第280話 世界線

「嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ」

 錦織が、寄宿舎を囲む林を揺るがすような声で叫んでいる。


 林の中で休んでいた鳥たちが一斉に飛び立って、草むらの中で優雅に鳴いていた虫の声が止んだ。

 巣穴にどんぐりを運んでたリスが、びっくりしてそれを落としてしまう。


「なんで、なんで断っちゃったかなぁー。なんで断った俺! 古品さんが、あの古品さんが、俺のこと好きとか言ったんだぞ! 俺に付き合ってくださいとか言ったんだぞ! 俺のお嫁さんしてくださいとか言ったんだぞ! それを、それをそれをそれを! 俺、なんで断った。なんでカッコイイこと言ったし! マジか、俺、正気か!」

 中庭で頭を抱える錦織。


「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した、俺は失敗した。完全に失敗した。あの時、古品さんの告白を受け入れて、古品さんが彼女になって、ラブラブ生活を送る別の世界線の俺、おめでとう! 君達の結婚生活を祝福する。たたえる。あー、世界がそっちの世界線に収束されないかなー、そっちの世界に移れないかなー」

 頭を抱えたと思ったら、今度は空を仰いで目をつぶる錦織。


「バカバカバカ俺のバカ! 俺は、どうしようもないバカだ。世界一のバカだ! バカが服を着て歩いていると言ったらそれは俺だ!」

 錦織はとうとう自分の頭を殴りはじめる。


「まあ、落ち着けって」

 錦織のなげきっぷりがすごいから、中庭で洗濯物を取り込んでいた僕は声をかけた。


「ああ、篠岡か。篠岡、俺を殴ってくれ! この、ダメな俺を思いっきり、全力で殴れ!」

「全力で断る!」

「嫌だ、殴れ! 頼む、殴ってくれ。殴らないんだったら、俺、自分で木に頭を打ち付ける!」

 錦織が目の前の木に向かって走った。


「待て! やめろってば!」

 僕は錦織を羽交はがめにして止める。


「止めるな、行かせてくれ!」

 それでも錦織が暴れた。


「あの態度は立派だったし、それでいいじゃないか。人気急上昇中のアイドルを振った男っていう、最高の称号を得たじゃないか。そんな男、世界中にお前以外いないぞ」

 僕はなぐさめるつもりで言ったのに、錦織は「ああああああ!」って頭を抱えた。


 錦織のこの症状は、当分、長引くかもしれない。



 ここに古品さんがお忍びで来た二日後に、問題の週刊誌が発売された。


 古品さんの事務所は、週刊誌の内容について、古品さんが言った通りに説明した。

 相手の男性がホテルに来たとき、部屋には他のメンバーやスタッフなど、複数人がいたこと。

 その男性はファンではなく、インディース時代から「Party Make」の衣装を担当していたスタッフ同然の人物だったこと。

 男性が訪れた目的は衣装を直すためだったこと。

 それらを丁寧に説明したコメントを発表した。


 SNSやネットの掲示板は最初荒れたけど、今のところ落ち着いている。


 「ファンになれば付き合えるのか」とか、「泊まりに行けるアイドル」とか、ひどい書き込みもあったけど、「別にアイドルに彼氏とかいてもいいんじゃない」とか、「楽曲とダンスがいいから別にいい」とか、そんな書き込みもあった。



「さあ、俺達は家事に戻ろう。家事をしていれば気がまぎれるし、家事をしていれば全てが解決する」

 僕が言ったら錦織が力を抜いた。


「そうだな、よし、自棄やけで寄宿舎の女子達に一人一着、新しい服を作ってやる! 全員に可愛い服を作って喜ばせてやる! 幸せにしてやる!」

「よし、その意気だ、頑張れ!」

 自棄酒やけざけは聞いたことあるけど、自棄服作りは聞いたことがない。


 でも、錦織らしいから、まあいいか。


 錦織が、そうしてどうにか立ち直ろうとしていた時だった。


「先輩! 錦織先輩のお父さんが、例の問題でテレビに出てます!」

 廊下を走ってきた弩が、中庭に顔を出す。

 んっ? 錦織の父親?


 僕達は急いで食堂に向かった。


 食堂のテレビの前には、新巻さんと萌花ちゃん、宮野さんに御厨、子森君が集まっている。

 テレビ画面を見ると、確かに錦織の父親、デザイナーの三武みたけ回多かいたが映っていた。


 昨日の夜の映像で、三武回多は、自身のブランド「KAITA MITAKE」の新作発表で、たくさんの記者に囲まれている。

 いつものように坊主頭にサングラスで、細身の真っ黒なスーツを着ていた。

 髭を伸ばしてるし、良く日に焼けてるし、前よりワイルドになった気がする。


 三武回多は、新作のコンセプトなどについて話していた。


「画面隅のテロップ見てください」

 弩が言う。


 三武氏、息子のスキャンダルについて語る


 テレビ画面の隅に、そんな文字が映っていた。

「これから、あのことを話すんじゃないですか?」

 弩が言う。

「だけど、どうしてお父さんが?」

「さあ、分かりません」


 しばらく、ブランドの新作について話していた三武回多が、

「それから、うちの息子がお騒がせしてすみません」

 そう言って頭を下げた。


「息子はデザイナーとして私の所で修行させていて、私がデザインしている『Party Make』の新しい衣装の直しが必要だと聞いて行かせたんですが、それが、あらぬ誤解を招く結果になりました。双方にとって申し訳なかった。父親として、不徳ふとくいたすところです」

 三武回多が神妙な顔で言う。


 もちろん、その話は嘘だ。

 錦織は父親の元でデザイナーの修業なんてしてないし、父親の命令でホテルに行ったわけでもない。


「もちろん、息子とお相手の女性に、交際の事実はありません。残念ながら、うちの息子にはそんな甲斐性はありませんよ。人気のアイドルを射止めてくれたなら、そんな嬉しいことはないんだけれど」

 三武回多はそう言って、取り囲む記者からの笑いを誘う。


 その後、記者から二、三質問があったけど、三武回多はすらすらと答えて息子とアイドルの間のスキャンダルについて否定する。

 話を上手く持っていって、その話題はすぐに終わった。

 さすが、人前に出る人だけに、インタビューも手慣れている。



「まったく、好き勝手言って……」

 テレビ画面に映る父親を見ながら錦織が顔をしかめた。

 そして、ポケットからスマホを取り出して、食堂から出て行く。

 廊下で、錦織が父親と話している声が聞こえた。


「錦織先輩のお父さんって、こんなに有名な方だったんですね」

 宮野さんが言う。

 そうか、錦織は自分の両親のことなんか言わないし、宮野さんは知らなかったらしい。



 しばらくして、錦織が食堂に帰ってくる。

「この件で、週刊誌がこれ以上騒ぐことはないだろうって」

 錦織が言った。

 その顔が、ヤレヤレって顔をしている。


「父も有名人でそれなりの影響力は持ってるし、父のブランドは雑誌なんかに少なくない広告を出してる広告主だから、週刊誌もこれ以上の追求はしてこないだろうってことらしい」

 錦織の父親は、息子のピンチに素早く行動したんだろう。

 そして、息子には言わずに、スマートに事を運んだのだ。

 古品さんの相手が自分の息子だと宣言することで、取材する側を動けなくした。


「一安心ですね」

 御厨が言って、お茶を入れに台所に向かう。


「なんだ、それじゃあ、私が動くまでもなかったのか」

 新巻さんが言った。

「えっ? 新巻さん、何かしてたの?」

 僕が訊く。


「うん、知り合いの編集者の人にちょっとね。あれは私の知り合いだから、お手柔てやわらかにねって、お願いしたの」

 そっか、新巻さんは人気作家だし、出版社の忖度そんたくも働くのか。

「僕のために、ごめん」

 錦織が頭を下げる。


「ううん、私はなんにも。普段、錦織君にはお世話になってるし、それに大好きな『Party Make』から、ふっきーが抜けたら嫌だしね」

 新巻さんはそう言って笑った。


 今更ながら、この寄宿舎にはすごい女子達が集まっているんだって実感する。



 週刊誌のほうが大丈夫なら、後はSNSだとかネットの掲示板だけど、今の様子だと大丈夫だと思う。

 「Party Make」はファンにも恵まれているみたいだ。



「はい、それじゃあみなさん、一息つきましょう」

 御厨が、お茶といっしょに、あんずのフルーツケーキを持ってきた。

 食堂でそのまま、おやつの時間にする。


「すごく、良い香り」

 萌花ちゃんがケーキに鼻を近づけて香りを吸い込んだ。

 しっとりした杏のフルーツケーキは、噛むと確かに、金木犀きんもくせいの良い香りがする。

「うん、杏を桂花陳酒けいかちんしゅに漬けて戻したから、金木犀のすごく良い香りがするんだよ」

 秋の日にふさわしい香りだ。



 僕達が食堂でおやつを楽しんでいたら、錦織のスマホが鳴った。

「あっ、古品さんからです」

 スマホの画面を確認して、錦織が言う。

 錦織がほっぺたを赤くして電話を取った。


「どうぞ、二人で思う存分話して」

 僕達は錦織を残して食堂を出る。


「お二人って、いい感じですね」

 弩が言った。

「そうだな」


 古品さん、今はまだアイドルの仕事に専念するだろうけど、いずれきっと、錦織と一緒になる。

 週刊誌から出た記事が、嘘から出たまことになると思う。


 僕は、そんな気がした。

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