第273話 漂流

 目が覚めたとき、天窓から青空が見えた。

 丸い天窓からベッドルームに朝日が差し込んで、僕の顔を焼いている。


 時間を見ると、午前5時を少し回ったところだった。

 疲れていて、朝までぐっすりと眠ってしまったらしい。


 まわりを見ると、女子達はまだ夢の中だ。

 寝入りは僕の体を枕にしていたのに、寝相が悪くて、ベッドのあちこちに散らばっている。

 萌花ちゃんと宮野さんが抱き合うみたいにしてるし、弩の足が新巻さんの頭を踏みつけていた(起きたとき怒られるぞ!)。


 僕は、そっとベッドルームを抜け出した。


 ヨハンナ先生が心配になって、キャビンの上の操縦席を見にいく。



「おはよう」

 ラダーを登った僕に、操縦席の先生が笑いかけた。

 先生はやっぱり徹夜で見張りをしていたらしい。

「おはようございます」

 僕は挨拶して助手席に座った。


 朝の海は少し波立っていて、遠くの空に重そうな雨雲も見える。


「どうですか? 船とか通りました?」

「それがねぇ、今のところ一隻も」

 先生が海面を見たまま言う。

「ここ、どのへんなんでしょう?」

「GPSを見ると、だいぶ沖に流されてるみたいだね。水深が深すぎて、アンカーも使えないし」

 さすがに先生、ちょっと疲れているみたいだった。

 金色の髪がボサボサだし、青い瞳もしょぼしょぼしている。


「先生、お腹空いてませんか?」

「うん、ちょっと」

 先生がお腹をさすった。

「分かりました、少し待っててください」

 僕はラダーを下りてギャレーに入る。


 冷蔵庫や棚にあった食材から、ズッキーニとタマネギ、トマトとベーコンを角切りにして、コンソメスープを作った。

 具がたっぷり入ったスープを、先生に届ける。


「ありがとう」

 先生は宝物でも受け取るみたいに、両手でうやうやしくカップを受け取った。

 おいしそうに、全部飲んでくれる。


「それじゃあ、あとの見張りは僕が代わります。先生は寝てください」

「ううん、私はまだ大丈夫」

「ダメです。先生は寝てください」

「平気よ、これくらい。年上だからって、私をお婆ちゃん扱いする気?」

 先生がふざけて言った。

「体調を崩して先生に倒れられたら、僕達どうなるんですか? 先生が下りないなら、僕は悪い生徒になります。先生を、力尽ちからずくで無理矢理下ろしますよ」

 僕は、怒られるのを覚悟で、ちょっとだけ強く言ってみる。


 そしたら先生が僕の髪をくしゃくしゃってした。


「分かったよ。ありがとう」

 先生はそう言って僕を抱きしめる。

 僕は、先生の胸元に深く抱かれた。


 先生からは、潮の香りがする。



「なにか変化があったら、すぐに呼びなさいね」

 先生はそう言い残して、ラダーを下りた。

 下で挨拶あいさつを交わす声が聞こえたから、起き出した女子達と入れ替わりになったのかもしれない。



「先輩、おはようございます!」

 弩が笑顔を見せた。

 新巻さんも萌花ちゃんも宮野さんも、みんな元気だ(あるいは元気をよそおってるだけかもしれないけど)。

 腹ぺこの女子達にもさっき作ったズッキーニのコンソメスープを出した。

 スープだけだと物足りなそうだったから、クラッカーもえる。

 せっかくだから、クラッカーには冷蔵庫にあったキャビアとチーズを載せた。


「漂流中のサバイバルなのに、朝からキャビアとか、贅沢ぜいたくだよね」

 新巻さんが言って、みんなで笑う。




 朝食のあと、日よけを広げた操縦席の下で、みんなで見張りをした。

 近くを通る船がいないかを見て、時々スマートフォンの電源を入れては、繋がらないか確認する。


 だけど、二時間たっても近くを通る船どころか、遠くを行く船影さえ見えない。

 海は海のままで、何も変化がなかった。


 ずっと海を見ていると、段々、目が痛くなってくる。

 風が出て波が立ってるから、太陽を受けた水面がキラキラ光って、それが目にさわるのだ。


「あのう、提案があるんですけど」

 しばらく監視を続けていたら、宮野さんが手を挙げた。


「僕達で、帆を作りませんか?」

 宮野さんが言う。


「風が出てきたし、陸地のほうに向かって吹いてるみたいだし、帆を張れば少しは陸に近づくんじゃないでしょうか?」

 確かに、昨日まではなぎのような状態が続いたのに、朝から波立って船が揺れるようになっていた。


「そうね、気休めでも、やってみましょうか。帆を張れば、この船も今より目立つようになるでしょうし。誰かが、見付けてくれるかもしれないし」

 新巻さんが頷く。

「そうですね。どうせやることないし」

 萌花ちゃんも賛成した。


 みんなで、船の中から帆の材料になりそうなものを探す。


 デッキの左右にある道具入れや船倉を探ると、釣り道具やブルーシート、ステンレスのポールにロープ、ダクトテープなんかが出てきた。


「これで作れそうですね」

 大工仕事が得意な宮野さんが、指揮をる。


 まずは、三枚あったブルーシートを釣り針と釣り糸で縫って、一枚の大きな帆にした。

 その作業は、弩と新巻さん、萌花ちゃんの三人が担当する。


 その間に、僕と宮野さんで、帆を掲げるマストとヤードを作った。

 ステンレスのポールと釣り竿を使って、T字型の骨組みを作る。

 接合部分は、ロープで固くしばった上に、ダクトテープでぐるぐる巻きにした。

 それをキャビンのラダーに縛り付けて立てたら、四方にロープを張って、倒れないように補強する。


 弩達が作った帆の端を輪にして、釣り竿を通したら、釣り竿の両端にロープをくくりつけて、ヤードに引っかける。


 ここまでで三時間もかかって、もうすぐお昼だ。




「それじゃあ、帆を上げてみましょう」

 宮野さんの合図で、ヤードに引っかけた二本のロープを手繰ると、帆が少しずつ上がった。

 上まで伸びきったところで、ロープを手すりにくくりつける。

 ブルーシートの帆は、横に8メートル、縦に4メートル弱の広さがあった。


 見た目は悪いけど、これで帆船の出来上がりだ。


 一陣の風を受けて、帆がぱんぱんにふくらむ。

 マストのステンレスポールが、ギシギシと音を立てた。

 すると、船体がぐぐっと、前につんのめるみたいに揺れる。


「やった、成功じゃない!」

 新巻さんが声を上げた。

 わずかに、船が前に進んだ気がする。

「すごい! ヨットみたい!」

 弩が、興奮して僕のTシャツの裾を引っ張った。


 しかし、喜びは一瞬だった。


 次に風が吹いたとき、ボキッっと鈍い音を立てて、釣り竿が折れる。

 ステンレスのポールと結びつけたところから、真っ二つだった。

 釣り竿は、ダクトテープで首の皮一枚繋がって、みじめにぶら下がっている。


「ダメでしたか……」

 宮野さんが肩を落とした。

 ロープとダクトテープで繋いだだけでは弱すぎた。

 それに、元々この大きな船を動かすには、力不足だったのかもしれない。


 みじめに垂れ下がったブルーシートを、強くなってきた風が、バタバタとはためかせた。



「それじゃあ、みんな一旦キャビンに戻ろう。何か飲み物出すから」

 長いこと作業したし、みんなを休ませないといけない。

 みんなで、すごすごとキャビンに戻った。


 だけど、ただ一人、弩だけがいつまでもうらめしそうに折れたマストを見ている。

 中々、戻ろうとしない。


「弩、仕方ないよ。他の方法を考えよう」

 僕が声を掛けた。

 それでも弩は、マストを見てぼーっとしている。

「弩、どうした? あきらめよう」

 僕は弩の肩を揺すって言った。


 でも、弩は、遠くを見るような目をしている。


「いえ、そうじゃないんです。先輩、あれ、船じゃないですか?」

 弩が見ていたのは、折れたマストじゃなくて、その先の海面だった。


「船?」

 キャビンに入っていたみんなが、一斉に外に出る。

 みんなで、弩が見ている方角を向いた。


 水平線の上。


 陽炎のように揺らめくはるか先に、何か、黒い影のようなものが見える。

 それは、こっちに向かってきているみたいで、段々、大きくなった。

 にじり寄るようなスピードだけど、確実にこっちに近づいている。


「船だ! あれ、船だよ!」

「船だね! 船だよ!」

 僕達は、声を上げて抱き合った。

 新巻さんまで、興奮して僕に抱きついてくる。


「おーい!」

 思わず、みんなで手を振った。

 まだ向こうから見えるはずもないのに、全員で手を振る。


 僕達の声が聞こえたのか、ベッドルームにいたヨハンナ先生が駆け上がってきた。


 その頃には黒い影はもっと大きくなっていて、それが船だってはっきりと分かるくらいになっている。


 先生が船の舳先へさき発煙筒はつえんとういた。

 シューシューと音を発して、発煙筒からオレンジ色の煙が上がる。


 船はこっちに気付いてるみたいで、発煙筒に反応して、ボーッって、汽笛を鳴らした。


「良かった、助かったね」

 ヨハンナ先生がデッキにへたり込んだ。

 女子達が先生の周りに集まった。

「ゴメンね。怖い思いをさせて」

 ヨハンナ先生が、女子達の背中を抱く。

 弩も、新巻さんも、萌花ちゃんも宮野さんも、女子達は涙ぐんでいた。

 顔には出さなかったけど、みんな相当怖かったに違いない。


 みんなの姿が、かすんで見える。

 僕も、涙ぐんでいるのかもしれない。



 段々と近づいて来る船。

 大きくなるグレーの、その船体。


「あれ?」

 僕は思わず声を上げてしまった。


「僕、あの船知ってます」

 あの船影せんえいに、僕は見覚えがある。


 右側に寄せられた艦橋かんきょう、広大な飛行甲板、そして甲板上の戦闘機、F-35。


 間違いない。


「あれ、護衛艦『あかぎ』です」

 僕が言って、みんなが僕を振り返る。


「あれ、母が艦長を務めるふねです」

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