第303話 土産話

「この、手に吸い付くようなフォムルに、適度な弾力」

「ふええ」

「艶々でいて、しかもサラサラな髪の感触」

「ふええ」

「手のひらを丁度良く載せられる、適度な大きさ」

「ふええ」

でるたびに髪から立ち上る、清潔せいけつなシャンプーの香り」

「ふええ」

「そして、この『ふええ』という、気の抜けた鳴き声」

「ふええ」


嗚呼ああ、なんて心地いいんだ」

 やっぱり、弩の頭を撫で繰り回すのは最高だ。

 手が寂しい時に、しっくりとくる。

 こうしていつまでも撫でていられる。


「あ、あの、篠岡先輩、撫でてもらうのは嬉しいんですけど、話の腰が折れるので、ぶつぶつと何かつぶやきながら撫でるのはやめてください」

 弩が言った。


「はっ!」

 マズい。


 目の前にある弩の頭を撫でてたら、僕はいつの間にか言葉を発していたらしい。

 心の中の声が、ダダ漏れだった。


「弩さん、まあ、許してあげて。篠岡君、弩さんと萌花ちゃんがいなくてさびしがってたから、帰って来たのが嬉しくてしょうがないんだよ」

 ヨハンナ先生が肩をすくめて言う。


「そうそう、寂しすぎて、他所よその部の女の子に手を出してたくらいだからね」

 新巻さんがそう言って意地悪な顔をした。


 他所の女の子に手を出してたとか、失礼な。


「後でいつまででも撫でてていいですから、今は話をさせてくださいね」

 弩に言われて、僕は「はい」と答える。


 弩に、説教されてしまった。



 僕達主夫部と寄宿生は、食堂に集まっている。


 夕飯を済ませてテーブルを隅に片付けて、食堂の床には布団を敷き詰めてあった。

 その上に輪になって座って、二年生から修学旅行の土産話みやげばなしを聞いている。

 御厨のスイーツ修行の話や、萌花ちゃんの撮影秘話で盛り上がった。


 みんなお風呂にも入った後で、寝間着ねまき姿だ。

 布団の上で行儀が悪いけど、お菓子とか飲み物(先生はビール)も用意してあった(お菓子は、白い恋人にバターサンド、じゃがポックルの北海道土産)。


 朝まで夜更かしする体制は整っている。


 食堂の隅にベビーベッドを置いてひすいちゃんを寝かせて、北堂先生も参加していた。

 ひすいちゃんの安眠のために、照明は僕達の輪の中心に置いたランタンの明かりだけだ。


 だけどそれがかえって、キャンプのテントの中で話してるみたいで、わくわくした。

 こういうキャンプみたいな雰囲気って、突然誰かが告白とかしそうで楽しい。



「それで、どこまで話しましたっけ?」

 弩が訊く。

 イチゴの柄の、ワンピースみたいなデザインの寝間着の弩。


「猪に追われて、森の中を逃げ回ったところだね」

 萌花ちゃんが助け船を出した。

 萌花ちゃんは、ミントグリーンのチェックのパジャマを着ている。


「そうそう、突然、茂みから出てきた大きな猪の追われて逃げてたら、転んで、とげがある枝が、ほっぺたをかすってしまったのです」

 弩が、ほっぺに貼った絆創膏ばんそうこうの理由を説明した。


「大丈夫だったのか?」

 僕が訊く。

 深い傷だったりしたら大変だ。


「はい、一緒に猟に出た三鹿みろくさんが、つばでも塗っとけば治るって言ってたくらいの、かすり傷でした」

 あの、ワイルドな三鹿さんらしい。


「それに、そのとき偶然、そこにヘリコプターに乗ったお医者さんが通りかかって、私の傷をてくれたので、治療も完璧にしてもらいました」

 弩が言う。


 深い森の中で猟をしてるところに、ヘリコプターに乗ったお医者さんが偶然通りかかるって……


 そんな馬鹿な。


 きっと、弩の御両親が待機させていた医療チームが駆け付けただけなんだろう。

 弩を危険から守るって、特殊部隊みたいな人達が、終始、見守っていたと思われる。


「そのうち綺麗に直るそうです。」

 弩が笑顔で言った。

 確かに、弩の御両親が派遣した医療チームなら間違いないかもしれない。


 僕は、笑顔を見せる弩を、もう一回撫で繰り回した。

「ふええ」

 弩が鳴く。

 三鹿さんについて野山を駆けまわってきた弩は、どこか逞しくなった感じがする。



「あっ、それから、あの農家民宿の益子さんに、また、赤ちゃんが生まれたんですよ」

 弩が思い出したように言った。


「えっ?」

 僕と新巻さんが声をそろえる。


「丁度、私達が帰る前の日に奥さんが産気さんけづかれて、二人で病院に行きました」


「へえ、私達の時と同じじゃない」

 新巻さんが言う。


 一年前の僕達の時もそうだった。


 あのときは、あの農家民宿『ひだまり』に泊まる初日で、周囲に人がいない民宿に、新巻さんと二人だけで置き去りにされて、途方に暮れたものだ。

 幸い、食材には困らなくて、美味しい夕食が食べられたし、露天の五右衛門風呂にも入れたから、結果的に良かったんだけど。


「修学旅行の日にまた赤ちゃんが生まれるなんて、すごい偶然だね。赤ちゃんは、女の子? 男の子?」

 新巻さんが訊いた。

「女の子だそうです」

 弩が答える。


 僕達のときに生まれた子も女の子だったし、あの山の中の家に、可愛い姉妹が暮らすことになるんだ。

 森を駆け回るわんぱくな姉妹を想像して、頬が緩む。



「ちょっと待って、そうすると、弩と子森は、一晩、二人だけで過ごしたのか?」

 錦織が訊いた。


 みんなそれに気付いて、びっくりして弩と子森君を見る。


 そういえば僕と新巻さんの時もそうだった。

 オーナー夫妻が不在になると、あの、10㎞四方に一軒も家がないところに、二人だけで取り残されることになるのだ。

 僕達のときは、ヨハンナ先生が車で遭難寸前になりながら駆け付けてくれたから、結局三人で夜を明かしたけど。


「はい、二人だけで一夜を過ごしましたよ。でも、子森君のおかげで快適でした。ご飯も美味しかったし、お風呂も用意してくれたし、洗濯もしてくれたし、全然、不自由なことはありませんでした。さすがは部活で毎日厳しい練習をしてるだけあります」

 弩が、ケロッとした顔で言う。


「いえあのね、弩さん、そういう問題じゃなくて……」

 新巻さんが苦笑いした。


「せ、せ、せ、先輩達、二人で一緒に寝たんですか?」

 宮野さんが訊いた。

 訊きながら、顔が真っ赤になっている。


「うん、私は一緒に寝ようかって言ったのに、子森君が別々の部屋にしようって言って、別々の部屋に寝たよ。私は、篠岡先輩と何回も一緒に寝てるから、一緒に寝てもいいよって言ったんだけど」

 弩が、そんなふうに言う。


 あの、弩、誤解を招くようなことは言わないように。

 僕達は確かに何度も一緒に寝たことはあるけど、それはヨハンナ先生が一緒だったり、妹の枝折や花園が一緒だったじゃないか。

 二人っきりで寝たことなんて、なかったし。



「確かに僕達は二人っきりで過ごしましたけど、僕と弩には、なにもありません」

 子森君が口を開いた。


 それを聞いて、なんだかみんながほっと胸を撫で下ろす感じだった。


 子森君は誠実な奴だし、嘘なんかつかないし、子森君が「なにもなかった」って言えば、なにもないんだろう。


「だって、僕、弩のこと大切に思ってますから」

 子森君が続けた。

「大切な人だから、こんなことで……」


「子森君、ありがとうなのです」

 弩が笑顔で言う。


 弩は、なにも分かってないみたいだった。


 たぶん、僕の思い違いじゃなければ、今、子森君は、弩に告白したんだと思う。

 でも、弩は、なにも分かってない。

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