第301話 焼きたてのパンプキンパイ

「それじゃあ、脱いでみようか」

 僕が言うと、

「はい」

 って、諏訪部さんが素直に返事をする。


 諏訪部さんは、セーラー服の上に着ていたカーディガンを脱いだ。


「次は、セーラー服のスカーフを外して」

 僕が言うと、

「はい」

 って、諏訪部さんが黄色いスカーフを外した。


「今度は靴下を脱ごうか?」

 諏訪部さんは僕の言葉に従って、素直に靴下を脱ぐ。

 靴下を脱ぐ動作に合わせて、諏訪部さんのポニーテールが揺れた。



 放課後の弓道部部室。

 弓道部員は隣の弓道場で練習をしていて、ここには、僕と諏訪部さんしかいない。



「それじゃあ、脱いだ服を床に投げてみようか」

 僕が言うと、諏訪部さんはちょっと戸惑った。


「さあ、勇気を出して」

 僕が続けて、諏訪部さんはようやくカーディガンとスカーフ、靴下を床に投げる。


 弓道部部室のよく磨かれた床の上に、諏訪部さんのカーディガンとスカーフ、靴下が散らばった。


 普段、ちり一つないようなこの部室が、少しだけ散らかる。

 諏訪部さんが顔をしかめた。

 部室の秩序ちつじょが乱れたことに、心を痛めているのかもしれない。


「それじゃあ次に、スマホ使っちゃおう。部室でのスマホ使用も、禁止されてるんだよね」

「はい、先輩達に見つかると怒られます」

「じゃあ使おう」

 僕が言って、諏訪部さんがスマホの電源を入れた。


「二人で写真撮っちゃおうか?」

 僕と諏訪部さんが並んでスマホで写真を撮る。

 そして、僕もスマホを取り出して、二人でLINEのやり取りをした。

 面と向かって、お互い触れるくらいの距離なのにスマホで会話する。


「じゃあ、次はこれだ。ポテチとコーラ。部室内での飲食は禁止されてるんだよね」

「はい、これはもう、絶対に叱られます」

「それなら食べちゃおう」

 僕は、さっきコンビニで買ってきたポテトチップス(のりしお)の袋を開けた。

 磯の香りが辺りに広がる。


「さあ、食べて」

 僕が袋を勧めると、諏訪部さんが恐る恐る、ポテチに手を伸ばした。

 そして、小さな一枚を指で摘まんで、口に放り込む。

 パリッって、乾いた良い音がした。


「ポテチには、やっぱりコーラだよね」

 僕は500ミリリットルのペットボトルの蓋を開けて、諏訪部さんに渡す。

 諏訪部さんは口をつけて少しだけ飲んだ。


「これで、飲食禁止も犯した。他に何か、この部室内で禁止されてることはある?」

 僕は訊いた。


「えっと、あの、異性と親しくするのが禁止されています」

 諏訪部さんが下を向いて言う。


 さすが、由緒ゆいしょ正しい部活って感じがする。


「そう。それじゃあ、二人で手をつないでみようか?」

「はい」

 僕と諏訪部さんは手を繋いだ。


 はたして手を繋ぐことが、「異性と親しくする」の範疇はんちゅうに入るのかは別にして、僕も諏訪部さんも、照れてほっぺたを赤くした。


 諏訪部さんの手は、ほんのりと温かい。


「これで、悪いことは全部やったよね」

「はいやりました」

「諏訪部さんは、悪い子だよね」

「はい、私は悪い子です」



 諏訪部さんは、真面目すぎるんだと思う。

 元々真面目なところに、修学旅行で先輩達がいなくて、自分が部を守らないとっていう気持ちが強すぎて、他の部員を萎縮いしゅくさせちゃったんだと思う。


 だからこうやって、部室でやったらいけないことを全部やってみた。

 規則を全部破った。

 真面目な諏訪部さんに対するショック療法みたいなものだ。


 まあ、これ全部、ヨハンナ先生のけ売りで、こうしてみなさいって言われことをやってみただけなんだけど。



「でも、こんなことして、私、悪い子になって、たがが外れたみたいになっちゃわないでしょうか?」

 諏訪部さんがそんなことを訊く。


「ヨハンナ先生を見たでしょ? 先生は、寄宿舎ではあんななのに、教室ではパリッとしたカッコイイ先生だよね。しっかりと決めるところは決めて、ゆるく力を抜くところは抜く、そうすればいいんじゃないかな?」

 僕が言ったら、諏訪部さんが深く頷いた。


 諏訪部さんを納得させるのに、ヨハンナ先生の寄宿舎での生態が役に立った。

 まさか、先生の寄宿舎でのぐうたらぶりが、役に立つ日が来ようとは……



「おーい、焼き上がったよ」

 僕達が話していると、錦織が包みを持って部室に入ってくる。


 この、錦織が両手で抱えるチェックの包みの中には、パンプキンパイが入っている(かぼちゃおばけの顔をしたやつ)。


 このパンプキンパイは、昨日の夜、諏訪部さんと僕達で仕込んだものだ。

 僕達が諏訪部さんに作り方を教えて手伝った。

 後は焼くだけにしておいて、放課後、オーブンで焼いていたのが、焼き上がったらしい。


 錦織が、テーブルの上に包みを置いた。

 包みから、かぼちゃの甘い香りが漂ってくる。


「さあ、じゃあ、あとは部員を呼んで、これで仲直りのお茶会だね」

 僕は言った。

 諏訪部さんが、黙って頷く。


「よし、リハーサルをしよう。部員が来たら、諏訪部さんはなんて言うの?」

「はい、パイを焼いてみたから、みんなで一緒に食べよう、って言います」

「そんなことしていいの? 先輩達に見つかったら、怒られるよ、って部員に言われたら?」

「もし、先輩方に見つかって怒られることになっても、私がやったことだから、私が責任持って怒られるからいいよ、っていいます」

 諏訪部さんが言った。


「そして、今までごめんねって謝ります」


「うん、それでいいんじゃない」

 僕が言ったら、諏訪部さんが笑顔を見せる。

 キラキラと輝く、弾ける笑顔だ。


 泣いている諏訪部さんより、こっちのほうが断然いい。


 やっぱり、女子の笑顔を見られるのは気持ちよかった。

 これこそ、主夫の醍醐味だいごみだ。

 この笑顔のために僕達は主夫部をやっているのだ。




「本当に、ありがとうございました」

 部室を出て行く僕と錦織に、諏訪部さんが頭を下げた。

 おでこが膝にくっつくくらい、深く深く、頭を下げる。


「うん、それじゃあ、頑張って」

「大丈夫、上手くいくよ」

 僕と錦織が声をかけた。

 なんか、カッコよすぎる消え方だけど、僕達は部室を出る。


 弓道部顧問の那須なす先生は、ヨハンナ先生が引き留めておいてくれるから、今日は部活には出ないらしい。


 諏訪部さん達は、パンプキンパイでゆっくりと仲直りのお茶会が出来る。




「篠岡先輩!」

 さっき別れたばかりなのに、諏訪部さんが走って僕達を追いかけて来た。


「俺、先行ってるわ」

 錦織が一人で歩いて行く。


「どうしたの?」

 僕は走ってきた諏訪部さんに訊いた。

 グランドの隅で、僕達は向き合っている。


「ハンカチ、昨日またお借りしたのを返し忘れてて」

 諏訪部さんが僕にハンカチを差し出した。

 諏訪部さんが渡すハンカチは、相変わらず、アイロンがピシッと利いていて、切れそうなくらい角が尖っている。


「そんなの、いいのに」

 僕はそう言いながらハンカチを受け取った。

 早く帰って、お茶会を始めてほしい。



「それから、あの……」

 だけど、諏訪部さんはそう言って僕を真っ直ぐに見た。


「あの、先輩、私、先輩のこと好きです。大好きです」

 諏訪部がそんなことを言い出す。


 さすが弓道部だけあって、僕のハートを一直線に矢で射貫いぬいてきた。

 いや、突然、何を言い出すんだ……


「突然すみません。分かってます。先輩が『あの人』のことを好きなことくらい、私、分かります。だから、これは片思いです」

 諏訪部さんはそう言って僕に背中を向ける。


「私の勝手な片思いです。初恋は叶わないって言いますけど、本当ですね。あの人を大切にしてあげてください。私、先輩のこと、思い出にします」

 諏訪部さんはそう言うと、背中を向けたまま部室のほうに走って行った。


 驚きすぎて、僕は何も発することが出来なかった。

 一言も言葉をかけてあげられなかった。


 僕は、グラウンドの隅で、小一時間、今起きたことを考えて立ち尽くす。

 突然、告白されたかと思ったら、すぐに思い出にされてしまったのだ。


 それに諏訪部さん、僕が「あの人」のこと好きって分かるって言ったけど、「あの人」って一体、誰なんだ?

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