第279話 お忍び

 開かずの間から出てきた人物がフードとマスクを外すと、それは僕達がよく知る顔だった。


「古品さん!」

 弩と萌花ちゃんが、突然現れた古品さんに抱きつく。

 その勢いが強かったから、古品さんごと開かずの間の床に倒れそうになった。

 二人にとって、古品さんはお姉ちゃんみたいな存在なんだろう。

 社会人になって家を出たお姉ちゃんが久しぶりに帰って来た、みたいな感じだった。

 特に入学時からずっと一緒の弩は、古品さんにきつく抱きついて放さない。


「もう、どうしたの? こんなところに」

 ヨハンナ先生が訊いた。


「はい、大変なことになってご迷惑かけちゃうから、事情を話そうと思って来ちゃいました」

 古品さんが弩と萌花ちゃんの頭をでながら言う。


 モスグリーンのパーカーに黒いデニムの古品さん。

 眼鏡をかけてるし、ノーメイクだけど、アイドルのオーラみたいなものはにじみ出ていて隠し切れていない。


「そんなの電話でもいいのに。パパラッチみたいな人がこの辺までうろうろしてるし、危ないよ」

「でも、実際に会って顔を見て話したかったし……一応、用心のために玄関からは入らずに地下道を通って来ました」

 古品さん、だからあんなところから出てきたのか。


「もう、無茶したらダメだよ」

 ヨハンナ先生が弩と萌花ちゃんごと古品さんを抱いて「おかえり」って優しく言った。

 古品さんが照れくさそうに「ただいま」って返す。


 新入生の宮野さんは、目の前にアイドルが現れたことで、ただただ憧れの視線で古品さんを見ていた。

 北堂先生に抱かれているひすいちゃんが古品さんに手を伸ばす。

 ひすいちゃんは普段「Party Make」のBDを見て踊ってるから、本物が目の前にいるって興奮してるのかもしれない。


 古品さんは問題の当人、錦織と目を合わせて小さく頷いた。

 二人の間では、それで会話出来たんだろうか。



 立ち話もなんだからと、僕達は食堂へ移動する。


なつかしいなぁ」

 廊下を歩きながら、古品さんが周囲を見渡した。


「卒業して、メジャーデビューしてから色々なことがあって、数ヶ月前までここにいたのに、なんだか遠い昔のことみたい」

 古品さんは階段の手すりを愛おしそうに撫でたりする。




 食堂のテーブルで、古品さんを上座に据えて、僕達が囲んだ。

 御厨がお茶を出す。

 何か食べますかって聞かれて、古品さんはすぐに行かなきゃいけないからって断った。



「それで、例の件はどうなってるの?」

 ヨハンナ先生が訊く。

 全員が古品さんに注目した。


「はい、やっぱり、週刊誌に記事が出るみたいです」

 古品さんが答える。


 古品さんがライブのために泊まっていたホテルに、ファンの男性、つまり錦織が訪れて、数時間一緒にいたっていう記事が週刊誌に出るらしい。


「私達はまだ駆け出しだから、穴埋めみたいな小さな記事なんだけどね」

 古品さんはそう言って自嘲じちょうした。


「で、その記事を受けて、どうするの?」

 先生が突っ込んで訊く。

「はい、ファンのみんなには、本当のことを正直に言います」

 古品さんが真剣な顔になった。


「あの夜、確かにホテルの部屋に男性を入れたけど、それは新しい衣装を直してもらうためであって、部屋には他のメンバーもスタッフもいました。あの男性は、私達がインディーズで活動してた時代から、ずっと衣装を作ってくれていた人です、って説明します。あの日、あの部屋では何もありませんでしたって。それが事実ですし」


「だけど、本当のことを話したとして、それで納得するかな? 色々、邪推じゃすいする人もいるんじゃないの?」

 どれだけ丁寧に説明しても、言い訳っぽく聞こえてしまうだろう。

 同じ部屋にスタッフがいたのは嘘だとか、数時間一緒にいて何もなかったはずがないとか、面白おかしく騒ぐ人もいるだろう。


「そうですね、その時は仕方ないです。騒ぎになって迷惑かけるようだったら、他の二人にも悪いし、私はいさぎよく『Party Make』を脱退します」


「そんな!」

「ダメです!」

「断固、反対します!」

 みんなが口々に言った。


「ありがとう。でも、こんなスキャンダルで潰されちゃうようだったら最初からそこまでだったんだと思う。ほとんどのアイドルがずっと下積みのままやめていく中で、私は少しでも華やかな舞台に立てたし、それを良い思い出にするよ。大体、私、主夫部のみんなと出会わなかったら、こんなふうにアイドルやってられなかったし」

 古品さんは悲しいことを言って、顔は笑って見せた。


「錦織君、変なことに巻き込んじゃってゴメンね」

 錦織に向かって手を合わせる古品さん。


「それか、どうせだから本当に付き合っちゃおうか?」

 古品さんがそんなことを言い出す。


「私、離れてみて分かったんだよね。錦織君のこと、好きだって」

 衝撃の告白に、そこにいた全員が固まった。


「今回、衣装のことで気軽に錦織君を呼んじゃってこんな問題になったけど、私、錦織君ならすぐに来てくれるって、甘えてたところがあると思う。それがすきを作っちゃったんだよね。今までだって、衣装のことだけじゃなくて、錦織君がずっとそばにいて、私のこと優しく見守ってくれてたから、安心して活動出来たんだって思う。錦織君が、すごく大きな存在だったんだって離れて気付いたの」

 古品さんは錦織を見て目をうるうるさせながら言葉を連ねる。


「だから、どうせ変なこと言われるんだったら、付き合っちゃおうか? そのままお嫁さんにしてもらおうかな」

 錦織、現役アイドルに何言わせてるんだ。


 羨ましすぎるぞ、錦織!



「僕は、お断りです」

 ところが、錦織が突き放すように言った。


「古品さん、忘れたんですか。僕は主夫を目指してるんですよ。主夫部の部員です。挑戦している大好きな女子を応援したいんです。だから僕は、自分の夢を簡単に諦めちゃうような人には、全然興味がありません。そんな人を支えていく気にはなれません」

 錦織は、古品さんをにらむようにする。


「だから、今の古品さんと付き合うなんて、僕はお断りです」

 錦織が続けて古品さんが言葉を失った。



「よく言った」

 ヨハンナ先生が、錦織の髪をくしゃくしゃってする。


「実際なにもなかったんだし、下手に小細工することもないし、堂々としてればいいよ」

 先生が言った。

「大丈夫、それでファンでなくなっちゃう人がいても、そんなのファンじゃないし。どのみちそんな人は離れていくだろうし。『Party Make』のふっきーがそれが真実だって言えばそれが真実。本当のファンはついてきてくれるさ」

 先生が自信たっぷりに言うと、なんだかそれで本当に大丈夫な気がしてくる。

 先生の言葉は、そう思わせてくれる。


「だから古品さん、簡単に辞めるとか言っちゃダメだよ」

 ヨハンナ先生が言って、古品さんが「はい」って小さな声で答えた。

 北堂先生に抱かれたひすいちゃんが「あい」って真似して答えて、少しだけ場がなごむ。


「それから、錦織君のことが好きだとか、それは聞かなかったことにしておく。その気持ちは、もう少し先まで取っておきなさい。みんなも、いいわね」

 先生が僕達を見渡して言って、僕達は頷いた。


「さあ、それじゃあ帰ってお仕事お仕事。新曲出るんでしょ? どうやって帰るの? 迎えは来るの?」

「あと三十分くらいで、マネージャーさんの車が来ると思います」

 古品さんが、スマホの時計を確認して言う。


「よし、それなら、私達は変な連中が学校のまわりをうろうろしてないか、手分けして見回りにいくよ。錦織君、あなたはここに残って、古品さんのパーカー直してあげて。なんか、裾のあたりほつれてるみたいだし」

 ヨハンナ先生が古品さんと錦織を食堂に残して、僕達を外に追い立てた。

 古品さんのパーカー、新しくてほつれとか全然ないけど。


 ああ、そういうことか。



 三十分間、二人は色々話したみたいで、マネージャーさんの車が来たとき、古品さんは少しだけ元気を取り戻して帰って行った。



「さて、困ったね」

 古品さんを見送った後で、ヨハンナ先生がこぼす。

 この問題、僕達では何も出来ないのが歯がゆかった。

 僕達に出来ることは、これからも「Party Make」を応援することくらいだ。



 だけど、僕達には何も出来ないこの件で、解決策は以外な人が持って来てくれた。

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