は通っている。


「でも、家に来たのに、勇気が出なくて、チャイムが押せなくて、それで迷ってたらのぞいてるみたいになってしまって……」

 高五木君は顔を真っ赤にしたまま丁寧に説明した。


 その話しぶりを見る限り、嘘ではないんだろう。

 彼は誠実に答えていた。



 彼の話を聞きながら、僕は思わず笑ってしまいそうになったのをこらえた。

 なぜなら、以前、僕が作ったお弁当にも、そんなことがあったからだ。



 忙しい両親の代わりに、僕が枝折や花園のお弁当を作り始めた頃、僕は、栄養とか、作る時の効率こうりつばかりを考えていてお弁当の見栄みばえとか、全然気にしてなかった。

 とにかく、栄養があるものを詰め込んでいた。


 そしたらある日、枝折と花園の二人が僕に、「お兄ちゃん、もう少しカワイイお弁当作って」て、すごくすまなそうに訴えてきたのだ。


 お弁当を作ってもらってるのに、こんなこと言ってゴメンねって、二人とも泣きそうな顔をして訴えた。


 僕は、思い詰めて僕に訴えて来た二人が愛おしくて抱きしめた。

 僕も泣きそうになるのを我慢して抱きしめたのだ。


 そして、その時、お弁当の見栄えってそんな細かいことも大切なんだなって学んだ。

 主夫として、そのとき一つ成長できた。


 彼の話を聞いてたら、昔のそんなことを思い出してしまった。



 花園の奴、それで受験勉強に集中出来なかったのか。

 正義感の強い花園のことだから、高五木君がクラスの中で浮いたら大変だとか、そんなことを考えていたんだろう。

 どうにかして彼と、からかってくるクラスメートを仲直りさせたいって考えていたに違いない。


 花園らしいといえば、花園らしい。



「よし、それじゃあ、今から僕の家に行こうか」

 僕は高五木君を誘った。


「えっ?」

 彼がびっくりして僕を向き直る。


「花園にお礼を言うなら、僕が取り次いであげる。それに、僕が、お弁当を作るとき、見栄えが良くなる秘訣ひけつを教えてあげるよ。ちょっとしたコツで、お弁当は見違えるように見栄えがよくなる。可愛くなる。それを教えよう」

 僕は、安心させるように彼に微笑みかけた。


「えっ? お兄さんが? ですか?」

 高五木君が不思議そうに訊いてくる。


「うん、僕はお弁当に関しては一家言いっかげんあるんだ。毎日、花園のお弁当を作ってるのは僕だし」

「ええっ! 花園さんのお弁当、すごく可愛くて美味しそうだけど、お兄さんが作ってるんですか?」


「まあね」

 僕が言うと、彼は信じられないって顔をして、あんぐりと口を開けたままになった。


「だって、僕は主夫だから」

 僕は言う。


 ちょっと、カッコつけ過ぎたかもしれない。

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