第274話 安心

「えっ? お義母かあさんのふね?」

 ヨハンナ先生が目を丸くした。

 先生、船が来たのと、それが僕の母の艦ってことで、二重にびっくりしている。


 なんか、「お母さん」の漢字に特殊な字を当てた気がするけど、それは僕の気のせいだろう。



 その間にも、船影は段々大きくなった。

 こっちに向かってくる大型船は、確かに護衛艦「あかぎ」だ。


 艦橋かんきょうが右側に寄せられていて広大な飛行甲板があるし、なんといっても、甲板上にF-35がある。

 今のところ、自衛隊の艦艇で固定翼機を運用しているのは、母の「あかぎ」だけだ。


 母と父はもうすぐ休暇で、「あかぎ」は母港の横須賀に向かっていたから、僕達が沖に流されていたとしたら、その航路だったのかもしれない。

 まさか、僕達を助けるために駆け付けて来たってわけではないだろう。


 だけど、この広い海の上で、そんな偶然ってあるんだろうか?


「護衛艦に助けられるなんて、こんな体験、滅多めったにできないよね」

 新巻さんが、メモ帳を取り出した。

「写真撮っても大丈夫なんでしょうか?」

 萌花ちゃんが訊く。

「すごく、大きいですね。どうやって作るんでしょうね」

 宮野さん口が半開きで近づく船に見とれていた。

 女子達、さっきまで漂流してたことも忘れて、興味津々だ。


「あれに、先輩のお母さんが乗ってるんですね。先輩のお母さんって、どんな人なんでしょう」

 弩も興奮している。


「そっか、お義母さんがいるのか……」

 先生が頭を抱えた(だから先生、漢字が……)。


「先生、母がいて、何かまずいですか?」

「うん、だって私、結果的にみんなを漂流させて危険な目にあわせちゃったんだもの。発見されなかったら、このまま漂流し続けることになったかもしれないし、お義母さんに、何も言い訳できないし」

 先生が、うーってうなる。

「だけど、これは事故みたいなものですし」

 漂流物にぶつかるっていう、誰も予測できない事故だ。

「まあ、それはそうなんだけど……」



 こっちが話している間に、「あかぎ」の甲板からヘリコプターが飛び立つのが見えた。

 イルカみたいなシルエットの真っ白い機体は、SH-60Kだ。

 それが、真っ直ぐこっちに飛んでくる。


 ヘリコプターは、あっという間に僕達が乗っているクルーザーの上まで来ると、そこでホバリングを始めた。


 ローターからの風で波が立って、クルーザーが海面に押しつけられる。

 さっき作ってこわれた帆が、バタバタとはためいて飛ばされそうになった。

 僕達は海に落ちないよう、しっかりと手すりにつかまる。


 頭上でホバリングしているヘリコプターのドアが開いた。

 するとヘリコプターから一人の自衛隊員が下りて来る。

 ロープで、一直線に僕達のクルーザーまで降下した。

 そして、それに続いて次々、都合つごう三人の自衛隊員が降りる。


 隊員はみな、濃紺のヘルメットに防弾チョッキを着て、ナイフや拳銃も携帯していた。

 降りた三人のうち、二人がキャビンに入って中を確認する。


 僕達の船は、不審船か何かと間違えられたんだろうか?


 デッキに残った一人が僕に近づいてくる。

 よく見ると、僕は、その人に見覚えがあった。


 190に届く身長、がっちりとした体格、よく陽に焼けた四角い顔。

 太い眉毛に、優しそうな目元。


 間違いない。


「よう、とりで。こんなところで、お嬢さん達と一緒に何してるんだ?」

 父が、ヘリコプターの騒音に負けないよう、僕の耳に口を近付けて大声で言った。


「なにって、父さんこそ……」

 確かに、父は「あかぎ」の乗員だけど、その父が乗り込んでくるなんて思わなかった。その仕事をこうして目の前で見ることになるとは思わなかった。

 僕がびっくりして言葉を継げないでいると、父は、ぽんぽんって僕の肩を叩いた。

 そして、ヨハンナ先生の耳元に口を近付けて、何か言葉を交わす。


 ヨハンナ先生は、ヘリコプターから降りて来たのが僕の父だと知って、三重にびっくりしていた。


「事情は後で、君達を今から向こうに移します」

 父がみんなに聞こえるよう、大声で言う。

 僕達はヘリコプターで「あかぎ」に運ばれることになった。


 宮野さんから順番に、弩、萌花ちゃん、新巻さんと、ウインチでホバリングしているヘリコプターに収容される。

 僕は最後でいいって言ったのに、ヨハンナ先生が自分が最後になるって言い張って、僕を先に行かせた。


 僕達全員を乗せると、ヘリコプターは機をひるがえして「あかぎ」にとって返す。

 エンジンが動かなくなったクルーザーには、乗り込んできた父以外の二人の自衛官が残った。



 ヘリコプターで上空から見る「あかぎ」の大きさには圧倒される。

 海の上に、飛行場が浮かんでいた。

 飛行甲板やキャットウォークで、たくさんの自衛官が働いているのが見える。

 まるでそこに、一つの島があるみたいだ。

 母がこんなに大きな船の長として、全ての責任を負ってるんだと思うと、身震いがした。


 狭いヘリコプターの中で、久しぶりに会う父が目の前にいるのに、何も話しかけられない。

 ヨハンナ先生や女子達が、チラチラと僕達のことを見ているのが気になった。

 弩なんて、そんなぎこちない僕を見て含み笑いしている。

 帰ったら、弩の靴下、洗濯したあと裏返しにして仕舞うの刑にしてやるって決めた。


 五分もない短い飛行で、ヘリコプターが飛行甲板後部に着艦する。

「さあ、頭に気をつけて降りて」

 父にヘリから降ろされると、そこに、真っ白な制服の男性自衛官が一人、立っていた。

 その人と父が目配めくばせする。

 その人が僕達の世話をしてくれる係ってことらしい。


 父は、僕を一瞥いちべつすると、なにも言わないでヘリコプターに戻った。

 これからもう一度、クルーザーに戻るみたいだ。


 仕事だからしょうがないけど、久しぶりに会ったんだから、もうちょっと言葉を掛けて欲しかったとか、考えてしまう。



「それでは、皆さんこちらへ。漂流していたようですし、医務室で健康状態をチェックしましょう」

 三十台前半の自衛官の男性が僕達を案内してくれた。

 半袖の制服から覗く腕がたくましい、さっぱりとした雰囲気の人だ。


 僕達は、ヘリが降りた飛行甲板後部から、艦の右舷にそそり立つ艦橋のほうに歩く。

 艦橋はたくさんのレーダーや、機関砲、防空ミサイルが付いていていた。

 中でも一際ひときわ大きなマストが、天を突き刺すように立っている。


 甲板を歩いていると、艦上のF-35のキャノピーを開けて、操縦席からパイロットが降りるのが見えた。

 降りたその人がヘルメットを脱ぐと、長い黒髪が揺れる。

 その戦闘機のパイロットは女性だった。

 鋭い目付きの綺麗な人だ。


 その人が、甲板を歩く僕を見て笑いかけた。

 僕は反射的に会釈えしゃくする。

「先輩」

 後ろにいた弩が、僕をジト目で見た。

 いや、別に、なにもないから。


 母以外にも、この艦にはたくさんの女性が乗り組んでいるらしい。



 僕達は艦橋横のハッチから艦内に入った。


「篠岡君のお義父さん、若いんだね」

 自衛官の男性について歩きながら、ヨハンナ先生が僕の耳元に小声で言う。


「はい、父は、母より10歳年下ですから」

 僕は答えた。

「そうなの?」

「はい、父が二十歳の時に、その時三十だった母が一目惚れして、猛アタックしたって言ってました」

 二人はラブラブで、子供の前で平気でそういう話をしてのろけるから困る。

 こっちが恥ずかしくなる。

「へえ、お義母さん行動的なんだね。見習うところが、多々あるわ」

 ヨハンナ先生がうんうんと頷いた。



 艦内の迷路のような通路を通って、医務室がある区画に着く。

 そこには陸にある病院と変わらないくらいの施設が整っていた。

 そこで、医官の男性から、一人ずつ診察を受ける。

 短い漂流だったし、水も食事もとってたから、みんな異常はなかった。

 強いて言えば、夜中ずっと見張りをしていたヨハンナ先生が寝不足なくらいだ。


「皆さん、お腹が空いてるでしょう? 食事をとってください」

 次に、僕達は食堂に案内された。


 広い食堂の隅の、六人掛けのテーブルで、僕達だけで食事を頂く。


 金属製の一枚のプレートに載せられたメニューは、ごはんに、ハンバーグ、オムレツ、ジャーマンポテト、昆布とわかめのスープに、イカとキュウリの和え物だった。


 ボリュームがあるし、なによりおいしい。

 一日まともな食事が出来なかった僕達は、プレートを全部、からにした。

 自衛官の男性が、プレートをめそうな勢いの僕達を見て、頬を緩める。



 食事を終えたら、ヨハンナ先生だけ別の自衛官に呼ばれて、席を立った。

「君達は、少し待っていてくれるかな」

 僕達は食堂に残るよう言われる。


 お腹がいっぱいになったら、なんだか急に眠たくなった。

 漂流して、このままどうなるか分からないっていう緊張感から解放されて、安心したのもあるかもしれない。

 ここが母の船の中っていう絶対の安心。

 それで一気に緊張が解けた。

 女子達も僕と同じようで、弩の首がコクコク動いて船をぎ出したし、萌花ちゃんと宮野さんはテーブルに突っ伏して眠ってしまう。

 新巻さんは腕組みしたまま、目をつぶって下を向いていた。

 男性自衛官が、毛布を持ってきてくれる。


 僕達は食堂でしばし、まどろんだ。

 この船は、微かに、母の匂いがするような気がする。



 呼ばれて出て行ったヨハンナ先生が食堂に帰って来たのは、三十分くらいしてからだった。

 戻った先生は、どこか浮かない顔をしていた。

「先生、何を訊かれてたんですか?」

 僕が訊くと、

「うん、ちょっとね」

 先生の返事は歯切れが悪い。


 何か、問題でもあったんだろうか?

 遭難したことで、誰かに怒られたとか。



 ゆったりとした空気が流れていた食堂で、突然、僕達の世話をしてくれていた自衛官の顔に緊張が走った。

 男性自衛官が背筋を伸ばして姿勢を正す。


 その原因は、すぐに分かった。


 食堂に、艦長である母が入って来たのだ。

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