第296話 いつもの

「うわーん、弩ー! 萌花ちゃーん!」

 僕が叫んだら、新巻さんが小説の執筆でキーボードを打つ手を止めた。


「ちょっと、篠岡君、人の部屋で大声出さないでくれるかな」

 新巻さんに眼鏡の奥からにらまれる。

 赤いカーディガンに、ベージュのスカートの新巻さん。


「あ、ごめん」

 僕は、新巻さんのベッドに寄りかかっていた体を起こした。


 なんか人恋しくて、新巻さんの部屋に入れてもらってぐだぐだしてたの忘れてた。

 御厨が作り置きして冷蔵庫に残してくれた梨のタルトでお茶しながら、新巻さんが叩くキーボードの心地よいリズムを聞いてたら、そのままうとうとしてしまったらしい。


 寝言で、思わず叫んでしまったらしい。


「まったく、見送りの時に弩さんを見ながら、『どうなることやら』とか言ってた篠岡君の方がさびしがっててどうするのよ」

 新巻さんが言うことはもっともだ。


 だけど……


「そう言う新巻さんだって、さっきからずっと宮野さんを膝の上に抱いて執筆してるじゃないですか」

 新巻さんの膝の上には宮野さんがちょこんと乗っている。

 宮野さんは新巻さんのふところに収まって、すっかり身をゆだねていた。

 白いニットに、今日は珍しくチェックのフレアスカートを穿いている宮野さん。


「これはだって、宮野さんが寂しいとか言って、私にじゃれついてくるから、仕方なくこうなったわけで……」

 そういう割には新巻さん、時々、宮野さんのほっぺにスリスリしたり、抱きしめたりしてるんだけど(ちょっとドキドキする)。


「僕は、これまで男だらけの中で育ってきて、初めて出来たお姉ちゃんみたいな存在の二人がいなくて、なんか寂しくて」

 宮野さんが言って、新巻さんが、

「ボクっ娘カワイイよボクっ娘」

 って、頭をでた。


 結局みんな、弩と萌花ちゃん、御厨と子森がいなくなって、寂しいみたいだ。


「なんかこう、僕の周りを子犬とか妹みたいに駆け回ってる弩がいない感じとか、いつも僕にレンズを向けてる萌花ちゃんの視線がないと、なんか物足りなくて」

 僕は言った。


 いるときは、僕の家事を邪魔するみたいにまとわりついてくる弩がちょっとだけ鬱陶うっとうしかったし、萌花ちゃんにレンズを向けられると、レンズ越しに見詰められてるみたいで緊張してたのに。


「私も、四人がいなくなって、静かな環境のほうが執筆がはかどるかと思ったんだけど、弩さんが周りをちょろちょろしてたり、萌花ちゃんが写真を撮って寄宿舎を歩き回ってる音が聞こえたり、御厨君の包丁の音とか、子森君の床掃除の音が聞こえたほうが、逆に落ち着いて書けてたのかもしれないな」

 新巻さんが宮野さんの頭を撫でながら言う。


 いつも一緒にいて、僕達は、いつの間にか家族みたいになってたのかもしれない。

 いると鬱陶しいけど、いないと寂しい、そんな感じ。


 部屋の隅では、錦織が寂しさをまぎらすかのように、弩と萌花ちゃんの服を作っていた。

 それがもう、五着も出来ている(帰って来たら二人ともびっくりすると思う)。




「あなた達! こんな広い寄宿舎で、一つの部屋に集まってなにしてるの!」

 新巻さんの部屋にヨハンナ先生が入って来た。


「まったく、静かだからどこに行ったのかと思ったら……」

 職員会議の前におやつを食べに寄ったらしい、スーツ姿のヨハンナ先生。


 先生は、どこか気の抜けた僕達を一目見て、事態を察していた。


「もう、旅行に行った方じゃなくて、あなた達が里心さとごころがついたみたいになってどうするのよ」

 先生が笑って、僕の頭をくしゃくしゃってする。


「先生、今日は早く帰って来てくださいね。髪も洗いますし、マッサージもしますし、晩ご飯も、先生の好きなものばっかり作ります。あーんもします。全部食べさせてあげますから」

 僕は言った。

 弩と萌花ちゃんがいない分、先生のお世話をする。


「それはすごく嬉しいんだけど、残念ながら、今日ちょっと外で打ち合わせがあって出掛けるんだよね。帰るのは少し遅くなりそう」

 先生が「ゴメンね」って顔の前で手を合わせた。


 そんな……四人がいない上に、ヨハンナ先生までどこかに出掛けるとか。


「北堂先生にお願いしておいたから、夕飯は北堂先生とひすいちゃんと、二人に、うんとサービスしてあげて」

 ヨハンナ先生が言う。


「はい、それはいいですけど……」

 それにしてもヨハンナ先生、どこに行くんだろう?



「ほら、篠岡君、あなた達主夫部は、体を動かして家事をしてれば、気もまぎれるんじゃない? 夕飯まで、いつもの行けば?」

 ヨハンナ先生が言って親指を立てた。


 いつものって、そうか!


 ゲリラ掃除。


 どこかの部活の部室を、見つからないように勝手に掃除して逃げて来るあれ。

 ある日突然、部室が綺麗になっているっていう、妖精の仕業しわざっていう噂が立つあれだ。

 新聞部がその謎を解こうとして、今でもそれは解けていない。


 だけど、先生がそんなことそそのかしていいんだろうか?

 まあ、悪いことするわけじゃないし、いいんだろう。


「そうですね! あれ、してきます! 先生、ありがとうございました。錦織、行こう!」

 僕が言うと、「おうっ」って応じて、錦織がすっくと立ち上がる。


 部屋を出て行く僕達を、女子達があきれたというか、やれやてって感じて見ていた。


 僕達は掃除道具を手に寄宿舎を出る。



「どこに行こうか?」

 部室棟に向かいながら、錦織と話し合った。


「どうせだから、今まで掃除したことない部活がいいよな」

 錦織が言う。


 テニス部とか新体操部、バレー部、バスケ部、ソフトボール部、ラクロス部、卓球部、バトミントン部、チアリーディング部。


 ほとんどの女子の運動部は制覇している。


弓道きゅうどう部なんかどうだろう?」

 錦織が言った。


「ああ、そっか」

 弓道部の部室は、グラウンドの校舎から反対側、少し離れた場所にある弓道場の横にある。

 運動部の部室棟にないから、今まで見過ごしていた。


 確か、弓道部は今、男子部員がいなくて女子だけだから、事実上、女子弓道部になっている。


「そうだな、弓道部にしよう」

 僕達は狙いを定めた。


 見つからないように、一旦校外に出て、外からグラウンドを回って弓道場に向かう。

 

 高い塀に囲まれた、土蔵みたいな造りの、漆喰しっくいの白壁がまぶしい弓道場の建物。


 弓道場からは、矢を射る音と、時々、「しゃー」っていう女子の掛け声が聞こえた。


 僕と錦織は、部員が弓道場にいることを確認して、隣の部室のドアを開ける。


 残念なことに、部室には一人、部員が残っていた。

 はかま姿の女子が、部室の畳の上に、正座してたたずんでいる。

 その、すっと通った背中のシルエットが印象的だった。


 僕達が見ていると、その女子が鼻を啜る。

 泣いているみたいだ。


 女子が一人で泣いている。


 それだけで、僕達主夫部が出動する理由になる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る