第306話 紅葉狩り

「かーえんちゃん、あーそーぼ」

 玄関のドアを開けて、我が家にヨハンナ先生が入って来た。


 紺のチェックのフレアスカートに黒タイツ、白いニットっていう服装のヨハンナ先生。

 先生の今日のコーディネートはガーリーって感じで可愛い。

 自分の担任教師のことを可愛いとか言っちゃうのもどうかとは思うけど、確かに可愛いのだ。



 土曜日、ちょうど昼食を終えたところで、僕と花園が先生を玄関で出迎えた(枝折は部活でおがみさん達と出掛けている)。


「先生ー!」

 って、花園が嬉しそうにヨハンナ先生に抱きつく。


「先生、どうしたんですか?」

 僕は前もって先生と打ち合わせしてあったセリフをしゃべった。


「うん、久しぶりに花園ちゃんの顔が見たくなってさ。ほら、枝折ちゃんとは毎日学校で会ってるけど、花園ちゃんとは中々会えないでしょ?」

 ヨハンナ先生は抱きついてきた花園をぎゅっと抱きしめる。

「嬉しい」

 花園が先生に身を任せて言った。



「ねえ、これから、ちょっとドライブしない? 天気いいし、紅葉でも見に行こうよ。先生、すっごくいい場所知ってるから」

 先生が花園の目を見て言う。

 すると、花園はヨハンナ先生から体を離した。


「でも、私、受験生だし、午後も勉強しないといけないから」

 花園の表情がちょっとだけ曇る。

 花園は、この前、枝折に真面目に受験勉強しなさいって言われたのを気にしているのだ。


「たまには息抜きも必要だよ」

 ヨハンナ先生が花園の頭を撫でた。

「だけど勉強が……」

 口ではそう言っていても、花園は行きたいみたいで、足がもじもじしている。


「一日くらい平気だよ。まあ、いざとなったら、我が校の入学試験のテスト問題くらい、先生が金庫から盗んできてあげるから大丈夫」

 先生がそう言って花園にウインクした。


「先生それは犯罪で……」

 僕が言いかけたら、

「それもそうですね」

 花園が納得する。


 おい、花園!

 そして、先生!


「それじゃあ、花園ちゃん、支度したくして来なさい。塞君も急いで」

 先生が手を叩いて追い立てた。

 花園が、ぴょんぴょんウサギが跳ねるみたいにして、嬉しそうに二階に上がっていく。


 

「どうもすみません」

 僕は先生に小声で言った。


「塞君、この前、先生に頼りなさいって言ったでしょ? 遠慮えんりょしちゃダメ。どんどん先生を頼りなさい」

 先生が、そう言って僕の頭をくしゃくしゃってする。


 しばらくして、緑のチェックのフレアスカートにニットっていう、先生のコーディネートを真似した花園が二階から降りてきた。


 なんか、二人は髪の色が違う姉妹みたいだ。




 ヨハンナ先生の青いフィアットの助手席は、いつもは僕の指定席だけど、今日は花園に譲った。

 僕は花園の後ろの席に座る。


「出発進行!」

 花園が無邪気に言って、ヨハンナ先生が車を発進させた。


「塞君、なに?」

 しばらく走って、ヨハンナ先生がルームミラー越しに僕に訊く。


「いえ、別に」

 最愛の妹と、大好きな先生っていう二人を、こうして後ろから眺めている感じが幸せで、僕は自然とニヤけてたらしい。


「お兄ちゃん、ニヤニヤしててキモい」

 花園がクスクス笑いながら言う。

 確かに、後ろの席で無言でニヤニヤしてたら、ただの変質者だ。


「それは、こんな美人二人と一緒に車に乗ってたら、嫌でもニヤけますよ」

 僕は言った。


「おっ! 塞君、一日最低一回は女子をめようっていう先生が出した課題、実践じっせんしてるんだね。えらい、えらい」

 先生が褒めてくれる。


 でも、僕はただ、本当に心に思ってること言っただけなんだけど。



 久しぶりのドライブで、花園は楽しそうだった。

 それだけでも、ヨハンナ先生に来てもらった甲斐かいがある。


 カーステレオで「Party Make」の曲をかけて、花園とヨハンナ先生が交互に歌った。

 お昼のいい加減な時間に出発したから、渋滞もなく、車はスムーズに進む。


 途中、道の駅に寄ってタコ焼きやソフトクリームを食べたり、湖畔こはんの駐車場に車を止めて、しばし、さざ波が立つ湖を眺めたりした。


 空が高い、小春日和こはるびよりのぽかぽか陽気で、ヨハンナ先生も、花園も、ニットの袖を腕まくりする。


 土曜の午後の、ゆっくりとした時間が流れていった。



 湖畔を抜けると、先生は山道に車を向けて走らせる。

 両側が木立の細い道を、どんどん登っていった。

 だけど、周りは杉の木ばかりで、紅葉というには寂しい景色だ。

 それどころか、森が深くなって鬱蒼うっそうとしてきた。


「先生、まさか、道を間違えて迷子になったとか」

 さすがに心配になって、僕が後席から訊いた。

 先生、いい場所知ってるとか言ってたけど、前に北海道で遭難しかけたこともあるし……


「まさか、まあ、見てなさいって」

 先生が、ルームミラー越しに自信たっぷりの顔を見せる。


 その言葉通り、さらに進むと、鮮やかな赤が目に飛び込んできた。

 真っ青な空の下が、毒々しいくらいの赤で埋め尽くされている。


「さあ、ここが先生のとっておきの場所だよ」

 先生がそう言って車を停めた。


 山頂付近の、カーブの先にある狭い駐車場。

 山肌にひょっこりと突き出したがけの周囲を、サクラやカエデ、ケヤキなんかの広葉樹がおおっている。

 目の前の山も、眼下の谷も、右の山肌も左も、目に見える範囲、全ての森が赤やオレンジに色づいていた。

 ここは、赤い絨毯の上の展望台みたいな場所だ。



 僕も花園も、しばらく言葉を忘れる。

 車のエンジンを切ると音もなくて、あたりはしんと静まり返った。



「先生、なんでこんな場所知ってるんですか?」

 目の前の景色に圧倒されながら僕は訊いた。

「だってここ、うちの旅館の裏山だもの」

「へっ?」

「気付かなかった?」

 確かに、随分と走った気はしたけど、先生の実家の方まで来てたのか。


「先生は、よくここに来てたの?」

 花園が訊く。

「うん、裏山だから、獣道けものみちを通れば、20分も掛からないで来られるからね。何かあって考え事をしたいとき、学生の頃の先生はここに来て、この風景を眺めていたわけですよ」

 ヨハンナ先生は言いながら、懐かしそうにあらためて周囲を見渡す。


 僕達くらいの多感たかんな時期に、ヨハンナ先生がここで考え事をしてたと思うと、なんか感慨かんがい深い。

 少女時代のヨハンナ先生は、どんな悩みを抱えてここに来てたんだろう?


 こんな雄大な景色の中で育ったから、先生がこんなに大きな人になったって、納得がいってしまった。


「なに? 塞君」

 僕がそんなことを考えてたら先生が訊く。


「あっ、お兄ちゃん、先生のセーラー服とか、想像してたんでしょう?」

 花園が僕の脇腹を突っつきながら言った。


 まったく、失礼な!


「言ってくれれば、セーラー服くらい、いくらでも着てあげるのに」

 ヨハンナ先生が言った。

 先生は、いつも僕達男子高校生に夢のある返事をくれる。



「くしゅん」

 しばらく景色を眺めてたら、花園がくしゃみをした(全てにおいて可愛い花園は、くしゃみまで可愛い)。

 山の上で風に当たってたから、僕も少し寒くなって震える。

 日も、段々と傾いて、空の青も濃くなってきた。


「よし、山を下って、うちの旅館で温泉入ってぽかぽかになってから帰ろうか? 週末だから部屋は空いてないと思うけど、温泉だったら入れるし」

 先生が言う。

「温泉やったー!」

 花園がはしゃぐ。

 もとから先生はそのつもりで、僕達をここに連れてきたんだろう。


「塞君、先生と一緒に入る?」

 ヨハンナ先生が訊いた。


 本当に先生は、僕達男子高校生にとって、夢のあることしか言わない。

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