第300話 チーズ入りハンバーグ

「ああ、ハンバーグ作りすぎちゃったなぁ、どうしよう」

 台所に並べたチーズ入りハンバーグの山を前に、僕は言った。


「どうしよう、二年生がいないのを忘れて、作りすぎてしまった。まったく、僕は、なんておっちょこちょいなんだろう」

 食堂に入ろうと廊下を歩いていた新巻さんと宮野さんに聞こえるように言う。


「本当に、これでは主夫失格だなあ。これだと食べきれないなあ。べつに、冷凍してもいいんだけど、作りたての今が一番美味しいし、なるべく冷凍はしたくないんだよなあ。誰か、食べてくれる人がいないかなあ」

 僕の独り言を、新巻さんと宮野さんは黙って聞いていた。


「あのう、すみません」

 玄関のほうから声が聞こえる。

 来客があるみたいだ。

 僕は、菜箸さいばしを置いて玄関に出る。


 そこには、セーラー服の上にグレーのカーディガンを羽織った諏訪部さんが立っていた。


「ああ、これは、弓道部一年生の、諏訪部ゆずるさんじゃないですか? どうしたんですか? えっ、ハンカチを返しに来た。そんな、わざわざここまで返しに来なくていいのに。部活終わりでお腹がぺこぺこなところをありがとうございます。あっ、偶然だけれど、本当に偶然だけど、僕は今、寄宿生のための夕食のハンバーグを作りすぎてしまって、ほとほと困り果てていたのです。諏訪部さん、もしよかったら、ハンバーグ、食べていきませんか? 夕飯を一緒に食べませんか? なあに、遠慮えんりょすることはありません。作りすぎた僕が悪いのだから、人助けだと思って、どうか食べて行ってください。なに? OKですか? ああ良かった、ありがとう。あなたは女神のような人だ。それでは食堂に案内するから上がってください」

 僕は、廊下で僕と諏訪部さんの様子を見ていた新巻さんと宮野さんに聞こえるように言う。


 自画自賛じがじさんするみたいだけど、なんて自然な誘い方なんだろう。


 新巻さんも宮野さんも、無言で見てるし、僕が諏訪部さんを無理矢理誘ったなんて、絶対に思うまい(二人ともなぜか能面みたいな顔してるけど、まあ、いいだろう)。


 僕は、招き入れた諏訪部さんを食堂のテーブルに案内した。



「ここは、素敵な建物ですね」

 諏訪部さんが食堂を見渡して言った。


「でしょ? ここは青村喜太郎っていう、希代きだいの建築家の設計なんだよ」

 寄宿舎が褒められて、宮野さんが自分のことみたいに喜ぶ。


「まあ、ゆっくりしていってね。うちの篠岡君は、あんなふうだけど、悪気があるわけじゃないから、何かしたとしても許してあげて」

 新巻さんが言う。


 新巻さん、なんで僕が彼女に迷惑を掛けた前提で話すんだ……



 僕は、テーブルに着いた三人にお茶を出した。


「もうすぐ、先生達も帰って来ると思うから、ちょっと待ってて」

 僕と錦織は、ヨハンナ先生と北堂先生が帰って来たらすぐに食事が出来るように準備しておく。


 先に帰ってきたのは、北堂先生だった。


「わあ、可愛い!」

 北堂先生に手を引かれたひすいちゃんを見て、諏訪部さんが大きな声を出す。

 ボーダーの長袖ワンピースに、黒いレギンスパンツのひすいちゃん。

 くりくりの目で、初対面の諏訪部さんを不思議そうに見る。


「抱っこしてみる?」

 北堂先生に訊かれて、諏訪部さんはひすいちゃんを怖々抱いた。


「温かくって、柔らかい」

 諏訪部さんが言う。

 ひすいちゃんは、諏訪部さんの胸の中で嬉しそうにはしゃいで、諏訪部さんの顔を触ったりしていた。


 ひすいちゃん、GJ。



「たっだいまー!」

 そうこうしている間に、ヨハンナ先生の声が玄関から聞こえる。


 諏訪部さんの顔にちょっと緊張が走った。


 無理もないかもしれない。

 ヨハンナ先生は、校内ではクールビューティーで通っている。

 僕だってよく知らない頃は、その凜とした感じで、ともすると冷たそうな人、っていう印象を持っていたのだ。

 一年生の諏訪部さんは、先生に怒られやしないかって、緊張したんだろう。


「クンクンクン、この匂い、今日の夕ご飯は、ハンバーグでしょ?」

 ところが、ヨハンナ先生はそう言いながら食堂に入ってきた。


 先生、玄関から食堂までのこの距離で、既にスリップ一枚になっている。


「あ、あのう……」

 ラフすぎる恰好のヨハンナ先生に、諏訪部さんは面食らっていた。

「ああ、えっと、あなたは、一年生の諏訪部さんだっけ?」

「はい、あの、お夕飯をご馳走になります……」

「うんうん、苦しゅうない、苦しゅうない。楽にして、お腹一杯食べて行ってね」

 先生はそう言って諏訪部さんにウインクする。


「じゃあ、ちょっと私、シャワー浴びてさっぱりしてくる。五分で戻って来るから」

 脱衣所に向かうヨハンナ先生。


 残された諏訪部さんが、目をパチパチさせている。


「先生は、いつもこうだよ」

 僕は、諏訪部さんに訊かれる前に言った。

「は、はぁ」

 諏訪部さん、どう受け止めたらいいか分からないみたいだった。


「ほら、この調子だもん」

 廊下に脱ぎ散らかされた先生の服を諏訪部さんに見せる。

 階段の手すりにジャケットが掛かってるし、スカートがそのまま床に脱ぎ捨ててある。

 脱いだ服で先生の辿たどった場所が分かるようになっていた。

 僕は服を拾って先生の部屋に持っていく。

 ジャケットをハンガーに掛けた。


「ここが先生の部屋。昨日掃除したんだけど、一瞬でこの状態になる」

 諏訪部さんに先生の散らかった部屋も見せた。

 鏡台の周りは化粧道具が出しっぱなしで、使い終わったコットンとか、ティッシュがそのまま置いてあるし、脱ぎ散らかされたスエットやTシャツがベッドの上に放置してある。

 窓際の机の上には、書類の束が積み上げてあった(どれが必要でどれがゴミなのか僕が分からないから、掃除出来ない)。


「本当に、あの、ヨハンナ先生の部屋ですか?」

 諏訪部さんは、まだ信じられないみたいな顔をしている。


「本当だよ。学校ではカッコイイ先生でも、ここではだらしなくて、甘えんぼうだから」

「はあ」

「時々、僕に赤ちゃん言葉も使うし」

 あ、先生のトップシークレットを話してしまった。

「………」

 諏訪部さんが絶句ぜっくする。




「お待たせ! それじゃあ、食べようか?」

 頭にタオルを巻いて、Tシャツにキュロットパンツの先生が風呂場から戻ってきた。


 諏訪部さんはヨハンナ先生の右隣に座らせて、僕は先生の左隣に座る。


「いただきます!」

 先生の号令で、夕飯が始まった。


 ハンバーグは、諏訪部さんのリクエスト通り中にチーズが入っていて、箸で割ると、とろとろのチーズがあふれてくる。

 中に入れたのは、ちょっと酸味が利いたクリームチーズだ。


「どう? 諏訪部さん、ハンバーグ美味しい?」

 僕は訊いた。

「はい、とても。美味しいです」

 見る限り、気を使ってお世辞せじを言ってるわけではないと思う。

 諏訪部さんが僕のげんこつよりも大きな一つをペロリと平らげてしまったから、あと二つ、お皿によそる。


「篠岡君の料理は、毎日妹さん達を喜ばせてる、母の味だからね」

 ヨハンナ先生がそんなふうに言ってくれた。


「僕は御厨先輩の料理も大好きですけど、篠岡先輩の家庭的な料理も好きです」

 宮野さんが言う。

 それは、めてもらってるんだろか?

 きっと、褒めてもらってるんだろう。


「ずいぶんと鈍感どんかんで、娘の気持ちが分からないお母さんだけどねぇ」

 新巻さんが言ってみんなが笑った。

 ひすいちゃんも手を叩いて笑う。

 二年生がいなくて少し寂しい食卓だったけど、久しぶりににぎやかになった。


 すると突然、諏訪部さんが泣き出す。


 みんなの箸が止まった。


「ごめんなさい。こんなふうにみなさんが仲いいのがうらやましくて……」

 諏訪部さんがしゃくり上げる。


「私も、部活のみんなとこんなふうにしたいのに……」

 諏訪部さんの目から、ポロポロと涙がこぼれた。


「もう、どうしたの」

 ヨハンナ先生が、諏訪部さんを優しく抱きしめる。

 諏訪部さんは先生の胸に抱かれて、しくしく泣いた。


「あなたが、部のみんなとこういうふうにしたいなら、そうすればいいじゃない。最初のボタンの掛け違いはあったかもしれないけど、今からでも遅くないよ」

 先生が諏訪部さんの背中をポンポンって叩く。


 朝、ヨハンナ先生だけには諏訪部さんのことを話した。

 だから、先生も事情を知っている。


「そうしたいですけど、今更どんな顔してみんなに言ったらいいか分からなくて……」

 諏訪部さんは泣きべそのまま言った。

「そっか……」


 僕は、諏訪部さんに返してもらったばかりのハンカチを渡す。

 諏訪部さんは受け取って涙を拭いた。



「よし! 先生に考えがある」

 ヨハンナ先生はそう言って諏訪部さんの鼻の頭を突っつく。

「先生の言うとおりにやれば、きっと仲直り出来るよ」

 先生が言って、「はい?」って諏訪部さんの涙が引っ込んだ。


「この優しいお兄さん達が協力してくれるから、きっと上手くいく」

 先生がそう言ってウインクする。



 優しいお兄さん達って、どうやら僕と錦織のことらしい。

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