第276話 約束の花火
「ねえ、今日がここに泊まれる最後だし、みんなでジャグジーに入ろうよ」
僕達がコテージの広間でぐだぐだしていたら、ヨハンナ先生がそんなことを言い出した。
暑さも
相変わらず、僕は女子達に昼寝の枕にされていた。
「いいですね。入りましょう!」
弩がサッと体を起こす。
あの、屋上デッキにある、海と空が見える真っ白なジャグジー。
いいなぁ、女子達。
女子達、みんなできゃっきゃうふふしながら、楽しく入るんだろう。
海と空を見ながら、色々ガールズトークで盛り上がるんだろうなぁ。
僕が色々と妄想していたら、
「篠岡君、君も一緒に入るんだよ」
ヨハンナ先生が僕を指さした。
「えっ?」
先生、今なんとおっしゃいました?
「みんなでジャグジーに入って夏休みの疲れをとって、新学期に備えましょう」
先生が笑顔で親指を立てる。
「いえ、でも、そんなの、僕、ダメです。一緒に入ったら、どこを見てたらいいか分からないし、疲れをとるどころか、逆に、疲れちゃいそうだし……」
「どこを見てたらって、あなた、今までだって平気でみんなと水着で遊んでたじゃない」
「ああ」
そっか、水着か。
「ああってなに? 私が、裸で一緒に入ろうって誘ったとでも思ったの?」
ヨハンナ先生にジト目で見られる。
「いえ、そんなわけじゃ、別に……」
思ってました、すみません。
「それとも、私達とジャグジー入るのは嫌なの?」
「いえ、全然、そんなことないです。全然ないです。嫌っていうか、むしろ大歓迎というか、大歓迎って言ったら、
僕があたふたしてたら、ヨハンナ先生が僕のおでこを指で突っついた。
「みんな、篠岡君と一緒にジャグジー入るの、いいよね」
先生が女子達を見渡して訊く。
すると、女子達全員が無言で頷いた。
いいのか……
いや、嬉しいんだけど。
「それじゃあ、みんな、水着に着替えて屋上に集合!」
ヨハンナ先生が、僕達を追い立てるように手を叩く。
屋上に一番最初に駆け付けたのは僕だった。
なんか、新巻さんに「必死か!」って突っ込まれそうで恥ずかしい。
真っ白い円形のジャグジーには、もうお湯が張ってあった。
お湯の温度はぬるくて、プールに入るみたいな感覚だ。
「おまたせ」
僕が先に入って待っていたら、ヨハンナ先生を先頭に、水着に着替えた女子達が屋上に現れた。
ヨハンナ先生の、黒いホルターネックのビキニ。
弩のフリルが付いたピンクのビキニ。
萌花ちゃんの黄色い花柄のビキニ。
宮野の、下がショートパンツみたいなデザインで、上が白いチューブトップのビキニ。
新巻さんのネイビーのオフショルダーのトップに、下がボーダーのビキニ。
ここに来てから見慣れた水着姿なのに、なんだか、一緒にジャグジー入るってなったら、目を
ヨハンナ先生と弩が僕の両側に座る。
その横に萌花ちゃんと宮野さんが座って、新巻さんが僕の正面に座った。
丸いジャグジーの中で、僕達は膝を突き合わせて座る。
「本当に、絶景ですね」
萌花ちゃんが言った。
日が傾いて、もうすぐ夕焼けに染まる真っ青な海と、ライトブルーの空が、水平線を
岬の
「篠岡君は、こんな美女達に囲まれて、別の意味で絶景なんじゃない?」
ヨハンナ先生が訊く。
先生、あんまり僕を
ジャグジーの中にみんなで入って、お互いの膝が触るくらい近くにいて、それでなくても、僕はのぼせてしまいそうなんだから。
「ちょっと、水流を入れてみようか」
ヨハンナ先生が操作パネルにあるジャグジーのスイッチを押した。
すると、底から無数の細かい泡がぶくぶくと湧き上がってきて、水面で弾ける。
プチプチと弾ける泡が全身を
「くすぐったい!」
「もう、暴れたらだめだってば!」
女子達が、キャッキャと声を上げた。
みんなが水の中で動くから、足の指が僕の
操作パネルには、水流の強さを調節したり、水中の照明の色を変えられるスイッチがあって、弩がそれで遊んでいる。
「あっ、ここ、テレビまであるんですね」
操作パネルにはテレビのマークもあった。
弩がそれを押すと、床の一部がせり上がって、50インチくらいのテレビが現れた。
テレビは水に濡れても大丈夫なように、ガラスのカバーで
テレビ画面には、夕方のニュース番組が映っていた。
女性キャスターが、深刻そうな顔で原稿を読んでいる。
「もう、テレビなんかいいじゃない。この海と空を見ていれば、ずっと飽きないんだし」
新巻さんが言った。
「そうですよね」
弩が、もう一回ボタンを押してテレビを仕舞おうとしたときだ。
「ちょっと待って!」
ヨハンナ先生がそれを止めた。
テレビ画面に、自衛隊の艦船が映る。
洋上で何か作業をしている、大きなグレーの船が映っていた。
先生がテレビのボリュームを上げる。
要約すると、某国の潜水艦が、航海中に機関の故障で日本近海の海底に
海上自衛隊の潜水艦救難母艦「ちよだ」が海の上で作業する様子を、上空からヘリコプターで撮影している。
「えっ? これって、私達が遭難した辺りじゃない」
テレビ画面に映し出された地図を見て、新巻さんが言う。
驚くことに、そこは僕達が漂流していた海域だった。
母の
座礁した潜水艦の100人を超える乗組員は、全て「ちよだ」によって無事救助されたみたいだ。
相手国の外務省報道官が、「日本国政府の協力に感謝する」っていう声明を読み上げている(なんか、感謝するっていうわりには、
「あの、まさか、僕達が乗ってたクルーザーがぶつかったのって……」
僕がヨハンナ先生を見ると、
「まあ、そういうことだよね」
先生が言って、みんなが、「えええー!」ってジャグジーから立ち上がる。
お湯が
「私が事情を訊かれた自衛官の話によると、私達の船がぶつかったのは、潜水艦本体じゃなくて、通信用のブイじゃないかってことだったけどね。本体は、私達のずっと下で座礁していたみたいで、通信しようとしてブイを上げたら、それが偶然、あのクルーザーに当たったみたいなの」
ヨハンナ先生が説明する。
先生は話を聞いて、真相を全部知っていたらしい。
僕達のクルーザーの下に100人を超える人がいたなんてゾッとする。
それも、暗い海の中で動けなくなって、救助を待っていたなんて……
あの時、ヨハンナ先生が浮かない顔で戻ってきた理由が分かった。
そんな話を聞いたら、今この安全なところにいても震えがくるくらいだ。
ちょっと寒くなったから、みんなでジャグジーに入り直した。
「ニュースでは機関の故障とか言ってますけど、もしかして、水面下で激しい戦闘が行われていた、とかじゃないですよね? 国籍不明の潜水艦が、自衛隊に追い詰められて浅瀬に乗り上げて座礁しちゃったとか。そこで本国に連絡をとろうとして、私達の船にブイがぶつかったとか」
新巻さんが妄想の翼を広げている。
「機関の故障って言ってるんだから、そういうことなんでしょ」
先生がテレビを消した。
「大人の事情ってヤツだよ。まあ、そういうことにしておきましょう」
そう言って肩を
「だから、このことは私達だけの内緒だよ。あのクルーザーも、
大人達の間では、もう、そんなふうにシナリオが書かれていたらしい。
「なんか、スパイ映画見たいですね」
宮野さんが言った。
「小説書いちゃダメですか?」
新巻さんが訊く。
新巻さんの目、興味で輝いていた。
「今はダメだよ」
先生が強く言って、新巻さんがしょんぼりする。
「そうね、10年後くらいならいいんじゃない」
新巻さん、10年後にノンフィクションデビューか。
国家間の陰謀とか大きな話だけど、大きすぎてなんだか実感がなかった。
ただ、それに巻き込まれた僕達は無事で、こうして
そういうことだ。
僕達は、お湯に入ったり、のぼせそうになると海風を浴びたりして、ジャグジーを楽しんだ。
行く夏を惜しんで、最後まで目一杯楽しむ。
夕焼けのオレンジに染まった海が黒くなって、空も段々、星が目立つようになった。
「先生、もう出ませんか?」
長くお湯に浸かっていて、僕は手の皮がふやけてしまった。
「そうね。でも、もう少し待って」
ところが、先生がなぜか
僕達をいつまでもジャグジーに留め置いた。
僕は、最後の夜のディナーの用意をしたいし、女子達も好い加減のぼせそうだ。
「そろそろかな」
先生がチラッと時計を見て言った。
そして、ジャグジーの照明を消す。
あたりは真っ暗になった。
「さあ、始まるよ」
すると、向こうの岬のほうから、ひゅーって、あとを引くような音が聞こえた。
みんな反射的に音のするほうを向く。
と同時に、ドーンってお腹に響くような音がして、夜空に大輪の花が開いた。
視界いっぱい、はみ出すような花火が上がったのだ。
花火は、岬の崖上の建物にいる僕達の、ちょうどの前で弾けた。
視界いっぱい伸びきった火の粉が、燃えながらゆっくりと落ちていく。
キラキラと
浜辺に金色の火の粉が降る。
まわりが昼のように明るくなった。
みんな、口が半開きになって見とれている。
しかしそれは一瞬で、火の粉は何事もなかったみたいに空中で消えた。
辺りはまた、星明かりだけの暗がりに戻った。
「これって、もしかして、僕達のために」
僕はヨハンナ先生に訊く。
「もちろん、私、最終日に盛大に花火やるって言ったでしょ?」
先生が得意げに言った。
「先生……」
確かに言ってたけど、こんな大きな花火だったなんて。
それも、こんなところから見せてくれるなんて。
「先生、このために無理したんじゃないですよね」
僕は訊いた。
「無理はしてないよ。まあ、ボーナスから
先生がケロッとした顔で言う。
最後の最後に、こんなサプライズを仕込んでくれたヨハンナ先生。
「だけど、ここを無料で借りられたし、篠岡君はホテル並みのサービスをしてくれるし、夏休みに海外旅行にでも行ったと思えば、安いもんだよ」
先生が言う。
「あなた達と良い思い出を作れたんだから、安い安い」
先生はそんなふうに言って星空を
ビキニで、ジャグジーで、花火で。
忘れられない、最高の夏休みになった。
「さあ、それじゃあ、夕飯にしようか」
ヨハンナ先生が、ジャグジーから立ち上がる。
最後の夜だし、やっぱり今夜はバーベキューだろう。
肉とか、残りの食材全て食べ尽くすし、先生にはここにあるお酒、全部飲ませてあげたい。
色々あった僕達の夏は、そんなふうに終わった。
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